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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十五章 神無月奇譚
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第二話

 「―― 志狼さん、遅いわねぇ……」


 布団に寝転びゴロゴロ何度も寝返りをうちながら海華が呟く。

彼女の横で胡座をかき、少しばかり開いた障子の間から紅く色付く紅葉を眺めていた朱王も、同調するように小さな溜め息をついた。


 志狼が出掛けて行ってから、どれくらいの時が過ぎただろう。

そう遅くならずに帰る、そう言っていた彼だが、待てど暮らせど帰ってこない。


 辺りは既に夕陽の橙から濃い紫に包まれ始め、薄雲を突っ切って飛んでいた烏の群れも、とうの昔に巣へと帰ってしまった。


 後少しすれば桐野も帰ってくるだろう、なのに夕餉の支度は何も出来ていない。

このままでは主に迷惑が掛かる、簡単ながらも夕餉の準備くらいしておかなければ。


 そう思い立ち、海華は布団からゆっくり身を起こしてその場から立ち上がろうとする。


 「おい、お前どこに行くんだ?」


 「お夕飯の支度しようと思って……」


 「止めとけ、お前を台所に立たせてるとこを志狼に見られてみろ、俺がどやしつけられる」


 慌てて寝巻きの袖を引いてその場に引き留める朱王に、海華は不服そうに眉を潜めて唇を尖らせた。


 「良いじゃないの、少しくらい。あたし、そこまでの重病人じゃないのよ。それに、もうすぐ旦那様が……」


 『帰ってらっしゃるの』その台詞を口にしようとした途端、ガラガラッと乱暴に戸口を引き開け……いや、叩き開ける音と共に、朱王の名前を呼ぶ男、志狼の叫びが広い屋敷内に木霊する。

何事があったのか、と思わず二人は顔を見合わせた。


 「朱王さんッッ!! 朱王さん、いねぇのかッ!?」


 微かに苛立ちを混じらせた声色に朱王、そして海華も一緒に離れを出て玄関へ向かう。

小走りに廊下を駆けて辿り着いた玄関先、そこには顔中汗まみれの志狼と、その隣にもう一人死人のように真っ白な顔色の男が全身をワナワナ震わせながら立ち尽くしている。


 「あ、んた……惣太郎さん!?」


 「志狼さん、その手……二人とも一体どうしたの!?」


 寝巻きの前を掻き合わせながら、海華は驚愕の表情を浮かべる朱王の隣で素っ頓狂な叫びを上げる。

そんな二人を交互に見詰めながら、惣太郎は乾いてひび割れた唇を戦慄かせた。


 「朱王、さん……海華ちゃん……おはなが、おはなが……」


 「おはなちゃん? おはなちゃんがどうかしたのか?」


 尋常ではない彼の有様に、朱王は思わず身を乗り出して尋ねる。

惣太郎の両手が、指の関節が白く変わる程強く握り締められた。


 「おはながいなくなった……消えちまったんだ……」


 「消えちゃった、って……どういう事なの!? ねぇ志狼さん、何があったのよ?」


 さっぱり意味が分からない、そう言いたげに志狼へ顔を向ける海華。

右手に下げていた風呂敷包みを上がり框に放り投げて、志狼は額に浮かぶ脂汗を手の甲で拭い取った。


 「子供がいなくなったんだ、多分、誰かに攫われたんだ。俺はこれから旦那様の所へ行く、朱王さん悪いが、この人を見ていてくんねぇか? おいあんた、いいか、妙な気を起こすんじゃねぇぞ。この人と大人しくここで待ってろ、いいな!」


 三和土たたきに立ち尽くす惣太郎をひどく険しい表情で睨み付け、志狼は脱兎の如く玄関を飛び出し表へと消えてしまう。

志狼と惣太郎、彼らは海華がここに嫁ぐ際一度だけ顔を合わせている。

しかし顔を合わせて簡単な挨拶をしたのが最後、互いによく顔は覚えていなかったのだろう。

それにこの切羽詰まった状況なら猶更である。


 おこりに罹ったようにガタガタ震える惣太郎を中へ招き入れた朱王と海華、ふと彼の手を見ると、男にしては白く細い手は泥にまみれて切り傷だらけ、手の甲や指先からは糸のように細い血が流れ赤く腫れている。

