第三話
『細かい事をお頼みして申し訳ありませんなぁ』そう笑いながら頭を掻き、秋扇は茶を淹れます、と言い残しその場を後にする。
下絵にだいぶ手直しを加えなければならないが、それでも話が先に進んでよかった。
そう思いながら安堵の小さな息をつき、朱王は頬に汗で張り付く髪を払いのけ、先ほど志狼が消えて行った襖へ視線を向ける。
蔵の扉を閉めてくる、と部屋を出ていったきり未だ戻ってこない。
何かあったのだろうか、これ以上遅ければ様子を見に行かねば。
そんな考えが頭を掠めたその時、廊下を静かに踏み締めるギシギシと軋んだ音が襖の向こうから聞こえてくる。
ひょいと顔を上げた朱王の前に現れたのは、帰りを待っていた志狼、その人だった。
「やっと帰ってきたか。随分遅かったが、何かあったのか?」
「あぁ、実は少し気になる事があってさ。 ―― なぁ、ちょいと蔵まで来てくれ。 見せたい物があるんだ。先生に上手く言ってくれないか?」
「上手くって…… 見せたい物って一体何だ?」
要領を得ない志狼の言葉に怪訝な面持ちをして小首を傾げる朱王へ、志狼はただ『頼む』と言うばかり。
そんな事をしている間に、盆に湯飲みを二つ乗せた秋扇が戻ってきた。
「おやおや、志狼さんお戻りでしたか、いや、お手数をお掛けして申し訳ありません」
ペコリと頭を下げる彼を前に、志狼は素早く視線で朱王に合図を送る。
何が何やらわからぬままに、朱王は忙しなく視線を動かし、口の端を引き攣らせた。
「おや、朱王先生どうされました?」
「あ……いや、その、もしよろしければ、もう一度蔵の中を、み……みせて頂けないか、と」
しどろもどろに、紡ぎ出した台詞。
秋扇が断る筈はなく、二人はその足で蔵へと向かう。
昨日入ったばかりである一番手前の蔵へ足を踏み入れた志狼は、そのまま朱王を例の人形がある場所へと案内した。
「おい、見せたい物ってなんだ? 」
「ちょっと待てよ。あぁ……これだ。この人形だよ」
手にした燭台を掲げ志狼は件の人形を指差す。
さすがの朱王も顔を背けたくなるくらいおぞましい有り様のそれに交互に視線をやり、志狼は隣で顔をしかめる朱王をチラと見遣った。
「なぁ、これ……同じ顔だと思わないか?」
ポツリとこぼれた志狼の言葉に、少しばかり驚きの表情を見せた朱王がじっと二つの人形を見比べる。 若い女と中年女、年こそ違えど顔の形に目鼻立ち、そして耳の形、唇の形や厚さはほぼ同じだ。
それどころか、体つき等の全体の作り、指の細さや長さも寸分違わぬと言っていいほどである。
「本当だ……。同じだ、顔も体も殆ど一緒だな。まるで型押ししたみたいだ。それに、黒子の位置も同じだぞ」
驚愕の表情を浮かべながら、朱王は人形の右鎖骨辺りを指差す。
そこには胡麻粒ほどの黒い点、つまり黒子が描き込まれていたのだ。
「だろ? ここにある女の人形は、みんな同じ顔をしてるんだ。全部確かめたから間違いねぇ。それに、男もみんな同じ顔をしてるんだよ」
燭台を高く掲げた志狼がそう言いつつ後ろを振り返りズラリと並ぶ人形を照らす。
光の動きに合わせて音もなく影が移動する。
苦悶の表情を浮かべて微動だにしない人形達。
それら一つ一つを眺めながら、朱王はハッと息を飲み、何かを思い出したかのように懐をまさぐり出す。
「何だ? どうかしたか?」
突然の彼の行動に目を瞬かせる志狼。
彼の問いに答えず、朱王は懐から引っ張り出した紙をいささか乱暴に開き出す。
その紙面に目を落とした刹那、朱王はゴクリと唾を飲み込んだ。
「…… おい、どう思う?」
