第14話:わたしは殿下の騎士
帽子の上から視線が肌に刺さる。
見られているのは男装ではない。
骨格、目の位置、輪郭。
その視線を遮るように、レオンが音もなく前へ出た。
「我が国の騎士を、無遠慮に見ないでもらいたい、ヴェルディ殿」
青い瞳が冷える。
「それより始めよう。そちらのお人形が退屈する前に」
「……くく、手厳しいな」
小柄なレオンの放つ強烈な威圧感に、ヴェルディ総督の表情が一瞬だけ強張る。
だが、すぐに不気味な笑みを浮かべ、席へと戻った。
レオンは周囲の死角から、ハルニアへ視線を送る。
指輪を通じて伝わる、温かな魔力。
それがハルニアの動揺を静かに鎮めていく。
(ここまでは想定内だ)
レオンは拳を握る。
ハルニアの身体にも、今のところ異変はない。
ならば恐れる必要はない。
(この和平会議で、一気に奴らの化けの皮を剥がす)
ベールの奥からは、偽者がハルニアを見ていた。
ナツ皇国公式の「ハルニア皇女」。
ハル国公式の「王子の護衛騎士」。
同時に顔を出せば、国のメンツが死ぬ。
ハルニアと少女の目が合う。
次の瞬間。
ベールの奥で、少女の口角が静かに吊り上がった。
まるで、すべてを知っているとでも言うように。
◇
「ふむ……では、国境の採掘権は現状維持。これでよろしいな?」
円卓の中央で、仲介役であるザハルが議事録を閉じる。
会議は一見、平和的な妥協へ向かっていた。
だが、レオンは偽者から目を離さない。
「その前に、確認させてほしい」
「確認? これ以上譲歩するつもりはないぞ」
ヴェルディが眉を寄せる。
レオンは友好的な笑みを浮かべたまま、偽ハルニアへ視線を向ける。
「ただの本人確認だ」
その一言で、会場の空気が凍りついた。
「何を馬鹿なことを!」
ヴェルディが机を叩いて立ち上がる。
「ハル国は我が国を侮辱する気か!」
「ならば、そのベールを外していただきたい」
レオンは笑顔のまま微動だにしない。
「ナツ皇女は水の加護を宿すそうだな。本物なら、証明は簡単だ」
銀の杯が運ばれる。
偽者の指先が、わずかに震える。
「妹は体調を崩している。余興に付き合う必要はない」
「――お兄様」
ベールの奥からこぼれる美しい声。
「そこまで疑われては、国の名誉に関わりますわ」
ベールの少女が立つ。
後方に控えるハルニアも、固唾を呑んで見守った。
少女は杯へ指先を浸した。
すると。
水が、淡い青に光った。
どよめき。
ヴェルディが勝ち誇ったように笑う。
「見たか。これぞ――」
「青光草だ」
レオンがヴェルディの言葉を断つ。
「偽物の指先の触媒が反応しただけだろう」
鑑定士が杯を調べ、ザハルの笑みが消える。
「……レオンガルド殿下の仰る通りです。安価な触媒ですな」
ベールの奥で、偽物の額を冷や汗が伝う。
(この王子……最初から……!?)
偽ハルニアにも水の加護はあった。指を浸すことに何の問題もない。
しかし。
(本物か偽物か、確かめる余興ではなかった……)
杯の縁に刻まれた微かな傷。
本物の『水の加護』さえ上書きして隠す二重の罠。
「説明していただけますかな?」
ザハルの声が低くなる。
「くっ……!」
視線が、ヴェルディへ集中する。
だが、ヴェルディが叫ぶより早く、レオンが立ち上がった。
「よくも我が国を謀ってくれたな、ヴェルディ殿!」
「黙れ、小童が……!」
ヴェルディが腰の魔導剣を抜き放つ。
「騙される方が悪いのだ!」
凶悪な笑みが浮かぶ。
「どのみち、この会議など時間稼ぎに過ぎん。」
ヴェルディがレオンへ剣先を向ける。
「最新鋭の魔導兵器は、すでにこちらの手にある」
「ふむ」
ザハルは部屋の隅へ下がり、目を細めた。
(果たして、どちらに付くのが正解か……)
「ハル国など、踏み潰す」
「交渉決裂、だな」
「出会え! 生意気な王子を細切れにしろ!」
壁が爆ぜる。
ナツ皇国の精鋭達がなだれ込む。
「殿下、お下がりを!」
レオンの背後から、美しい騎士が疾風のように飛び出した。
風で帽子が飛び、隠されていた黒髪が鮮やかに舞い上がる。
ガキィィンッ!
儀礼剣が閃き、先頭の武器を折る。
「女……? まさか、ハルニア!」
ヴェルディが目を見開いた。
「なぜハル国の王子に味方する! お前は我が国の――」
「わたしはアン!」
叫びは、会場を貫いた。
「レオンガルド殿下の騎士です!」
その一閃が、立ちはだかる兵士を薙ぎ払う。
「過去のわたしが誰であろうと、今のわたしを信じてくれたのは、この方です」
「ぶ、ぶるぶる! 始まったの極みなのぉ!」
胸元から飛び出したプルが叫ぶ。
「――上出来だ」
レオンは口の端を上げ、剣を抜いた。
「行くぞ、アン! ここを突破する!」
「はい、殿下」
二人は背中を預け合った。
レオンの力強い笑みに、ハルニアが頷く。
二人は迷わず古城の巨大窓へと向かって駆け出した。
パリィィーーーンッ!
砕け散るガラスの微粒子の中、中空へ躍り出るふたり。
そのまま下に待機させていた馬車の屋根へ飛び降りた。
「出せ!」
レオンの号令と共に、馬車が猛スピードで街道を駆け抜けていく。
「クロン渓谷で、本隊を止めるぞ」
隣で、ハルニアが剣を握る。
名前を捨てたつもりはない。
捨てたのは、兄の呼ぶ都合の良い「ハルニア」だった。
帽子はもうない。
「にしても、正体隠すの下手すぎだろ」
「……うるさいです」
「うれしいよ。それほど必死に守ってくれた、ってことだからな」
黒髪が風に打たれる。
それでも、預けた背中は本物だった。
馬車の屋根で、指輪が一度、強く脈打つ。
「振り落とされるなよ、俺の騎士様!」
風の向こうで、レオンが笑う。
その背中を見つめながら、ハルニアは大きく息を吸った。
もう逃げない。
自分が何者なのかも。
どんな未来が待っているのかも。
今はまだ、何も分からない。
それでも。
「はい、殿下!」
ハルニアは、レオンの隣に立っていた。
背後の古城、その上空。
真紅の禍々しい魔導狼煙が打ち上がった。
(第14話・完 ―― 第15話へつづく!)




