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7.

「都ちゃん、いるでしょ?」

戸口で声がしたが、しばらく都は返事もせずに庭のオリーブの木を見つめていた。その葉が風に揺れ、時折光る様子をぼんやりと見るともなく見ていた。

「入るわよ?」

 ドアノブを回す音がして、慌てて寝そべっていた都は起き上がった。不用心かもしれないが、都はこの家に越してきてから玄関に施錠しない癖がついていた。それに、朔子なら勝手に入って来られるだろう。

「やっぱりいたー」

「この辺りは駅から近いですし、不用心ですよ?」

 得意げな顔をした朔子は堂々と、眉間に皺を寄せた茂雄は多少遠慮しながらリビングに入ってきた。

「茂雄さんも一緒だったんですか!?」

 いい加減な部屋着を着ていた都は慌てて、床に放ってあったカーディガンを羽織った。

「……失礼。お邪魔しています」

 茂雄は相変わらず無表情だが、部屋への侵入を律儀に詫びた。

「あら、私に対しての遠慮はないってこと?」

 いたずらっぽい目をして朔子が尋ねる。都はカーディガンのボタンを留めながら唸った。

「朔子さんには敵いません」

 観念した都が答えると、朔子はニッと唇を横に引いて笑った。

「やっとわかったみたいね。あ、そうそうかぼちゃ。持ってきたのよ。都ちゃん好きでしょう?かぼちゃの煮物」

 朔子は白い布巾をかぶせた小鉢を手にしており、布巾を取って朔子に中を覗かせる。小鉢の中には美味しそうな煮物が詰められていた。

「はあ。好きです……ありがとうございます。でも……」

 家霊の作る料理というのは実体があるのだろうか、と考えるが確かに目の前の煮物からは湯気が立ち上っているし、実際に都は初対面の時にお茶とお菓子をご馳走になっている。

「大丈夫よ。料理は出来るの。茂雄ちゃんの台所を借りてね」

 はあ、と再び都は生返事をする。わかったようなわからないような話だ。

「ほら、茂雄ちゃん。あなたも用事あるんでしょ?」

 朔子に肘で突かれた茂雄が、びくっとして大きく体を縦に揺らした。いつも無表情で大抵のことには動じない茂雄にしては、珍しい。

 茂雄は動揺を隠すためか眼鏡をしきりに直しながら、ぼそぼそと話し始めた。

「……望月さん、仕事決まりましたか?」

 茂雄の様子を面白がっていた都は、いきなり痛いところを突かれて入れ替わりに動揺する。

 この家に引っ越してから半月ほど経つのだが、未だに仕事が決まらずにいた。就職活動はしているものの、なかなか採用されない状況が続いており、最も重要事項でありながら最も触れられたくない部分でもあった。

「すみません、その……今、就活しているのですがまだ……」

 都はしどろもどろになりながら、正直に現状を報告した。今は破格の家賃のために貯蓄を切り崩し、失業保険でどうにか生活できているが、無職の状態が続けば追い出されてしまうだろう。

