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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十六章 花散らす氷雨
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第三話

 「なぁ、今の話。ちょっと妙じゃねぇか?」


 幸吉が帰って行った後、湯飲みを片付けていた志狼が眉を顰めたままポツリと呟く。

火鉢に炭を足していた海華と再び作業机に向かっていた朱王はほぼ同時に志狼の方へ顔を向けた。


 「おかしいって、幸吉さんがか?」


 「幸吉さんじゃなくて、幸吉さんが言っていた事だよ。短期間で三人も女房亡くすなんておかしいとおもわねぇか?」


 「そりゃぁね、滅多にある事じゃないとは思うけど……全くないとも言えないんじゃない? 」


 続けざまに還った朱王らの返事に、湯飲みを竈の脇に置いた志狼は『うぅ』と小さく唸って下を向く。

そのまま室内に上がった彼は、火鉢に寄り添うように海華の隣へ腰を下ろした。


 「まぁな。世の中の夫婦がみんな長々連れ添える訳じゃねぇ、それはわかってる。わかってるんだが……。俺はどうしても気になるんだよ」


 顎に手を掛け難しい面持ちで考え込む様子を見せる志狼。

そんな彼を見ながら火箸を弄んでいた海華は、それを灰にグサリと刺して軽く両手を擦り合わせた。


 「志狼さん、男寡に蛆が湧くって言うじゃない? 奥さんが亡くなったら、やっぱり不便なのよ。時間おかずに新しい奥さん貰うのも仕方がないわ」


 『兄様だって』そう言いながら海華はニヤリと口角をつり上げる。


 「今はあたしたちが来ているからこうして生活できるけど、一人でいさせてごらんなさいよ、今頃この部屋、目も当てられないわよ」


 「どうしてそこで俺を引き合いに出すんだ。志狼さん、そんなに気になるのなら、俺について幸吉さんの長屋に行ってみるか?」


 「え、いいのか?」


 驚いたように目を瞬かせ、志狼は朱王の方を振り向く。

彼に背中を向けたまま、朱王は首を縦に振った。


 「また新しい細工物を頼もうと思っていたんだ。これが住んでからだから……あと四、五日くらい後になるだろう。ちょうど弔いも済んだ所だ、様子を窺うくらいなら、な」


 「わかった、朱王さん助かるよ。ありがとう。海華、お前は……」


 「大人しく留守番してます。志狼さんの気が済むまで調べてきていいわよ」


 にこ、と細やかに微笑んで、海華は使った湯飲みを洗いにその場から腰を上げる。

『すまねぇ』そう片手を拝むように顔の前に出して、志狼は彼女の背中に向けて軽く片目を瞑る。

しかし翌日、夕餉の買い物を終えて八丁堀に帰ろうとしていた海華は、道端でとある女と鉢合わせする。

それは、幸吉の隣の部屋に住むお駒と言う娘だった。


 「お駒さん。こんにちは」


 「え? あぁ、あんたぁ……確か海華さんとか。御無沙汰してましたぁ」


 どこか愚鈍さを感じさせる間延びした声で言ったお駒は、樽のように丸い身体を折り曲げペコリと頭を下げる。


 「こちらこそ、お駒さんもお買いもの?」


 「はい、ここのところバタバタしてまして、お米買うのも忘れちゃってたんです」


 真ん丸い顔に申し訳程度についた小さな目を瞬かせ、お駒は笑う。


 「バタバタって、もしかして竹治さんって人の奥さんが亡くなったから?」


 「そうですよ。おセツさん可哀想でした。あっという間に痩せちゃって。今思えば。前の奥さんも同じような死に方でしたよ」


 眉間に皺を寄せて呟くお駒に、海華は思わず身を乗り出す。


そう、もしかしたらお駒が何か知っているかもしれないのだ。


 「ねぇお駒さん、竹治さんって……その、どんな人なの?」


 「どんな人って? 普通の建具屋さんですよ。うちの長屋には前の奥さんと一緒になって住み始めたんですけどね。なんでも前の奥さんは仕事で出入りしていたお茶屋の一人娘だそうで、おしとやかで綺麗な人でした。竹治さんも大事にしていたんだけど……その奥さんが亡くなって幾ばくもしないうちに、おセツさんと一緒になったんですよ」


