0-50:君の生まれた日を祝う
【0-50:君の生まれた日を祝う】
「クレス! もうすぐフィリオンの誕生日なんだって。お祝いしてもいいでしょう?」
少女の満面の笑顔が輝かしくて、彼女の周りの全てが光を放っているかと錯覚してしまう。こんなに邪気の無い顔でそう言われて、断れる男はいないだろう。
「誕生日?」
純粋な疑問符を浮かべた勇者を除いては。
〈はぐれ浮島〉を目指した戦いが終わり、次の戦いの場を探す日々。今日も今日とて半数は町の外へ出ている。もう一つの結界装置が町の周辺にあることは、サタンの言葉とそれを伝えてくれたエドウィンのおかげで分かっているのだが、肝心の場所がまた厄介だった。現在は再びその場所へ行く方法を探しているところである。
そこへ来てアイリスの発言は場違いではあるが、大切なことだった。
「戦いで忙しかったからすっかり忘れてたけど、この世界に来てからこれまでに誰かの誕生日があったんじゃないかなって、聞いて回ってたの。そしたらフィリオンがもうすぐだって言うから、お祝いしないのは寂しいでしょう?」
元の世界とクロスヴェルトとの暦が完全に同じとは限らないため、一応クロスヴェルトに着いてすぐの頃に、日付の差は確認してあった。彼女の言う「もうすぐ」は、クロスヴェルトの日付で考えた場合だ。フィリオンの世界ではまだ先らしい。しかしこの世界では迎えるのなら、ということのようだ。
ね、と返答を待つアイリスは相変わらず楽しそうだが、許可を求められているクレスにとっては、そもそもの趣旨が理解できていなかった。
「誕生日、とは?」
「えっ、クレス、まだ聞いたことないの?」
「ああ。……生まれの日だということは、言葉の意味で分かる」
言葉の解説から始まるのはいつものことだ、問題はない。しかしただ教えれば良いというものでもなく、伝え方次第でクレスの第一印象が固まってしまうという辺りが、彼に何かを教えることを難しくさせるのだ。
「そう、その日に生まれた人のお祝いの日。また一つ無事に歳を取ったことをお祝いする日だよ」
精一杯正しく教えようとすると、咄嗟に出てくる言葉はこの程度だ。一応クレスはなるほどと言って頷き、顎に手を当てて考え始めた。アイリスは意図が伝わっているだろうかと心配になりながら、首が痛くなるのも構わず、頭一つ分以上も高い位置にあるクレスの顔を見上げた。
期待の眼差しにどう返したものかと、クレスは考える。
(生まれた日を祝う……。この様子だと祝わないうちに過ぎているのは大変なことのようだ。それに『お祝いをしないのは寂しい』と来たか。それほどまでに重要な日とは思えないのだが、これはもう少し詳しく聞いてから判断した方が良いのだろうか)
初めての概念なので、祝福と言っても何をするのかよく分からない。クレスの無知にかこつけて物事を進めるような彼らではないので、よほどのことでない限り許可など求めなくとも良いのだが、こうして聞かれた以上は真剣に判断するのが彼である。と、クレスはアイリスの奥へ目を向けた。そこには成り行きを見守るエルヴィラが居る。クレスの視線の意味を理解して、ソファに座ったままエルヴィラは足りない説明を補ってくれた。
「おめでとうって言うだけじゃ物足りないんだよ。何せ一年に一度どころか、その歳の誕生日は一生に一度のものだからね。だから祝いにはご馳走を食べたり贈り物をあげたりするものなのさ。まあ、今回はちょいとばかし食事を豪勢にしてやるぐらいしか出来なさそうだけどね」
もう一押しには彼女の言葉で十分だった。要は祝いたいのは単純な記念日だからではなく、それだけの価値があるということなら良いのだ。
「そうか。……私に構うことはない。やるのなら、喜ばれるものが良いだろう。エルヴィラ、余裕があるなら多少使い込んでも構わない」
「あんたならそう言うと思ったよ。どうせアタシらが作るんじゃそうそう高級料理にはならないから安心しな」
クレスの了承を得て、エルヴィラは任せておけと笑った。アイリスの表情もぱっと華やいで、さっそくフィリオン以外にも誕生日が近い者が居ないか聞いてみると言う。
「そういえば、クレスは自分の誕生日、分かる?」
まだどこか他人事というか、おそらく自分もその対象になりえるという自覚が薄いクレスに、アイリスはまず彼自身を意識させることにした。
