私の主張と、先輩たちの心配。
ちーん。
王女様の部屋についてるベルの音が頭の中で鳴り響く。それはまさに、今の私の心境そのものを表すみたいだ。
でも次の瞬間、目を点にしていた私は我に返った。そう、目の前のふたりの誤解を解かないと。私はこれでもか、というくらいの盛大な溜息を繰り出してから言った。
「あのですね。いいですか。ご存知のとおり、私は蒼鬼さまのことが大っ好きです。正直なところ今も王城にいらっしゃるのかと思うと胸が高鳴ります。でもそれは……」
「やっぱり」
「そんなにですか」
もう周知の事実だ。隠すこともない。ところが大真面目に言い放ったら、男ふたりが若干引いた。物理的に距離を置こうとする素振りすら見せてる。
「うわ目の色が変わった」
「獲物を狙う目ですね」
「ああいうのが危ないんだよ」
「わかりますわかります」
「――――だぁ〜っ!」
普段はバチバチ敵意を飛ばし合うくせに、なんでこういう時だけ意気投合するかな!
言葉を遮って始まった小芝居を前に、私は吠えながらテーブルを叩いた。ばっちーん、と乾いた音が響く。
「コソコソコソコソ……いい大人が悪ふざけしないで下さい!」
目上の人相手にやっていいことじゃないけど、もう知らない。立場が上だからって、やっていいこと悪いことがあるってもんだ。
「いいですか、人の話は最後まで聞く! 私なんかにこんなこと言われて恥ずかしくないの?!」
「え、いや」
「う、すみ」
小さな声でぼそぼそ何か言ってるみたいだけど、そんなの聞こえない。ていうか、怯えた目で見つめられるのもなんか癪だ。私が悪いことしてるみたいじゃないの。
「勘違いしないで下さい! 私は蒼鬼さまのことが好きですけど、断じて恋じゃありません。何言ってるんですか! 蒼鬼さまに失礼すぎます!」
キッパリ言い切った私を見上げて、ふたりがゴクリと喉を鳴らす。
……おや。私ったらいつの間に立ち上がってたんだろ。まあいいや。
「私が前向きになれたのは蒼鬼さまのおかげなんです。他人から軽んじられていても真っ直ぐなままでいられた方のことを知って、私も頑張ろうと思えたのに。それを嫁だ愛人だ……蒼鬼さまは他に類を見ない愛妻家だって聞きましたけど! 蒼鬼さまに謝って下さい!」
……いけない。つい興奮してしまった……。
気がついた時には、肩でぜぇぜぇ息をする私を見上げたまま、ふたりが固まっている。ぽかん、と口を開けて。
あとでお咎めがあったらどうしよう……なんて考えがよぎって、背中がヒヤリとする。いやいや、ここまでポンコツでやってきたんだから今さらだ。ここまできたら、もう全部きれいに喋ってしまえ。
「私だって王立学校に入るまでは、蒼鬼さまは強くて冷たくて無慈悲な騎士だと思ってました。周りの大人達が青ざめた顔で噂してたし。だけど引っ越しの準備をしていた時に蒼鬼さまの話をしてくれた人がいたんです。その人は手荷物に入らない物を寮に運ぶために呼んだ、運送屋さんだったんですけど……」
話しながら思い出す。流し目の麗しい、割とスラッとした……こう言っちゃアレだけど、運送屋さんっぽくはない人だったなぁ。最初は騙されたかのかと思ったもの。実際に荷物を運んでもらったら、体格の割に結構な力持ちだって分かったけど。しかもよくよく考えると、彼は蒼鬼さまとは全く関係のない人なんだよね。あの時は自暴自棄だった自分に光が射したみたいで、すんなり信じちゃったんだけど……。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
瞬きほどの間の回想をぶった切ったのは、補佐官さまだった。なんだかよく分からないけど、腕をさすっている。
しかめ面をして呟いた補佐官さまを前にして、私は戸惑うばかりだ。
「え?」
「嫌な予感しかしません。ああ頭が痛くなってきた……」
「え? 今の話のどこで……?」
心の声が口から飛び出しているのに気づいて、私は慌てて口を押さえる。まずい。ちょっと調子に乗りすぎたかも。
ものすごい手遅れ感が襲ってきて、ちらりと先輩を盗み見る。てっきり怒られるんだとばかり思ってた私は先輩が沈痛な面持ちで出されたお茶に口を付けているのを見て、瞬きをくり返した。
……補佐官さまも先輩も、ちょっと様子がおかしくないですか。
「その自称運送屋とは、どんな話を?」
溜息混じりの補佐官さまに尋ねられて、私は居住まいを正した。興奮して立ちっぱなしだったことが恥ずかしくなって、慌てて座る。
