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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十二章 変わらぬ愛を貴方に
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第三話

 辿り着いた屋台で天婦羅を数個買い求め、朱王は再び長屋へと向かう。

相変わらず人気ひとけの絶えない賑やかな大通りから一歩脇道に入ってしまえば、途端に喧騒は途絶え、寂しいほどの静寂が朱王を包み込んだ。

以前に海華が教えてくれた長屋への近道、灯りなどないが、頭上から降る月明かりが闇へと続く道をボゥッと白く照らし出す。

今ならまだ大丈夫だろう、そう考えた朱王は、そのまま細い道へと足を踏み入れた。


 両側にある民家の垣根が黒い壁となり朱王を出迎える。

猫の子一匹いない裏道、垣根の中から時折聞こえるジージーと低く震える虫の羽音と朱王の足音以外の音はない。

ない、筈だった。 だが、朱王は先ほどからずっと、妙な感覚に付きまとわれていたのだ。

言葉には上手く言い表せない、はっきりと誰かがいる、そう断言は出来ない。

ふとした瞬間自分に向けられる視線のようなもの、肌を辿る違和感を大通りを時からずっと、感じているのだ。


 途中何度か足を止め、後ろを振り返ってみたりしたのたが、自分を尾行つけているような人影はない。

自分の考えすぎだろうか、この頃訳のわからない事ばかり続くため、神経が過敏になっているのか……。

あまり気にしないようにしよう、そう考えながら再び前を向き、一歩、二歩と静かに歩みを進め始めると、彼の歩みに合わせるかのように、ヒタヒタ、ヒタヒタ、と微かな足音が追いかけてくるのだ。


