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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十五章 神無月奇譚
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第五話

打ち棄てられてどれ程の時が経ったのだろう、茅葺の屋根はあちこちに穴が開き抜けたかやが虚しく地面に散らばっている。

その奥に建つ作業小屋もまた然り、いつ崩れ壊れて自然に還ってもおかしくはない状態だ。


 「なに、ここ? こんな所で何を……」


 怪訝そうな顔つきで不気味に佇む小屋を見上げる海華の問いに答える事無く、朱王は一歩また一歩と小屋へ近付いて行く。

そんな彼の後ろでは、一人残された海華が小屋の向こうにある作業小屋へと向かった。


 「おい……おい、海華。あまりウロチョロするんじゃないぞ」


 背後で彼女が動く気配を感じて、思わず朱王の鋭い声が飛ぶ。


 「わかってるわよ、ちょっと待って……。あら? 兄様、ねぇ兄様ってば!」


 敗れた木塀の隙間から中を覗いた海華から素っ頓狂な声が上がる。

繫造に気付かれては大変だ、そう思いながら慌てて彼女の傍へ小走りに掛け寄った朱王は、『静かにしろっ』と押し殺した声で彼女の肩を些か強めに叩く。

そんな彼の様子に構わずに、海華は小屋の中を指差した。


 「ねぇ、見てよあれ。なんか変だと思わない?」


 暗い暗い闇の中、彼女が指差したその場所には穴だらけの床に大きく広げられた一枚のむしろが見える。

とうの昔にお役御免となったくわすき、そして壊れた笊や竹籠が散乱した小屋の中、蜘蛛の巣が張り真っ白な埃が積もった小屋の中で、その蓆はやたらと真新しく彼らの目に映る。