 道の端により、ぺちゃくちゃと唇を動かすお駒。

土煙を上げて吹き抜ける風の冷たさも感じないまま、海華は彼女の話に引き込まれていった。


 「幾ばくも無いって言った手、前の奥さんが亡くなって二年経ってたんでしょう? 」


 「そうですけど、この二年の間にもいろんなひとに声を掛けていたんですよ。それも、小金持ってる後家さんとか、いい年した行遅れとか。もう手あたり次第みたいですよ。各言うおセツさんも、昔の大病を患ったとかで子供が出来ない身体なんですって」


 ひそひそと声を潜め海華に顔を近付けるようにして話すお駒に、海華は無言のまま頷く。

子供が出来ない身体となれば、嫁に行ける確率は大幅に下がってしまう。

いや、もしかしたら親もおセツ自身も、このまま独り身を覚悟していたかもしれない。


 「そうだったの、だからあんな年の差があっても一緒になったのね」


朱王から竹治夫婦の年の差は聞いていた海華だが、やっと納得いったとでも言いたげに

何度か頷いた。


 「後妻さんだから、多少若くてもおかしくないとは思っていたけど、そういう理由わけがあったの。お駒さん教えてくれてありがとう」


 これは志狼に報せなければ、そう思いながらお駒に軽く会釈して、海華はお駒と別れ八丁堀へ走る。

今聞いた話を早く志狼に聞かせたい、そんな思いで息を切らせて屋敷に走り戻った海華、彼女を待っていたのは真っ赤に燃えた炭を満たした火鉢と、濃紺の前掛けを締めた志狼だった。


 「お帰り、寒かっただろ」


 「ただいま。今日は風がないから、まだ歩きやすかったわ。それより、何を作ってるの?」


 屋敷一杯に漂う甘く、どこか香ばしい匂いに思わず笑みを浮かべて鼻をヒクつかせつつ勝手口から中へ入ると、

竈の上には濃い紫色に変わった小豆がコトコト煮詰められていた。


 「いい小豆が手に入ったから、汁粉でも作ろうと思ってな、すぐできるから、お前は向こうで待ってろ」


 「わぁ、ありがとう!美味しそうねぇ。……あ、そうだ志狼さん、竹治さんの事なんだけどね、ちょうど今、竹治さんの話を聞いたのよ」


 鍋の中を覗き込み、端についた餡を指で掬って舐めながら海華が口を開く。

『竹治』その名前を聞いた刹那、鍋に突っ込んだお玉を掻き廻していた志狼の手がピタリと止まった。


 「竹治の話?どういった話だ?」


 「うん、それがね……」


 沸々に建つ鍋をチラチラ見遣りつつ、海華は先程お駒から聞いた話を志狼へ話す。

彼の手に持たれたお玉は止まったまま、次第に焦げた匂いが周囲に漂い始める。


 「ちょっと志狼さん、焦げてる!」


 「ん?わっ! いけねぇ!」


 慌ててお玉をグルグル動かし重く変わり始めた餡を引っ掻き回す志狼は、一度鍋を火から降ろして塩を一つまみ放り入れ味を調える。

そしてお玉を小皿に置くと締めていた前掛けをおもむろに外した。


 「なんだかおかしいとは思ったんだが、あの竹治って男、叩けば埃の出る身体だぜ」


 「あたしもそう思うの。このままじゃ、あの人また新しい奥さんもらうわ。そうしたらまた……」


 また新妻が鬼籍の人になってしまうかもしれない。

嫌な予感が海華の脳裏を掠め、嫌な汗が背中をつたう。


 「ねぇ、志狼さんもしかしたら……志狼さんがお饅頭でお腹壊したのも……」


 「それなんだよな。俺、絶対それも関係してると思うんだ。何をやったのかは知らねぇが、人を死ぬような目に遭わせたのが許せねぇ。幸吉さんにも下げなくていい頭下げさせて……」