 音の感じからして下駄ではない、草履を履いた人物だ。

わりとゆっくりした速度で歩いている朱王の後ろをついてくるのは、男は勿論、女でも簡単かもしれない。

付かず離れず、一定の距離を保って後をついてくる足音。

このまま長屋に帰るのは、相手に自分の住まいを案内するようなものだ。

このままではまずい、そう考えた朱王は、しばらく裏道を真っ直ぐに歩き続ける。

彼は知っていたのだ、この先の道が左右に別れていることに。


 垣根に左右を挟まれた暗い道が、ある場所で急に途絶えて視界が広く開かれる。

右と左に別れる道、正面には雨戸が閉ざされた茶屋や、子供相手に菓子や玩具を売る店がポツポ ツと立っていた。

朱王以外に人気ひとけはない。

この道を右へ曲がれば長屋への近道、しかし朱王の顔は反対の左へと向く。

ヒタヒタと続く不気味な足音、フゥッ、と細く短く息を吐いた朱王の足が、土煙を上げて地を蹴った。


 闇に散る黒髪が月明かりに照らされ輝く。

誰もいない夜道、天婦羅の包みを抱え全速力で道を駆け抜ける彼の耳には、もうあの足音は聞こえない。 耳に響くのは、嵐のような己の鼓動と固い地面を蹴り付ける足音だけ。

息を切らし、汗を散らして走りに走り、大きな遠回りをしながらも長屋へと辿り着いた朱王。

彼が全身を使って激しく息をし、時折ゲホゲホ咳き込み、ふらつきながら部屋の前へとやって来た時だった。

汗の滴る眉間に深い皺を刻ませながら、彼の視 線が戸口の下へと注がれる。


 彼の視線の先には、地面へ無造作に置かれた海老茶色の風呂敷包みがあった。

汚れ一つなく、きちんと結び目の整った包み、その結び目には、まだ手折られて間も無いと思われる瑞々しい千日紅の花が一輪差し込まれていた。








 「―― それで、今度の贈り物はコレなの?」


 驚きを隠せないまま、海華がほどかれた風呂敷包みの中身ををじっと見詰める。

彼女の問いに答えないまま、朱王はむっつりと顔をしかめて頷き、作業机の上にあった湯飲みを手に取った。

朱王に送られた翌日、いつものように朝飯の支度をしに訪れた海華は、かまどに火を入れるよりも早く朱王に風呂敷包みを見せられたのだ。


 昨夜、部屋の前に置かれていた海老茶色の風呂敷。

千日紅の添えられたその中には、反物が二反包まれていたのだ。

どちらも上等の絹で作られた朱王らにはとても手が出ない代物だ。

一反は、いつも彼が好んで着る炭色をした無地、そしてもう一反は深緑と薄茶の涼しげな縦縞模様をした物である。


 「これって、兄様に着物新調しろって事よね? 」


 「あぁ、そうだろうよ。みすぼらしい道具箱は捨てて、襤褸ぼろの着物も新しくしろ、ってな。 ―― 要らぬお世話だバカ野郎……」


 普段口にしない下世話な言葉で贈り物の主を罵倒する朱王は、不機嫌を露にして胡座をかいた足を片方だけ小刻みに揺らす。

これは下手に触らぬ方が良いだろう、火に油を注ぐ事はない。

そう思った海華は、ちょいと肩をそびやかして反物を風呂敷に包み直した。


 「道具箱といいコレといい、高価な物をポンポン贈ってくるんだから、あちらさんは結構なお金持ちよ? 兄様、誰か心当たりはないの?」


 風呂敷包みを彼に見えないところへ押し遣って、海華が訊ねる。

こんな短期間に目の玉が飛び出るような高価な物を用意できるのだ、少なくともここら辺りに山ほどいる長屋住まいの貧乏人ではないだろう。

彼女の問い掛けに、髪をグシャグシャ掻き乱しつつ、朱王は大きな溜め息をついた。


 「金持ちなら毎日のように相手にしてるからな……。だが、今一番怪しいと言えば、あいつしかいないだろう?」


 「小間物屋のお嬢さん? あの人がこんな気の利いた事をするかしら?」


 苦笑しながら作業机の上にある空の湯飲みを下げる海華。

一方的な贈り物が、どうして気の利いた行いなのか。

怪訝そうな顔をする朱王のへ、彼女は己の着物の裾、ちょうど右足の辺りを軽く摘まんで見せた。


 「兄様が昨日着てた着物ね、ここの辺りが少しだけど、ほつれてたのよ。早くつくろいしなきゃとは思ってたんだけど、なんだかんだ忙しくて後回しになっちゃってたの」


 チロ、と悪戯っ子のように舌先を覗かせ海華が言う。

そんな事とは露知らず、朱王は彼女の言葉を確かめるように昨日来ていた着流しを引っ張り出して裾の部分へ目を遣った。


 「あぁ、本当だ。だが、こんな小さなほつれは普通わからないぞ」


 「そうなのよ、うんと近付いてみないとわからないと思うわ。ねぇ、抱き付かれたとか擦り寄られたとか、そんな事はなかったの?」


 「あるわけないだろ、そんな事」


 なに馬鹿なことを言っている、そう言いたいのだろう朱王は、フンと鼻を鳴らして作業机へ肘をつく。


 「そうよねぇ、兄様がそんな事させるはずはないものねぇ……。そうだ、夕べ兄様の後を尾行ついてきた人が置いたのかもよ? ほら、兄様遠回りして帰ってきたんでしょ?」


 小間物屋の娘が朱王に反物を手渡そうとして後を追ってきた、しかしあの道で姿を見失ってしまったため、仕方無く部屋の前に置いてきた……。

その可能性もあるだろう。

だが、若い娘が一人、夜道で男をつけ回すなど普通あるだろうか?