「おそらく。メネに創られ、世界で目覚めた日で良いのならば」
案の定クレスは目を瞬かせている。その答え方に、エルヴィラが少しだけ含みを持たせて微笑んだ。
「それがあんたの『生を受けた日』だ。忘れるんじゃないよ」
創られた日ではなく、生まれた日だ。クレスは「人間」なのだから、そう呼ばなければならないのだ。生まれてから一年の記念の日はまだ先だが、彼がその時を楽しみにしてくれると良いと願った。
「じゃあ、皆にも聞いて来るね!」
アイリスがにこやかに去っていくのを、クレスはじっと見つめている。
「誕生日……。私は、何歳ということになるのだろうな」
「そうだねぇ、とりあえず1歳はやめておきな。事実だとしても」
こんな他愛も無い疑問を抱くのも、きっと彼が成長した証拠なのだろう。
アイリスが向かった先は、宿替わりにしている集会所の裏だった。そこでフィリオンがゴウの勉強を見ている最中なのだ。雪の上に木の棒で文字を書き、いくつもの魔法陣を並べて魔法を練習する。少しどころではなく寒いのだが、戦士たちにはちょうど良い鍛錬になると、風邪を引かない程度に外で体を動かすことが推奨されていた。今もフィリオンが出かけるまでの間、手合わせと勉強をしているとのことだった。
二人は何事かを話していた。心なしか頬が赤くなっているが、寒いというより、何か楽しいことでもあったのかもしれない。地面に描かれた落書きを見る限り、ドラゴンが何か関係しているのだろう。
「それでな、そいつは槍が得意で、だけどオレに剣も教えてくれて――ん? アイリスだ」
「どうしたんだ? そんなに走って」
「フィリオンあのね、クレスが誕生日のお祝いしてもいいって」
駆け寄るアイリスに気づいた二人が顔を上げた。アイリスはクレスたちと話したことを伝える。
「本当か? 俺だけだと何だか悪いな、他にも居ないのか?」
「今ね、それを聞こうと思って。ねぇゴウの誕生日は?」
「んー……たぶん半分ぐらい? この前から経ったと思う」
「……日付は分かるんだろう? 計算してやるから教えるんだ、ほら」
アイリスの質問に対して、ゴウの返答は怪しい。見かねたフィリオンがゴウの世界との時間の差から、クロスヴェルトでの日付に直してやる。確かに半年ほど先ではあった。なんとなく、こんな所まで来てゴウだけ勉強をしている理由が分かるような気がする。
ゴウはまだ先だとして、まずはフィリオンの誕生日祝いからだ。
「何が食べたい? 作れる物は何でも作ろうって」
「そうだなぁ……あ、寒いからクリームシチューが食べたいな。クロブチーズが隠し味になりきれていないほど入っているやつ」
「クロブチーズ? それって酸っぱくならないの?」
それは最早チーズ煮込みではないかという指摘は置いておいて、味付けしか想像出来ないリクエストに、早くもアイリスは難題の予感がしていた。クロブのミルクから作られたチーズは少々酸味があり、好き嫌いが分かれる食べ物の一つだ。隠しきれない存在感のあるほど入っているなら、当然その料理も酸味がきいているのだろう。しかしそもそも具材から聞き込まなければ、到底要望通りの品にはならなさそうだ。
「なぜか酸っぱくないんだよなぁ。クリームもクロブのミルクなのに、何で打ち消しているのかさっぱり分からないんだ。でも苦手な食べ物は全部これで克服したぐらい好きなんだよ」
「そ、そっか。もしかして、フィリオンも自分で作ったことがないの?」
味の想像すら怪しくなってきたところに、本人すら作り方が分からないという疑惑が浮上し、アイリスの顔が引き攣った。フィリオンは冷や汗をかいている彼女には気づかず、話を続けている。
「作り方は家に帰った時に聞くつもりなんだ。それまでは、ライに作ってもらおうかな」
「ライは作れるの? 良かったぁ」
「じゃあ、その日の料理当番はライだな! 準備終わったぞ!」
偶然得られた打開策に、アイリスはあからさまに安堵している。やはりフィリオンが気づいていないのは良かったのかもしれない。重要な何か、に気づいていないのはアイリスも同じなのだが。
――――――――――
大好物が食べられると聞いて、フィリオンはウキウキという表現がよく似合う様子だ。町の人の依頼があるからと出ていく時も、鼻歌交じりで足取りも軽やかだった。
