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第二十三話「上手」

 優海の返答を待つかのようにひらひらと携帯の画面を振って見せる彼女は先ほどとは打って変わって獲物を捕らえるような鋭い目をしていた。

 優しい顔を常に心がけている優海ではあるが、このような事態になればもう保っている必要も無いだろうと表情を消し、目の前の人物を捉える。


「とりあえず聞いておくんだけど、その映像は今の状態だよね?どうして志真が映っているのかな」

「えぇ~、優海先輩なら分かってますよね。私、ちょーっとだけ怖い先輩と知り合いで告白に成功するように“お手伝い“してもらうようにお願いしただけですよ?」


 彼女の言うお手伝いとはつまりは断れば志真に何をするか分からないという脅しだろう。ただ、怖い先輩というのが誰を指しているのかは不明なのだが。そもそもこの学校にそんなに分かりやすく怖い人物はいなかったと記憶している。あくまで優海の中では、であるが。

 僅かに視線を動かし画面の中を確認する。窓から見える景色や志真の様子からして本当にリアルタイムの様子というのは間違いないだろう。遠目から撮っているように見えるが本当に手出しが出来る位置関係と言われてもおかしくはない。


 どうしたものか、と少しばかり頭を悩ませる。この状況からして不利なのは優海だと思われがちだが実際のところそうでもない。なぜなら志真はその辺の一般生徒に負けるほど腕っぷしが弱いわけではないからだ。

 優海のことばかりを調べて志真のことをよく知らない人間が陥りがちな部分なのだが、そもそもあのバスケ部で斗馬達と対等にプレイが出来る程度には体を鍛えているし、なんなら着痩せするタイプなだけで筋肉量自体はかなり多い方だ。昔には格闘技も習っていたし、何なら今でこそ兄に対しては怯えが出るものの中学校で体調を崩し始めるまでは殴り合いの喧嘩も起きていたと聞いている。

 そんな志真が一方的に怖い先輩とやらにやられることは無いのだが、そこまで志真のことを知っている後輩は稀だろう。


「そんなことをしても無駄だと思うけど……その撮影をしている怖い先輩に何をさせるつもりなのかな」

「う~ん、何してもらおうかな。ふふっ私の為ならなんでもしてくれるって言ってたからなぁ」


 悩むそぶりを見せながらもその目は虎視眈々と優海を狙っている。吐き気がするその視線にため息を返しながら少しばかり距離を取る。そもそも、手紙をもらった時点で優海が何も対策をしていないはずがないのだ。


「君が、どうするつもりなのか、何を指せるかなんてことに興味はないけれど僕の前で志真を利用したのは悪手だったんじゃないかな。そもそもこの時点で僕が君に好意を抱く可能性の欠片すらも消えてしまったんだから」

「本当にこの人のこと、好きなんですね。でも、良いんですよ。好きの気持ちなんて後から付いてくるんですから。だって私の物になっちゃえば誰が好きとか大事とか、関係ないじゃないですか。先輩は私に屈するしかなくなるんですから」


 これで本当に弱みを握ったつもりだと言うのだから呆れて言葉も出ない。ゆがんだ笑みを浮かべる彼女に対して変わらず表情を消したまま優海は問いかける。


「ところで、その怖い先輩っていうのは……」


 無駄なことを、と告げようとしたところで突然閉じていたはずの教室の扉が開いた。外側から物理的に塞がれていたはずの扉が何故、と振り返ったところに立っている人物を見て消えていたはずの優海の表情に驚愕が浮かんだ。


「もしかして取り込み中だったか?」

「いや……それよりなんで横木……君がここに?」


 教室の扉を開けて現れたのは志真の友人である斗馬だった。

 思いがけない人物の登場にいつもの笑みすら取り繕えず、呆けた顔で見上げる。対する斗馬は特に何とも思っていないのか奥に居る女子生徒と優海を見比べて首を傾げている。

 女子生徒も何が起こったのか分からないのか、ぽかんとした表情で立ち尽くしたままだ。

 

「何でって、志真が……あ、困ってるのってお前だったのか。何か変な部品?が鍵穴に刺さってたから引っこ抜いて開けたけど、もしかして出られなかったってことか?」

「え、志真が?」


 突然出てきた志真の名前に動揺が隠せない。どうやら外部からの干渉で開かなくなっていた扉を開けたのは斗馬らしいということは辛うじて分かったが、何故そこに志真の名前が出てきたのかは分からなかった。