じっと己の爪先を見詰めて志狼が湯飲みを口 に運ぶ。
その隣で目の前を通り過ぎる人の波をボンヤリ目で追っていた朱王は『わからん』そう即答しつつ手にしていた湯飲みを盆へと置いた。
秋扇の屋敷を後にしてから二人はまっすぐ帰らず、近くの茶屋へ赴いた。
店の外へ出された腰掛けに並び座り、冷茶と茶菓を頼み一息ついた二人だったが、その顔は始終曇りっぱなしだ。
「わからん、って……。人形師ってなぁ、アレか? 作るのが面倒くせぇと、みんな同じ顔にしちまうモンなのか?」
「そんな訳無いだろう。あまり馬鹿にするな、そんな、やっつけ仕事する奴なんざ人形師とは言わん」
志狼の一言に機嫌を損ねたのだろう、眉間に皺を寄せ朱王は胸の前で腕を組んだ。
「いや、すまねぇ。言い過ぎた。でもよ、全部が全部同じ顔ってのは、どう考えてもおかしいじゃねぇか」
「お前に言われなくてもおかしい事くらいわかっているさ。ただ一つ言えるのは、アレは手抜きなんかじゃない、って事だ」
顔や指先の造形も細かい所まで作り込まれており、胡粉も上等な物を使っているのが薄暗い中でもはっきりわかる。
やっつけ仕事ではない、一つ一つ丁寧に丹精込めて作り上げた人形達だろう。
しかし、朱王にはどうしても腑に落ちない事があったのだ。
「あの人形、先生が好いた女の顔だろうか?」
「…… あんな惨ぇ人形の顔をよ、わざわざ好いた女と同じに作るか? そんな事して何がおもしれぇってんだ? まぁ……殺してぇほど憎い女、ってんならわかるがな」
呆れ半分気味悪さ半分、そんな面持ちで再び湯飲みを手に取る志狼の言葉は間違ってはいない。
無言のまま頷き、朱王は着流しの袂をまさぐると、先ほど蔵で取り出した紙、釈迦の下絵を取り目の前に広げる。
朱王が描いたその絵には、秋扇が筆を走らせたのであろう修正箇所がいくつも描き込まれていた。
「じゃぁ、この釈迦の顔は一体誰の顔なんだ?」
下絵を繁々と見詰め、独り言のように呟く彼の横から顔を突き出し、下絵を眺める志狼は軽く小首を傾げて茶を一口飲み下す。
「女……ってより、男にも見えるな。でも、蔵にあった男の人形とは違う顔だぜ。どちらかって言えば、こっちの方がイイ男だ。歌舞伎役者みてぇに見える」
「歌舞伎役者か。地獄巡りに役者なんて似合わないな」
あまり深く詮索するのは悪い気もするが、どうも人形の事が気になって仕方がない。
しかし、一度受けてしまった依頼だ、今更断る訳にはいかなかった。
数多の人が行き交う茶屋の店先で、一枚の紙を眺めて難しい表情を崩さない男二人。
そんな彼らの背後から、アレェ、懐かしい! と、いささか嗄れた甲高い叫びが上がる。
まさに不意打ち。
ビクリと肩を跳ね上がらせ、弾かれんばかりに背後を振り返った朱王と志狼、彼らの背後にちょこんと立っていたのは、煤けた盆を一つ携えた一人の老婆だった。
「あらいやだ、ごめんなさいねぇ、勝手に覗いてしまって。あんまり懐かしかったものだから」
うっすら紅を塗った唇にシワの浮いた手を軽く当て、老婆は愛想のよい笑みを見せて店の奥へ戻ろうとする。
そんな彼女を朱王は片手を上げて引き留めた。
「はい、何でございましょう?」
柔らかな笑みもそのままに、ちょこちょこと小刻みな足取りでこちらへ戻ってくる老婆を手招いて、その目の前に朱王は絵を大きく広げる。
老婆の目は、その紙に釘付けとなった。
「この絵に似た方をご存知なのですか?」
