51話 ヘリオンの価値
クロネリア帝国帝都の中心地『フォルム・ロマヌス』ここは帝国最古の行政機関地区。
帝国が法治国家たる証の一つ、巨大建築物『バシリカ・アエミリア』もそこにそびえている。
横幅一〇〇メートルに及ぶ帝国最大の裁判所は、属国カルタゴ産大理石が贅沢に使われており、その白さは厳粛な公正さを伺わせる。
イオニア式列柱が立ち並び、壁には幾人もの名工が手がけた巨大で美しい七竜のレリーフが彫り込まれ、壮麗さを際立たせていた。
バシリカ・アエミリアの威容をインスラ二階の事務所から眺めながら、クリニアス監察官は連日の忙しさで疲れた目をこする。
「お疲れのところ失礼致します。クリニアス様、クアレス様が報告にいらっしゃっています」
クリニアスはクラウディ公に仕える監察官であり、貴族だ。監察官の仕事は組織内の調査、裁判の起訴、弁護と多岐に渡る上に秘匿性が高い為、依頼人等と秘密裏に会合を持てる場所が必須である。
そのため、個人契約のこの事務所には信用の置ける最低限の側仕えだけを連れてきていた。
「通してくれ」
「かしこまりました」
老境の側仕えはクアレスを執務室へと案内し、二人分のお茶を用意すると主人の意を汲んで、部屋から退出する。
「行政地区や貴族街のある西側への道を、君の主が封鎖してくれたおかげで元老院や貴族の反応は静かなものだ。これはリヴィアスにとって好材料となる。礼を言っておいてくれ」
「確かにお伝えいたします」
「では、報告を頼む」
「はっ!」
「まず、市内の様子ですが混乱はほとんどありません。北のポポロ広場に集結した反乱軍約八〇〇〇名ですが、こちらはコルネリウス将軍旗下である副官との折衝により、フラミニア街道から北部へ移動する手はずとなっています」
「ふむ、逃亡奴隷の対応についてはどうするのだ?」
「コルネリウス閣下の言では不問にするとの事です」
「不問というのは、つまり追放であり、解放という意味だな。帝国法において解放奴隷という言葉は、自由を得た英雄的な意味合いを持ち、一部の市民権まで得る事になる。
言葉尻を取られて下手な解釈をされると厄介だ。将軍閣下には、書面においても区別するよう忠告を」
「かしこまりました」
そう、こういうところがコルネリウス将軍は雑で、丸投げされた文官が苦労するのだ。
クアレスは文書作成に忙殺される文官のヴァレンスに同情のため息を漏らす。
「私からも一つ伝えておこう。煩雑な処理が増えたのは面倒だが、帝都の一時的な混乱はリヴィアスや私にとって有利に働いた」
「と、言いますと?」
「シディウス派の議員が避難している間に、部下が連中の自宅にお邪魔して不正の証拠や弱みをいくつも集めてくれた。
裁判で使える類のものではないが、言い掛かりの如き今回のような茶番は、二度と起こせなくなるだろう」
どうやらクリニアスはかなり怒っていたようだ。
シディウス派に傾倒したのをいい事に、裁判の先を見据えて先手を打っていたとは……
どうりで忙しくされていたわけだ。と、クアレスは納得した。
「リヴィアスの裁判における重要証人アウロ議員だが、ヘリオン君は議員を確保できたのか?」
リヴィアス救出の為に絶対必要となるアウロ議員の確保。巷で名を上げているとはいえ、一介の下位剣闘士でしかないヘリオンにそれを託したのだ。
クリニアスの懸念を察して、クアレスは詳細に報告を入れる。
「はっ! 鷹の目で確認いたしました。ヘリオン殿はウェスパシア訓練所にてアウロ議員を確保。
脱出時に反乱軍首領スパルタクスと邂逅し、反乱軍への勧誘を受けていたようですがそれを拒否。決闘の末にスパルタクスを下しました」
「ちょっと待て、スパルタクスと決闘だと? しかも決闘で下したというのに、スパルタクスが生きてポポロ広場にいるのはおかしいではないか!」
あまりの驚きに執務机から立ち上がって詰問口調になるクリニアス。対して、報告者であるクアレスの顔は苦りきっている。
「はっ、アウロ議員の潜伏先に偶然スパルタクスが訪れて演説を行い、その場で反乱軍を糾合しました。
ヘリオン殿がアウロ議員を連れ去ろうとしたところをスパルタクス本人に見咎められて決闘へ発展したようです」
「偶然と呼ぶにはタイミングが一致しすぎている。勧誘を受けたと言ったな。帝都に入り込んだのは、元々ヘリオン君を欲しがっての事か?
いや……それにしては仕掛けが大袈裟すぎる」
難しい顔をして、ぶつぶつと思考にふけるクリニアスにクアレスはかける言葉がない。
なにしろ、ウェスパシア訓練所で起きた一連の出来事はクアレスにとっても予想外過ぎて意図が読めず、見たままに伝えるしかないのだから。
「ヘリオン君の価値を上方修正したほうが良いかもしれぬな。ところで、スパルタクスが生きているのは何故だ?」
クアレスの顔がこれ以上ないほど渋くなり、顔を横に振ってから口を開いた。
「それが…⋯スパルタクスが倒れ込んだ後、ヘリオン殿は傍らに座り込んで話し始めまして…⋯」
「彼が反乱軍の首領と通じているという事か?」
クリニアスは鋭く目を細めてクアレスの反応を伺う。殺意すらこもる視線に、クアレスの背筋を冷や汗が流れた。
「いえ、それはないと推察します。どう見ても初対面でしたし、間違いなく殺し合いの様相でした。
そうですね。これはヘリオン殿のパトロヌスであるリヴィアス様の言ですが……」
「リヴィアスの分析ならば参考になるだろう。言ってみたまえ」
「はっ! どうやらヘリオン殿は試合の決着がつくと相手の命を惜しみ、剣を置く事が度々見られるとか」
「これは試合ではない! 戦争だぞ!」
「存外、のんきな御仁ですから……」
激昂するクリニアスに情けない顔で応じるクアレス。
「帝国軍を三度も打ち破ったスパルタクスは指揮官としてだけでなく、戦士としても一流と聞く。ヘリオンはそれほど強いのか?」
話題を移して溜飲を下げようとしているのだろう。一息にお茶を飲み干して、クリニアスは問いかけた。
「はい。彼の強さは闘技場で証明されています。既に十戦以上をこなして連勝中であり、その中には人狼や魔獣、一対複数の試合も含まれています」
「こうして聞くと凄まじいな……私も五連戦の際には公のお側に控えていたが、それほどの勇士だったか。
つまり彼は兵士ではなく、誇り高い一流の剣闘士として扱えという事だな」
ヘリオンへの認識を改めたクリニアスは宙を睨み、少し考えてから話を続ける。
「ヘリオン君の人気はどうだ?」
「彼の戦績も派手ですが、興行主の手腕も相当なものです。市内でヘリオン殿の名を知らない者はそういないでしょう。彼を使うおつもりですか?」
「ああ、剣闘士というものはパトロヌスにとって有用な広告塔なのだ。ヒーローにはヒーローらしい役割を与え、もう一働きしてもらおうか」
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は4月08日(金曜)です。
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