第百四十三話 鍛冶師の矜恃 鍛冶師エイルギャヴァ
アクロシアに無数にある、鍛冶師が働く工房の一つ。数日前までは職人たちが忙しなく動き回り、火の入った炉が熱く燃え上がっていた。その光景は、今となっては見られない。
職人たちは皆酒浸り、工房はただの酒盛り場になっていた。これが大きな仕事を終えた後の祝杯であれば何も問題はないが、実際はやる気をすっかり失ってしまったためで、皆が酒を飲んでくだを巻くだけだった。
そんな工房へドワーフの少女が眉を上げて入って来る。普段は仕事中に入ると怒鳴り散らす少女の父親は、酒瓶を抱えていびきをしながら寝転がっていた。
「おっ父!」
少女が呼び掛けても父親は反応しない。少女は酒瓶を奪い取り、父親の身体を揺らす。
「何やってるのけ!? 天空の国で凄い鍛冶師に会うって息巻いてたのに!」
「んー、おう、エイルギャヴァか。もう朝か」
「お父、どうしたのけ? なんでみんな、こんなことしてるのけ!?」
酒が抜けきっていないにも関わらず、さらに酒に手を出そうとする父親の手を押し止める。
「おい、それを返せ」
「まだ昼間だ! どうしちゃったのけ? なぁ!」
少女―――エイルギャヴァは、幼い頃から父親やこの工房の職人たちの背中を見て育って来た。厳しくも熱い皆のことが大好きだったし、エイルギャヴァも父親のような鍛冶師になるべく幼い頃から修行を積んでいたのに、今の彼らは槌を持つことさえしない。
エイルギャヴァの声が聞こえなかったのか、父親はまた眠りこけてしまった。仕方がないので、工房の若手ナンバーワンの腕を持つと言われているドワーフの青年の元へ駆け寄る。
「何があったのけ!?」
青年は辛うじて酒浸りには陥っていないけれど、日がな一日火の入っていない炉を眺めている。エイルギャヴァの質問に対して、青年は視線を動かすことなく答える。
「高みを、見たんだ」
「高み?」
「千年の研鑽の果てにある神の領域だ。俺らはいくらやっても無駄だよ。何をやっても、あれを理解さえできない」
うわごとのように紡がれる返答。
「最高の剣を打つなんて有り得ないんだ。あんな見世物で打って見せた剣だって、俺らには一生掛かっても打てない。無駄なんだ。俺らドワーフでは、神の技術に触れることも許されなかったんだ」
それはもはや、太陽に近付きすぎて翼を焼かれた男のようだった。
エイルギャヴァには、彼らの深い深い絶望が見て取れた。彼らは誰よりも鍛冶に真摯に取り組んでいて、そのためにすべてを捧げてきた。しかし天空の国で会った鍛冶師というのは、その彼らが神の領域だと言ってしまうほどに圧倒的なものだったのだろう。
鍛冶師以外のすべてを捨てて打ち込んできた彼らにとって、それはどれほど衝撃的だったかは痛いほどよく分かる。でもそんなことを泣きそうな表情で言われたら、エイルギャヴァだって泣きたくなってしまう。
「天空の国の鍛冶技術が進んでることは分かったけど、それを少しでも学べば………」
エイルギャヴァの言葉はまるで届かない。彼らは己の一生を鍛冶に捧げてきたが、今彼らが投げだそうとしているのは一人の人生だけではない。先祖から引き継いできた一族の誇りとも呼べる鍛冶を諦めてしまうほど、彼らが見た高みは余りにも巨大だったのだ。
それはどれ程の衝撃だったのだろうか、その場に居合わせなかったエイルギャヴァには分からない。先祖伝来の技術も、これから先に繋ぐ技術さえも無駄だと思い酒浸りになってしまう程、彼らの意思を砕くには充分だったのだ。
「お父、みんな………」
エイルギャヴァは工房の鍛冶師たちの姿を見ていられなくなり、目を逸らして逃げ出した。
工房から駆け出したエイルギャヴァは、冒険者ギルド近くの市場を歩いていた。ここを歩いているのに大した理由はない。冒険者たちをよく見かけるこの場所は、最近の依頼で必要な武具や発生している魔物の情報だけでなく、同業者が作った冒険者向けの試供品なんかも売り出していて、情報収集には良い場所だったので気が向けばよく歩いていたからだろう。
「鍵盤商会?」
その中に見かけない綺麗な建物を見つけて、エイルギャヴァは首を傾げた。建物が新築であることはまだ良いが、こんな商業の一等地と呼べる場所に名も知らぬ商会が出店しているなど信じられなかった。しかも五階建てで周囲にあった店舗を潰してまで土地を用意したとしか思えない広さだ。
「何の店なのけ?」
良い気分転換になると思い、エイルギャヴァは店に入ってみる。店の中は惜しみなく注がれる照明のお陰で明るく清潔感があり、足の裏から伝わっている絨毯の感触はふわりとしていて、内装は異常なほど高そうな魔法道具を備品としていた。
一目で高級店だと悟る。ただ、貴族を相手にした不要品を高値で売りつけるような店ではないらしく、一階には冒険者らしき者たちの姿が多い。さらに店員はエルフと亜人族がほとんどのため、職人然とした格好をしているドワーフであるエイルギャヴァも気負いなく入店できた。