「あ、でも選り好みしてるわけじゃないんです!なるべく早く仕事を見つけます」

「ふむ……」

 茂雄は右手を顎に当て、考え込むような仕草をしてからちらりと朔子を見た。朔子は自信ありげに頷く。

「実は、うちの不動産屋に女性事務員が一人いたのですが、一身上の都合で今月いっぱいで退職することになったのです」

 茂雄は声をひそめ、もったいぶった口調で話し始めた。

「え、ミノワ不動産って、茂雄さんお一人で経営されてるんじゃないんですか?」

 都は思わず率直に疑問をぶつけ、「失礼だったか」と慌てて口を押えたが遅かった。

「……望月さんがいらした時は、たまたまお客さんと物件を見に行っていたんです」

 茂雄は案の定むっとした顔をしている。

「そうなんですか……」

──お客さん来るのか、ってそりゃそうか。

都は心中で密かに呟き、自分に突っ込みを入れる。

「それで……望月さんさえ良ければ、うちで働いてもらえればと。運転はできますか?」

茂雄の声も表情も平板だったので、都は話の内容がすぐには理解できなかった。

「えっ、私でいいんですか?」

「いいと思ったからお願いに来たんです」

茂雄は容赦がない。おまけに愛想もない。

「茂雄ちゃんたら、もう少し言い方ってないの?」

朔子がたしなめるが、茂雄には注意された意味がわかっていないようだった。首を傾げて不思議そうに都と朔子を交互に見る。

突然降って湧いた幸運な話だった。こういう状況、諺で何て言うんだったかと都は場違いな方向に思考を暴走させる。

──棚から牡丹餅? 灯台下暗し?

──いや、違う。「捨てる神あれば拾う神あり」だ。

想像の中で膝を叩いた都だったが、そんな場合ではないと我に帰った。そして幸運を取り逃がさないよう即答した。

「ぜひお願いします!運転できます!」

思わず身を乗り出した都を見て、茂雄は少しばかり唇の端を持ち上げた。

「それは良かった」

──今、笑った!?

都は見間違いではないかと茂雄を凝視したが、茂雄は元の無表情に戻っていた。

茂雄という人間は決して悪人ではないと都はわかっていた。恐ろしく無愛想で、口数も少なくて、営業職には一見不向きだが、彼ならきっとお客さん一人一人と親身に接することができるのだろう。

──ならば私は、私には何ができるのだろう?

 都は少しの間考えた。答えを見つけるのはもう少し先でもいい。

きっぱりと顔を上げると茂雄と都に深々と頭を下げ、その後で告げた。

「一生懸命頑張ります。よろしくお願いします」


「ミノワ不動産」の軽自動車でお客様と二軒の物件を回り、また店舗に戻ってきた。後部座席に座っていたカップルはもうじき結婚するのだろうか。物件についての感想を仲良く話しながら、今後の生活について希望に満ちた展望を語っている。

 都には二人が、ただ眩しく微笑ましく見えた。

「もう少し考えて、また連絡させていただきます」

 ミノワ不動産の前に車を停めると、カップルはにこやかに都に告げて帰って行った。

──好感触、かな? まだ契約してもらえるかはわからないけど……。

 都は仲良く話しながら遠ざかっていく二人を見つめる。幸せになって欲しい、と心から思った。幸せに暮らせる家を見つけて欲しいとも思った。

──そうか。そのための手伝いを、私はしたいんだ。

自分の目標の一端を、都は見つけたような気がした。

 ミノワ不動産の扉を開けると、聞き慣れたオルゴールの音が鳴り、反射的に茂雄が顔を上げる。

「どうでしたか?お客さんは……」

 茂雄は入ってきたのが都だとわかると、パソコン画面に視線を戻し、作業の続きに取りかかった。

「まだわかりません。でも好感触かな、なんて」

「不動産屋の勘を語るのは百年早いですよ」

 都の言葉をぴしりと跳ね付け、顔を上げもしないが茂雄の口元はわずかに緩んでいるように見えた。

「……はーい」

 口応えをしたかったが、茂雄は職場では先輩だ。都は大人しく返事をして、かかってきた電話をすばやく取った。

「ありがとうございます。ミノワ不動産でございます」

 通話をしながらメモを取っていると、入口でオルゴールの音が鳴り、広夢が入ってくるのを都は横目で確認する。

「あー、真面目に仕事してるフリしてるっ」

 広夢は悪意のある笑みを浮かべてきて都に近付いてくる。都は「やめてください」とメモ帳に書きつけて広夢の目の前にかざす。二人の動きを見ていた茂雄がため息をつく。

都はふと気付く。この奇妙な人たちに対しては、都は自分の思いを素直に口にできている。何の気負いもなく、自分をさらけ出せている。

──こうやってこれからも、私は過ごしていくんだろう。

 都は電話中に思わず違うことを考えかけたが、再び慌てて電話に集中した。対応を続ける都の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。


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