メイドがベビーシッターをする面倒な事件 8(後日談)
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「それにしても、よく気づいたわね、ご主人様。『数字の練習』が、カレンダーだったなんて」
「数字が書かれた画用紙が、単に数字の練習じゃなくてカレンダーのつもりなんだってのは、すぐわかりました。30と31でしたからね。それにカズキ君が貼ってほしいといった壁のすぐ近くに本物のカレンダーがあるのに気づいたんです。だけど、なぜカレンダーを作ったのか、その理由がわからなかったんです。Fヶ崎やA田が気づかせてくれました」私は肩をすくめて見せた。「体重計の数字を低くしても体重は変わらないし、温度計の目盛りをいくら下げても実際の気温は変わらないんですけど、彼女たちはどうもそういう気分になるらしいですからね。まさかうちのメイドたちが三歳児並とは思いませんでしたよ」
I海さんは、ふふ、と笑って「人間、いくつになっても同じってことかもね」と首をすくめた。
「そういうことにしておきましょうか。それより、I海さんこそよくわかりましたね」
「あら、なあに?」
「そもそも、最初にカズキ君の『数字の練習』にひっかかったのはI海さんじゃないですか。ただの子供の気紛れじゃないって、最初から、こだわってましたよね。どうしてそう思ったんですか?」
「そうねえ」I海さんは少しおどけたような顔をした。「なんとなく、信じたかったのかもしれないわね。カズキ君が、本当は何か強く思ってることがあるんじゃないかって」
私はその言葉の意味がわからず、彼女の顔を見た。彼女は続けた。
「カズキ君って、たまに町で立ち話する程度だけど、何となくわかるのよね。あの子、本当に大切に思ってることでも、ううん、そういうことこそ、口に出して言わないタイプなのよ」
「そんなもんですかね」ここでやめて置けばよかったのだが、私は深く考えず次のように尋ねてしまった。「どうしてそう思うんです?」
すると、I海さんは目を細めて静かに言い放った。
「言ったでしょ。カズキ君は、誰かさんに似てるの」
「へえ」私は庭を見た。「ところでそろそろ芝を刈る必要がありそうですね」
「旦那様」I海さんの口調が少し強くなったようだった。「きみもね、いつかこっそり『数字の練習』をするような気がしてならないの。そんなことない?」
「さあ、どうでしょうね」
「そうなる前に、きちんと表に出したほうがいいわよ。もしも抱えていることがあれば、ね」
私が何か答える前に、彼女はその場を離れた。答えを聞く気が無かったのでなく、答えなくても済むようにしてくれたのかもしれない。
*
先日T橋カズキ氏本人から国際電話で連絡があり、この事件のことを回顧録に加えるように勧めてくれた。
この些細な事件以降、T橋一家と我が家とは随分親しくなり、カズキ君もよく庭に遊びに来てくれた。おかげでメイド達が起こすドタバタに何度も巻き込むことになってしまった。かなり迷惑をかけたと思っているが、あの頃は楽しかったと言ってくれた。私自身、当時のような元気はもう失われているので、今では懐かしく思うばかりである。
ところで彼から連絡があるまで、私はこの事件のことをすっかり忘れていた。この回顧録を書く際によく当時のメモや日記を見返すのだが、この事件の記録が目に入らない訳はなく、不思議に思ってあらためて探したところ、日記に『カズキ君、数字の練習は気づかいだった』とだけ書かれているのを再発見した。この一文は目に入ってはいたが何のことかわからなかったため、素通りしてしまっていたのだ。
こんな風に、今見ると何のことかよくわからないメモ書きが多いので、もしかしたら私が忘れてしまった面白い事件が他にもまだ眠っているかもしれない。そういう訳で、この回顧録を読んだ関係者の中に、私が忘れていそうな事件を覚えておられる方がいたら、ご一報いただけるとありがたい。




