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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十三章 怪談は漆闇に活きる
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第四話

 朱王が再び両国の化け物屋敷の前に立ったのは、八丁堀を訪れてから七日後の事だった。


 前日まで続いた日本晴れとはうって変わり、この日は鉛色をした分厚い雲からシトシトと天の涙が地上を潤す。

籠るような暑さと湿気に肌はベタつき、なんとも言えず不快な気候だ。


 そのせいだろうか、化け物屋敷の前はいつもより人が少なく閑散としていると言ってもいいくらい。

片手に蛇の目、そして片手に何やら紫色をした小さな風呂敷包みを下げた朱王、彼にとって人の少なさは、むしろ都合がいいのかもしれない。


 急ごしらえの掘っ立て小屋、黒く変色した板があちこちに打ち付けられた化け物屋敷を道一つ隔てた商家の板塀の陰からじっと眺めていた朱王は、入り口から人気のなくなったのを確かめて、一歩足を踏み出した。

サァサァと微かな音を立てて蛇の目に当たり、次々と滴り落ちていく透明な雫は、地面に当たって跳ね返り、下駄を履いた足を濡らす。

わずかに泥濘ぬかるんだ道にできる大小の水溜まりを避け、化け物屋敷の入り口についた朱王、と、背中越しに急に名前を呼ばれ、雨と泥に汚れた足がピタリと止まった。


 「やっぱり朱王さんか」


 「志狼さん……」


 入り口の陰から出てきたのは、朱王と同じ黄ばんだ蛇の目を持った志狼だった。


 「海華の奴が頼んだのか?」


 「いや、朱王さん何か勘違いしてねぇか?」


 そう短く答えて一歩朱王に近付いた志狼は、ニッと唇を上げて白い犬歯を覗かせる。


 「俺は、一人でゆっくりここの中を見てみてぇ、と思って来たんだ。さて入ろうか、ってぇ時に朱王さんが来たんだぜ。ここで会ったのはただの偶然だ。じゃ、俺は先に行ってるぜ」


 じっとこちらを見詰める朱王の横を通り抜け、蛇の目を畳んだ志狼は、入り口にいる初老の男に小銭を渡し、さっさと中へ消えていく。

あまりにもわざとらしい彼の台詞に、思わず朱王は苦笑い。

しかしそう言われてしまっては、『帰れ』とも 『ついてくるな』とも撥ね付けられないのもまた、事実だ。


 「……ったく、あいつらには敵わないな」


 蛇の目を閉じてそう呟いた朱王は、志狼同様入り口にいる男に小銭を渡して屋敷の中へと足を踏み入れる。

黒く分厚い綿で出来た幕を掻き分けると、そこは胸が詰まりそうなくらい濃厚な線香の匂いが漂う異世界だ。

荒れ野を表しているのだろうか、細く曲がりくねった道の両端には枯れかけた雑草が生い茂り、あちこちに大きな石がゴロゴロ転がっている。

造り物だろう、木の葉をすっかり落とした枯れ木には、本物そっくりに作られた漆黒の烏が二、三羽留まり、ビイドロの瞳で朱王を見下ろしていた。


 視界の向こう、闇に包まれた道の先にはチラチラ青い燐光が見える。

ついては消え、瞬いては大きく燃え上げる鬼火を一瞥し、朱王は先に行った志狼の姿を探すように周囲を見渡しゆっくりと歩を進めた。

慌てて駆けて行ったのでなければ、まだ彼はこの辺りにいる、いや、いる筈だ。

なぜなら、彼の本来の目的は朱王の動向を見張る事、先に行ってしまうなど有り得ない、きっとこの近くで身を隠し自分の事をみているはずだ。


 そんな事を考えながら、壁に掲げられた蝋燭の灯りにボンヤリ浮かぶ岩や木々、そして満ちの端にポツンと立つ地蔵へ視線を投げて行く朱王。

と、彼の足は草むらの中に置かれた張りぼての石燈籠の前で止まった。


 「志狼さん、張りぼての灯篭がそんなに珍しいのか? それとも……誰かとかくれんぼか?」


 「なんでぇ、もう見付かっちまったか」


 この場にそぐわぬ、どこかあっけらかんとした声色が灯篭の後ろから聞こえ、すぐに志狼がその姿を現す。


 「こんなあっさりバレるとは思わなかったぜ」


 「そんな子供騙しに俺が騙されるとでも思っていたのか? 随分甘く見られたもんだ。さて……あんた、これからどうする? このまま帰るか? それとも、一緒についてくるのか?」