爪の間に挟まった草の切れ端や湿った泥を見た朱王は、彼の手を取り『酷いな』と一言漏らした。


 「海華、傷の手当てを」


 「わかった、まずは傷を洗わなきゃ。準備してくるから、先に行ってて」


  朱王の言葉に素直に頷き、海華は寝巻きのままで井戸まで走る。

そんな彼女の後ろ姿を見送っていた惣太郎の目尻から透明な雫が一粒零れ、音もなく廊下へと滴った。

 

 惣太郎の傷の手当てを終えた後、朱王と海華は惣太郎たちの身に何が起こったのかを知る事となる。

お仙夫婦が揃って出掛けるこの日、惣太郎は昼過ぎから暇をもらいおはなの面倒を見る約束をお仙と交わしていた。


 惣太郎にとってもおはなは目の中に入れても痛くないほど可愛い姪っ子である。


 お仙も呆れるくらいおはなを溺愛していた惣太郎に、おはなもよく懐き、この日も彼の姿を見た途端『おいちゃん!』と大はしゃぎで飛び付いてきたと惣太郎は涙ながらに話した。


 日のあるうちは街に出掛け、浅草の仲見世で玩具や菓子を買い、その後は日本橋で晴れ着や下駄、簪の小間物を見て回る。

真ん丸の目を瞬かせ、上目使いで『買って』と言われれば、もう惣太郎は逆らえない。

いいとも、いいともと買い与え、茶店で餡蜜なんかを食わせているうちにあっという間に日は西の空に傾き出す。


 さぁ、そろそろおっかさんの所に帰ろうか、とおはなの小さな手を引いて彼女の住まいである乾物屋へ向かった惣太郎、二人が川沿いのあの道を手を繋ぎ歩いていた、その時である。


 ヒュウ、と河原を吹き渡る風に、二人の前を歩いていた初老の女の足がふらつき、そのはずみで履いていた下駄の鼻緒がプツリと切れたのだ。


 危うくその場に倒れそうになった女、反射的に彼女へ掛け寄りその身体を支えた惣太郎は、そのまま彼女を己の肩に掴まらせ鼻緒をすげ替えた。

その間、おはなはお気に入りの子守人形を抱き彼の近くで道にしゃがみ込み、手持無沙汰に石ころを投げたり道端の草を引き抜くなどして遊んでいた、筈だった。


 だが、惣太郎が鼻緒をすげ、何度も礼を述べる老女を見送ってから後ろを振り返ると、もうそこにおはなの姿はなかったのだ。


 ついさっきまで、確かに彼女はそこにいた。

それがどうした事だろう、まるで宙に溶けてしまったかのように忽然と姿を消してしまったのだ。

最初は彼女の悪戯だろう、どこかに隠れ自分が慌てて探し回るのを面白がっているのかもしれない。

そう考えた惣太郎は、軽い気持ちのままおはなの名を呼び辺りを探す。


 しかし、彼女の姿はどこにもない。

さすがの惣太郎も焦り始め、やがては半狂乱になって藪を手当たり次第に掻き分けておはなの姿を必死に探し続けた。


 そんな時、志狼に声を掛けられたのだ。


 さぁ、ここから桐野の屋敷は大騒ぎ、志狼の話を聞いて屋敷に駆け付けた桐野は共に来た都築と高橋に命じておはなが消えた場所を大々的に捜索するよう命じ、さらに忠五郎と留吉が、とうに帰宅していたお仙と亭主である三太夫妻が真っ青中をして屋敷に飛び込んでくる。


 今にも倒れてしまいそうな、真っ白な顔色で『おはなはどこ!?』と甲高い叫びを上げて惣太郎にしがみ付くお仙。

そんな彼女へ向かい、惣太郎は号泣しながら畳へ平伏しただただ申し訳ないと謝罪するだけ。


 普段静けさが満ちている屋敷、しかし今は惣太郎とお仙が狂ったように泣き喚く叫び声と、混乱状態の三太が『娘を探してくれ』と傍にいた留吉に詰め寄る怒号が飛び交う、まるで戦場のようなありさまだ。