「えぇえぇ、存じておりますよ。もう十年……いえ、二十年も前になりますか、うちによく来て下さった方にそっくりでございますの。お客様のように、顔立ちの整ったお綺麗な方でございましたよ」
過去を懐かしむかのようにどこか遠くへ視線を投げる老婆。
そんな彼女と絵を見比べて、志狼はかすかに眉を寄せた。
「綺麗な方ねぇ……。その男は今、どこにいるんだ?」
「どこにいるか、ですか? 敢えて言うなら、三途の川の向こう側、でしょうねぇ。亡くなられたんですよ。可哀想に、火事で焼け死んで……。なんでも、蝋燭の消し忘れとか。火の回りが速くて和尚様もその方も逃げられなかったと聞きました」
『まだお若かったのに』そう付け加え、哀しげに目を伏せた老婆は、何かを思い出したように顔を上げ、視線を宙へ向けた。
「そうそう、その方はね、いつも小さな男の子を連れてみえましたよ。本当に可愛がっておられましてねぇ。その子、お寺が焼けて、その方が亡くなってからどこかへ移ったみたいだけれど」
『お寺が焼けた』その言葉を耳にした刹那、 朱王と志狼は驚愕の表情で互いに顔を見合わせる。
だが、なにぶん二十年も前の事、老婆の記憶違いと言うことも有り得るのだ。
「あの、確認のために聞きたいんだが、その綺麗な方ってのは男で、燃えた寺ってのは小石川の外れにある……」
「はいはい、そうです、そうです。そちらで雑用をなさっていた方ですよ。お客さん、よくご存知ですねぇ」
志狼の問い掛けに満面の笑みで頷く老婆。
冷めかけた茶を一息に飲み干した朱王は、代金を老婆に手渡し下絵を懐にしまうと素早く腰を上げる。
「どうやら、俺達が勝手に不審がっていたみたいだな」
彼につられて立ち上がった志狼が、どこか力の抜けた声色て呟く。
昔世話になった男の顔に似せて釈迦の下絵を描き直した、そう考えれば何の不思議もない。
だが、あの顔を持つ女は一体誰なのか、二人には未だわからないままだ。
「もしかしたら、昔手酷くフラれた女の顔かもしれねぇぜ?」
「かもな。だが、そうすると男の人形は誰なのか気になるが……。俺は、他にも気になる事があるんだよ」
「和尚や寺男は焼け死んで、先生だけが生き残ったか? それに、寺にはもう一人女がいたはずだ。大人が軒並み焼け死んで、餓鬼が無傷で助かる……。運が良すぎるだろう」
どうやら志狼も同じ疑問を持っていたようだ。
しかし、秋扇に面と向かってぶつけられる疑問ではない。
道行く人を避けつつ進む二人、彼らが抱く黒い疑惑は後日思いもよらぬ所で晴らされる事となった。
朱王の用心棒だけが志狼の仕事ではない。
彼には使用人として主が留守の間、屋敷を守るという重責と日々の家事、雑事を仰せつかっている。
これらが彼の本職といっては大袈裟だろうが、ともかく与えられた仕事はこなさねばならない。
この日、しばらくぶりの休暇を取ることができた主、桐野に従いお供として市中に繰り出した志狼。
桐野が懇意にしている浪人の娘が嫁ぐ事になり、その祝いを渡しに赴いていたのだ。
「家柄だの格式だのと揉めに揉めていたのが嘘のようだ。三方丸く収まってよかった」
「はい、奥方様もこれで一安心なさったでしょう。後は、婚礼の日を待つばかりですね」
ここまで来るまでのゴタゴタを知っている桐野は、心底嬉しそうに口にする桐野の背後を行く志狼も、どことなく表情が柔らかい。
『海華に土産でも買っていこう』そう一言、桐野が近くにある水菓子屋の暖簾を潜ろうとした時だった。
志狼の視界に赤や橙、江戸紫の派手派手しい布地がはためく。
思わずそちらへ目をやった瞬間、『あっ!』と小さな叫びが彼の口から飛び出した。