 忌々しそうに吐き捨てる志狼に、海華は眉を顰めたまま無言で頷く。

豆の煮える甘い匂いと、重苦しい沈黙が台所内に充満していった。







 この日、志狼は朱王に連れられて幸吉が住まう神社裏の長屋へと向かった。

四六時中満足に日が射し込まぬそこは、ジメジメと湿気が立ち込める薄暗い場所で、人同士すれ違うのがやっとの通りを抜け幸吉の部屋へと向かう。


 彼と一緒に訪れた志狼の姿を見た幸吉は一瞬意外そうな表情を見せたが、『散歩がてら一緒についてきた』との朱王の言葉に納得したのか、志狼にも座布団と茶を進めてくれた。


 だが、志狼はここに茶を飲みに来たわけではない。

取り敢えず座布団に座り、朱王が仕事の話を持ち出したのを機に、『邪魔をしては悪いから』と一言告げて部屋を出る。

彼が目指したのは、幸吉の部屋の二間隣りにある竹治の部屋だった。


 『建具屋 竹治』と戸口の上部に書かれた部屋はひっそりと静まり返り、中に人がいるような気配はない。

寒気のために赤くなった鼻先を指先で軽く擦り、小さく鼻を啜る志狼は更に部屋の周囲をグルリと見渡す。

しかしそこにあるのは古びた桶や仕事で使ったであろう木や竹の残骸が少々あるばかりで、これと言って気になる物はない。


 湿気と冷風が容赦なく体温を奪い、最早足先は青白く変わり骨の髄まで寒さが侵食してくる。

誰もいない部屋の前をこれ以上ウロついていても仕方ないし、不審者にでも間違えられては困る。

一度幸吉の部屋に戻ろうか、そう思いつつ踵を返した刹那、視界の端に人影が蠢く。

つられて顔を上げ長屋門の方を振り向くと、スラリとした体躯の優男がじっとこちらを見詰めていた。


 「うちに、御用ですか?」


 風に乗って耳に届く小さな声、その一言で彼が竹治なのだと志狼は思った。


 「お客様でしょうか? 申し訳ございません、今仕事は受けておりませんので」


 申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げながらこちらにやってくる男に、志狼は慌てて首を横に振る。

彼と顔を合わせた瞬間から志狼はなぜ自分がここにいるのか、彼に話す言い訳を考えていた。


 「いや、違うんです俺は……その、幸吉さんの知り合いの者でして」


 咄嗟に幸吉の名前を出してしまったことに一抹の後ろめたさを感じながら、志狼は言葉を続ける。


 「こちらの奥さんが最近亡くなった伺ったもので、一言お悔やみを、と」


 「そうでしたか、幸吉さんの…ご親切にどうもありがとうございます」


 穏やかな笑みを浮かべて深く頭を下げた男……竹治はすぐに部屋の戸口を開き志狼を中へ招き入れる。

その場の勢いと寒さに背中を押されるように室内へと上がった志狼の目に一番に入ったのは、壁際にある小さな木の台に置かれた一つの位牌だった。


 建具屋の商売道具である鋸やかんな、そして大小ののみがきちんと整理整頓されている部屋はどこか朱王の部屋に似通っていた。


 「汚いところですが、どうぞお上がり下さい。寒いところをお待たせして、本当に申し訳ありませんでした」



 丁寧な口調で何度も頭を下げ、座布団を勧める竹治のやたらと白い手や首筋が薄暗い室内にチラチラ揺れる。

この物腰柔らかな優男が本当に女房を手に掛けたのか、自分が感じた『不信感』は的外れのものだったのか。

そんな考えをよぎらせながら、志狼はおセツの物であろう位牌に手を合わせ竹治に深く一礼する。


 畳に擦り付けんばかりに頭を下げたその時だった。

畳の向こうに見える文机の足、その陰に隠れるように黄ばんだ紙袋が一つ見えたのだ。

日焼けして変色したくしゃくしゃの紙袋、薬か、それとも菓子でも入れているのだろうそれが見えたのはほんの一瞬、すぐに顔を上げた志狼の視界には先程と同じ柔和な表情を絶やさない竹治がいる。