怪訝な表情で考え込む朱王へ、海華はその場から腰を上げつつ何かを思い出したように一度立ち止まった。


 「そう言えば兄様、今日は田澤屋さんのところに行かなくていいの?」


 「ああ、今日は雅吉さんが出掛ける用事があるとかで、留守なんだ。―― この調子じゃ、いつになったら写生が終わるのかわからんな」


 そう呟きながら朱王は壁へ背中を預ける。


「どうして? 写生、そんなに上手くいかないの?」

 

 汚れ物を片付けようと言うのか、襦袢や肌着 を盥に放り込みつつ海華が訊ねる。

胡座をかいた足を組み換えつつ、彼は無言で頷いた。


 「人を写すなら一日二日で終わるんだが…… 今回は猫だ。しかも三匹だぜ? そのまま動くなじっとしてろと言っても聞く訳がないだろう?」


 「あ、そうよねぇ。今回は言葉が通じる相手じゃなかったわね。準備にここまで時間が掛かって、雅吉さん嫌な顔しない?」


 「うん……それは心配ないと思う。こう言うとなんだが、仕事が進まないのは雅吉さんにも原因があるからな」


 少しばかり口ごもりながら答える朱王に、海華は驚きの表情を見せて目を見開く。

彼が仕事の遅れを人のせいにするなと、ましてや依頼人のせいにするなど未だかつてなかったからだ。


 「珍しい……。兄様、どうしたのよ? 雅吉さんに何かされたの?」


 盥を土間に置いてこちらを見詰めていた海華は、再び室内へ上がり彼の前へと正座した。


 「何かされた……か。別に嫌な思いをさせられた訳じゃないんだ。ただ、気を使われ過ぎるんだよ」


 困ったように眉を潜める朱王は、事の次第をつらつらと語り出す。

写生はいつも雅吉の自室で行うのだが、当然、猫達はおとなしくそこにいてくれる筈がない。

あちこち動き回り、遂には自ら襖を開けて出ていってしまう。

最初朱王は、雅吉が追い掛けて連れ戻してくれるとばかり思っていたのだ、しかし彼は一応部屋を出ていくものの、猫は連れて来ず、代わりに山ほどの酒や肴を運んでくるのだ。


 ここへは酒を飲みに来たのではない、あまり気を遣わないで欲しい、と何度も告げて酒を固辞するのだが、結局、せっかく支度したのだから一口だけ、と雅吉に押し切られてしまう。

それ以外でも、写生の途中で横からあれやこれやと楽しげに話しかけられ、一向に集中できないのだ。

相手が客であり、また悪気がないともわかっているため、無下にも出来ず相手をしてしまう。


 「放っておいてくれるのが、一番有り難いんだ。『黙っていてくれ』とも言えないし…… なぁ、お前どうしたらいいと思う?」


 困り果てた様子の朱王にそう聞かれ、海華は小さく唸りつつ視線を宙にさ迷わせながら深く考え込んでしまった。


 「どうしようって言われてもねぇ……。気に入られちゃったんだから、仕方無いわよ。別に納期が短い訳じゃないんだから、気長に相手してあげたら?」


 「お前、他人事だと思って……」


 『少し真剣に考えろ!』そう叫ぼうとした朱王の口を封じるように、彼の目の前に二通の文が突き出される。


 「そんな事より、はいこれ。また来てたわよ」


 ヒラヒラとわざとらしく目の前で文を振る彼 女を思い切り睨み、それを引ったくる朱王は、文と添えられていた花、千日紅を纏めて屑籠へ叩き込む。


 「あら酷い、チラッとでも中見てあげたらいいのに」


 「やかましい。どうせ書いてる事なんざ同じなんだ。好きだの会いたいだの面倒臭い、グタグダとこんなもの送って寄越すくらいなら、直にここへ来ればいいんだ」


 「それは文の相手に言ってもらわなきゃ。あたしに愚痴られても困るわよ。じゃ、お洗濯してきます」


 不機嫌を露にする朱王を横目にケラケラ笑いながら、土間に下りた海華は盥を抱えて表へと出ていく。 騒ぎが起こったのは、それから少し経った頃の事だった。

 