視界の先を歩いている二人連れ、一人は目にも鮮やかな錦の着物を纏う、うら若き美少年、そしてもう一人は皺だらのうえ色褪せた着流しをだらしなく纏った秋扇だ。
十二、三ほどの少年にベタリとくっつき、その肩に腕まで廻す秋扇、そんな彼に華やかな笑顔を向けながら、キャアキャアと少女のように甲高い声でなにやら話し掛けている。
天下の往来に現れた奇妙な組み合わせに、周囲の人々は眉を潜め、ひそひそと額を寄せあい、幼子は笑いながら指を指し母親とおぼしき女が慌てて抱き抱え、その場を走り去っていく。
「志狼? 志狼、どうしたのだ?」
店先で立ち止まってしまった志狼へ怪訝な面持ちを向け、桐野が彼の肩をポンと叩く。
慌てて振り返った志狼と交代するかのように、桐野の視線が前方の二人連れへと向けられた。
「なんだ、あの二人と知り合いか?」
「いえ……あ、はい、朱王さんの仕事の事で、少し」
「そうか、朱王のな。―― しかし、昼の日中から陰間連れで歩くとはな」
小さく鼻で笑いながら、桐野はさっさと店の中へ入ってしまう。
彼の後を追って店内へと足を踏み入れた志狼。
桐野があれやこれやと果物を品定めしている後ろで、彼はただ難しい面持ちを崩さぬまま暖簾の向こうへチラチラ視線を投げていた。
「あら、それなら先生はその寺男を好いていたって事じゃない」
井戸でキンキンに冷やした瓜を美味そうに頬張り、海華はそう断言した。
桐野が土産にと買い求めてくれた特大の瓜に 海華は大喜び、いつもの仕事も終わり、今は志狼と二人、離れの自室で就寝前の一時を楽しんでいる。
昼間、町中で見掛けた秋扇と陰間らしき少年の二人連れの話を聞いた海華は特段驚きもせず、淡々とした様子で、皿の上から新たな瓜の切れ端を摘まんだ。
「好いていた、ってお前、簡単に言うけどな」
「だって、他にどう言えばいいのよ? それにお寺で男色なんて珍しい事じゃないわ。先生も寺男見習いじゃなくて御稚児さんで引き取られたのかもね。―― あ、先生には黙っててよ」
にや、と歯を覗かせて笑う海華は窓辺の机から団扇を手に取りゆっくり志狼を仰ぐ。
部屋の障子戸は開け放たれたまま、中庭が丸見え状態だが、夜風はぬるく、湯屋帰りの肌を湿気がジットリと湿らせる。
「好いていた男の顔を御釈迦様にして、嫌いだった女と男を亡者にする。ね、しっくりくるでしょ?」
「しっくりはくるがよ、そこまで嫌われるなんて尋常じゃねぇぞ? 」
瓜を一切れ口に放り込み、志狼は眉間に皺を寄せる。
正座していた足を横に崩して、海華は団扇を一度強く振るった。
「美味しいもの食べてる時に顰めっ面はないじゃない。人の恨みなんて色々よ。知らないうちに恨まれてたり、逆恨みだってあるわ。今日の事、兄様には話したの?」
「いや、まだだ。今行っても……仕事で忙しいだろう。相手なんかして貰えねぇよ。何しろ等身大だ、人間一人こしらえろってなモンだからな」
「そうよねぇ。あ、昨日お石さんから聞いたんだけどさ、兄様の部屋覗いたお向かいの子供が、部屋に生首が転がってるって、腰抜かしちゃったらしいわよ。生首って言われるくらいだから、きっと今回もいい仕事するわ、兄様」
嬉しそうに、そして誇らしげに胸を張る海華に小さく微笑み、志狼は中庭に広がる漆黒の闇に目を向ける。
夜でも治まらない蝉の羽音が鼓膜を揺らす。
見えない音を探るように視線をさ迷わす志狼は、こめかみから滴る汗を拭いつつ、寝巻きの合わせ目を少しばかり緩めた。
「…… よくこの部屋で寝起きできるな?」