「フィリオン、喜んでくれたみたいだね」
「いいなー。オレもたんじょーびしたい」
ゴウの目的は明らかに美味しい料理だが、彼はいつでもそうだ。よくよく聞いてみれば、特別な贈り物を貰ったことはほとんど無いらしい。彼にとってのご褒美は基本的に少し豪華な食事であり、逆に欲しい物は無いということで、彼らしいとも言える。
次に行こうということで、二人は中に入って探索組の帰りを待つ。最近の探索は〈吹雪ヶ峰〉と呼ばれる場所に行くために、道中の下見をしている。成果は少しずつ上がっているのだが、まだ結界装置を起動しに行くまでには至っていなかった。
しばらくして一人戻って来る音がした。後の者は引き続きどこかに出かけたらしく、アイリスたちが待つ部屋に入って来たのは、ライオネルだけだった。
「あっ、ライ。……そうだ、ライももうすぐなんだろー?」
「? 何がだ」
帰って来て早々にそう言われれば、彼でなくとも首を傾げるだろう。
「たんじょーび! オレ肉食べたい!」
先ほどからゴウは食べ物のことしか言っていないが、彼としては至極真面目なつもりだ。ライオネルもそれは分かっているので、少し腑に落ちない表情ながらも、律儀に答えていく。
「ゴウの誕生日なら作っても良いぞ。それで、俺の誕生日はまだ先だ。なぜもうすぐだと思ったんだ」
その質問に、今度はゴウが疑問符を浮かべていた。アイリスも二人のやり取りで、初めてあることに思い至る。
「だってフィリオンがもうすぐなんだろ?」
当たり前のことだろうという様子なのはゴウだけだ。ライオネルがフィリオンと「同じ」であるのなら、誕生日だって同じ日になるはず。単純なことだった。
「……そうか、もう19になるのか。先を越されたな」
ライオネルは一瞬目を瞠って、それからどこか寂しそうに呟いた。アイリスが何か言いたげにしているのを、気づいていないふりをしているようだ。それを見て、アイリスもゴウも日付についてはもう話さなかった。せっかく誕生日の準備をしているのに、お祝いに水を差すようなことはしない。そしてそもそも、フィリオンの誕生日祝いには彼の協力が必要なのだ。
「……それでね、お祝いで好きな料理いっぱい作ろうってことになったの」
「あいつ、食べたいものとか言っていたか?」
「えっと、クロブチーズがたくさん入ったクリームシチュー。ライは作り方分かる? 大好物なんだって」
アイリスが先ほど聞いた内容を伝えると、ライオネルはああと言って頷いた。さらに別の心当たりもあるようだ。
「あれか。道理で前にシチューを作った時、残念そうな顔をしていた訳だ」
「そんなことあったか? ライの飯はいつもうまいぞ」
「それなら良いんだけれどな。……ツヴァイの町に行くよりも前のことだ。好き嫌いは無さそうなのにその日だけは一瞬手が止まったから、何が気に入らなかったのかと思って」
「ツヴァイの町って、その頃は――」
それはクロスヴェルトに来てまだ間もない頃、それこそ、ライオネルが皆と距離を置いていた時の話だった。冷淡な態度を取りながら、ちゃんと仲間のことを見ていたという彼らしい。まさか食事の好みまで知っているとは思わなかったが、どうやらライオネルはアイリスとは違った意味で人より目が良いようで、少し意識すれば微妙な動きの違いも見えるのだそうだ。
「じゃあ、クロブチーズがあるか見て来る。十人分となったら一塊じゃあ足りないな……」
「あ、うん。お願いね」
何ということも無さそうに食材の確認をしに行った彼を見送り、二人はしばし沈黙して考えた。
「なー。ライってさ、もしかしてみんなの好き嫌い知ってんのかな。ライが当番の時だけゼッタイに嫌いなもの入ってないんだよなー」
「私のも、量を最初から少なめにしてあるんだよね。あと私が当番の時は、お鍋とかを棚の高い所に仕舞わないでおいてある時が多いの。だいたい私の前ってライだから、たぶんライがやってるんだと思う」
顔を見合わせた二人の想いは同じだった。どこまで彼はお人好しなのだろう、と。
――――――――――
「僕の誕生日?」
次なる標的はエドウィンである。別に日付を聞き出すだけならすぐのものだが、この機会にまだ知らないことを聞いてみるのは悪くないだろうという考えだ。
