16話 昇格式
闘技場を正面に見て左側。
俺の目の前にはもう一人の剣闘士がいる。
先ほどの大男とは対照的にかなり小柄な体躯。
健康的な褐色の肌に少年のような顔立ち、柔らかそうな黒髪を結い上げて後ろにまとめ、華美に装飾された露出の高い胸当てには盛り上がった双丘が⋯⋯
⋯⋯⋯⋯え、双丘?
目が泳いで、つい何度も胸元を見ていたら、青く鋭い瞳におもいきり睨まれてしまった。
女性は胸をチェックする視線が全部わかるって言うし⋯⋯気をつけよう。
「―――ようやくお前に追いついたぞ、ヘリオン!」
大歓声の中、小さくも鋭い声音で呟かれた俺の名前。
まさか、知り合いなのか?
「胸ばかり眺めていて私の顔を忘れたか、このライカの顔を!」
ライカ?! 顔も何も、人狼化した時の印象が強すぎて覚えてないっての!
⋯⋯それにしてもまさかここで再開するとは思わなかった。彼女の強さを思い出すと(思い出したくもないが)身震いしてしまう。
また、あれとやり合うのか⋯⋯
どうやら、セクハラ男と認定されてしまったらしく、その後彼女はツンと顔を背けてそっぽを向いてしまった。
―――――面目ない。すみませんでした。
そうこうしている内に式典が始まったようだ。
音楽隊や声楽隊が、完璧な行進を見せて場内の端に立ち並び、荘厳な音楽を奏で始める。
そして、厳かな様子で試合会場の中央へと進み出てくる三つの人影。
皇帝の代理人らしき立派な儀礼衣装の年配男性と、武装した二人の美しい少女と青年が警護役として付いている。
「さて、諸君。本日はここに集った三名の英雄を紹介させていただこう。興行師!」
どうやら進行は代理人ではなく、二階から皇帝陛下が直々に行うらしい。優雅なものである。
「「はっ!」」
一階の入場口から来たのだろう、いつもよりだいぶ着飾ったダモンさんが現れて俺の横に付いた。
「ほれ、ヘリオン。シャンとしてついて来い!」
「応!」
俺はダモンさんに連れられ、皇帝代理人の前で整列する。俺の横には少し離れて、見知らぬ年嵩の興行師と大男。最後にライカの順だ。
「ブルトゥス訓練所、興行師ダモン。この度、下位闘士ヘリオンを上位闘士へと推薦いたしたく、アウグス皇帝陛下に奏上いたします」
ダモンさんが代理人に請願し、一礼して下がる。
続いて、俺の横にいる見知らぬ興行師が一歩前に出た。歳は五十台くらいの痩身で、飄々とした雰囲気の糸目。口元はニヤけているが、目が笑っていない。
丁寧な物腰だが隙がなく、獰猛さを感じさせる男。
あまり関わりたいタイプではないな⋯⋯
「ロクスタ訓練所、興行師テウメソス。この度は下位闘士アステリオス、並びに下位闘士ライカの両名を上位闘士へと推薦いたします事。アウグス皇帝陛下へと奏上いたします」
興行師テウメソスが請願を終え、一礼して下がると今度は赤い羅紗布に包まれた“木剣”が3本、たっぷりと時間をかけて運ばれてくる。
「ヘリオン、そなたは剣闘士として卓越した技量と実力を見せつけ、それを認めさせるに至った。
剣を履きながらもみだりに人を傷つけぬ達人の証として、ここに“木剣”を授けるものである」
「はっ! ありがたく頂戴いたします」
皇帝代理人の前に片膝をついて傅き、捧げ持つようにして木剣を受け取る。
ここに向かう途中、馬車の中でひたすらダモンさんのレクチャーを受けた甲斐があった。
土壇場で手続きを覚えるのはブラック企業時代に身につけた特技。
要点を絞らずにフワッとでいいから流れを覚えるのがポイントである。
俺が木剣を受け取った瞬間、図ったように沸き起こる万雷の拍手喝采。
声援まで贈られれば自然、心が浮き立ってくる。
「Admaiora!ヘリオン!」(幸運を!)
「vivat!!」(万歳!)
「今より、そなたは帝国において“自由市民”という最も位の高い市民として扱われる事になる。心得よ」
「はっ! 肝に銘じます!」
その時、代理人の視線が俺のふくらはぎに動いたのがわかった。
「―――自由市民になり得た者に残る奴隷の印は、蔑みの対象ではなく勝者の印として衆目に映るものだ。誇ると良い」
これは……おそらく、彼自身の言葉だろう。
俺は幸いにして、この印に悩まされた事はほとんどなかったが、彼の言から相当に恵まれた道を進んできた事を痛感する。
後ろで年甲斐もなくグスッと鼻を鳴らして感極まっているダモンさんに感謝の念を抱くと、なんだか俺まで鼻の奥がツンとして仕方がなかった……
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は6月24日(水曜)です。
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