 風呂敷包みを抱えたまま、朱王はそこ目で志狼を見る。

彼にすぐ見付かってしまったからだろうか、バツが悪そうに視線を逸らせていた志狼は、朱王の台詞を耳にするなり、灯篭の陰から勢いよく飛び出した。


 「行くに決まってんじゃねぇか。帰れってどやし付けられてもついて行くぜ」


 ここでスゴスゴ帰っては、どんな顔をして海華に会えばいいのだろう。

そんな思いもあってか半ば真剣な面持ちを自分に向けてくる志狼にもう一度苦笑いし、朱王は『ついてこい』と一言、踵を返す。

草むらや塀の蔭、そして墓石の後ろや天井、ありとあらゆる所から勢いよく飛び出してくる幽霊やあやかし達を涼しい顔でかわし、頭上を飛び交う鬼火や吊り下げられた蒟蒻を首を竦めて避け、二人は例の井戸がある柳の木が立ち並ぶ場所へと到着する。


 長い髪のような葉を揺らす造り物の柳、サラサラと葉っぱ同士が擦れ合う細やかな音を耳にした刹那、二人を取り巻く周囲の空気が一気に冷たい物に変わる。

先程まで聞こえていた他の客の悲鳴も、慌しく逃げ駆ける足音も聞こえない。

この場にいるのは朱王と志狼の二人だけ、肩に重石を乗せられたように重苦しい雰囲気に、思 わず志狼は生唾を飲み込み鋭い視線を周囲に投げた。


 「怖かったら、先に帰ってもいいんだぞ?」


 表情を固くする志狼を横目に朱王が呟く。

ブルブルと首を横に振って拒否の意を示した志狼は、一度小さく身震いし、朱王が手にする風呂敷包みへ視線を投げた。


 「別に、怖いなんて思ってねぇさ。なぁ、朱王さん、一つだけ聞きてぇんだが、その包みん中には、何が入っているんだ?」


 「これか? これは……幽霊へのお土産さ」


 そう嘯いて、朱王は柳の間へと進んで行く。

慌ててその後を追い掛けようとした志狼、しかし眼前に突如現れた二つの火の玉によって、彼の足はその場に止められてしまう。


 「うわ、っ!? なんだこれ……止めろッ! 邪魔だ……うわぁっ!」


 上下左右に飛び交う、大人の手のひらほどの大きさがある緑色の火の玉。

きっと燐が染み込ませてあるのだろうそれは、焔の熱さを感じさせず、ただ音もなく長い尾を引いて志狼に纏わり付く。

足を縺れさせ、必死に右手を振り回してそれを追い払っていた志狼の顔面に火の玉の一つが思い切りぶつかり、暗い空間に緑や青の輝きが飛び散り、跡形もなく消えていく。


 そして、残ったもう一つは、志狼の横で揺らめく柳の間へ消えていった。

熱さも痛さも感じない、強いて言うなら海月(くらげ)を力一杯ぶつけられたような感覚に顔を手のひらで拭いつつ、志狼が顔を上げる。


 「畜生ッ! なんだ一体……。朱王さん、大丈夫か? ……朱王さん?」


 が、そこには既に朱王の姿はどこにもなかった。


 「朱王さん? お、い! 朱王さんッ!? どこ行ったんだ!?」


 目の前から忽然と消えてしまった朱王の姿。

己の目を疑いながらも、志狼は驚きと焦りに目を見開き、宙に揺れる柳の葉を引き毟らんばかりの勢いで掻き分け、朱王の姿を懸命に探す。

しかし、紙で出来た葉をいくら払っても、張りぼての柳の幹の周辺を目を皿のようにして探しても、彼の姿はどこにもない。

まるで、宙に溶けてしまうように人一人が消えてしまったのだ。


 薄暗い道を右へ左へと走り回り朱王を探していた志狼は、遂に捜索を諦めてしまったのか、 息を切らせて道の真ん中に立ち尽くす。

やがて、彼はその場から逃げるように……いや、転がるように出口に向かって走り去っていった……。


 鼻や頬をサラサラ撫でる細長い葉っぱ。

顔を顰めてそれを片手で払い除けた朱王の視界に、件の井戸が姿を現す。

柳の大木と大木の間に隠れるように置かれた井戸、辺りに立ち込める埃が空間に薄い幕を張り、一層強くなった線香の匂いが鼻粘膜を刺激する。

先程まで一緒にいた志狼の姿はどこにもない。

周囲を見渡せど、そこには朱王独りしかいないのだ。


 シン、と一瞬の静寂が鼓膜を揺する。

もう、『怖い』とは思わなかった。

逆に、朱王はこの時を待っていたのだ。


 「姑獲鳥さん、姑獲鳥さんはいるかい?」


 張りぼてだとわかっている井戸に向かって、朱王は静かに声を掛ける。

返事はない、その代わりに井戸の縁から血の気の失せた細く白い手が二つ現れ、しっかりと縁を掴んだのだ。


 「――こんにちは、お兄さん……」


 鼓膜を通さない、頭の中に直接響く透明な声が朱王を包む。

音もなく、滑るように井戸の中から這い出てきた汚れた白装束を纏う女は、解れた髪を唇の端に咥えて、ニコッと薄い笑みを向けた。

 