「そーそー。エドのたんじょーび、絶対すんげーだろ。ごちそうとか」
「うーん……。一応、生誕祭があって国民全員でお祝いしてくれてるらしいけど」
王子というだけあって、エドウィンの誕生日は盛大に祝われる。一応、次代の王となりうる者を民の目で見定めてもらう、というのも理由としてあり、基本的に王位継承者はそれぞれの誕生日に式典の形で全国民の前に姿を現すのだ。が、
「でも、見たことがないんだよね。挨拶もあるはずなのに、何を話しているか教えてもらえないし。だからいつも今年こそは見に行くぞって思うんだけど、部屋でこっそりお祝いしてくれる側仕えの人たちのことを想うと、ちょっと抜け出すのを躊躇うんだよね」
「エ、エド……!」
あまりの扱いと華やかさとは無縁そうな誕生日の思い出に、アイリスはもはや涙目になっている。理不尽を怒ってはいない様子の彼は、心が広いという言葉では足りないような気がする。アイリスはクロスヴェルトで彼が誕生日を迎えるならば、絶対に喜ばれるものにしようと密かに誓ったのだった。
仲間が決意を固めている横で、エドウィンは今年こそ見られるのではと呑気に考えていた。会話が途切れたタイミングで、内側で黙って聞いていたサタンが「寝返り」を打ちながら、何ということは無さそうに呟く。
『我が力を以てすれば、一瞬で行き来できると言っているものを』
『そうだね。堂々と行けなさそうなら今年はそうしようか』
予想通りの前向きな発言に、サタンが静かに笑った。エドウィンは本当に、自分の境遇を全く意に介さない。
『好きに致せ。我は祝い事に興味は無い』
『そういえば、君って何歳なんだい?』
『悪魔の年齢など千を越えれば同じこと。三千を越えてからは暦も数えなくなったものだ』
『……凄く年上だったんだねぇ』
話の流れで、サタンの年齢は本人すら分からないほどという、エドウィンも実は知らなかった事実が判明した。サタンは以前イオルムと戦った時に、イオルムを「たかが数百歳の子供」呼ばわりしていたのだが、エドウィンは気絶していたので知らないことだ。
「エド、もしかしてサタンさんが起きてるの?」
「うん。何か用事があるかい?」
「うーんと、サタンさんも誕生日があるのかなって」
サタンが見えたのか声が聞こえたのか、アイリスが二人に問いかける。サタンも仲間だからと続けた彼女に、彼の笑い声の方は聞こえていたはずだ。
『クククッ、悪魔に祝福とはな。……今や忘却の彼方にある日なぞ、気に掛けることは無い』
サタンはそれだけ言って眠りに入ってしまう。首を傾げたアイリスに、エドウィンが苦笑しつつ答えた。
「悪魔にお祝いはちょっと……って、僕も前に言われたんだ。あと誕生日は忘れちゃったから、気持ちだけ受け取っておくって」
悪魔の誕生日を祝おうと考えるところも面白い、と。かつてかの魔王は言ったのだ。本当に忘れたのかどうかは怪しいところだが、とにかく魔族にとって誕生日は祝うものではないらしい。一応気を悪くしてはいない様子なので、特にまずい話題という訳でもないはずだ。そのことを、ちょうど帰って来た声が説明してくれた。
「祝いというのは、古来より魔力に依らない聖なる魔法とされて来ましたから。浄化を司る光属性の魔法として正式登録されていた時期もあるのですよ?」
「あれ、セドナも帰ってたんだね」
「ただいま戻りました。エルヴィラから聞きましたが、誕生日のお祝いをするとか」
セドナはサタンが祝福を嫌がる理由を話しながら、誕生日で盛り上がる面々に加わった。セドナの話した内容はあくまでも彼女の世界での歴史だが、魔法に関してはどの世界もあまり変わらない発展を遂げている。だから理由としてはあながち間違っていなさそうだ。
「セドナはいつなんだ? フィリオンしかいねーぞこのままだと」
「残念ながら、私の誕生日はこの世界に来る前に終わっています。ところでどうお祝いするのかは決まっているのですか?」
「好きな料理を作ろうって。ちなみにクリームシチューだよ」
「温かくてちょうど良いですね。ケーキはどうでしたか? マフィンは食べていたので甘い物も苦手ではなさそうでしたが」
「あっ……後で聞いておかないと。すっかり忘れてたね」
「ケーキ? なんでケーキなんだ?」
