穏やかな時間と、忍び寄る影
王都を発つ前夜。
宿舎の食堂は、珍しく静かだった。
「……こうしてゆっくり食事できるの、久しぶりですね」
エリスが、ほっとしたように言う。
「王都に来てからは、常に警戒していましたから」
レオンはスープを口に運びながら答えた。
「……終わったんですね」
「一つは」
「……十分です」
小さく笑う。
その笑顔は、前よりもずっと自然だった。
◇
食事のあと、中庭へ出る。
夜風が、少しだけ冷たい。
「……明日、帰るんですね」
「はい」
「……辺境に」
「ええ」
しばらく、並んで歩く。
沈黙が続く。
でも、それは心地よかった。
「……レオンは」
エリスがぽつりと呟く。
「辺境に戻ったあとも、ずっと一緒にいてくれるんですか」
「……」
一瞬の間。
「護衛としては、当然です」
「……それだけですか?」
少しだけ、意地悪な聞き方。
レオンは、わずかに視線を逸らした。
「……それだけでは、足りませんか」
「……足りません」
即答だった。
レオンの喉が動く。
「……では」
一歩、距離を詰める。
「あなたが望むなら」
「……?」
「その“それ以上”で、います」
心臓が跳ねる。
「……それって」
「……言わせますか」
「……はい」
一瞬の静寂。
「……好きです」
低く、しかしはっきりと。
エリスの思考が止まる。
「……え」
「今さら隠しても、意味がない」
「……」
「あなたが、誰にも踏みにじられず」
「自分の足で立つ姿を見て」
「……惹かれました」
まっすぐな言葉。
逃げ場がない。
「……ずるいです」
エリスは、顔を伏せた。
「……そんな言い方」
「……嫌でしたか」
「……嬉しいに決まってます」
小さな声。
でも、確かに届く。
「……私も」
顔を上げる。
「……好きです」
レオンの目が、わずかに見開かれる。
「……」
「……今度は、逃げません」
「……」
「ちゃんと、向き合います」
静かに、距離が縮まる。
今度は――
自然に。
レオンの手が、そっとエリスの手を取った。
拒まない。
そのまま、少しだけ引き寄せられる。
「……」
「……」
唇が、近づく。
ほんの一瞬、ためらい――
触れる。
優しく、短く。
でも、前よりも確かなキス。
「……これで、正式です」
レオンが小さく言う。
「……ずるいです」
「……何度でも言います」
二人は、少しだけ笑った。
◇
その夜。
エリスは、久しぶりにぐっすり眠った。
――明日、帰れる。
――大丈夫。
そう思えたから。
◇
そして、翌朝。
王都の門を出る馬車。
「……本当に終わった感じがしますね」
エリスは、少しだけ伸びをした。
「油断は禁物です」
レオンは外を警戒している。
「……わかってます」
でも、心は軽い。
隣には、信じられる人がいる。
それだけで、世界は違って見えた。
◇
だが。
その数刻後。
森へ入ったあたりで――
「……止まってください」
レオンの声が低くなる。
馬車が止まる。
「どうしました?」
「……気配が不自然です」
その瞬間。
――ガンッ!!
馬車が横から衝撃を受けた。
「きゃっ!」
エリスの体が揺れる。
「伏せて!」
外から、怒号。
「今だ、やれ!」
矢が飛び込んできた。
「……っ!」
レオンが剣で弾く。
「賊です!」
「そんな……!」
「計画的です」
馬車の扉が叩き破られる。
黒装束の男たち。
「女を連れて行け!」
「……!」
レオンが前に出る。
「下がってください!」
剣が交わる。
金属音。
一瞬で空気が変わる。
「くそ、強いぞ!」
「構うな、数で押せ!」
だが――
「目的は私ですね」
エリスが言う。
「……はい」
レオンの声が、さらに低くなる。
「絶対に、離れないでください」
その瞬間。
背後から――
「遅い」
低い声。
振り向いたときには、もう遅かった。
首元に、冷たい刃。
「……動くな」
「……!」
別の男が、いつの間にか入り込んでいた。
「女はもらう」
「やめてください!」
レオンが動こうとする。
「一歩でも動けば、殺す」
静止。
空気が凍る。
「……レオン」
エリスが、小さく呼ぶ。
「……大丈夫です」
「……」
「……信じてます」
その言葉に、レオンの目が揺れた。
「いい子だ」
男が笑う。
「そのまま来い」
「……っ」
抵抗できない。
エリスは、そのまま引き離される。
「エリス!!」
レオンの声が、森に響いた。
しかし――
煙幕。
視界が遮られる。
気づいたときには――
もう、姿はなかった。
◇
静寂。
倒れた賊たち。
そして――
立ち尽くすレオン。
「……」
拳が、震える。
「……奪われた」
低く、押し殺した声。
「……必ず」
顔を上げる。
その目には、明確な怒り。
「取り戻す」
それは、誓いだった。