 「嬉しいわ、また来てくれたのね?」


 「あぁ、貴女に渡したいモノがあってね」


 まるで想い人同士の会話だ、そう朱王は心中で小さく苦笑する。

傍から見れば秘密の逢瀬、しかし目の前にいる女は生きた人ではない。

ふわりと井戸に腰掛けて、女……姑獲鳥は微笑みを湛えたまま小首を傾げた。


 「あたしに渡したいモノ? さて、なんでしょうねぇ?」


 「貴女に一番必要なモノだと思ってね。気に入ってくれるといいんだが」


 そう意味深な台詞と共に、朱王は手にしていた風呂敷包みをゆっくり解き出す。

紫色の包み、その中から朱王が取り出したのは純白の産着を纏った小さな小さな赤ん坊だった。

風呂敷包みの中から現れた一人の赤ん坊、暗いなかでもはっきりわかる、白く柔らかな肌に絹のような光沢を放つ薄い髪、ふっくらと肉付きのよい頬、そして花弁の如き唇は半開きとなり今にも小さな寝息が漏れてきそうだ。


 朱王の腕に抱かれ、薄い瞼を閉じて眠る赤ん坊を一目見た刹那、女は張り裂けんばかりに両目を見開き、腰を下ろしていた井戸の縁から立ち上がる。


 「あぁ……坊や……!」


 悲鳴にも似た小さな叫びが女の口からこぼれ落ちる。

赤黒い血で汚れた白装束の裾を乱し、一歩、二歩とこちらへよろめいた女へ近付いた朱王は、じっと彼女を見詰めたまま、腕のなかの赤ん坊を差し出した。

その赤ん坊の顔を覗き込んだその瞬間、女は驚愕の表情を浮かべて朱王を凝視した。


 「こ、れは……」


 「見ての通り、本物ではない。人形だよ」


 そう静かに告げた朱王はそのまま赤ん坊の人形をそっと女に抱かせる。

それは、まるで生まれたての子供と同じ、赤ん坊独特の体温が伝わってきそうなほどに精巧に造られた生き人形だった。


 「貴女が、どんな思いで子供と引き離されたか……。俺には、こんな物しか造れない。もっと可愛いく造れれば良かったんだが……」


 どこかすまなそうに顔を伏せてしまう朱王に、女は唇に微かな笑みを湛えて首を横に振り、手渡された人形を強く、しっかりと己が胸に抱き締めた。


 「いいえ……可愛い、本当に可愛い子……。 あたしは、子供の顔も見られなかった。産声も 聞けなかった……子供をお腹に入れたま ま……」


 『殺されたから』


 そうポツリと呟いた女の目に、溢れんばかりの涙が浮かぶ。


 「お腹も目立ち始めた頃に、あのひとにいきなり堕ろせと言われて……。あたしは嫌だった、お腹の子を、殺すなんてできない。そのうち言い争いになって、あの人は、あたしの首を……」


 「わかった、もういい。それ以上はもういい」


 血の気の失せた頬に流れる涙は次々と滴り白い産着を汚していく。

これ以上彼女の告白は聞くに堪えない、そう思ったのだろう女の言葉を制止した朱王の頬を、冷たく細やかな風が撫でて行く。


 「あの人は、あたしから子供を奪って行った。あたしの一番大切なモノを奪っていって……返して欲しかった、だから……。でも、もう何も思い残すことはない」


 幸せそうに微笑んで人形に頬擦りをした女は、朱王に向かって深々と頭を下げる。

『ありがとうございました』そう掠れた声で礼を述べた女に、朱王は無言のまま頷いた。


 「もう、ここで会う事もないでしょう。それと……もしよければ教えてください。貴女は、今どこに眠っているのです?」


 「―― 香千寺こうせんじの、裏山です。御神木の、すぐ根元に」


 「承知しました。後の事は、何も心配いりませんよ」


 女と同じ柔らかで儚げな微笑みを浮かべて、朱王はクルリと踵を返す。

彼が進む方向には誘うように揺れる黒い柳の枝が幾本も彼を迎え出る。

身を屈めてそれを掻き分け、朱王が再び出口に通じる道へと戻った刹那、『いたぞーっ!!』 と尋常ではない男の叫び声が鼓膜を激しく震わせて、今ま彼を包んでいた静寂が跡形もなく破壊された。


