3 蛙飛びこむ水の音
(来るんじゃなかった)
水着姿ではしゃぐ女友達を砂浜から眺め、あたしはため息を吐いた。
あの夢は、まだ続いている。
寝不足で痩せ続ける体のことはダイエットだと言って誤魔化してきたが、背中のことは誤魔化しようがなかった。
夢の内容と関係あるのか――ないと思いたいが――背中のできものは日に日に酷くなっていった。夏だというのに露出もできず、背中全体に広がったニキビを隠すために上着を手放すことができなくなってしまった。
当然、水着も着れやしないので海になんて来たくはなかったのだが、誘いを断りきれずに付いて来てしまった。仕方ないので生理が来てしまって海に入れないと嘘を吐き、パラソルの下でただ暑さに耐えている。
退屈にしていると、クミが一人輪を抜けて熱い砂浜を跳ねながらパラソルに近付いてきた。
「はぁーっ、疲れたー。ちょっと休憩ー」
日陰に滑り込み、クーラーボックスのペットボトルを手に取る。
「ユウカ大丈夫? 気分悪かったりしない?」
「あーうん、平気平気」
「じゃあさ、砂浜でバレーでもやろうよ。それならユウカも遊べるっしょ?」
「いいよ、気ぃ遣わなくて」
退屈はしているけど、遊ぼうという気にはなれない。
そう? と言ってクミはペットボトルに口を付ける。
「ユウカもなんか飲む?」
「いい」
「せっかく来たんだからさ、足だけでも海に入れなよ」
「いいってば」
クミはあたしのことを思って気を遣ってくる。けど、暑さの所為か今はそれが妙に鬱陶しく感じる。
「てゆーかそんなに着込んでて暑くない? 日陰なんだからそれ脱いだら?」
「やめろよ!!」
上着の襟首に手を伸ばされ、あたしは反射的にクミの手を払い立ち上がった。
「ど……どうしたの?」
手を弾かれたポーズのまま、クミはびっくりした顔で固まっている。何がなんだかわからないって顔しやがって。
「誰の所為でこんなことになったと思ってんの!? 同情したフリなんてしてんじゃねぇよ!」
「なんのこと……?」
あたしはクミを見下ろす。だけど実際はきっと、見下ろしているつもりであたしはずっとクミに見下ろされていたんだ。
尻軽でだらしないバカな女だってずっと思っていたに違いない。そう考えると、自分で自分を止められなかった。
「高校の時あんたが好きだった先輩取ったこと根に持ってんの? だから、あたしにあんなカエルを見せてきたの?!」
「カエル……? 何言ってんのか全然わかんないよ。どうしたの? なんかおかしいよ、ユウカ」
これだけ言ってもクミは心配そうな目をやめない。
そんな目で見るな。あんたが悪いくせに。
他の友達も怒鳴り散らすあたしを遠目に怖々と見ている。
やめろ、見るな。
あたしが悪いんじゃない。
背中がムズムズする。
居た堪れなくなって、あたしはビーチサンダルを穿いて砂浜を駆けた。
引き止めるクミの声が聞こえたけれど、あたしは振り返らなかった。
とにかく人のいない所に行こうと岩場をよじ登った。
上着を脱いで、背中を掻き毟る。さっきから背中がムズムズして仕方がない。
ぶちゅっ、とニキビが潰れる感触がして、自分の爪を見た。
赤い血と、黒い肉片が爪の間に挟まっている。
「ひッ!」
足元を見ると、黒い塊が血を流しながら岩の上をのた打ち回っていた。びちびちと跳ねながら、あたしの足に近付いて来る。
なんだよ、これ?!
あれは、ただの夢じゃなかったの?!
あたしはそれをサンダルで踏み潰した。小さな塊が破裂する音と感触。
踏み潰した途端、背中のものが一斉に蠢き出した。やめて、やめてと訴えるようにあたしの背中を這い回る。
あたしは背中を掻き毟る。ぼたぼたと黒い塊が岩の上に落ちる。あたしはそれを踏み潰す。
潰された黒い塊はサンダルの側面を這って、元の位置に戻ろうとする。足の爪の間に異物が入り込む、嫌な感触。
なんだよこれ、なんだよこれ! 夢とまったく同じじゃないか!
「おかあさん」
夢と同じ、そう気付いたと同時に声が聞こえ始めた。
「ママ」
「おかあさん」
「お母さん」
あたしを、そんな風に呼ぶな。
あたしはあんたたちの母親じゃない。
こんなにたくさんの子供達、あたしは知らない。
だって――――……
「あたしが堕ろしたのは、二人だけじゃないか!!」
子供達の大合唱はやまない。
「おかあさん」
「お母さん、さみしいよ」
「ママ、ママ」
あたしは背中のものから逃げようとする。だけど、逃げられるわけなかった。だって背中にくっついているんだもの。
堕としても堕としても這い上ってくる。足元は子供達で埋め尽くされ、逃げる場所なんてない。
「やめろ、やめて……あたしが悪いんじゃない、責任取らなかったオトコの方が悪いんだ! あたしは、何も――――……」
ずるり、足を滑らせた。
あたしは岩に頭をぶつけて、海の中に転がり落ちた。
いくらあたしがバカだと言っても、オタマジャクシの親が何であるかくらいわかってる。
オタマジャクシの親は、カエル。
あたしはカエル。井の中の蛙。
だけどカエルは海の中では生きていけない。
そんなことがわからないほど、あたしはバカじゃない。
*
私がユウカの姿を見たのは、あの時が最後だった。
あの後、ユウカの行方がわからなくなって、何日か後に死体となって海から引き上げられた。
検死の結果、遺体には頭をぶつけた跡が見付かったらしい。
岩場で足を滑らせて海に落ち、溺れてしまったのだろうということで、ユウカの死は事故として片付けられた。
あの日のユウカは明らかに様子がおかしかった。
だけど結局、彼女の身に何があったのか、私にはわからないままだった。
ユウカは私が悪いのだと言っていた。事故死の原因の一端はもしかしたら私にあるのかもしれない。
けれど正直なところ私に心当たりはないし、ユウカの言うことはあまりアテにならない。
あの子は都合が悪くなると責任逃れして、すぐに他人の所為にしてしまうフシが――――……いや、死んだ人のことを悪く言うのはよそう。
ユウカの葬儀には参列したけれど、遺体となった彼女の姿を見ることはできなかった。
それはそうだろう。
水死体というものは、とても酷い状態になって見れたものではないと聞く。
体の中にガスが溜まって、皮膚がブヨブヨに膨れ上がってしまうらしい。
そう、それこそあの時ユウカが言っていた――――カエルみたいにね。




