第百四十四話 鍛冶師の矜恃 砕けた心
鍵盤商会は天空の国から仕入れた武具を扱う小売店であると確信したエイルギャヴァは、やる気を失うではなくむしろ燃え上がった。それはすっかり腑抜けてしまった工房の者たちと同じように成りたくないという意地だった。
エイルギャヴァは開店してから毎日鍵盤商会の武具コーナーへ通い、見て、触り、時には試し切りをさせて貰った。買う気もないのに通い詰めるエイルギャヴァは、とても迷惑な客だっただろうけれど、そんな外聞を気にしていられる余裕はない。
歯を食いしばり、一心不乱に槌を振るう。
「おい、エイルギャヴァ、そこまでにしとけ。手から血も出てるし、まるで力が籠もってやがらねぇ。そんな状態で打っても、駄作しかできやしねぇよ」
久々に酒浸りになっていない父親の声を聞いて、エイルギャヴァは我に返った。
「お父?」
「け。こう毎日毎日うるさくされちゃあ、酒が不味くなる」
父はエイルギャヴァと席を代わると、これまでエイルギャヴァが打っていた剣を代わりに打ち始めた。やはりエイルギャヴァとは比較にならないほどに熟練した動作だった。
子供の頃から慣れ親しんだ音が全身を抜けていく。その姿を見ていると、自然と口が開く。
「最近、ギルド近くの市場に、鍵盤商会ってとこが店を出したのけ」
「そうか」
「たぶんそこでは、お父たちが見た武具が売られてるのけ。それを、私も見たのけ」
「そうか」
「でも、今は無理でも、お父たちだって打てるはずなのけ」
「無理だ」
父は無慈悲に告げる。
「うちの王女様がとんでもなく頭が良いって話は聞いてた。その王女様が隠すわけだ。あれじゃ、儂たち全員を否定しているようなもんだからな。儂たちは、儂たちが先祖代々繋げてきた技術なんて―――」
父はエイルギャヴァと一切の視線を合わせない。それでも父の言葉の続きは嫌でも分かってしまう。
「言わないで欲しいのけ!」
エイルギャヴァの叫びに父が黙る。
「なぁお父、お父たちは何を見たのけ? そこまでの、そこまでのものだったのけ?」
父はエイルギャヴァの質問に答えようか迷った様子を見せた後、溜息を吐いてから答える。
「見せられたものだけなら、儂たちだっていつかは辿り着けると思えるものだった。儂だって一生懸けてそれを打って見せると思っていたさ。だが、フォルティシモ陛下がそれに対して言った。「こんなゴミなら鍛冶師じゃなくても作れる」「何度でも作り直させる」とな」
一瞬だけだが、確かに何を言われたのかが理解できなかった。
「そ、そんなの、王族や貴族の、戯れ言なのけ?」
「その後、王女様からフォルティシモ陛下本人が片手間で作った杖を見せて貰った。ああ、確かに儂たちに見せたのはゴミだと思ったよ」
エイルギャヴァは息を呑む。フォルティシモ陛下には鍛冶の技術がある。鍛冶師に理解のあるどころか国王自身が鍛冶するのは歓迎するべきであるが、それが圧倒的な技術力を有しているのだとすれば喜ぶべきかは分からない。
天空の国の王は、最低限アクロシアの歴代鍛冶師たち全員以上の鍛冶の腕を持っていて、天空の国の鍛冶師はそれに応えられる。
「で、でも、陛下は趣味で鍛冶をしていて、本職の鍛冶師と変わらない腕なのかも知れないのけ」
「そして、あの御方が王女様用に打った杖を見せられた。あれは国宝や宝具など生温い、神具だ」
アクロシアの鍛冶師たちに見せた技術、冒険者たちのために武具を作った技術、軍事技術を他国にすべて見せる馬鹿はいない。しかし王女様は天空の国に嫁ぐ予定の言わば身内、つまり王女様に用意された武具こそが天空の国の本当の技術力。いや、それすらも見せても良い物だから、見せたのだ。
