第百十六話 ラナリアのある意味かつてない危機
ラナリア・フォン・デア・プファルツ・アクロシア、この大陸における最強と言われるアクロシア王国に生まれ、多くの兄弟に囲まれながらもその才覚を発揮し、今や立場以上に影響力を保持する王女。
彼女は今、生まれてこの方味わったことのない苦境に立たされていた。
それは。
油断すると笑い出しそうになることだ。
現在、ベッヘム公爵の反乱に対する会議が行われている。対策と言ってもすべてが事後処理なので、差し迫った脅威に焦る姿はない。
ベッヘム公爵という大貴族の反乱は、ラナリアにとって予想の範囲内だった。かの貴族が王国にも内密に大きな戦力を集めていることはラナリアの耳に届いていたし、エルディンとの諍いの際も何も手を出してこなかった。そういった情報を元に、ベッヘム公爵が王国に対して何らかの行動に出るのは想像していたことで、その対策はしていたのだ。
しかし、それを止める術に、『浮遊大陸』を使えるなんて誰が予想できるだろうか。
このアクロシア王国に住む者たちの想像以上の力を。
『浮遊大陸』を誇示し、死者の蘇生を行い、その王が単騎で公爵軍を圧倒する。その後ろ盾を自由に使えるなんて、チェスで言えばこちらにだけすべての駒が揃っており、相手はキングとポーンしか居ないようなハンデ戦だ。いや、チェスであればポーンとキングを使って相手の駒を倒せるのでまだ可能性がある。王国の全軍だけではなく全国力を結集しても、彼らには届かない。
思い出す度に頬が上がってしまい、隠すのに苦労する。
「その公爵を倒したのは主殿なのじゃから、すべて主殿のものなのじゃ!」
会議を必要以上に紛糾させている言葉が響く。彼女の発言の度に、ラナリアの頬はピクリと動いている。笑わないのを我慢しているのだ。
あのフォルティシモの従者の中で、アルティマを選んだのは過激な発言を期待したことも確かだが、ここまでしてくれるとは思わなかった。
マウロたちがキュウを襲った際に話をし、氷の森で直接出会った相手で、ラナリアは彼女に信頼を感じている。そして、彼女は価値観がアクロシアの常識と掛け離れているだけで、おそらくは貴族たちと比較しても遜色ないほどに頭の切れる人物だと思われた。
価値観が違っていてそれを直すつもりがないというのは、大きな問題ではあるものの、フォルティシモのためならラナリアとアルティマは何も言わずとも協力できるということでもある。ラナリアは非常に強力な仲間を得たのだ。
アルティマが何かと口を挟むせいで、会議はベッヘム公爵の処遇ではなく、アクロシア王国からフォルティシモという大空の支配者への交渉にシフトしつつあった。
質問がアルティマへ飛ぶものの、彼女はそのほとんどを切って捨てている。アルティマからすれば誠意のある解答をしているのかも知れないが、貴族たちの裏側の事情からすれば、暴虐とも言える解答を次々に行っていた。
「領土をそこまで要求するとは、貴国は我が国と戦争をしたいのか!?」
「しても良いか聞いてみるから、しばし待つのじゃ」
痺れを切らして質問を投げかけた貴族の顔が真っ青になった。
戦争とは、お互いにマイナスがあるからこそ回避するものだ。どんな小国と戦ったとしても、戦争をすれば犠牲が出るし国内は疲弊してしまう。他の国々との国交にも影響が出る。
しかし今回はどうだろうか。
アクロシアにはあの『浮遊大陸』へ攻める手段もないし、あったとしても戦える戦力がない。そもそもフォルティシモの従者たちは国という体裁ではなく、数名の組織でしかなく、彼らからすればあらゆる国際条約も国家間約定も意味をなしていない。彼らとアクロシアの戦争が始まれば、あの黄金に輝く巨大な竜を打ち倒したフォルティシモがすべてを蹂躙して終わりだ。およそ数時間でアクロシアはフォルティシモの支配下になるだろう。
「い、いい、いいい、い、え、そ、そそ、それはっ!」
「まあまあ、アルさん、少しは話をして差し上げませんか?」
「むう? ラナリアがそういうならば、聞くだけ聞いてやるのじゃ!」
加えてこれだ。アルティマはラナリアが何か言うと必ず考えて譲歩してくれる。もはやわざとだとしか思えない。
この場に居る貴族たちもアルティマに交渉するのは無駄だと気付いているけれど、窓口が彼女しかいなくなってしまったのだ。だがこの機会は逃せないと察知できなければ、貴族社会で生きていけない。
「今日はもう遅い。アルティマ殿の部屋を用意させますので、是非お休みになられていってください」
埒が明かないと悟ったアクロシア王国の宰相が、時間を置くために申し出る。
「アルさんはいかがなさいますか?」
「妾は明後日までラナリアを守るように言われているのじゃ。じゃから、ずっとラナリアの側に居るぞ」
「こほっ………失礼しました。緊張から喉が渇いてしまいまして。少しお水を」
我慢が決壊して思わず吹き出してしまい、苦しい言い訳で誤魔化した。
アルティマはすべてを見抜き、見抜いた上でこんな行動を取っているのではないかと疑いたくなる。宰相や貴族たちの狙いは、この一晩の間にラナリアを説得して味方に付けることだからだ。それを完璧なまでに打ち砕く発言をアルティマがした。だから思わず吹き出してしまった。
彼らがどんな顔をしているのか見てみたい衝動に駆られるが、今アルティマから視線を逸らすのは周囲の反応を窺う弱腰と見られてしまうので我慢した。
「ではアルさん、明後日までお願いいたしますね」
「任せるのじゃ」
「お父様、よろしいでしょうか?」
「ああ構わんよ。そうだな、これから晩餐………だがアルティマ殿が食べられぬ物があるようなら、お前から料理長に伝えておいてくれ」
わざわざ言葉を切らなくても、ラナリアなら父親の意くらい汲むことができる。
「はい、承りました。アルさん、行きましょう」
他の貴族を排除した、ラナリアとアルティマ、そしてラナリアの父との三人の夕食は和やかに進んだ。この事実をラナリアの父は上手く利用したことだろう。