 作業机に向かい猫の絵に取り掛かる朱王の耳に、何やら女の言い争うけたたましい叫びが戸口越しに聞こえてくる。

最初は長屋に住む女房らの口喧嘩かと思ったのだが、言い争いの内容を何とはなしに聞いているうち、その声のうち一つは海華のものだとわかったのだ。


 「だから! 兄様は会わないって言ってるじゃないですか! 」


 「貴女に会いに来たんじゃないわっ! 私は朱王様に用事があるの! 退いて! 早くそこを退いてちょうだいッッ!」


 キンキンと頭に響く一際大きな怒鳴り声と同時に上がる甲高い悲鳴。

思わず息を飲み、戸口へ向かって振り向いた途端に、古い木の戸が叩き壊されんばかりの勢いで開け放たれる。

室内へと吹き込む土埃を含んだ生暖かい風、それを背に受けて両の眥をギリギリ吊り上げ、こめかみに青筋を浮かべた若い娘が仁王立ちとなっていた。


 「朱王様ッ! どうして来て下さらなかったの!? 私……私ずっとお待ちしていたのにっ!」


 草履を乱暴に脱ぎ捨てて室内に乱入する女。

彼女の纏う美しい小花が刺繍された着物の向こうには、青い顔をして土間に駆け込む海華の姿がある。

一体何が起こったのかわからない朱王は、ポカンと口を半開きにしたまま、自分を見下ろし喚き散らす女を見上げた。

そう、この女は、朱王にほぼ毎日恋文を送り続けていた小間物屋の一人娘なのだ。


 「昨日の暮れ六に見返り橋の上で待っていると文に書きましたでしょう!? ―― 朱王様、読んでらっしゃらないのね……?」


 固く握り締めた小さな拳がわなわな震え、丸く可愛らしい目が一瞬で血走る。

彼女の勢いに圧倒され言葉も返せぬままの朱王から視線を外した娘。

その目が、屑籠に放り込まれた文に釘付けとなった。


 「なん……なの? 何なのよこれはッッ!?」


 元は愛らしいだろう顔を鬼の形相に変えた娘が咆哮を上げる。

開け放たれた戸口に集まる野次馬、そして海華や朱王までもが表情を凍り付かせた。


 「酷い……朱王様酷いわ……人をなんだと思っているの!? 私の気持ちをもてあそんで……許せないッ!」


 怒りに声を震わせる女は、やおら帯の間をまさぐり始める。

その瞬間に軽く腰を浮かした朱王、その鼻先に鈍色に光る大きな裁ち鋏が突きつけられた。


 「私がどんなに朱王様を想っているか、どうしてわかって下さらないの!? ―― 殺してやるッ! 貴方を殺して、私も死んでやる ――ッッ!」


 キャーッ! と発狂寸前の叫びを張り上げ、娘は裁ち鋏を振りかざして朱王へと襲い掛かる。

さぁ、狭い部屋は狂乱と混乱の嵐と化した。

滅茶苦茶に鋏を振り回し、泣きながら朱王を追い回す娘を、血相を変えて部屋に飛び込んできた長屋の男達が取り押さえ、勢い余って土間に転がり落ちる朱王を海華が慌てて助け起こす。


 埃が巻き上がる室内に散乱する猫の絵や写生道具、そして男らに取り押さえられて火が付いたように泣き叫ぶ娘の声……。

酷い目眩と頭痛に襲われる朱王は、土間に力なくへたり込んだままきつく目を閉じていた。


 『この人でなしッッ!』そう叫びながら番屋へ引き立てられて行く女を呆然と眺める朱王と海華。

ひどく疲れた面持ちの彼らに、周囲を囲む野次馬達の遠慮ない視線が突き刺さる。

癪に障る甲高い泣き声が完全に聞こえなくなったのを見計らったように、長屋に住まう者らはそれぞれの部屋へ、そして長屋門の前に立ち止まっていた人々はそれぞれの目的地へと歩みを進めていく。


 「好かれ過ぎるってぇのも困ったもんだ、なぁ、朱王さん?」


 にや、と意味ありげな笑みを見せつつ忠五郎が朱王を見上げる。

それに答えることなく、朱王はガクリと肩を落とした。


 「家に乗り込んで刃物振り回すなんて尋常じゃないわよ」


 そんな彼の横では柳眉をつり上げて海華が頬を膨らます。


 「一時はどうなる事かと思ったわ。本当に嫌になっちゃう。親分さん、お騒がせしてすみません」


 忠五郎に向かってペコペコ頭を下げる海華に気にすんな、と一言、忠五郎は長屋から引き上げていく。 彼と入れ違うように長屋門の向こうから駆けてくる人影に気付いた朱王は、驚いたように目を見開いた。