エイルギャヴァの父は、涙を流さんばかりだった。
「なあ、エイルギャヴァ、レベル四〇〇〇を超えた者が扱う武具、そんなもの、儂たちに打てるのか?」
レベル四〇〇〇、大陸最強の冒険者として名を馳せた現在の冒険者ギルドのギルドマスターでさえレベル八〇〇、アクロシアの鍛冶師たちが打つ武具は、ほとんどがレベル三〇〇台向けだ。そんな誰も使えない武具を打つ事に意味はない、と言うのは商人の考えで、鍛冶師たちは自分たちに打てるかどうかを考える。
父の話は散漫で要点を得ていないけれど、父たちがどれだけの衝撃を続けて受けたのかは理解できた。けれども、ここで諦める訳にはいかない。
「ぜってぇ、ぜってぇ打ってやるのけ! それでお父たちの目も覚まさせてやるのけ!」
折れそうな心を辛うじて繋ぎ止める。
その日も、エイルギャヴァは鍵盤商会へ足を運んでいた。店員にはすっかり顔を覚えられてしまっていたが、そんなことは構っていられない。少しでも参考にするべく武具コーナーへ向かった時、見慣れない人影たちが居た。
とんでもなく高そうな服を着ている貴族風な美形の男、アクロシアのそこそこ安価で人気のある庶民派お洒落の服を着た狐人族の女の子、そして見るからにお洒落な赤毛のドワーフの女性、三人組だった。貴族の男と赤毛の女性が笑って、狐人族の女の子が焦った様子で顔を朱くしている。
貴族の道楽なら後にして欲しいと思いながら武具コーナーを見ていると、新しい剣が入荷しているのが目に入った。エイルギャヴァは今回はどれ程凄い商品を仕入れたのかと手に取った。
「あ」
三人組の一人、狐人族の女の子が声を上げた。購入しようか迷っていたのだろう。エイルギャヴァは購入する気はないので、検分が終わるまで待っていて欲しいと心の中で狐人族の女の子に謝った。
「………ん?」
この新入荷の剣は、他の武具と明らかに異なっていた。具体的に何がと言われると説明が難しいのだが、他の武具は商品として完成しており高い技術力を感じさせるのに対して、この剣は荒削りながらも可能性を感じさせるものだった。まるで師ではなく弟子が打ったような剣だ。
これなら、打てるのではないだろうか。エイルギャヴァの心にそんな思いが浮かぶ。エイルギャヴァは値段を見て、この店の武具にしては比較的安いこととエイルギャヴァの手持ちの現金でギリギリ支払える額だと確認すると、それを購入するためにカウンターへ向かった。狐人族の女の子の視線が痛かったけれど、この剣は必ず参考になると思ったら譲る気持ちは湧いて来ない。
「これ買うのけ」
懐から現金を出そうとして、店員がエイルギャヴァを見ていないことに気が付く。これまでずっと周りが見えていなかったエイルギャヴァだったが、参考にできそうな剣を見つけて少しだけ心の余裕を取り戻せた。だからこそ気が付けたのだが、今日の店の雰囲気は明らかに異質だった。店員が何かを気にしていて、他の客への対応がおざなりになっている感じだ。
店員たちの視線の方向を確認すると、先ほどの三人組が居る。三人組は何故かエイルギャヴァを見つめていた。彼らの中の一人が貴族で、買おうとしていた武具を横から奪われて頭にきているという雰囲気ではない。むしろその逆のような気がする。
無性に居心地が悪くなってきたエイルギャヴァは、さっさと会計を済ませようと決める。店員に先ほどよりも大きな声で話し掛け、剣を購入して工房へ走って帰った。