「すっ……すみません、ちゃんと覚えてるのは蒼鬼さまの話を聞かせてくれたことだけです……他の会話まではちょっと自信が……」
「そうですか。まあ、無駄な嘘はつかないと思いますが多少は盛っているかも知れませんねぇ……まったくペラペラと……」
「もる? ええっと、仰ってることが分からないんですけど……」
補佐官さまの話は高度すぎる。切れっ端を聞いて全体を想像するのは、私みたいなポンコツには至難の業だ。どういうことなんだろう。まさか運送屋さんと知り合いだったりするの。
ちゃんと聞かせて欲しかったけど、目が合った彼は肩を竦めて微笑んだ。もうだいぶ見慣れた、気持ちの読み取れない曖昧な笑み。
「すみません、私の独り言のせいで話が脱線してしまいましたね。ひとまず、あなたに王城で働いていただくことで王族の皆さんに害が及ぶ可能性はなさそうだ、ということで……」
そこまで言うと、補佐官さまは先輩に視線を投げた。
「何か言いたいことは?」
「あー……ない、です」
すっかり疲れた様子の先輩が気だるそうに手を振る。補佐官さま相手にこの態度。あなたはこの部屋に来て、一体何をしたんですか。お茶飲んでただけですよね。
内心で溜息をついていたら、先輩が言った。
「でも、まだクロエの幼なじみの件が残ってる」
「あ」
言われて、思わず声が出る。すっかり忘れてた。アイツ、私の部屋に忍び込もうとしてたんだっけ……。私の中では、唐揚げの下敷きになってるレタス以下の存在感しかないから、驚きも一瞬だったなぁ。いや、それはレタスに失礼か。
先輩は当の本人がそんなことを考えているなんて思いもしないんだろう、至極真面目な顔をして補佐官さまを見ている。
「そうですねぇ……未遂とはいえ王城の敷地内でそんなことが起きたことは考えものですが……かと言って、今の段階では見回りの強化くらいしか出来ませんし……」
何か考えているのか、補佐官さまの視線が右へ左へ行ったり来たりしている。固唾を飲んで彼が何か言うのを待っていると、ふいにその口角が上がった。これはあれだ。意地悪なことを言う時の顔。先輩も似たような顔をする時があるから、なんとなく分かる。
「あなた方、自分の部屋で過ごす以外の時間はほとんど一緒にいるのでは?」
「だから?」
「あなた騎士ですよ?」
「それが何か」
……またバチバチしてる。通常運転なのはいいけど、話題に私が絡んでるのがなんとも気まずい。
ハラハラしながら会話の行方を見守っていたら、補佐官さまが意味ありげに微笑んだ。
「いやぁ、可笑しなものですねぇ」
「何がです」
「思い出しませんか? 子守だった“彼女”のこと。あの彼女にはエルが手を焼いていたんですけど。今はあなたがクロエさんに手を焼いてるなんて、可笑しくて可笑しくて……」
「一緒くたにしないで下さい。そもそも彼女は人間の“枠”が違うでしょうに。散々引っ掻き回したあなたが何を言ってるんですか」
「うーん……引っ掻き回されたのはコチラだと思ってるんですけど。魔性って、本当に存在するんですねぇ。うちの奥さんも含めて。そう考えると、たしかに人間の“枠”という言葉の意味が分かる気はします」
「……そーですね」
うんざりした様子の先輩が頷いているけど、私には全くもって話の中身が分からないままだ。かろうじて補佐官さまの奥さん……リアさんの顔が頭の中に浮かんだくらいで。
胸の内で首を捻ったのが顔に出ていたのか、補佐官さまは私を見て小首を傾げた。
「あー……」
補佐官さまの執務室を出てしばらく歩いたところで、先輩が溜息なのか何なのか分からない声を絞り出した。その顔は疲れ切っているように見える。まだ今日の護衛が始まってもいないのに。
「どうかしました?」
「……は?」
たしかに、ずっと座りっぱなしで疲れてはいるけど、そこまでじゃない。むしろいろいろ話して……というか思ったことをズバズバ喋ったから若干スッキリしてるかも。
不思議そうにしている私のことが気に入らないらしい先輩は、不機嫌さを隠しもしないで口を開いた。
「ほんっとにポンコツ。自分の問題がうやむやにされたっていうのに……」
「あ」
……忘れてた。自称幼なじみが私の部屋に無断で入ろうとしてたなんて、気色悪過ぎる。無意識のうちに記憶から抹消してたらしい。
「もしかして、次は自分で対処出来るとか思ってるわけ? それとも、同じようなことが2回も起きるわけがないと思ってるとか」
「え、えっと」
「どうなの」
「え、あ、その……」
すごい真顔の先輩ににじり寄られて、思わず後退りしてしまう。今なら先輩の頭の中が手に取るように分かる。絶対、怒ってる!