セドナの問いで、アイリスは確認しそびれたことに気づき、ゴウは首を傾げている。エドウィンもゴウと同じような反応だ。これが文化の違いかというと、この二人では微妙なところである。どうせ祝うならより嬉しい方法が良い、とセドナは二人に説明した。
「誕生日のお祝いにケーキは欠かせませんよ。私の世界では、昔は甘い物が高価だったために祝い事でもなければとても食べられなかったとか。そこから逆に誕生日にはケーキを食べる習慣ができました。ゴウたちの世界でも似たようなことをしていると思いますよ」
「僕もそうだと嬉しいな。元々は一つの世界だったんだから、同じ部分もありそうだよね」
「ふーん……ばーちゃんのたんじょーび、いっつも食べ物はダメだって言われてたから知らなかったぞ」
奇しくも二人は他人の誕生日をほとんど祝ったことのない二人でもある。こうしてどうやって祝おうかと相談するのも新鮮のようだ。
気づけば話題は好きな食べ物の話に脱線している。次に誰かが帰って来るまで、四人は最初の話題を忘れて話し込むのだった。
――――――――――
ドライの町の集会所はそもそもの部屋数が少ないので、外に出ていない者は一番大きい部屋である会議室に居ることが多い。ずっと会議室で話していた四人に、どこかに行っていたエルヴィラが戻って来て、準備の進捗を聞いている。誕生日を確認していないのは、あとはシルバとジャンだけだ。ちなみにエルヴィラはセドナと同じく、既に終わってしまっている。
戸口で物音がしたのを聞きつけ、アイリスが立ち上がる。会議室の扉を開けてやれば、ちょうど待っていた二人がそこに居た。
「おっと、開けてくれたのか。女の子のお出迎えとは嬉しいね」
「ならさっさと入りやがれ、狭ぇんだからよ。……なんだ、中も多いな」
すでに五人いたところに、帰って来た二人を加えれば多くも感じる。また居場所がそこにしか無いからといって、その場に居る全員が寄り集まって話すことは実は珍しい。
「これ、もしかしてクレスが何か変なこと言ってた原因か? 何かすれ違った時に自分は何歳に見えると思うかって聞かれたんだけど」
「あいつ何で今さら歳なんて気にしてんだ。23ぐらいじゃねぇの」
どうやら誕生日を祝うという概念を知った勇者は、今度は自分の年齢を区切りとすることも覚えたらしい。もっとも、基準となる自分の年齢が分からないのだが。
クレスの外見年齢はさておき、二人にも誕生祝いについて話さなければならない。
「今ね、皆の誕生日を聞いてるの。シルバの誕生日はいつ?」
だからそのきっかけとして、なんとなくシルバの誕生日から聞き始める。アイリスとしては、シルバは少し皮肉っぽく笑って結局は答えてくれるか、はぐらかしてなかなか教えてくれないか――しかし最終的には折れて答えてくれるのだ――のどちらかだと思っていた。
「――誕生、日?」
ところが予想に反して、シルバの顔が強張っている。心なしか尻尾も下がっているように見えた。
「うん。……あ、あの。聞いちゃダメだった?」
恐る恐る上目で様子を窺ってくるアイリスから、シルバはふいと視線を逸らした。苦虫を噛み潰したような表情は変わらない。
「……生まれた日なんざ知らねぇよ。年齢は適当な日に増やすだけだ」
シルバは嘘は言っていない。彼の正確な誕生日を知る人物は、彼が「シルバ・ウルフ」となった時よりも前に死んでいるのだから。
「人、多いな。メシまで時間あんだろ。また出て来る」
それ以上の言葉を拒絶するかのように、シルバはそのまま出て行ってしまう。どうして良いか分からずに、アイリスはとにかく呼び止めようと手を伸ばした。それを、ジャンが優しく制止する。
「おやおや、シルバ君はご機嫌ナナメらしい」
「ジャン……」
ジャンはわざとらしく話しながら、さりげなく肩を抱き寄せた。軽い口調は重苦しくなりかけた空気を和らげてくれる。
「なぁに、エルヴィラに任せておけば良いさ。という訳でよろしくお願いしますよ、姉御」
「軽く言ってくれるよ。まったく、どいつもこいつも軟弱だね。あんたの面倒は見ないから、引き際は自分で弁えな、ジャン」
自分では行かないジャンに、エルヴィラはため息を吐きながら応じた。決して丸投げという訳ではなく、彼女の方がこのような時に良い落とし所を見極めてくれるのだ。特にただ慰めれば良いという場合ではない時は。