 「ありがとうございました、妻も喜んでいる事でしょう。今、お茶をご用意いたしますので」


 そう言って竹治は志狼の『お構いなく』の台詞を背中に受けながらも、彼は水を汲みにだろうか、小桶を手に表へと出て行く。

静かに閉じられた戸口の向こう側に彼の姿が消えたのを確かめて、志狼は素早く座布団から降り、文机の傍に屈み込む。


 戸口を顔を向けつ文机の下に手を突っ込んだ志狼は、先程目撃したあの紙袋をひったくるように抜き取り、その中へ手を突っ込んだ。


 袋の中から掴み取った物を懐に押し込み、何食わぬ顔をして竹治の入れた茶を馳走になった志狼は、挨拶もそこそこに部屋を出て、朱王が待つ幸吉の部屋へと駆けこむ。

興奮のためか、それとも寒さのためかはわからぬが頬をほんのり赤らめた志狼が鉄砲玉のように部屋に飛び込んできたのを見た朱王と幸吉は思わず目を見開かせ互いの顔を見合わせた。


 「どうした志狼さん、随分慌てて……」


 「どうしたもこうしたも朱王さん、幸吉さんも、コレ見てくれよ」


 そう言うが早いか室内に上がり込み、己の懐に手を突っ込んだ志狼は、中から焦げ茶色に干からびた楕円形の何かを引っ張り出す。

志狼の手に握られたそれに、二人の視線が注がれた。


 「……なんだこれは? 木の皮……いや、干した椎茸か?」


 小首を傾げて呟く朱王、彼は志狼が畳の上へと置いた『干した椎茸』のような物を一欠片指で摘まむ。

カサカサに乾燥したそれは、指先に力を入れれば簡単に砕けてしまう。

と、朱王の指先から落ちた欠片の一つを目にした幸吉の顔色が、サッと青褪めた。


 「朱王さん……朱王さん、あんまりそれに触るな、そりゃツキヨタケだ、毒茸だよ!」


 毒茸、その言葉が表情を引き攣らせる幸吉の口から飛び出た刹那、朱王は思わず手にしていた欠片を畳に放り投げ、志狼は息を詰めて身を仰け反らせる。


 「毒茸って、本当なのかい幸吉さん?」


 まるで化け物でも見るような目付きで畳に転がる茶色の欠片を見詰める志狼の問いに、幸吉は軽く頷き先ほど朱王が割った破片の一部分、ちょうど茸の茎に当たる部分を指差した。


 「あぁ、間違いねぇよ。こいつぁツキヨタケだ。ヒラタケや椎茸と間違って食っちまう奴もいるんだがよ、ちょっとでも食ったら腹痛と下痢でとんでもねぇ目に遭うぜ。食った量が多けりゃ死んじまう事もあるんだ。夜んなると、カサの裏がボヤッと光る、だからツキヨタケって言うんだが……こんなもんどこで?」


 戸惑いがちに幸吉が志狼の方へ目を遣る。

すると志狼は言い難そうに何度か唇を噛んでいたが、やがて意を決したように幸吉へと顔を向けた。


 「……竹治さんとこだよ。紙袋に入れて机の下に隠してあったんだ」


 「竹治さんの所って、なら今まで帰ってこなかったのは竹治さんの部屋にいたのか?でも、どうしてあの人がこんな物……あ……!?」


 やっとわかった、そう言いたげに幸吉はポンと一度手を打つ。

その隣に座る朱王も、この茸が何を意味するか分かったのだろう、畳に散らばる破片を再び摘み上げると、懐から取り出した懐紙で丁寧に包み込んで行く。


 「これは桐野様にお渡ししなければ……志狼さん、あんたが腹を下した原因は……」


 「きっとこいつだ。それにおセツさんの命奪ったのも、きっと……」


 まだ確信には至っていない、しかし竹治は限りなく黒に近い灰色、これもまた間違いない。

この事は決して竹治には言わないでくれ、そう幸吉に何度も頼み込み二人はツキヨタケの欠片を手に長屋を後にした。

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