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第二百十八話 ラナリアvsルナーリス 前編

 現在、アクロシア王国の東の連合軍陣地には、いくつもの巨大ポータルが作られている。それぞれがカリオンドル皇国の首都を包囲殲滅作戦―――ではなく人道的救援へ向かうために用意されたものだった。


 白竜に襲われているカリオンドル皇国の首都を救援する作戦には、各国の将軍たちから難色を示された。しかしエンシェントが協力したくない者は兵を下げて良いと言えば、将軍たちは口々に連合軍の指揮権は天空の国フォルテピアノにあると言って命令に従う姿勢を見せる。


 ラナリアだったら舐められて、例え説得できても本国の許可があるまで動けないと言われただろう。だがエンシェントは違う。公的な場で常にフォルティシモの傍に控え、フォルティシモが何かとエンシェントと相談し、時には丸投げする姿が目撃されている。天空の国フォルテピアノの参謀と呼ばれ、フォルティシモから格別の信頼を賜る彼女に逆らえるはずがない。


「ラナリア、本当に参戦するのか? あの白竜、ステータスはそれほどでもないが、異常な特殊能力を備えている。何が起きるか分からないぞ」

「はい。私が言い出したことです」


 エンシェントが困った表情を見せる。こういうところは、エンシェントも人間なんだなと思う。


「エンシェント様! 各部隊、準備が整いました!」


 連合軍の兵たちは、もうラナリアを見てもいない。


 それも仕方がないだろう。遠距離と遠距離を一瞬にして移動する魔術があることは知っていても、たった一人の人間がそれを十カ所以上何時間も維持していられるなど考えもしない。軍事面においても流通面においても情報面においても、この魔術一つで大陸中の国家を震え上がらせるほどのものだ。


 【転移】の専門クラスのダアトなら、そしてフォルティシモなら、もっと凄いことができるのだと思わず言いたくなってしまう。


「私は司令本部から命令を出すが、ラナリア、危険を感じたら何よりも自分の身を優先しろ。他の人間の犠牲………は、王族であるお前は心得ているだろうが、例えキュウやピアさんが目の前で危機に陥ったとしても、お前は自分を優先して良い」

「ピアノ様の危機に私が何かできるとは思えませんので、その際は退避を優先させて頂きます。しかし、キュウさんであれば、私が犠牲になろうともキュウさんを助ける所存です」

「主は、それでラナリアが犠牲になれば悲しむ。主にとってはラナリアも家族の一員だ。それは覚えておけ」

「………………………それは………いえ、はい。胸に刻み、この度の戦場に赴きます」


 何を言われたのか一瞬理解できなくて、何度も言葉を反芻した。決してフォルティシモ自身から言われた訳ではない。だからエンシェントの想像でしかない言葉だ。


 それなのに。


 嬉しくて仕方がない。


 兄ラムテイルの話を耳にして、少し弱っていた心にこれは反則だ。まったくエンシェントは優秀過ぎる。一気にラナリアに冷静さを取り戻させ、これからの戦いへの高揚感を与え、必ず生きて帰ろうという決意をくれた。


「ラナリア様?」


 シャルロットから話かけられたラナリアは、不自然にならないように笑みを作る。シャルロットは何も言わずに付いて来てくれた。


 そしてラナリアは己の親衛隊で編制された、白竜と戦う部隊を前に宣言する。


「我々は、アーサー様を主軸としてカリオンドル皇国を襲う白き竜と戦います! 勝利の必要はありません。これはカリオンドル皇国に住む者たちを救うための作戦です」


 とっくに具体的な作戦は通達されているだろうが、敢えて作戦の詳細を口にする。その全てが、フォルティシモの意向だと示すためだ。


「天空の王フォルティシモ様が、我らの後ろに控えてくださいます。我々は、フォルティシモ様の御名をこのアクロシア大陸の“神話”に刻みましょう!」




 ◇




 ルナーリスは集まってくるカリオンドル皇国の兵士たちから、一斉に攻撃を受けていた。それらの攻撃がルナーリスを傷付けることはない。


 巨躯の白竜となったルナーリスは、皇城の残骸を踏みしめながら彼らを見下ろす。ギョロリと見つめられただけで、少なくない兵士たちが武器を放り出して逃げ出す光景が目に入った。