そう、エイルギャヴァは入り口から店内を覗いてから、すぐに店内へ入ったのだ。それはこの店の一階で開催されている開店セールなる売り場で扱っているのが、冒険者向けの武具だったからである。
ほとんどの冒険者は実際に手に取れる武具が置いてあるコーナーで、安くて良い掘り出し物がないかを探している。
「ああ、くそっ、高いな」
「鍛冶師に直接依頼するとこのくらいの値段になるぜ」
「なら止めておくか?」
「だが、こんなモン王国お抱えの鍛冶師だって作れねぇ。とんでもない逸品揃いだ」
「その通りです。アクロシアの鍛冶師では決して作れない武具ばかりですよ。例えばこちらなど、騎士団で正式採用されている剣の倍の切れ味があります。今なら開店セールのためお求めやすくなっていますよ。よろしければ試し切りなど如何ですか?」
そんなことを言われたら、むかっとくるのがアクロシアの鍛冶師であるエイルギャヴァだ。
冒険者たちが群がっている中、エイルギャヴァもショーケースの前までやって来る。ショーケースに入れて勝手に持ち出せないようにしているのは、店の目玉だからだ。まあ目玉とは言ってもより良い武具は受注生産となるはずで、ショーケースに飾られている武具はほとんどが見本品である。それでも店抱えの鍛冶師の腕を示す武具には違いない。
どの程度の物か見てやろうじゃないか、という気分は一瞬で吹き飛び、エイルギャヴァはショーケースに顔を押しつけていた。
「な、なんなのけ、これぇぇぇ!?」
突然ショーケースに頭突きを開始したエイルギャヴァを見た周囲の冒険者は、ぎょっとした顔になって引いていたけれど、本人としてはそれどころではない。
そこに飾られているのは、アクロシアの国宝かと見紛う武具たちだった。これほどの物、エイルギャヴァの一族の工房でだって歴代一と呼ばれた曾祖父が生涯に一つ二つ打てるかどうか。エイルギャヴァがまだ小さな頃、その魂を震わせた剣と比べても遜色ない。それが碌な警備も付いていない冒険者たちが入り交じる場所に、脆そうなショーケースに置かれている。
「あの、お客様、ケースにはお手を触れないようお願いしています」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないのけ! これを打ったのは誰、いやそれよりも、ここのオーナーは何を考えているのけ!? もっと警備を増やすよう私が掛け合うのけ!」
エルフの店員はエイルギャヴァの大声にもまるで動じることなく、笑顔で応対して見せた。
「警備のご心配は無用です。この店は、アクロシア王城に勝るとも劣らない警備が敷かれていますので。それにこちらに並んでいますのは、開店セールのための品々で、相場よりもかなりお安く提供させて頂いていますが、当店からすれば序の口です。より良い物をお求めでしたら、是非二階から五階までに足を運んで下さい」
エルフの店員の態度は、店員というよりはまるで自慢しているかのようだったけれど、エイルギャヴァにそれに気が付けるような余裕はなかった。
「も、もっと凄い武具が、上の階にある………?」
「はい。ああ、それと、お得意様にはオーダーメイドも承っています。是非、ご贔屓に」
エイルギャヴァはエルフの店員の言葉がしばらく理解できず、ふらふらと店内を歩き回った末、魔物の顎のように待ち構える二階への階段の前に立った。
この先に足を踏み入れたら何かが終わってしまう予感がする。どうしても足を伸ばす気持ちになれず、エイルギャヴァは先ほどショーケースの前で会ったエルフの店員を探して気になっている点を問い掛けることにした。
「ちょっと聞きたいことがあるのけ」
「何でしょうか、お客様?」
「ここの武具を打った鍛冶師の名前を、教えて欲しいのけ」
エイルギャヴァだって馬鹿ではない。だから、ここで売られている武具を作った鍛冶師こそが天空の国の鍛冶師であり、エイルギャヴァの一族の工房の鍛冶師たちにその力を見、魅せつけた鍛冶師の頂点に居る者ではないかと思ったのだ。
「開店セールの品のお話ですか?」
「ん? まあ、そうけ」
「複数の者が作った品々ですので、特定の個人の作品ではありません」
エルフの店員の言葉に、エイルギャヴァは信じられない気持ちで口を丸くしてしまった。あれほどの武具を打てる鍛冶師が、複数人居る。アクロシアは大陸最強の国家で、大陸最強の騎士団が使うその装備だって最高の物で、それを作る鍛冶師たちは大陸最高の技術を持っているのではなかったのか。
「我が商会の長は、より良い質の装備を安定供給、大量生産する予定です。鍛冶師であるお客様の目にも満足頂けるような品々で溢れかえることでしょう」
エイルギャヴァは工房の鍛冶師たちが何故あんなにもやる気を失ってしまったのか、その片鱗を感じることができた。
世界が、違うと。




