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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十五章 神無月奇譚
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第三話

 重たい空気の中での夕餉が終わり、自室に戻る桐野を見送った志狼と海華は空となったお膳を片付けながら無言のままに互いの顔を見合わせた。


 「死人が出たの、初めてね……」


 「あぁ、しかも子供ときたからな。まだ見付からねぇ子供の親も、生きた心地がしねぇだろう」


 『生き地獄だな』そうポツリとこぼしてお膳を持ち上げた志狼の後をお櫃を抱えた海華がつく。

ひたひたと冷たい廊下を歩く二人の表情は帰宅時の桐野と同じく暗いものだ。


 「ねぇ、志狼さん」


 「なんだ?」


 「さっきの話しね、兄様に……」


 「話してもいいか、てか? その前に……明日の朝には瓦版に載ってらぁ」


 些かつっけんどんな物言いが背中を向ける彼から返るが、確かに彼の言う通り、海華は反論もせずただ頷くだけだ。

桐野から聞いた話では、骸で見付かった子供は数えで五つになる少女で、目立った外傷はなく、買われに打ち棄てられていた板切れの上に置かれ、ご丁寧にむしろまで被せて置かれていたらしい。


 それは『遺棄』されたというより『置かれていた』という表現がピッタリ、まるで早く見付けて貰いたいように割合目立つ場所にあったとの事だ。

もとより身体が弱かったと少女の両親は話した、御検視の医者も殺められたのではなく病死の可能性が高いと話していたらしい。


 攫った娘が体調を崩して死んでしまった、骸をそのまま打ち棄てるのはあまりにも哀れ、せめて亡骸だけでも親の元に返した、という事なのだろうか?


 「身体は綺麗だったし、痩せてもいなかったみたいだし……ご飯はちゃんと食べさせて貰ってたみたいよね、そんなに悪い扱いはされてなかったのかも」


 台所に入り、お櫃を置いた海華は、袂から襷を引っ張り出して手早く絞めると、今度は志狼の腰へ紺色の前掛けを絞めてやる。

すると、志狼は右手に重ねて持っていたお膳を傍らに置き、左手を吊っていた三角巾をスルスルと解いた。


 「まぁな、だが、全員が全員同じ扱いを受けているとは限らねぇぜ。とにかく、一刻も早くおはなを助け出さねぇと……。俺、明日骸があった河原に行ってくる。海華、悪いんだがお前はもう一度おはながいなくなった場所を探してみてくれないか?」


 「いいけど……あそこはもう都築様達がお調べになったし、志狼さんや兄様だって」


 「そりゃそうなんだがよ、まだ見逃しているところがあるかもしれねぇじゃねぇか。探す奴が違えば目の付け所も違ってくるだろう?」


 使い込まれた漆塗りのお膳を冷たい水に浸けながら志狼が言う。

その横では、鉄鍋に残っていた煮付けを小さなお鉢に移し、『あぁ』と小さく頷いた。


 「確かに、それはそうよねぇ。でも、これ以上何か見付かるのかしら?」


 どこか不安げに呟く彼女を肘で軽く突きながら、志狼はニッと白い歯を覗かせた。


 「絶対何か見付けろ、ってぇ言ってる訳じゃぁねぇんだ。そう気負うなよ。それと、たまには朱王さんとこに顔出して、飯の一つも作ってやれ」


 そう志狼に言われて、海華は軽く肩を聳やかして恥ずかしそうに笑う。

最近、彼女も朱王もおはな捜索に熱を上げ、殆ど長屋に出向かなくなっていた。

おはなを探し、打ちひしがれる惣太郎やお仙を見舞い、励まししているうちに、自分の事はすっかり後回しにとなっていたのだ。


 朱王などは、ここ数日夕飯はおふくに通って食べているらしく、もはや竈に蜘蛛の巣が張っていてもおかしくない状態だろう。


 「そうね、人様の事も大切だけど、兄様を放っておいちゃダメよね。じゃぁ、お言葉に甘えて、行ってこようかしら」


 「あぁ、そうしろ。朱王さんによろしくな」


 そう言い置いて、志狼は小刻みに震える左手で味噌汁椀をぎこちなく握り、緩慢な動きでそれを洗い始めた。



 さて、翌日。

海華は志狼から言われた通りおはなが消えた川沿いの道を訪れた。


 そこは時々海華自身も通る道であり、大通りほど人気ひとけはないも、俗に言う『猫の子一匹見当たらない』うら寂しい場所ではなく、今も雑木林に向かう彼女の横を荷物を背負った男や天秤を担いだ野菜売りが足早に通り過ぎていく。


 道幅も荷車同士が悠にすれ違える程はある。

左手側は雑木林に 、そして右手側は川原が広がる、これと言って特徴のない道だ。

人の目を盗んで子供を浚っていくなどできるのだろうか?