とにかく落ち着け、と、朱王と志狼が三太を必死で止め、畳を激しく叩いて泣きじゃくるお仙と惣太郎を海華が抱き起し懸命に宥める。


 誰もが冷静ではいられないこの状況、それを一瞬で沈めたのは、こめかみに青筋を浮かべてまなじりを吊り上げた桐野が発した『やかましいッッ!』との一喝だった。

雷鳴の如き一喝に、その場に満ち満ちていた嗚咽と号泣がピタリと止まる。

シン、と静まり返る空間の中で、朱王はもとより真っ赤に目を充血させた惣太郎や三太を羽交い絞めにしていた朱王までもが、ポカンと口を半開きにし、桐野を凝視していた。


 「いつまでも喚き散らして、何が解決するのだ! 子供を早く見付けたいのなら、まずはお前達が落ち着くのが先だ!」


 ビリビリと鼓膜に響く彼の凛とした台詞に今まで泣き通しだった惣太郎やお仙が唇を噛んで俯き、三太は力無くその場にへたり込む。

やっと話が出来る状態になったのを確かめた桐野は、ふぅ、と小さく息を吐き、その場にドカと腰を下ろした。

いつもは広く感じる客間だが、今ばかりは呼吸するのも苦しいほどに狭く感じてしまう。


 その場にいる全員の視線が桐野に集中する。

グスグスと鼻を啜り畳に両手をつく惣太郎にまず顔を向けた桐野は、彼の傍に落ちている埃に汚れた子守人形を見詰めた。


 「お主……確か惣太郎と申したな? その人形は、おはなの物に間違いはないのだな?」


 「は、い!間違い御座いません。 桐野様、おはなは……」


 すがるような目つきで桐野へ向かい身を乗り出す彼を片手で制し、次に三太とお仙に目を向ける。


 「そなたら、今日は一先ず家に帰れ」


 「そんな……桐野様、それじゃ娘は」


 「おはなの事はこちらに任せよ。あの周辺は夜通し探させるつもりだ。なにか手掛かりがあれば……追って伝える」


 『以上だ』そう言い置いて、彼はその場から立ち上がりさっさと客間を後にする。

その後を慌てて追い駆けて行く志狼、その場に残された者らは、声も出せずに互いの顔を見合わせる。


 「朱王さん……おはなは、見付かるんですかね?」


 酷く弱々しい声で三太が呟く。

『桐野様を信じましょう』畳に平伏し、小さく肩を震わせ始める彼の背中を擦り、朱王はそう答えるしか出来なかった。




 夜通し掛けておはなを探す。

その言葉通り、桐野はこの日屋敷には戻ってこなかった。

三太夫婦と惣太郎は、朱王が帰宅がてらそれぞれの自宅に送り届けたが、惣太郎の嘆きと憔悴しきった様子は傍から見ていてもつらく、彼はその夜から高熱を出して寝込んでしまう。

三太とお仙も八丁堀から帰った翌日より店を閉め切ったまま、自宅に引き込もって涙にくれていた。


 しかし、朱王達三人には気落ちしている暇はない。

伏せってしまった惣太郎の力になるため、そして一刻も早くおはなを探し出そうと、朱王も仕事を休んで彼女が消えた雑木林や川縁の獣道などを探して廻る。


 そして志狼と海華は惣太郎やお仙らの元を度々訪れ身の周りの世話をし、塞ぎ込む彼らを励ましたりしていた。

おはなが消えて三日目、雑木林で見付かった人形以外何も手掛かりは見付からない。

これは『逢魔ヶ刻の神隠し』そのものだ、きっとおはなは悪神か妖怪の類に攫われたのだ。

瓦版はもとより街に飛び交う噂話でもそんな話題が出始め、今まで攫われた娘や子供たちと同じくおはなも見付かる事はないだろう、と誰もが諦めかけ、次第におはなの名前も行方知れずになった事も人々の記憶から薄れていくこととなったのだ。








