第四十話「互いの気持ち」
優海がそうしたように、体を抱き寄せるわけでも無くただ手を握り返されただけ、それだけなのに手の震えは止まり、気が付けば涙も止まっていた。というよりは止まったことで涙が流れていたことに気が付いたのだが。
それでもどうやら優海の気持ちは伝わったようで、志真の表情は穏やかなものだ。
「俺、ずっと優海が何でそんなに俺のこと気にかけてくれてるのか知らなかったんだ。分からなかったっていうか。だから、昔と違う俺を見て失望されるんじゃないかってずっと思ってた。でも、俺が一番カッコ悪かったところ見られてたんだな」
「カッコ悪いだなんて!そんなことないよ!!むしろ僕がずっと元気貰ってたのに何もできなくて……」
手を握り合ったまま、ふっとお互いに笑いが噴き出る。今まで自分とは違う存在だと思い続けていたのに、いざきちんと向き合ってみたらこんなにも似ていた。それをただ伝えることが出来なかっただけで。だが、最初から伝えていたとしたら今のように笑いあうことは出来なかっただろう。再会して、お互いの傷や心を知って、今の距離と関係性だからこそこうして笑いあえるのだと思う。
「僕、志真のこと――」
つい、出かかってしまった言葉。勢いで言うには少しばかり大きすぎる感情が溢れかけたところでチャイムが鳴る。慌てて口を閉じるが、志真に話しかけたことは伝わってしまったのか言葉の続きを待つように志真が優海を見上げている。少しだけ冷静になった優海は改めて言葉を選び直し、その愛しい手を一度だけ握り締める。
「志真のこと、本当にヒーローだと思ってるからね」
「――ふはっ、なんだそれ」
教室へ戻る準備を始める二人の手はもう離れてしまったものの、そこに残った温もりはしばらく消えることは無かった。
二人の距離感は通常通りに戻ったが、それはそれ、というもので。突如現れた榊という存在に対して優海が向ける感情が変わることは無い。
部活動を頑張る志真を応援に体育館へ向かえばやたらと親し気に話しており、距離感が近いように思える。そして女子生徒からも人気を得ている高い身長とスタイルの良さ、切れ長の瞳に常に自身に溢れた笑みを湛えているその姿は志真にも好意的に思われているのではないかと優海に焦りが滲む。
「というか、ちょっと僕とキャラ被ってないかな?」
「何言ってんだお前は。被ってねーよ」
いつものごとく教室で志真を待つ時間を潰していたところで、話し相手の廉也からしっかり目のツッコみが入る。志真に関わることとなると相変わらず余裕がない優海に呆れつつも、恋愛感情として好意的に見ている相手であれば気になるものか、とあっさり目に流す。
「だって、なんかやたらと志真にスキンシップ激しいっていうか、距離感近くないかな?そろそろ釘を刺しに行った方が良いのかも……でも、部活動の先生にそんなことしたって志真にバレたら嫌われるかもしれないし……。いやでも……!!」
学校の王子、などと呼ばれ普段から穏やかな人間を気取っているものの志真のことになればすぐこれだ。一体優海の何を見て王子などと呼んでいるのか、と友人として思うものの見た目だけで言えば確かに王子と呼ばれるに相応しい容姿をしている上に、志真は優しい人間のことが好きであるという信条の元基本的に分け隔てなく優しいのだから中身を見なければ確かに王子なのだろう。
「榊先生って結構人気らしいぜ?あ―見えて結構バッサリ切ったりするらしいし、授業も面白いって後輩の子が言ってたな」
「へぇー。でも現代文の先生でしょ?志真が苦手なのは理数科目だから僕の方が力になれるね」
どこで競っているのかと呆れつつ、そろそろ部活動が終わる時間かと用意をして教室を出る。志真に差し入れをするのだと最近では軽食を持って行っている優海は健気と言って差し支えないだろう。
体育館へ顔を出すと自主練習も終わりになり、残った後輩たちが掃除をしていた。一年生は既に帰っている為、掃除をしているのは二年生がほとんどだ。最後の片付けをしているらしい志真の姿を見つけ、軽く手を振ると邪魔にならないよう体育館の外で待つ。
