6.
「私のことを思い出してくれたみたいね」
雄一と上の空で別れた後、ふらふらと車に戻ってきた都が尋ねる前に、朔子が口を開いた。
「広夢くん、もう女子高生のフリはできなくなっちゃった」
朔子が鮮やかに笑う。潔い笑顔だ、と都は思った。朔子の笑顔はいつも美しい。
「そりゃあだって朔子ちゃん、古臭いんだもの。喋り方とかさあ」
「しょうがないでしょ?今時の娘さんのことを知らないんだから」
「その、今時の娘さん、っていう言い方がまず古いし」
「……ちょ、ちょっと待ってもらえます!?」
言い合いを始めてしまった広夢と朔子の間に都は無理矢理割り込む。
状況を理解していない都を置いてきぼりにして、二人の話はどんどん進んでいきそうだった。しかも混乱している都の心中などおかまいなしで、楽しそうなのが腹立たしい。
「ああ……ごめん」
広夢がさして反省していない軽い調子で詫びる。都は意を決して朔子を見つめた。朔子もまた、視線を離さず都をまっすぐに見る。
「朔子さん、あなたは何者なんですか?」
──あなたは、私が小さい頃からまるで変わらない。
「ここにいる朔子ちゃんは」
無言の朔子に代わって、広夢がさっと左手を朔子の前に差し出す。朔子の顔色に動揺はなかった。
「……所謂家霊です」
「どうもはじめまして、家霊ですっ」
広夢は何事もない、というような口調で言い、朔子はおどけて敬礼のようなポーズをして見せる。
カレイ、と都はおうむ返しするものの、ますます混乱が深まるばかりだ。
──と言うか、私は重大な告白の場面で茶化されてはいまいか。
都の中の冷静な部分が突っ込みを入れ、我に帰る。
「……もう少しわかるように説明してください。朔子さんも、ふざけないで」
「家の霊、と書いて家霊。特定の家にずっと憑いている精霊のような存在です」
広夢は真剣な顔で説明を始める。薄ら笑いを浮かべた顔しか見たことがなかったが、真面目な顔になると整った造作が恐ろしいほど引き立つ。
「誰にでも見えるわけではないんですね」
都は質問しながら、こんな非現実的な状況を受け入れかけている自分に驚く。
「そうね、あの家に縁がある人にしか見えないみたい。もっとも、歴代の店子さんでも私が見えなかった人は多いけど」
はあ、と都は間の抜けた返事をする。
「じゃあ、女子高生というのは…」
「嘘」
「両親に先立たれ祖母に育てられ云々というのも……」
「嘘、というか方便ね」
朔子が勝ち誇ったような笑顔を見せる。
「私が見えた人には最初はそういう設定を取ることにしてるのよ」
「設定、って……」
都はどこからどこまでが現実なのか、もはやわからなくなる。
「だっていきなりびっくりするでしょう?家霊だなんだって言い出したら。あの大きな家は茂雄ちゃんの家よ」
──それじゃあ……
都の中で新たな疑問が生まれる。広夢は何なのだろう。おずおずと都は広夢を見る。
「えーと、広夢さんは……」
「俺は初めて朔子ちゃんが見えた住人。つまり君の前の住人」
広夢は涼しい顔で告げた。
「そう。私が見えたのは広夢くんと都ちゃん、二人だけ」
「ええっ!?」
都は様々なことに驚いた。広夢もあの家に住んでいたということ。自分には霊を見るような特殊な能力はないということ。
「別に朔子ちゃんは幽霊じゃない。だから彼女が見えるのは縁、としか言いようがない」
広夢は長い睫毛に覆われた目を伏せる。何かを思い出しているような顔だった。
──広夢はあの家でどんなふうに過ごしたんだろう?
都は端正な顔に見とれ、広夢の過去について思いを巡らせる。いつか、知ることができるのだろうかと考える。
それにまだまだ、朔子についても疑問がたくさんある。
──あと二年で取り壊されてしまったら、朔子はどうなるのだろう。
「あ、都ちゃん。二年で取り壊し、っていうのも嘘だから」
広夢がけろりとした顔で言う。この人まで心が読めるのか? と都は慄然とする。
「言い方が悪いわね、広夢ちゃん。それも方便でしょ?」
朔子が頬を膨らませて抗議をする。
「そうまでして、あなたは住人を増やしたいんだ……」
広夢が遠くを見つめるような目つきをしたことが気になったが、都はそれよりもあの家が取り壊しにならない嬉しさのほうが勝っていた。
「よかった。じゃあ朔子さんはいなくならないんですね」
もちろん、と言いながら朔子が少し寂しそうな顔をしたような気がしたが、それもほんの一瞬のことで、都はわずかな表情の変化を見落としていた。
都は、雄一にも言っていなかったことをそのときに思い出した。幼い頃にお姉さんだと思った朔子に優しく慰められ、朔子の見た目の年齢を追い越したつい最近にも都を抱きとめてくれた腕のぬくもりに縋っていた。
「朔子さん、私……」
都が口を開くと、朔子が真っすぐに目を見つめてきた。いつも揺るがないまなざし。最初はそのまなざしに怯えていた。でも今は違う。都は、息を吸い込むと朔子の目を強く見つめ返した。
「いつか明かりのついている家に住むのが夢だったんです」
一言めを発すると、すうと頭が冷えてきた。
「誰かが待っていてくれる、暖かな明かりのついた家に憧れて……小さい頃も、失恋した日も吸い寄せられるように朔子さんの家に惹かれたんです」
ほんの少しだけ、朔子の口の端が持ち上がった気がした。
「でも私、わかったんです。明かりのついた家は誰かがもたらしてくれるものじゃない、自分でつくるものなんだって」
都の目からは一粒だけ涙がこぼれたが、拭うとすぐに止まった。
「失恋して、もう私にはその夢は叶わないと思いました。でも、いつかまた出会う誰かのために私が明かりをともせる人になります」
──一番言いたいことはこれだったのかもしれない。
言い終えた都は、胸のつかえが取れたように安らかな気持ちになった。目の前の朔子は強く頷いた後、美しく微笑んだ。
「恋人の前の都ちゃんもカッコよかったけど、今もすごくカッコいいわよ」
そう言って朔子は都の頭を子どもの頃のように撫でてくれた。