「どこまでポンコツなの君は」
「ごっ、ごめんなさい!」
「聞きたいのは謝罪じゃないんだけど」
声色は普通なのに、むしろ穏やかなのに。なんで私はこんなに追い詰められてるんでしょうか。髪か。髪を切った先輩が妙に男らしく見えるからか。それとも整った顔だからか。
背中が壁にぶつかって、これ以上距離を取れないことを悟る。廊下の明かりが先輩を背後から照らして、その顔が逆光ですさまじく怖い。
「ほんっとに腹立つ」
「すみませんすみません」
ペコペコしたいけど、先輩の顔が近すぎて出来ない。
通りがかりの侍女さんが驚いて悲鳴でも上げてくれたらいいのに。残念ながら一般の人が立ち入ることが出来ない階層に、人の気配はない。他力本願な打開策を練って、当然だけど途方に暮れる。
「でも」
「でもじゃない」
何も考えつかない、と言おうとしたら先輩に遮られた。謝っても怒られ、言い訳しようとしても怒られ。しまいには頬を抓られ……。
「うん、悪いのはこの口だね」
はい。痛いけど殴られないだけ良しとします。もう何も言いません。
……というようなことを目で訴えていると、突然先輩が後ろを振り返った。
逆光で横顔に浮かんだ表情は見えないけど、一瞬強張った肩からすぐに力が抜けた。私は先輩の手が離れたのをいいことに、頬をそっとさする。
「どこの変質者かと思えば、お前か。何をしてる」
聞いたことのある声に顔を上げる。そこにいたのは、いつか出会った愛想のない強面の騎士だった。ていうか、いつの間にこんな近くに来ていたんだろう。さっきまで、本当に誰も通りかかる気配はなかったのに……。
「変質者……。あのねエル、だからって気配消さなくても」
驚いたのは同じだったらしい先輩がこぼす。すると強面の騎士は私の存在に気づいたのか、なるほど、と頷いた。
「そういうことか。野暮なことをして悪かった」
「ああまたそういう明後日な方向に解釈する……」
思わず、といったふうに天井を仰いだ先輩を無視して、強面騎士は私に視線をくれる。
「子守の仕事には慣れたか」
地を這うような低い声が、お腹に響く。普段の生活で補佐官さまや先輩みたいな柔らかめの声ばかり耳にしてきた私には、ちょっと重い。
「は、はい」
「そこの騎士に苛められたら、俺に言い付けるといい」
掠れそうな声を振り絞れば、強面騎士がまさかの優しい言葉をかけてくれる。でも私の足は、勝手に先輩の後ろに向かって踏み出した。そうやって先輩の背に体を半分隠した状態になってから、はっとした。ものすごく失礼なことをしてしまった、と。同時に、今まさに言い付け時だったんじゃないかと後悔もした。
ところが強面騎士が不機嫌になる気配がない。それどころか、どこか愉快そうに鼻を鳴らした。
「お前達は一体、何を心配してたんだ」
「あー……だねぇ」
ほらな、とでも言いたそうな強面騎士と、曖昧に頷く先輩。さっぱり分からない。補佐官さまとの会話もそうだったけど、これは男の人特有の会話術なのかな。
そんなことを考えつつ先輩の背後から様子を伺っていた私の目が、強面騎士が手にしているものに留まる。可愛らしい表紙絵の絵本と、いい匂いが漂ってきそうな表紙絵の料理本って……。
人って見かけによらないんだなぁ……。
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