29話 隣に立つ人
リヴィアス邸へと続く石畳の道。
背中に担いだ巨大な『騎兵槍』が、歩くたびにふらふらと揺れる。
それほど重いわけではないのだが、なにせ3メートルもある。
とにかく長い。
傾く度にふらふらと流されてひたすら歩きにくかった。
(この時代に、電柱と電線がなくてよかったな)
俺はため息混じりに空を見上げた。
帝都クロネリアの空はどこまでも青くて広い。
リヴィアス邸へと向かう俺の前には、ライカ戦とは別に、重大な問題が横たわっていた。
(……どうやって顔を合わせればいいんだ)
アステリオス戦の直後、医務室での記憶。
情けなく泣きじゃくり、彼女の胸に顔を埋めたうえ、前世の名前まで晒してしまったあの夜のことだ。
思い出すだけで、羞恥心で全身から火が出そうになる。
(パティアは、俺の正体と弱さを知った上で「隣にいる」と言ってくれた……俺も、腹を括るしかない。今の俺はヘリオンで、匠でもあるんだから)
思考を切り替えて、守衛に挨拶をし、リヴィアス邸の豪奢な門をくぐる。手入れの行き届いた庭園には薔薇が咲き誇り、甘い香りが漂っている。
庭園の中心で、一人の美しい女性が待っていた。
まるで、俺がここに来ることを最初から知っていたかのように。
「――おかえりなさい。ヘリオン様」
パティアは俺の姿を認めると、駆け寄るでもなく、その場で花が綻ぶような柔らかな微笑みを向けた。
(……おかえり、だって?)
ここはリヴィアスの屋敷だ。俺の家じゃない。
けれど、彼女の声はあまりに自然で、まるでここが俺の帰るべき場所だと確信しているような響きさえあった。
――――ああ、そうか。
彼女は、俺を「お客様」としては扱わないつもりなんだ。
以前のような、憧れの剣闘士に向ける眼差しとは少し違う。もっと深く、すべてを受けとめてくれるような―――
「……戻りました、パティア。その、先日は……」
俺が言い淀むと、彼女はすっと人差し指を口元に当て、いたずらっぽく片目を閉じた。
「命がけの試合の後でしたから。それに……ふふ、あの夜の貴方は、とても可愛らしかったですわ」
「勘弁してください……」
恥ずかしくてぶっ倒れそうだ⋯⋯だが、不思議と嫌な気はしなかった。
赤面して立ちつくす俺の手に、彼女はそっと、自分の手を重ねた。体温が、強張っていた俺の心を解きほぐしていく。
「……タ……」
彼女の唇が、音にならない音で、俺の名前を紡いだ気がしたが、彼女はすぐに公の大使らしい凛とした表情に戻り、俺の手を引いた。
「さあ、参りましょう。リヴィアス様も首を長くしてお待ちですわ。貴方が『とんでもない無茶』を相談しに来る頃だろう、と」
……さすがは元老院議員だ。耳が早い。
ランスを側仕えに預け、通された執務室で、俺はリヴィアスに向かって単刀直入に要件を伝えた。
次の試合が騎兵戦であること。そして、人狼のライカに対抗できる「優秀な馬」が必要であることを。
「ふむ……騎兵戦とは、また派手だ。それも相手はあの『血塗れのライカ』、因縁深いね……」
リヴィアスはニコリとした笑顔を崩さないままに、難しい顔をしてみせた。
「並の馬では勝負になりそうにないな。カッパドキア産の重厚さと、ヒスパニア産の俊敏さを併せ持つ個体……手配するにしても時間が足りない」
「ええ。それにリヴィアス、ただ速いだけじゃ駄目なんです」
「とても長い騎兵槍と、俺の体重、これを乗せてトップスピードを出せる『馬力』が必要です。
質量を支えながら、速度を落とさない強靭な足腰を持った馬でないと、衝突の瞬間に馬の方が潰れてしまう」
俺の説明に、リヴィアスは目を丸くし、やがて苦笑した。
「なるほど、君の求める条件は、馬というよりも『攻城兵器』らしい」
リヴィアスは苦笑して腕を組み、重々しく口を開いた。
「……条件を満たす馬に、一頭だけ心当たりがある」
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は7月24日(金曜)です。
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