 「あの下に何かあるのか?」


 「そうよ、ねぇ、捲ってみましょう」


 「そう、だな。あぁ、お前はここにいろ。もしあの男が来たら報せてくれ」


 そう彼女に耳打ちし、朱王は足音を忍ばせてガラクタが散乱する小屋の中へと入って行く。

光など殆どない、もし足が何かに躓き大きな音が出たら繫造にすぐさま見付かってしまう。

じわじわと全身を侵食していく緊張、背中に流れる汗の感覚までハッキリわかるくらいだ。


 ゆっくりゆっくり蓆へ近寄った朱王は埃まみれの床に片膝をつき、静かに蓆を捲り上げる。

四角に切り取られた一部分、蓆の下には更に一枚の四角い板切れが置かれていた。


 表で彼の様子をじっと見詰る海華は、時おりチラチラ背後に目を遣り繫造が来ないかを見張る。

そんな彼女へ一度振り向いて、朱王はその板切れに手を掛けた。


 戯れ本ほどの厚さがあるだろう板切れは割合簡単に動き、朱王の視界に飛び込んできたのは四角い漆黒の闇。

まるでたっぷりの墨を満たしたように暗い暗黒が口を開けている。


 『なんだこれは』そう思った瞬間、その暗い深淵の向こうからグスグスと小さく鼻を啜り上げる音が聞こえた。


 「誰かいるのか?」


 穴の縁に身を屈めて、朱王はほぼ無意識に漆黒の中へ向かい声を掛ける。

一瞬訪れた静寂、しかし次の瞬間すべてを覆い隠す闇の向こうから今にも溶けて消えそうな細い細い返事が返った。


 「誰……? あなた、あの男じゃないの……?」


 『あの男』とは繫造を指しているのだろう、『違う』そう朱王が答えると、やおら穴の下からごそごそと何かが蠢く気配がした。


 「お願い、ここから出して……! お願いします!」


 見えない闇の向こうから響いたのは恐怖に震えるか細い懇願。

きっと向こうからも朱王の姿は見えていないのだろう、互いに顔もわからぬ者同士、更に会話は続いた。


 「助けて下さい! 私達……あの男に攫われて、ここに……」


 「もう三日も飲まず食わずなの、助けて……助けてッ!!」


 最後に聞こえたのは涙声の鋭い悲鳴。

ここで騒がれ繫造に見付かってしまっては元も子もない、何とか彼女らを落ち着かせなくては。

そう瞬時に思った朱王は穴の中へ顔を突っ込むようにその場に両膝を付いて床に屈み込む。

埃と黴臭さが彼の鼻をついた。


 「静かに! 静かにしろ、助けてやる、必ず助けてやるから、もう少し辛抱してくれ」


 必死の形相でそう告げた朱王は、ガバリと一度身を起こすと壁の隙間から心配そうにこちらを見詰める海華に足音を忍ばせ駆け寄った。


 「兄様、どうしたの?」


 「あの中に女がいる、多分二人……いや、もっといるかもわからん。海華、お前はこのまま桐野様の所へ行け。行って……都築様達を呼んで来い」


 不安げに顔を歪める彼女へ睨み付けるような眼差しを向け、低く告げる朱王はそのまま穴の場所へ戻ろうとする。

しかし、そんな彼の袖を壁の穴から伸びた小さな手がしっかりと握りその場に引き留めた。


 「なんだ!? 早く行け……」


 「待ってよ! 旦那様の所には兄様が行って。あたしは……あの中に行くわ。中にいる人をこのまま放っておけないもの」


 じっとこちらを見詰める彼女の口から飛び出た台詞に、朱王は一瞬動きを止めて目を瞬かす。


 「お前、何言ってるんだ!? あの中に入るって、もし繫造が来たら……」


 「その時はその時よ。だから、あたしをあの中に入れてちょうだい」


 『あたしは大丈夫』そう小さく告げて微かに笑う海華。

きっとこれ以上反対しても彼女は聞き入れないだろう。

『わかった』そう呟いて彼女を中へと招き入れた朱王は、暗い作業小屋の中をグルリと見渡す。

しかし、そこには梯子はしごなどはなく、唯一あるのはささくれ立った埃まみれの縄だけだ。


 一瞬、この縄を使って中の女達を引き上げる事ができないか、とも考えたが、碌々飲み食いできていない、疲労困憊だろう彼女らに縄一本で這い上がれ、と言うのはあまりにも酷な話だろう。


「おい、おい聞こえるか!?」


 穴の傍に片膝をつき、中に向かい声を掛ける朱王に、涙声で『はい』と小さな返事が返る。


 「そこにいるのは何人だ?穴はどのくらい深いんだ?」


 「えぇと……ここにいるのは三人、です。深さは、よくわからないけれど梯子がないと上がれないくらい。男の人が手を伸ばしても、届かないくらいは……」


 「そうか、わかった。これからそっちに俺の妹が行く。俺は、これから助けを呼びに行くからな。大丈夫、妹は頼りになる奴だし、俺もすぐに戻ってくる。必ず助けてやるから、静かにここで待っていてくれ。もうしばらくの辛抱だ、いいな?」


 中へ向かってそう声を掛け、縄を手に取った朱王は近くにあった柱に縄の先端をしっかりと括り付け、その反対側の先を輪の形に結び、その真ん中より下辺りに大きな結び目を一つ作る。