 「志狼さん!?」


 「おぅ! 朱王さん、海華も、怪我はねぇか?」


 息を切らせて二人の側まで駆けてきた志狼。

一体誰が彼に知らせたのか、そう問い掛ければ、彼は留吉が知らせてくれたと答える。


 「朱王さんちに女が乗り込んで刃物振り回したって聞いてさ、もう吃驚びっくりだぜ」


 朱王と海華を交互に見遣り、怪我がないのを確かめた志狼の顔に安堵の色が浮かぶ。

そんな彼を、海華は眉間に皺を寄せながら見上げた。


 「怖かったのよ、鬼みたいな顔して鋏を振り回してさ、刺されたらどうしようかと……」


 「もういい海華、そのくらいにしておけ。ほら、あの洗濯物をさっさと片付けろよ、あんな所に放り出してみっともない」


 彼女の愚痴を遮って、朱王は井戸の方を指差す。

そこには、引っくり返ったたらいと、その側に散乱した洗濯物が吹き抜ける風に揺れ、土埃にまみ れていた。

『いけない!』そう一言叫んで井戸へと走る海華。

ヒラヒラ揺れる洗濯物を拾い集める彼女を眺めて、志狼はフゥ、と微かな溜め息をつく。


 「大変だったな朱王さん、さすがに肝が冷えたんじゃないか?」


 「あぁ、まぁな。だが……海華が出刃を振り回した時ほど怖くはなかった、あいつは……思い切り急所を狙ってきたからな」


 「そりゃぁ……あいつは『素人』じゃねぇからなぁ……」


 いつの頃だったか、朱王の子供を孕んだと見知らぬ女が長屋を尋ねて来たことがあった。

勿論、その女の謀りだったのだが、烈火の如く怒り狂った海華は出刃で朱王を斬り付けたのである。

あの時の惨状を頭に思い浮かべながら、朱王は顔だけを志狼へと向けた。


 「志狼さん、今更だが、あいつを本気で怒らせない方がいいぞ。特に……女問題には気を付けろ、命がいくらあっても足りん」


 「馬鹿言わねぇでくれよ、なんでおれが女問題なんか……」


 『あり得ねぇ』そう吐き捨てるように志狼が呟いた、その時だった。

長屋門の向こうがやおら騒がしくなり、バタバタと慌ただしい足音がこちらにまで響いてくる。

『どいてくれ!』と、男のものと思われる切羽詰まった叫びと共に、相撲取りと間違えられても無理はない、大柄な体躯の男が地響きと共に長屋へ突進してきたのだ。


 「朱王先生ッッ! 先生……アァッ! 朱王先生ェッッ!」


 辺り一体に響く男の甲高い叫び声。

ポカンとした様子で彼の方を見詰める朱王に志狼、そして朱王のふんどしを握り締めたままの海華。

未だ表に出ている長屋の住人、そして海華と志狼の目の前で、頑丈な体つきをした男は手に下げていた風呂敷包みを地面に取り落としたまま、走ってきた勢いそのままに朱王へ飛び掛かったのだ。


 突然目の前に現れた肉の壁、逃げる間も無く太い腕が朱王の細い身体を力一杯掻き抱き、渾身の力を込めて抱き締める。


 「朱王先生ッッ! お怪我はありませんかっ?! あぁ、よかった、ご無事でよかったぁぁ! 」


 茹で上がったように真っ赤な顔で『よかった』を連発し、朱王の顔にグリグリ己の頬を擦り付ける男。 息もできず、逃げられもしないまま引き攣った面持ちで激しい抱擁を受け入れていた朱王の口から、グェ、と蛙が潰れるような息が漏れた。


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