 「ねぇ、あれから何の動きもないの?」


 客のまばらな茶店の飯台に頬杖をつき、海華が疲れ切った声を出す。

『何もない』そうぶっきらぼうに言い放って冷めかけた茶を一口啜る朱王の手は、先の惣太郎と同じく切り傷、擦り傷だらけだ。

彼の重要な商売道具と言っても過言ではない両手に刻まれた数多の傷は、彼がどれだけ必死におはなを探しているかを十分に知らしめていた。


 「人形が落ちてた場所にも、踏み荒らした跡がちょこっと残ってるくらいだからな。それが男の足跡か女の足跡かもわからねぇんだよ」


 海華の隣に座った志狼も、疲れ果てた面持ちで椅子の背凭れに深く凭れる。

この日、三人は三太とお仙、そして惣太郎の元を見舞った帰りだった。


 「お仙さんの顔見た? あれじゃまるで幽霊よ。可哀想に……」


 「それを言うなら惣太郎さんだって同じだ。食べ物も喉を通らないんだって? あれじゃそのうちぶっ倒れちまうぜ」


 眉を顰めてそう口にする海華と志狼を前に、朱王は難しい面持ちのままじっと湯飲みの中に映る己の顔を見詰める。


 『逢魔ヶ刻の人攫い』に攫われた娘や子供たちも同じだった。

現場に全く手掛かりが残されていないのだ。

だが、『手掛かりが見付かりません』だけではすまされない、きっと惣太郎やお仙、そして三太は気が変になってもおかしくない状況だ。


 おはなは、そして攫われた子供や娘たちはどこへ消えてしまったのか?

三人の胸中に会った疑問は、この日、思わぬ形で解決される事になる。


 この日、朱王と別れた二人はいつものように八丁堀へと帰り夕餉の支度に精を出す。

やがて、主である桐野が帰宅するのを見計らい二人は玄関に向かった。

藍色に染まる世界の向こうから姿を現した桐野は、いつにも増して疲れた表情、そして足取りも心なしか重い。


 『お帰りなさいませ』そう声を揃え三つ指をついて深々と頭を下げる志狼と海華。

うむ、と頭上から返事が返ったと同時に頭を上げた二人は、まず志狼が刀を受け取り、海華は土間に降りて桐野の足を清めるため小桶に浸していた手拭いを絞り始める。

いつもと変わらぬ帰宅時の光景、しかし、いつもなら労いの言葉の一つや二つ掛けてくれる桐野だが、今宵は無言の海華に足を拭き清められている。


 彼が疲労困憊しているのは目に見えてわかるため、二人は敢えて声を掛けぬまま。

海華が桶で手拭いを洗う微かな水音だけが聞こえる広い玄関先、自身の下で蠢く海華の頭に視線を落とした桐野、その薄い唇が微かに動き志狼と海華の名前を呼ぶ。


 勢いよく顔を上げた海華と桐野の隣に控える志狼がほぼ同時に『はい』と返事をして彼に視線を向ける。


 「旦那様、何か……?」


 ちょこんと小首を傾げて訊ねた海華が、手拭いを桶に入れたまま三和土に膝をついた。


 「うむ……お前達に報せておきたい事がある。実は、今日の昼過ぎ、巴川の河原に子供の骸が上がったのだ」


 低く抑揚のない声色、乾いた彼の唇から生まれた台詞に、志狼と海華の表情が一瞬で凍り付く。


 「む、くろ……!? 旦那様、まさか……」


 震える声で桐野に問う海華は、水に濡れたままの両手で口元を覆う。

グッと唇を噛み締め刀を握る志狼、そんな二人を交互に見遣った桐野は緩く首を横に振った。


 「いや、おはなではない。十日ほど前に行方知れずになった少女のものだ、呼び出した両親も自分の娘だと申しておるゆえ、おはなでない事は確かだ。ただ、その子供も神無月の人攫いに攫われたとみている」


 『おはなではない』その一言を聞いた刹那、海華の身体から一気に力が抜けて行く。

しかし、上がり框に片膝をついたままの志狼は未だ厳しい面持ちのまま桐野の横顔を見詰めていた。

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