おかずの盛った中鉢を手に、長屋の戸口を開けた志狼の第一声はこれだった。
古びてガタつく建て付けの悪い戸板、その向こうには髪も生えない丸坊主の人間の生首や、両腕に両足、そして三つ程にぶつ切りにされた胴体がゴロゴロと、まるで大根のように無造作に転がっているのだ。
「別にいつもの事だ、こんなものを気持ち悪がってちゃ、人形師なんざ務まらん」
土間に立ち尽くす志狼をチラリと一瞥し、部屋の隅に転がっていた足を手に取った朱王は、それを手に文机へ向かい足の指を彫り始める。
なまじ綺麗な彼が薄暗い室内で人の足を抱えている、それが妙な色っぽさを醸し出し、また余計に気味悪さを際立たせていた。
「あんたは慣れてるかもしんねぇが……これじゃぁ、ガキが腰抜かす気持ちもわからんでもないな」
「何がわからんでもないな、だ。こっちは人食い鬼だ、遂に朱王さんおかしくなった、と大騒ぎされたんだぜ? いい迷惑だ」
ひどく不機嫌な様子で彫刻刀を動かす朱王を苦笑いしつつ眺め、持参したおかずを竈の横に置いた志狼は、そのまま室内へと上がり、あちこちに転がる人の一部を拾い集める。
一見すれば生身の人間と何ら変わりない手足、胡粉で塗られた肌の滑らかさ、桜色に染まる爪、そして手首辺りに浮かぶ筋まで細かく表現されている。
海華の言葉通り彼はいい仕事をこなしているだろう事は明らかだ。
「おかしくなったはさすがに酷ぇな。あとどのくらいで形になりそうだ?」
「そうだな……四、五日辺りだろう。仕上げの胡粉が残っているんだ。―― それでな志狼さん、あんたに見てもらいたい物があるんだ」
妙に神妙な顔で声を潜める朱王に小首を傾げつつ、志狼は黙ったまま頷く。
それを見た朱王は、普段酒瓶を置いている場所、文机の下から何やら白く丸い陶器の器を取り出し、そっと机の上へ置いた。
「なんでぇ、これ?」
「この間、先生から渡されたんだ。仕上げの塗りに混ぜて欲しいと。これ、なんだと思う?」
そう言いながら、朱王は器の平べったい上蓋をそっと開ける。
恐る恐る中を覗き込んだ志狼は、まるで拍子抜けした様子で朱王の顔を見た。
手のひらに乗るくらいの大きさがある器の半分辺りまで詰められているのは、何やら灰色がかったキメの細かい粉だった。
「なんだこりゃぁ? ただの胡粉じゃねぇか、驚かすなよ」
「違う、これは胡粉なんかじゃない。胡粉はここまで細かくはないし、こんなくすんだ色はしていない。それに……」
「あの先生特注なんだろうぜ、ほら、なんの変鉄もねぇただの胡粉だ。それでなきゃ、きっと乾かして粉にした珊瑚だろうぜ」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、志狼はやおらその器の中へ人差し指をズブリと突っ込む。
衝撃に舞い上がる砂粒より何倍も細かな粉、灰色の海をさ迷う志狼の指が、ある一点でピタリと止まった。
「あ? こりゃなんだ? なんだか硬ぇのがあるな?」
怪訝な面持ちの彼は人差し指の隣に親指を差し入れ、器の底を探る。
やがて、真っ白く粉まみれとなった二指が粉の中から何か小さな塊をつまみ出した。
小指の先ほどの小さなそれを落とさぬように手のひらに乗せ、周囲を白く染める粉を手拭いで拭き取り、残りの粉を息で吹き飛ばして、現れた物が何であるかを確かめた刹那、机に顔を近付けていた朱王、そして志狼までもが表情を引き攣らせ、グッと息を飲んだ。
文机の上に転がっているもの、それは胡粉の塊でも乾かした珊瑚でもなく、真っ二つに砕けた人間の歯、黄ばんだ人間の奥歯だった……。