 「おぉい! いたいた! ここにいたぞぉ!」


 蝋燭の炎がいくつも舞う空間に、野太い男の叫び声が響く。

なにやら妙な騒がしさに顔を顰めた朱王目掛けて、でっぷりと太り、破れた絣の着物を纏った中年男がドタドタと足音も荒くすぐ傍にある柳の陰から駆け寄ってきた。


 「お客さん、一体どこに隠れてたんだ?」


 脂汗でてかった顔を近付け、男は思い切り眉を寄せる。

何を言われているのかさっぱりわからない朱王が小首を傾げていると、何やら出口の方向がガヤガヤと騒がしくなり、暗がりの向こうから一人の男が転がるように駆けてくるのが見えた。


 「朱王さんっ! 朱王さん……!」


 「志狼さん!? どうしたんだ?」


 切羽詰まった表情で走ってきた志狼の顔は夥しい量の汗で濡れ、それは着流しの胸元を暗く濡らしている。

酷く慌て狼狽した様子の彼は、激しく息を切らせて朱王へ掴み掛かるようにしがみ付いた。


 「おい、大丈夫か!? 今までどこにいたんだ!?」


 「どこにって……俺は、すぐそこの井戸にいた。柳の間だ」


 「嘘をつけ! ここら辺りは草の根分けて皆で探したんだ、あんたの姿なんてどこにもなかったぞ! それに……」


 『もう、そこに井戸はねぇんだ』


 真剣な眼差しで自分を見上げてくる志狼の言葉に、思わず朱王は大きく目を見開いた。


 「井戸がないって……そんな馬鹿な」


 「馬鹿もイカの頭もねぇよお客さん、そっちの兄さんの言う通りだ」


 破れ着物の男が二人の間に割って入る。

はっと気付けば、二人の周りには益田屋の者と思われる『お化け』達が五、六人ほど集まり不思議そうな面持ちで二人を見詰めていた。


 「あんまり幽霊騒ぎが大きくなっちまったんで、昨日そこの井戸は取っ払ったんだよ。気味悪りぃからさっさと棄てちまえってぇ若旦那が仰るもんで、昨日のうちに燃やしちまったぜ」


 頬の肉をもごもご動かす男の顔を凝視した朱王は、何も言えないまま手にしていた風呂敷をきつく握り締める。

では、自分が今しがたまで目にしていた井戸は何だったのか、そして女はどこから出て、どこに消えたのだろうか……。

じっと己の足先に視線を落として考える朱王の顔に暗い影がよぎる。

その場にいた者の視線が一斉に己に注がれるのを感じながら、彼はフゥ、と小さく息を吐いてゆっくり顔を上げた。


 「そう、でしたか。では、私の勘違いでしょう。この場の雰囲気に飲まれてしまったようです。お騒がせして申し訳ない」


 お化け達に向かって深々と頭を下げる朱王を見て志狼は面食らう。

確かに、朱王の姿は忽然と消えてしまったのだ、あれだけ必死になって探したのに、どこにもいなかった。

決して朱王の勘違いなどではない、確かに、この場で何か異常な事が起こっていたのだ。


 「ちょ……ちょっとまてよ朱王さん! 勘違いって、そりゃ……」


 「いいんだ志狼さん、そろそろおいとましよう、 いつまでもここにいちゃ迷惑になる」


 場を騒がせた事を深く謝罪して、朱王はまだ何か言いたそうな志狼を半ば強引に屋敷の外に引き摺り出す。

屋敷を一歩出た瞬間、まるで蒸されるような湿気が二人を包み込み、思わず朱王は息を詰めた。


 「なぁ、朱王さん一体何があったんだよ? その風呂敷の中身はどうしたんだ?」


 出口にいた男から蛇の目を二つ受け取って、志狼怪訝な面持ちを崩さないまま朱王に向かい尋ねる。

彼から蛇の目を渡されて、それを開きながら朱王は軽く頭を振った。


 「今は、まだ話せないんだ。正直、俺もまだ心の整理がつかない。それより志狼さん、悪いが桐野様に、香千寺の裏山を調べて欲しいとお伝えしてくれないか? 御神木のすぐ近くだ。 そこに、女の骸があるはずなんだ」


 朱王の口から出た台詞を耳にした刹那、志狼はポカンと口を半開きにして手に持っていた蛇の目を取り落す。

一向に降り止む気配のない夏の雨、それは時が止まったようにその場から動けないでいる彼らを優しく濡らして行った。

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