 胸の中に沸き上がる疑問に小首を傾げながらも、海華はおはなの子守り人形が見付かった場所へと急ぐ。

そこは度重なる捜索のためだろうか、藪は綺麗に薙ぎ払われ、奥に広がる暗い林の向こうまで見渡せる状態となっている。

足元を見れど、枯れた草木の混じった腐葉土と、土まみれの石ころが転がるだけ。

こんな場所にまだ手懸かりがあるのか?


 疑問に凝り固まりながらも、雑木林に足を踏み入れた海華。

身を屈め、目を皿にして辺りを探すも笑ってしまうくらい、そこには何もない。

目ぼしいものは都築ら同心達が粗方回収しているのだから当たり前だ、ご丁寧に木の根本を浅く掘り返した場所もある。


 「屑拾いじゃあるまいし……もう何もないわよ、こんな所」


 ブツブツ文句を言いながら雑木林の先に進んでいく彼女の背中を、時おり通る人々が怪訝な面持ちで眺めていく。

数多の人間に踏みつけられ、所々掘り返された腐葉土は柔らかく、草履を履いた足がズブズブ沈み込む場所まである始末。


 瞬く間に泥で汚れる両足に視線を落とした海華の眉間に、深々とした皺が寄った。


 「もう、帰ったら洗わなきゃ……キャァァァッッ!?」


 土の中に半分埋もれていた木の根に足を引っ掛けた海華の視界が、自らが上げた悲鳴と共に半回転する。

湿った地面は天に、青く晴れ渡った空は地に変わり湿り気を帯びた柔らかい土の中に思い切り右手がめり込んだ。

途端に感じるムッと鼻をつく重たい土の臭いに顔を顰める暇もなく、海華は前のめりとなった状態で地面に倒れ込む。


 転がった場所が土だったのが幸いしたのか、たいした痛みも感じなければ身体を貫く衝撃もない。

やんわりと倒れ込むように地面へと転がった彼女は、固く瞑っていた目をそろそろと開いた。


 そこに広がるのは、青く澄んだ空いっぱいに黒い影となり枝を伸ばす木々の群れ、硝子に走るヒビのようにも見える大小の枝々は、時折吹き抜ける風にざわざわと揺れ、半分ほど葉を落とした裸の枝が擦れ合うくぐもった響きは、まるで転んだ海華を嘲笑っているようにも聞こえた。