 カリオンドル皇国では、白竜に特別な意味がある。初代皇妃ディアナが竜の神というのは子供でも知っている話で、白竜は神聖なもの、自分たちの国を建国した神に等しい存在だと教えられ育つ。そんな白竜が皇城を破壊していれば、神罰が下ったのだと思ってもおかしくはない。


 ルナーリスは両翼を動かし、突風を起こす。ルナーリスを攻撃していた兵士たちが、紙吹雪のように宙を舞っていた。少し強すぎたのか、皇城近くの家屋が崩れる。


 その中には、ルナーリスが母親と訪れた服飾店があった。まだ母親が心を病んでいなかった頃に訪れて、ルナーリスのためのドレスを仕立ててくれた店だ。ルナーリスの羽ばたきは、そんな店を吹き飛ばしていた。


 ルナーリスの動きが止まったと、兵士たちが遠慮のない攻撃を、ルナーリスを殺そうとしてくる。ある者は仲間の仇だと、ある者はこれ以上の命は奪わせないと。


 ルナーリスは竜のブレスを吐く。そのブレスは、兵士たちを消し飛ばし、その先にあった公園までも跡形もなく消滅させた。母親と一緒に行った公園だ。薔薇がとても綺麗で、ルナーリスが欲しいとねだったら、翌日ルナーリスの部屋に花束が届けられた。


 ルナーリスは、竜神ディアナは、何を、しているのか。


 直後、ルナーリスの身体を攻撃する魔術の質が変化した。白竜の肉体の内、羽に向かって無数の【火魔術】が打ち込まれた。これまでは慌てふためいたカリオンドル皇国の首都を防衛する兵士たちからのものだったけれど、今ルナーリスを襲った魔術はまったく違う性質を持っている。


 【デフォルト設定】でも【アドバンス設定】でもない、【コード設定】によって作られた圧倒的に複雑で精緻な魔術。レベルに合わせて一部の隙もない最大効率で組まれた、至高の魔術だ。


 亜人族の国家であるカリオンドル皇国の首都に、純人族の大部隊が現れた。純人族たちは、逃げ遅れた亜人族たちを助けるために動き出す。


『ラ………ナ………』


 ルナーリスの前に立ちはだかったのは、あの太陽のように輝かしい天才、ずっと羨ましかった、ルナーリスとは何もかもが違う、天空の国フォルテピアノへ行ってしまった、ラナリア・フォン・デア・プファルツ・アクロシアだった。


「さて、アーサー様から聞きましたが、本当にあなたがルナなのですか? 本当なら、言わせて貰いましょう」


 ラナリアは大きく息を吸い込んだ。


「あなたは馬鹿ね、ルナ! 何が馬鹿なのかは、今度会う時まで考えて来なさい! 宿題よ!」

『ラナっ!』




 ◇




 出来損ないのルナーリスが、将来の嫁ぎ先だと言われたアクロシア王国へ行った時。あの時は、なんとしてもアクロシア貴族に気に入られなければと必死になって、最初の謁見の挨拶を噛んだ上、そのことで頭がいっぱいになって挨拶の後に立ち上がるのが遅れてしまい、急いだら王の間で盛大にこけた。不敬罪で死罪にはならなくても、カリオンドル皇国に帰った後に烈火の如く怒られるだろうと思われたのだが、誰よりも先に近づいて来た幼いラナリアがこう言ってくれた。


「大丈夫? お父様、お兄様方、大人のお話はつまらないです。私たちはお庭で遊んできますので、続きは大人だけでやってくださいませんか?」


 彼女に手を引かれ、王の間を出た廊下でルナーリスはラナリアにお礼を言った。


「あり、がとうございます」

「いいえ。つまらなかったのは本当ですから。それよりも、チェスが得意なのですって?」

「得意という、ほどではないです」

「私はとても得意です。もしも私に勝てたら、美味しいお菓子をご馳走してあげます。それをお兄様の誰かと一緒に食べましょう。でも、私に負けたら」

「負けたら?」

「次会う時まで、もっと強くなってくることを約束してくださいね。宿題です」


 カリオンドル皇国へ戻ったルナーリスは、ラナリアと何度も戦って一度も勝てなかったことを親族や大使たちに詫びた。次会うときにまた戦う約束をしていて、次は必ず勝つと言ったら、何故か褒められた。


 それが彼女との出会いの記憶。


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