新入荷の剣は、エイルギャヴァにとって学ぶべきものだった。これまであの店に置いてあった剣は、どうやって作ったのか想像さえ許さない代物ばかりだったのに対して、新入荷の剣は強い魔力が込められているのを除けばエイルギャヴァの知る素材で作られ、未知の工程が加わっているものの総合的な技術はエイルギャヴァ以下だった。
エイルギャヴァの知らない技術で作られた部分を想像すれば、未知の工程を予測できるかも知れない。エイルギャヴァの胸は知らずの内に高まる。
思わず三日三晩徹夜して少しずつ輪郭が見えてきたことに確かな実感を得ていた。
すっかり習慣になった店通いをしていると、驚くべき物が売られていた。
「こ、これはっ」
三日前に購入した新入荷の剣、それよりもちょっとだけ上等な技術が用いられた剣が売られていたのだ。いや上等な技術というのは語弊がある。まるで三日前の剣を打った鍛冶師が、新たな技術を学んで新しい剣を打ったような一品だった。
「他の部分も、この間のよりも少し進歩してるのけ」
剣の鋭さや形はまだまだだが、頑丈さや魔力の通しやすさは確実に進歩していた。顔も名前も知らないこの剣を打った天空の国に居る鍛冶師に思いを馳せる。尊敬の思いが浮かぶと同時に負けたくないという対抗心が湧いて来る。
これを買って帰って前回買った剣と比べれば、その差異から新しい技術を学べると思われた。エイルギャヴァは迷わず購入を決める。
一週間、エイルギャヴァは工房に籠もりきりになった。そして何となく予感がして、鍵盤商会の店へ行くとやはりまた別の新入荷の剣があった。
詳しく見るまでもなく、ここ十日間で目を皿のようにして観察した同じ鍛冶師の作品だった。冒険者向けの価格設定のため比較的安価とは言え、短い間に何本も購入するのは懐具合が寒くなってしまうけれど、エイルギャヴァに迷うなんて選択肢はない。
「ふふっ、ふふふ、なかなかやるのけ。でもそこの槌の使い方は簡単に習得できないのけ。とは言え、火力調節が格段に上手くなって、油断できないのけ。むむ、これは打つ前に素材へ何かを加えているのけ………?」
「おい、エイルギャヴァ」
何かに取り憑かれたようなエイルギャヴァに、父親が声を掛ける。
「お父、邪魔しないで欲しいのけ。もう少し、もう少しで」
「あのな、エイルギャヴァ」
「もう少しなのけ。もう少し」
「工房を畳むことにした」
「………は?」
看過できない言葉を掛けられたエイルギャヴァは、握っていた槌を床に落とした。ガキンという大きな音が工房に鳴り響く。
「な、何を言い出す、のけ?」
「儂らは冒険者や騎士、まして金のために武具を打ってんじゃない。先祖伝来の技術を受け継ぎ磨くため、そしてそれで人を守るためだ。だがな、そいつにそこまでの価値がねぇって分かっちまったら………」
「ふ、ふざ、ふざけるのじゃないのけ! お父が、お父がそんなことを言ったらっ!?」
「儂だって散々悩んだ! だが、このまま続けたって、何も残らねぇ!」
「そんなの辞める理由にはならないのけ! お父は、ただ怖いだけだ!」
「ち、違う! 儂らドワーフの特性を生かして、やれる仕事はいくらでもある! そっちのほうがもっと人の役にっ」
「お父のアホぉぉぉーーー!」
エイルギャヴァは父親を突き飛ばして工房から逃げ去った。
◇
「エイルギャヴァ………」
取り残された父親は追い掛けたい衝動を堪えて、火の入った炉を止めるべく歩みを進める。娘のことは大切でも、火事になってしまったら被害は工房だけに留まらず周辺にまで迷惑が掛かる。
きっちりと並べられている三本の剣と、無造作に散らばった剣たちが目に入った。
「ん、こりゃエイルギャヴァの打った、剣、か?」