 「……ほんっと最悪、―― ん? 」


 酷く不機嫌そうに溜息をついた海華、と、彼女の大きな瞳が遥か頭上の木の枝で揺れる小さな影を捉えた。

それは重なり合った太い枝に引っ掛かる布のような物は天を拭く風に合わせて緩慢に揺れる。


 「あれ、何かしら……?」


 ポソリと小さく呟き、その場から立ち上がった海華は、じっと空を見上げたままそこに立ち尽くす。

よくよく見れば、それは手拭いのような長方形の布だった。

どこからか風に乗って飛んできたもの、きっと打ち棄てられた布切れだろう。

最初はそう思っていた彼女だが、じっと見詰めれば見詰めるほどにそれが気になってしまう。

思えば、今まで足元ばかりに注意を払い、頭上は一度も目を遣る事は無かった。


 もしかしたら、あれは自分が思っている以上に重要な手掛かりになるかもしれない……。

そんな考えが頭の片隅に生まれた、それとほぼ同時に、海華は戸惑う事無くすぐ近くにある大きく右方向へと曲がった太い木の幹に手を掛けていた。









 「それでお前、そのまま木に登ったってのか!?」


 海華の作った味噌汁を美味そうに啜っていた朱王が、素っ頓狂な声を上げて思わず右手の箸を取り落す。

竈の上に置いた鍋でガンモドキを煮ていた海華は、『そうよ』と事も無げに応えて唇を吊り上げ、朱王に向かって小さく微笑んだ。


 「お前、いい年して木登りなんて馬鹿な真似を。人に見られたらみっともないだろう。それに、万が一落ちて怪我でもしたら……」


 箸を拾い上げ、味噌汁椀をお膳に置いた朱王が思い切り顔を顰めて海華を睨む。

しかし彼女はそんな朱王を意に介さず、熱々の煮汁をたっぷり含ませたガンモドキをお鉢に盛った。


 「だって仕方ないじゃない、他に取ってくれそうな人がいなかったし、どうしてもソレが取りたかったんだもの」


 「こんな汚い手拭い、どこかから飛んできたゴミだろうが」


 そう言いつつ、海華がお膳に置いたがんもどきを箸で突く朱王の前に腰を下ろした海華は、上がり框に置いたままの襤褸ぼろ布……いや、手拭いの切れ端に手を伸ばす。


 「おい、飯時にそんな汚いモンを出すな」


 「はいはい、すみませんでした。でもね兄様、これだって重要な手掛かりになるかもしれないじゃない。一度旦那様にお見せしようかと思うの。その前に、一度兄様にも見てもらおうと思って」