そして、海華にその結び目を握らせ先端の輪に片足を掛けるよう命じた。


 「落とさないでね、静かに降ろしてよ?」


 「わかってる。海華、後はお前が頼りだ。――すぐに助けてやるからな。」


 彼女の目をしっかり見詰めてそう告げると、海華は口元を綻ばせて白い歯を覗かせる。

それを確かめて、朱王はゆっくりと縄を降ろし彼女の身体を穴の中へと向かわせた。


 握り締めた縄が手のひらに食い込む。

焼けるようなその痛みに歯を食い縛る朱王の目の前で、海華は漆黒の海に飲まれて消えた。


 「どう、だ……、大丈夫、か?」


 「大丈夫よ、もう少しで底につくから……ついた! ついたわ!」


 四角く切り取られた闇の中から聞こえる押し殺した叫びに、朱王は大きく息をついて縄を握る手を緩めた。


 「怪我はないな? じゃぁ、俺は行くぞ」


 「わかった、気を付けてね」


 スルスルと天井に消えて行く縄、そして今までと同じように板切れで穴が塞がれ蓆が掛けられる乾いた音が微かに響く。

頭上から響く朱王の足音、それが次第に小さくなり完全に聞こえなくなったのを確かめて、海華はふぅ、と小さい溜息を吐き出した。


 完全に密室、外界と閉ざされてしまった空間に立ち、海華は改めてこの場の劣悪さに顔を顰めた。


 先程までは緊張のために感じなかったのか、女たちが閉じ込められている空間に広がるのは、甘く柔らかな体臭や匂い袋の香りとは程遠い、鼻が曲がるような悪臭だ。


 汗と糞便、そして腐敗した食物だろう目や鼻の粘膜を刺激する棘のある激臭が全身を包む。

こんな中で彼女らは攫われてから今まで恐怖と空腹に震え怯えていたのか、そう思うと怒りに腸が煮えくり返り、胸の奥から熱い物が込み上げてくる気がした。


 両の拳を固く握り締め唇を噛み締めていた海華、そんな彼女の腕に、そっと小さな手のひらが当てられる。


 「あの……あなた」


 「え……? あ、ごめんなさい。あたし海華よ。さっきの人の妹です。兄様が戻ってくるまであたしが一緒にいるわ。必ず助けが来るから、もう少し辛抱してね」


 微かに震える声の主を安心させるかのように行って、腕を掴む手にそっと己が手を重ねる。

すると『はい』と涙を堪えるようにくぐもった返事が返る。


 ここに閉じ込められているのは三人、皆『神無月の人攫い』の毒牙に掛かり連れ去られた娘たちだった。

いつ何時、繫造がここを覗きに来るかわからない。

穴倉の隅に身を屈めるように隠れた海華は娘たちを傍に座らせ今までの経緯を聞き出した。


 彼女らは皆、繫造の客だった。

顔馴染みで何かと気を遣い無愛想だが優しくしてくれる小間物屋、彼の裏の顔が卑劣な人攫いだと思う筈がない。

『珍しい簪が入った』『舶来からきた綺麗な絵草子を見せてやる』繫造に言葉巧みに家から連れ出され、人気のない場所で首元に匕首あいくちを突き付けられてこの場所に連れて来られたのだ。


 あまりの恐怖に助けも呼べず、訳が分からないまま辺鄙なこの場所に来た彼女たちは、最初、この穴倉ではなく

あのあばら家に閉じ込められたのだ。


 「あの男が仕事に出ている時は、あたし座敷牢に閉じ込められたの。太い格子で部屋を区切って作った牢屋よ。何度か逃げようとしたんだけれど、びくともしなかった。そのうち、他の人や小さな子供をあの男が連れて来たの」


一番最初にここへ来た娘は、海華の手をきつく握ったまま肩を震わせる。

海華の正面に座っている女は二人、一人はひっきりなしに鼻を啜り上げているが、もう一人は黙りこくったまま海華がいくら声を掛けても短い返事しか返さない。

そんな彼女を気遣いながらも、海華は今の話を聞いた途端ヒクリと眉を蠢かせた。


 「小さな子供……。やっぱりおはなちゃんもここにいたのね?あなた達や子供までを集めて、あいつは何をしようって言うの?」


 「家族をつくりたい、って言っていたわ。私達に自分の子供を産ませて……家族をつくる、って」


 「小さな子たちをここで育てて、その子たちにも自分の子供を産ませるって……。自分のいう事を何でも聞く従順な妻と子供に囲まれて暮らすのが、俺の夢だって……あの人おかしいわ! 狂ってるのよ!!」


