侍従になりました
朝日と共に目覚め、身支度を済ませて部屋を出る。
侍従用の食堂で軽く朝食を取って、日によって違うが、ヴィルヘルムだったりイヴァンと合流してご主人様の一日のスケジュールや用意なんかして、完璧に整えたのを確認する。
ちなみにあの侯爵家の三男坊はこの時点では合流して来ない。早くて昼頃、遅い時は夕方にならないと顔を見せないので不思議に思い一度理由をヴィルヘルムに聞いてみたが、苦笑して流されてしまった。
随分と怠惰な侍従がいたもんだ。
でもご主人様である若君が一切文句を言わないっていうのはズルいというかなんというか。
彼だけ贔屓されてるのは明らかだったが、新米侍従の私が口を挟める訳もなく、働き始めて一週間経ったが、ほぼ口を聞いてない。というか自己紹介すらしていない気がする。
でも一応名前は判明した。
ルイス・ヴァレンタイン、十四歳。侍従たちの中で一番の古株だそうだ。
常にダルそうというか眠たそうにしているし、基本的に若君の傍にいるだけで何もしない。紅茶淹れたり物を取ってきたりとした雑用は一切せず、若君と軽く喋るか、ぼーっとしてるかだ。本当にいいご身分だな。
私はちゃんと働いているというのに。
朝はこんな感じで三人で若君を起こし、スケジュール通りに行動する。
だいたい若君の傍で突っ立ってるのが仕事で、たまにお使いしたり雑用をこなしたり、意外と暇だ。
しかも肝心のご主人様である若君が、そもそもルイス以外を邪魔にでも思ってるらしく、私たちを直ぐ下がらせる。
そうなると特に雑用がない場合は暇になるわけで、自室で何かするか、図書室に行って本を読むか、ヴィルヘルムとお茶したり、他の侍従と会話したりするしかない。
まあ忙しいよりマシだが、実家の父親が目論んでいるだろう、若君のお気に入りになることは当分なさそうだ。
なんて思ってた時期が私にもありました。
「お前………とにかく図書室へ行く。付き人をせよ。」
「はい、若君。」
こいつ私の名前忘れたな、なんて生温かい気持ちになりつつも殊勝に頷いて三歩後ろを歩いて付いて行く。
本当に偶然他の侍従仲間の手が空いていなかったせいで、私がご指名と相成った訳だが、若君と二人きりなんて初めてじゃないだろうか。
新米だということもあるし、基本的に若君の傍にはルイスがいたから私は別にお呼びではなかったのだが、居ないのならば仕方ないというやつだろう。
しかしまあこの若君だが、嫡男でもないので自由気ままな生活をされている気がする。王位継承権もそんなに高くなく、後ろ盾もそこまである訳じゃない。そもそも母親の生家が普通後ろ盾になるものだけど、若君にはそんなもの無い筈だし、一体どこの奇特な貴人が後ろ盾してるんだろう。もしかして後ろ盾いないんだろうか?だとしたらこの侍従の数も頷けるけど、その割に侍従として仕えている人間の家格は高いんだよなぁ謎だ。
若君の住む春の宮から少し後宮寄りの場所に図書室は存在している。王宮の奥まった高貴な者専用の場所なので蔵書数もかなりのものだ。
あまりの広さに、他の利用者との鉢合わせが滅多にないなんてことも有り得てしまう。
私用で三回程ここには来たけれど、付き添いで来たのは初めてだ。
しかし本を読むまで成長するとは、何だか感慨深いな、なんて。
「ここで待て。」
「え?」
図書室の扉の前で言われた言葉に思わず素で返す。
怪訝そうな顔をした若君が私を見た。
「中まで付いてくることはない。お前は扉の前で待て。」
何も言えないとはこのことか。
まさかここで何時間も立ちっぱなしで待てと?忠犬か私は。
「…不服そうな顔だな。」
思わず憮然とした私に、途端に若君の目が険しくなる。
慌てて首を横に振るが、どうやら誤魔化されてくれる気はないようだ。