 とにかく食事終わるまで待とう、そう考えながら茶を淹れる支度を始めと、朱王は残っていたご飯を掻き込み味噌汁で流し込むように、些か行儀悪く食事を終わらせる。


 「おい、それ見せてみろ」


 「いいわよ。 はい、どうぞ」


 急須を置き、手拭いの切れ端を持った海華はそれを朱王へ手渡す。

僅かに顔を顰めつつそれを受け取った朱王は、指先で摘まむようにして左右に広げる。

それは一面に薄い茶色のシミがつき、端はボロボロに解れて普通目にする手拭いより小さくなってしまった、朱王うが言ったように『汚い襤褸ぼろ切れ』だ。


 わずかに湿り気の残るそれは、橋に濃い青で波の模様が描かれているだけの、どこにでも売っていそうな手拭いである。

最初はただ広げたままのそれを眺めていた朱王だが、やおらその場から立ち上がると土間に降り、おもむろに戸を引き開けてその場に仁王立ちとなった。


 一体何をしているのか、ポカンと口を半開きにし畳に膝立ちとなったまま彼の背中を見詰める海華。

すると、顔の前に手拭いを広げていた朱王は状態だけを捩じり背後を振り向く。


 「おい、ちょっとこっち来てみろ」


 「え? なんで?」


 「いいから、こっち来い。ほら、ここを見てみろ」


 そう急かすように言って彼女を呼び寄せた朱王は、草履を突っ掛け土間に降り立った海華の前にその手拭いを広げる。

表から差し込む日の光を透かす薄い布、よくよく目を凝らしてみると、手拭いの右端に何か文字のようなものが書かれているのが見えた。


 「なに、これ。字……かしら? し、げ? しげ、ぞう、かしら?」


 汚れた布地に映る滲んだカナ文字、大きさもバラバラでまるで子供が書いたような文字は確かに『しげぞう』と読める。

手拭いを日に翳したまま、ジッと滲んだ文字を見詰める海華の隣に立った朱王は、文字とは反対側の位置にある一るの濃いシミを指差さした。


 「それと、これだ。紅の跡のように見えるが……違うかな?」


 「どれ?あぁ……。そうよ、これ紅がついたのよ。それに、なんだか白粉みたいな匂いがするわ」


 あまりの汚さに今まで顔を近づける事も憚られていたが、海華の一言に朱王も手拭いの近くで微かに鼻を蠢かす。

すると、そこからは本当に微かだが、彼の『一番嫌いな匂い』がしたのだ。


 「本当だ、これは白粉だな」


 不愉快そのものの面持ちで慌てて顔を背けた朱王。

そんな彼に笑いを一つ送り、海華は手拭いを下ろして室内へと戻る。

どうして男の名前が書かれた手拭いに紅だの白粉だのが付着しているのか、そんな二人の疑問は思いも寄らぬ形で解決される事となったのだ。



 海華が見付けた手拭いの一部分は彼女の手によって桐野へ届けられた。

やっと出てきた小さな手懸かりに桐野は元より部行所中が色めき立ったが、その入手方法を知った途端、彼女は彼の自室で滔々と説教を喰らうはめとなった。

勿論、頭ごなしに怒られた訳ではない。

説教の内容は朱王とほぼ同様、『怪我をしたらどうする』といったものだ。

幸い、修一郎には内緒にしてくれると桐野は言った。


 もしも修一郎に知られてしまえば、この程度の説教で済むはずがない。

二十歳はたちも過ぎた女が木登りなど何事か、と四半時ほど叱られるのは目に見えている。


 ここは桐野の心遣いに感謝せねばなるまい。

もう二度と無茶な真似は致しません、そう桐野の前に両手を付き深々と頭を下げた海華は、心配そうな面持ちで廊下の曲がり角から顔を覗かせていた志狼の元へと戻される。


 手拭いが見付かった以外に手掛かりはないが、ほんの少しでも主の役に立てたのは海華にとっても喜ばしい事、後は彼らの邪魔にならない程度に協力するだけ。

身の程を弁えた行動を、と常時朱王に言われ続けていた海華は翌日から使用人としての務めを重点的に生活を送るようになる。


 この日も桐野を見送り皿洗いに洗濯、掃除と一通り志狼と協力し済ませた彼女は、乾いた肌着や下帯を取り込み、急ぎ足で屋敷へ戻ろうとしていた。


 一杯に背を伸ばして物干し竿を元に戻し、太陽の匂いのする洗濯物を山と抱えた彼女が踵を返したのを見計らったかのように、屋敷の裏口辺りから自分の名前を呼ぶ志狼の叫び声が微かに聞こえてきたのだ。


 「海華! おい海華、ちょっとこっち来てみろ!」


 「はぁい! ちょっと待ってね、今行きます!」


 洗濯物で半分塞がれた視界の越しに大きく返事を返して、海華は小走りに自室へ繋がる渡り廊下へと走り、表からは見えぬ壁の陰にそれらを放ると、掛けていた襷を外しつつ声の聞こえた方へ走る。

いつも自分達が出入りしている勝手口、そこには志狼ともう一人見知らぬ顔の中年男がいた。


 「お待たせしました……あら、お客様?」


 「あぁ、この辺りで商売してる小間物屋だと。どうだ、せっかくだからお前、なんか見てみろよ」


 框に腰を下ろした志狼と、彼の傍らに商品を並べ始めた男。

薄汚れた手拭いを頭から被った小太りで背の低い男は、チラリと彼女の顔へ視線を投げ、軽く会釈する。

土間に置かれる白っ茶けた大きな木箱には、簪や櫛、そして紅など細々した商品が詰まっているはずだ。


 土間に広げた木綿の布、そこに次々と並べられていく木や銀、そして小さな珊瑚玉の簪や艶のある木櫛に楊枝、安っぽい白木の入れ物に入った白粉などを見下ろし、その場に膝をついて、海華は軽く口角を上げた。


 「どうしたのよ志狼さん、こんないきなり……」


 「いいじゃねぇか、たまにはよ。そうそう高価なモンは買ってやれねぇが、これくらいならな。どれでも好きなの選んでいいぜ」


 ニコニコと笑いながら簪の一つを手に取った志狼、しかし海華は髪を結わない故、簪などは必要ない。

そうねぇ、と小さく呟きつつ紅の入れ物を手に取り、そして綺麗な縮緬で出来た鏡入れの袋を眺める海華。

そんな二人の姿を少し離れた場所から眺めながら、小間物屋の中年男はしばし無言のまま見詰めて懐から取り出した手拭いで顔や額に滲む汗を拭う。



 こんな時、大抵の物売りならば『優しい旦那様で幸せですね』とか、『こちらの品はいい物です、きっとよくお似合いだ』とか、愛想よく話しかけてくるのだが、どうしてだろうこの男はただ無言のまま志狼の隣に座っているだけ、まるで商売っけが感じられない。


 よくよく見れば、身に付けている深緑に縦縞模様の着流しは端折った裾部分が白っぽく色褪せ、あちこちほつれているし、日焼けした南京カボチャによく似た顔も顎の部分に剃り残しの無精髭がちらほら目立つ。


 女相手の商売の割に身形が小汚いのだ。

どうして志狼はこんな男を呼び止めたのだろう?

そんな疑問を持ちながらも、海華は簪の横に置かれた千鳥柄の懐紙入れを手に取りつつ、品定めに夢中となっていった。

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