そこへ、榊がやってきた。
「あれ?バスケ部の生徒じゃないと思うけどどうした?」
当たり前のように志真を待っている優海に対して声掛けをする人は基本いない。何故ならそれらが当たり前の光景になっているからだ。だが、今年来たばかりの榊にとっては疑問を抱くのに申し分ない状況だった。
既に廉也は帰っており、一人で待っている優海にとって正直最も関わりたくない相手ではあるが、ここで妙な対応をするつもりはない。
「友人を待っているんです。邪魔にならないようにしてますので、お気になさらず」
「あ、そうなんだ。遅くならないように気を付けろよ」
慣れた口調で理由を述べれば榊もそれ以上追及するつもりは無いのか、体育館に残った生徒の最終確認のため中へ入っていった。特に二年生は担当している生徒も多いのか和気あいあいとした会話が聞こえてくる。
声を聞きながら待っていると片付けを終えた志真が優海の元へ顔を出した。
「お待たせ、さっき榊せんせーとなんか話してた?」
「部活お疲れ様。なんでここに居るのか聞かれちゃっただけだよ」
部活動を終えて少し疲労の色が見える志真へ差し入れのおにぎりを渡しながら会話する。どうやら榊に話しかけられたのを見ていたらしい。特に気にする必要もないはずなのだが、どうにも志真の口から榊の名前が出ると心の奥がざわついてしまう。
表に出さないように、と自身に言い聞かせそのまま帰ろうとしたところで後ろから志真を呼び止める声が聞こえた。
「おーい!夢渡!ちょっといいか?明日の連絡忘れてた!」
体育館の中から走って出てきた榊の姿に二人の時間を邪魔された、と少し黒い感情が出そうになるが志真がいる手前抑える。返す志真の返事は軽いが、榊の姿を捉えた時の僅かに穏やかになった表情を優海が見落とすはずも無かった。
榊と話している志真の背中を見つつ、やはり距離感の近さが気になって仕方がない。志真からは見えないのを良いことに榊を観察してみるが怪しい部分は当然ない。無いのだが、どうにも榊が志真へと向ける視線が気になってしまう。
そろそろ話しが終わるか、というタイミングで不意に榊が志真の左手首を掴んだ。強くではないが明らかにそこに”何か”があるのを知っている掴み方だ。思わず居ても立っても居られなくなり、志真の元へ向かう。
「志真~、話終わった?」
背後から志真の体を引き寄せつつ、その肩に顎を寄せる。当然榊の手から志真の手を払うのも忘れない。普段は見せない行動に少し驚いた志真だったが、確かに少し待たせすぎたかもしれないと珍しく寄り掛かってきた優海の頭を撫でて微笑む。
「待たせてごめん。話終わったよ。じゃあせんせー、さようなら」
「――ぉお!じゃあ、また明日な」
帰っていく志真達の背中を見ながら、榊は先ほどのやり取りを思い返す。
山神優海という生徒が学校内でも有名なのは知っていた。そしてその目立つ容姿からもすぐに体育館の前に居る人物がそうだとも分かった。興味本位で声を掛けてみたものの、こういった手合いには慣れているのかあっさりと流されてしまったもののそんなものかと特に気にしてはいなかった。
だが、その後待っている人というのが志真だったことには少しばかり驚いた。明らかにタイプが違うと思っていたからだ。そしてさらに驚いたのはその後だ。
明らかに明確な敵意を向けられた。
優海という人物は誰に対しても公平で優しいという話を聞いていたが、どうやらそれらも噂に過ぎなかったらしい。志真と話しているときから気になっていた視線、そして待たされたことへの不満でカモフラージュしていたが、志真と榊の距離を離すために割って入って来たのは明白だ。
志真には見えていなかったようだが、榊の手を払いのけたあの瞬間、優海の目は確かに榊のことを睨みつけていた。
「本当に難儀な生徒だな」
ふと、志真の抱える問題や周囲を取り巻く人間関係を思い返し、まだ出会って間もないはずの志真を少しだけ心配したのだった。