仕方ないという風に溜息をついた若君は、無言で中に入る。扉は開けたままだった。
若君が、振り返る。
「来い。お前も好きに本でも読んで時間を潰せ。二時間程したらここで待て。」
そう言うだけ言うと若君は棚の向こうへと消えて行った。
それを呆然と見送りながら、意外と優しいとこあるな、なんて思ってしまう。
「んー…まあお言葉に甘えますかね。」
普通の十歳児だったらここで途方に暮れるか、何か自分でも読めそうな本を見付けに行くところだろうが、私は普通のお子様ではないので何でも読もうと思えば読める。大人の頭脳万歳である。
何となく若君の向かった方向には行きたくなくて反対方向へ行ってみたら物語の棚に来てしまったみたいだ。
有名な英雄譚から砂を吐きたくなるような甘い恋愛小説等が並んでいる。
以前好きだった冒険もののシリーズもあり、どうやら既に完結を迎えたらしかった。十一年前の記憶も朧だったので一巻から手に取ってみる。この歳で読んでいてもおかしいものではないし、丁度いいとばかりに端の置いてあったカウチソファに腰を下ろす。
二時間だったら二巻くらいまで読めるかな、なんて思いつつパラパラと捲る。
暫く立った頃だろうか。
自然と読書に夢中になっていた私の手元に影と靴の足先が映った。
若君か、と思い頭を上げれば、そこに立っていたのは知らない人だった。
フリルのついたシャツとベスト、飾り紐のついたズボンを履いた身なりのいい少年。
若君より年上だろう、十代後半らしき少年が微笑んで私を見下ろしていた。
「君も好きなの?」
そう言って少年が指さしたのは、膝上にある本だった。
「僕も好きなんだ。ちょっと古いなんて言う人もいるけど、面白いよね。」
しかも軽い音を立てて私の隣に座った少年は、本を覗き込むようにして笑った。
いきなりの急接近に私は内心たじたじだったけれど失礼な真似をするわけにもいかず、ここは子どもだからと色々大目に見て貰うことにした。お子様万歳である。
「は、はい。えっと、失礼ですが貴方様は…?」
「僕?あれ、知らない?」
そんなに有名人なのかこの少年。
「あの…、私、最近城に上がったので…」
申し訳なさそうな顔をした私に、ああなるほど、と少年は朗らかに笑った。
本当によく笑う少年だと思う。輝く紫色の瞳と、輝く金色の髪が陽だまりのように明るい。
「僕は、クリステルだよ。一応ここの…」
「何をしている。」
間に鋭く入った声に、はっと顔をそちらに向ける。
そこには険しい顔をした若君が、足早にこちらへと向かって来ていた。
「ああ、この子は君のところの子か。」
隣の朗らかな声の主を鋭く睨み、若君はあっという間に私の目の前に立った。
「随分と可愛い子が入ったね。まだ十歳くらいじゃないのかい?」
「余計なお世話だ。」
「ははは、そんな邪険にしないでおくれ。君と僕は家族じゃないか。」
物凄く険悪な空気を出す若君を一切気にせず笑顔で話し続けるクリステル少年の神経を疑いたい。
鋼の精神、いや神経が図太いのか、それともはたまた天然か。
こりゃまずい人と出会ったしまったかな、とどこか他人事のように二人を見守る。
「うるさい黙れ。」
「君はいつもそれだね?そのままじゃ、生き辛いだろうに。」
肩をすくめてみせた少年は、徐に立ち上がると私の頭を一撫でした。
余計若君の目が怖いことになるが、少年は愉快そうに笑って手を振りながら去って行った。
「また会おうね。」なんて嬉しくない言葉を残して。
優雅に去る背中を睨みつけ、噛み潰したような顔をして拳を痛い程握り締める若君の姿は何だか痛々しい。
これって私怒られるのかなー、なんて呑気にそれを眺めていた私を見た若君は、酷く傷付いた目をしていた。
「何を話していた。」