 悲鳴じみた鋭い叫びを張り上げて、目の前にいた娘がワアッ!と激しく泣きじゃくる。

絹を引き裂くようなその泣き声を聞きながら、海華は軽い眩暈を覚える。

悲痛な啜り泣きの向こうで、鼻腔を刺激していた悪臭が一瞬で消え去っていった。



 「家族をつくるって……何よそれ、正気なの?」


 にわかには信じられない話に、海華は唖然とした様子で口元を片手で覆う。

だが彼女らが嘘をつく理由などないし、あの繫造ならばやりかねない、そう彼女は思ったのだ。


  「正気な訳がないじゃない! あの男、一番最初にこの子を手込にしようとしたの」


 海華の正面にいる娘が涙声を出す。

一寸先も見えない闇に閉じ込められ、各自の顔もわからない状態のために、『この子』がどの娘を指しているのか、海華にはわからなかった。

だが、それにすら気が付かないほど娘は興奮し、また気が立っているのだろう。

怒りと悲しみに震える声が先を続ける。


 「座敷牢の中でいきなり押し倒されて、あたし達、みんなであの男を押さえ付けて……本当に必死だったの。そうしたらあいつ、ひどく怒りだして。あたし達をここに閉じ込めたのよ。それからは、何日かに一度か二度、少しの食べ物や水を持ってきただけ」


 彼女らを餓えで弱らせ自分のいう事を聞かせようとしたのか、それとも単純に衰弱死させようとしたのか……。

繫造が何を考えここに彼女らを監禁したのか、それよりも海華が気になったのは、やはりおはなの事だった。


 「あの、話の途中でごめんなさい。確か、ここには小さな子供も攫われてきたって言ってたわよね、その子達はどうしているの?」


 「まだ、あの家にいるわ。あたし達と同じ頃に攫われてきた、が面倒を見ている筈よ。その子がね、少し頭が弱いらしくて、あの男のいう事を何でも聞くの。だから一番のお気に入りで、食事も他の人より多く貰ってたわ」


 クスンクスンと鼻を啜り、次第に小さくなる女の声。

『一番のお気に入り』だったその娘は、繫造のいう事を何でも聞くほか、彼の『計画』を遂行するため利用されていたのは間違いないだろう。


 周囲に立ち込める悪臭のせいではない、胸の奥から込み上げる吐き気を堪えつつ微かに目を細めた。

取り敢えず子供たちは無事でいるのだろう、繫造にしてみれば将来の花嫁となる彼女らをぞんざいに扱う筈はない。

おはなの無事がわかったのは一つの収穫だが、ここに閉じ込められている以上、彼女にはどうすることもできないのだ。


 兄が、そして桐野と志狼が早く助けに来ないだろうか、そう心の中で強く願いながら、海華は腹の底から深い溜息をついた。












 海華が三人の娘たちと暗闇の中で不安な時を過ごしている頃、朱王の姿は、あの町外れのあばら屋から少し離れた草むらの中にあった。


 息を切らせて奉行所まで走りに走り、今にも呼吸困難でぶっ倒れそうになりながら桐野の元に転がり込んだ朱王は、たった今、その目で見た事全てを洗いざらい桐野と都築らに話し、そして海華が攫われた娘達と作業小屋の地下に残り、助けを待っている事も伝える。

さぁ、奉行所は天地を引っ繰り返したような大騒ぎだ。


 繫造に逃げられ、ついさっきまで桐野から雷を落とされていた都築と高橋は汚名返上とばかりに闇の帳が下りた表へと飛び出し、桐野も若干の焦りを見せながらその場に集まる同心らに的確な指示を出していく。


 一刻も早く海華を、そして攫われた娘らを助けなければ、その場にいる者の思いはただ一つ、しかしその思いを持つ者がもう一人いる事を朱王は忘れていなかった。


 荒い息を整える間もなく、朱王はあばら屋のあった場所を桐野に伝え、自分も後から必ず行くと言い置くと、そのまま八丁堀へと走る。

そう、志狼に会うためだ。


 八丁堀の屋敷では、いつもより帰りが遅い海華の事を案ずる志狼の姿があった。

唐突に裏口から飛び込んできた朱王、滴る汗で着流しの胸元に黒いシミを造り、母を真っ赤に染めて嵐の如く荒い息を吐く彼の尋常ではない姿を、目の当たりにした途端、志狼の表情は一気に険しい物へと変わる。


 『海華が繫造の隠れ家に残った』そう朱王から聞いた途端、志狼は怒髪天を突く勢いで怒り出し『馬鹿野郎ッッ!!』と朱王を怒鳴り付けたのだ。

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