「ちょ、ちょっと何するんですか!せっかく良いところだったのに……!!」

「え、悪い。なに?良いところだったのか?」

「いや全然。むしろ閉じ込められて困っていたんだ。助けてくれてありがとう」


 意識を取り戻した女子生徒が声を上げるが、誤解のないようにすぐさま訂正する。斗馬から伝わる言葉で志真に誤解を与えたくはない。

 相反する主張に戸惑いながらも優海の言葉の方を信じてくれたようで不思議そうな顔をしながらも要件は済んだと、その場から離れようとした斗馬に咄嗟についていく。


「ん?あの女子はいいのか?」

「あぁ。しっかりとお断りしたからね」


 彼女にも聞こえるようにはっきりとそう告げれば、後方で座り込む音が聞こえたような気もするが振り返る必要はない。

 そもそも、斗馬が来なかったとしても例の怖い先輩、とやらは優海が手配した人間に他ならない。真面目な生徒が多いこの学校において典型的な不良などいるわけもなく、利用できるといえば恋心や報酬をちらつかせて動かすことの出来る生徒くらいであり、それが一年生である彼女に出来るということは当然、優海にも出来るのだ。

 まさか本当に志真を交渉材料に使ってくるとは思わなかったが、そうなったときの為に“怖い先輩”の一人や二人は当然、仲間に引き込んである。そして今回もその通りになったわけで、仮に彼女が何かしら危害を加えろと指示をしたところで優海からの指示によって何もできないのだからそもそも交渉にすらなっていなかったのだ。


 志真の方から助け舟を出してくるのは予想外だったが。それはそれで悪い気はしない。


「さっき志真がって言ってたけど、志真になんて言われて来たの?」

「まぁ、隠すことでもねーから良いと思うけど。さっきの教室で困ってる人がいるみたいだから様子を見に行ってくれって連絡が来たんだよ。自分は動けないとか言ってたし、ついでだったからそれくらいなら別に構わねーよって見に行ったら扉の鍵に細工してあって……中にはお前らが居たってわけだけど」

「困ってる人……か、ふふ。志真らしいな」


 この時間にあの教室に呼び出されたことは当然志真も知っている。それでいてごゆっくりなんて言っていたのにも関わらず斗馬に様子を見に来させた、となると少しは自惚れてもいいのだろうかと思わず笑みが零れる。

 しかし、志真からすればあの女子生徒がどんな手を使ってくるか分からなかった状態で斗馬に様子を見に行かせるなんてことを考え付くのだろうか?

 鈍い部分が多いと思っていたが妙なところで勘の良さを発揮する志真にまだまだ知らないことばかりだなと気を引き締める。

 とりあえずは、早く志真の元へ戻って久しぶりの二人きりを楽しみたい。




 「なんでっ、上手くいかないのよ!!」


 あの後、雇っていた人物へ連絡しても返答を濁されるばかりで志真に対して動くことは無く、計画が最初から破綻していたことに気が付いた彼女は一人地団駄を踏んでいた。

 優海が簡単な相手ではないことは分かっていたが、何より志真にしてやられたことの方が彼女の怒りを爆発させた。侮っていた相手に一杯食わされたことの方が許せなかったのだ。

 かくなるうえは、と志真が一人になるタイミングを見計らい距離を詰める。

 どんくさい陰キャが階段から足を滑らせたところで怪しむ人間はいないだろう、そんな考えで背後から駆け寄りその背中へとぶつかる――が、意図せぬ事態が起きた。

 明らかに意思を持ってぶつかっていったのにも関わらず、彼女の方がその質量に押し返されてしまったのだ。バランスを崩し、やけにスローモーションに見える景色から落ちていると気が付くのに時間はかからなかった。衝撃を覚悟して目を閉じた――が、強い力に引き寄せられてその体が打ち付けられることは無かった。


「大丈夫?」


 階段の途中、明らかにバランスの悪いその場所で彼女一人分の体重を支えているのにも関わらず微動だにしないその人物の腕に抱えられ、彼女は目を開いた。

 少し乱れた黒髪から覗く赤い瞳と目が合い、僅かに細められた。笑った――のだろうか?

 彼女をしっかりとその場に立たせると再度怪我はないか問いかけるその人物は、確かに彼女が今、突き落とそうとした志真本人に違いなかった。


「ごめんね、当たってしまって。あぁ、でも……手を出す相手は選んだ方が良いよ。俺はたぶん優海よりも強いから」


 ただ事実を述べただけ、とでも言うかのように静かにそう告げるとそのまま去って行ってしまった。

 抱きとめられた部分がまだ熱を持っていて、触れられたわけでも無いのに顔までが真っ赤に染まる。

 全て見透かされていた。そう気が付くまでに時間はかからなかった。バクバクと脈打つ心臓に優海を前にした時にもならなかった鼓動の高鳴りを感じる。

 これが、あの山神優海をも落とした人間の魅力か、と彼女――早見栞奈(はやみ かんな)は志真の去って行った方向を眺めることしか出来なかった。

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