え?尋問?ってレベルの冷たい声音に慌てて手元の本を若君に掲げて見せる。
「ほ、本の話です。これを読んでいたら、いきなり話しかけられて…それでそのまま…」
つっかえつっかえ話す私の言葉を信じてくれたのか、はたまた許してくれたのかは分からないが、若君はそれ以上何も言わずに私の手から本を奪うと、反対の手で手首を掴んだ。
そのまま引き摺られるように立ち上がらされると、ぐいぐい引っ張られながら図書室を出る。居住区である春の宮まで戻ると、ぽいっと私の腕を放して自室へと戻って行った。
一人若君の自室の扉の前に残された私は、呆然と掴まれた手首と扉を交互に見る。
一体なんだったんだよ…、と悩む私に答えをくれたのは、夕食時に私の話を聞いてくれたヴィルヘルムだった。
「あー、それはクリステル様だね。王位継承権第二位の凄いお方だよ。正妃様の第二皇子なんだ。」
「つまり若君の兄上様ですよね?」
「うん、まあそうだね。でもご母堂様は違うから、異母兄弟であらせられるかな。」
「だからあんなに仲が悪そうだったんですか?」
というか一方的に若君が嫌ってるみたいだったけど。
この二人のことは有名だったのか、ヴィルヘルムは苦笑した。
「んー、そうだね。多分それ以外にもいくつか理由はあると思うんだけど、そもそもの相性が悪いっていうのもあるのかもしれないね。ミハエルは吃驚しちゃったよね。怖かっただろう?」
「えーっと…まあ吃驚しましたけど…」
「きっとミハエルが盗られると思ったんだろうね。若君もあれでまだ十一歳であられるから。ミハエルは悪くないよ、安心しなさい。」
正直あの男とあの性悪ババアの子どもと仲悪くて安心しました、なんて言える訳もなく曖昧に笑って見せれば、ヴィルヘルムによしよしとばかりに頭を撫でられた。
とにかく、どうやら若君があんなクソガキに育ったのも家庭環境の問題からだったらしい。いや、あの男の遺伝ってのもあるんだろうけど。
これが一切関係ない子どもだったら、可哀想だと思うし、誰かどうにかしてあげてよ、くらい思うかもしれないけど。
「…ざまあみろ。」
あの男の家族仲が円満じゃないこと。
あの性悪ババアの子どもと仲良くないこと。
何だか気分が良かった。
その後、何を思ったのか若君は私をよく自室へ呼ぶようになった。話し相手として。
内容は主にあの日私が図書室で読んでいたあの冒険ものについて。あのまま一巻を読んで、お気に召したらしい。そういや持って帰って来てたな若君。
怪訝そうな顔のイヴァンには「多分あれです。自分の玩具が他人に盗られそうになってちょっと惜しくなる、みたいな」と説明しておいた。何だか納得した顔をされたのが変な気持ちだった。
「お前はこの話を最後まで読んだのか?」
「いえ、途中までです。」
「ふむ、この主人公の親友はどうなる?死ぬのか?」
「ネタバレになりますけどいいんですか?」
「………何巻までにこれは決着する?」
「えっと今若君が読まれているのが三巻ですから……次の次の巻には一区切りしますよ、多分。」
何がどうなってこうなったか分からないが、若君とベッドの上に寝そべって本を囲む。
流石王族のベッドだけあって侍従部屋のものより格段に良く、実家のものより結構いいものだった。
大人が三人並んで寝れるくらいの大きさだから、子ども二人なんて余裕だった。
他人が見たらきっと仲良しに見えただろう。というか私は叱られるか。皇子になんて無礼な!って。
そうならないのはこの部屋に私と若君しかいないことと、他人がこの若君を気にしてないっていうのが理由だろう。
王位継承権も低く、まだ幼く、どこかとっつき難い子ども。母親は既に亡く、父親はこの子だけの父ではなく、ただ一人ぽつんといる子ども。
この広い王宮という中で小さな居場所しか持たない頑是ない子ども。
哀れ、と言えばいいのだろうか。
「えっと、ルイスさんは一緒じゃなくていいんですか?」
何だか湿っぽい思考になってしまったので、何か話題を、と出してみたのがルイスのこと。
彼は大抵若君と一緒にいるんだけど、私がいる時は何故かいない。もしかして嫌われてる?なんて。
「ルイス?ああ、別に構わないだろう?」
「でも、その、ずっと一緒にいらっしゃったみたいですから、その、私のことを気にしてらしてるならお構いなく…」
謙遜する私を可笑しなものでも見るような目で若君は見た。
「お前は何か勘違いをしているな、ミハエル。ルイスはただの乳兄弟だ。」
「え、乳兄弟だったんですか?」
「ああ。あいつの母が私の乳母だった。もう実家に帰って居ないがな。」
何でもないことのようにそう口にするけれど、乳母ってもう少し傍にいるものじゃないのだろうか。
冷静に考えてみると、若君の傍には近しい大人っていうのが居ない気がする。使用人や女官はいるけどそれは何か違うし、父親であるあの男は滅多に来ないらしいし。
いつも傍にいるのは私たち侍従くらいなんて、寂しいものだ。
だから、つい聞いてしまった。「寂しくないのですか?」と。
口に出してからしまったと思ったけれど、一度口から出てしまったものを戻すことはできない。
恐る恐る若君を盗み見てみれば、彼はどこか遠くを見ていた。
「分からない。確かに乳母がいなくなった時は、人寂しく感じたかもしれないが、よく分からない。」
どこまでも空虚な瞳が、私を見た。
「お前は、親元を離れて寂しいのか?」
私も言わば家族と引き離された身ではある。でも、正直あの家族と私の距離感は普通の家族とは違うわけで、寂しいなんて正直思いもしなかった。
「私は、寂しくないです。」
ここで嘘をついても仕方ないので素直に答えた。これが正解だったのか、若君が手を伸ばす。
そっと私の頬に触れ、若君は首を傾げてみせた。
「不思議だ。何故かお前は、私に似ている気がする。」
心臓が跳ねた。
目を見開き、若君を凝視する。
「見た目も境遇も何も似ていないのに、お前も私と同じ独りだ。」
独り、と呟く。
若君は、静かに頷いた。
「何故生きているのか、何故生まれたのか、何故ここにいるのか、何一つ分からないまま、ここにいる。」
お前は分かるか?と問われ、茫然と首を横に振った。
「望まれてこの世に在るでもない私が、何を思えばいいのだろうな。」
迷子の子どもだ。そう唐突に思った。
「わかぎみ」
ベッドの上で、そっと私は若君に寄り添った。無意識の行動だった。
優しくその頭を抱き締める。驚き強張る子どもの頭をあやす様に撫でた。
不思議だった。あんなに気持ち悪いと思っていたのに。あんなに憎らしかったのに。
全ての気持ちが昇華するかのようにこの身から解き放たれ、代わりに積もるのは、温かい気持ち。
信じられないくらい心臓が締め付けられるような、何かが満たされるような、たまらず艶やかな黒髪に顔を埋める。懐かしい自分の香りと、甘いミルクのような匂いがするような気がした。
「ミハ…エル…」
くぐもった声に名前を呼ばれ、おずおずと細い手が私の背へ回る。ぎゅっと縋る様に、私より少しだけ小さな体に抱き締められた。
「(ごめんね、ごめんね、愛してあげられなくて)」
望んであげられなくて、ごめんね。
「綺麗な黒髪ですね、若君」
「…そうか」
「綺麗な翡翠色の瞳ですね、若君」
「…うむ」
「可愛い鼻ですね、若君」
「…へんなことを言うな」
「ふふふ、少し垂れ眉なんですね、若君」
「…母上に、似ているらしい」
「そうですね、そっくりですよ」
「…知らぬくせによく言う」