エルヴィラにはジャンにとっての誕生日がどのようなものかは分からない。だから忠告だけしておいて、シルバの居るだろう町外れに向かって行った。
「本当、エルヴィラは人を見る目があるよ」
「ジャンも、誕生日のお祝いしたくないの?」
何か思うところのあるらしいジャンの反応に、アイリスは少し落ち込んでいる。記念日を祝ってあげたいと同時に、誰かが嫌な思いをするのも嫌だ。十人だけの彼らだから、たった一人にでも配慮できないのは間違っていると思うのだ。
不安そうな彼女と違って、ジャンは全く気にしている様子は無い。ジャンの誕生日は知人と騒がしく過ごすのが普通だったので寂しさとは無縁だった。昨年など一日中様々な女性のもとを渡り歩いて、親友の顔をしかめさせたぐらいだ。もっとも、逆に「家族に祝われたことがない」ということが――ジャンが本当に気にしていないにしても――他人が聞けばあまり良い思い出ではないことは分かっている。それを言わないのは周囲への配慮もあるが、純粋に彼自身が誕生日は楽しくあるべきと考えているからだった。
楽しむというより楽しくするタイプのジャンには、楽しくないということ自体があまり理解できない。それもあって、シルバの方はエルヴィラに任せたのだが、ちょうど良かったようだ。
「俺は大歓迎さ。これまでの贈り物を全部取ってあるぐらいには楽しみにしてるね。ただシルバにとっては、あまりはしゃげない日だったってことさ」
「……そっか。絶対に幸せな日とは限らないんだね」
「知らなかったんだからしょうがない。シルバも今ごろ猛反省してるだろうさ、可愛い女の子を泣かせたんだからな」
「な、泣いてないよ!」
「そうそう、笑ってるのが一番。誕生日を祝われる誰かさんのためにも、ね」
ジャンの軽口に乗せられて、徐々にアイリスの表情が晴れていく。こちらの方のフォローは無事完了したようだ。
(さて、エルヴィラは上手くやってくれてるかね。……案外やること無かったって言って帰って来るかもな)
―――――――――――
シルバが居るのは、最近の定位置となっている町外れ。結界の境界ぎりぎりにある樹の上だ。下手に町中をうろついていると町の子供たちが寄って来るので、自然と町の住人が近づかない所が居場所になっていた。大振りな枝に腰かけゆっくりと尻尾を揺らしながら、シルバは指折り何かを数えている。
「――もうすぐ17、か。チッ、もう少しマシな言い訳無かったのかよ」
ジャンの軽口はある程度合っている。外気で頭が冷えて来ると、さすがにあの態度は無かったと思い始めて、ちょっとした自己嫌悪に陥っていた。
シルバにとっての「誕生日」は、養父ゴルドに拾われた日だ。本来の誕生日とは半年も違わないと思われる。そしてクロスヴェルトの暦に直すと、実はもうすぐだ。しかしそれをアイリスたちに教えようとは思わなかった。
(あの日はもう、祝いの日なんかじゃねぇ。……まだ終わりそうにねぇからな)
シルバは仇討ちが終わるまで、その日を誕生日であるとは思わないことにしていた。まず目的を達成しないままに祝う気持ちになれないというのもあるのだが。
冷静になって来て、どんな顔をして戻れば良いのかとシルバは頭を抱える。アイリスを悲しませたのだから、まず全員から非難されるのは必至だ。なんだかんだ言って、戦士たちはみんな彼女に甘い。更に今回は誰も事情を知らないところで一方的にシルバが機嫌を損ねたのだから、なおさら弁解の余地が無い。と、そこに雪を踏み締める足音が聞こえ、狼の耳がピンと立った。
「……なんだよ」
「そろそろ頭冷えたかい? お説教じゃないから安心しな」
気まずそうな顔をして振り返ったシルバに、エルヴィラが面白がっている様子を隠そうともせず声をかけた。彼女には仲間たちがどれぐらいの時間があれば反省できるかぐらい、お見通しなのである。そのまま歩いて来た彼女は樹の幹にもたれかかり、降りて来ようとしないシルバを見上げた。
「もうすぐフィリオンの誕生日らしくてね。お祝いしようじゃないかってことで準備してるんだよ。あとは、他にも誕生日が近い奴がいるならそっちも一緒に祝おうかねって言ってたのさ」
「……そうか」
そもそもなぜ誕生日の話になったのか、改めてシルバは知らなかったのを思い出した。申し訳ないことをしたと、尻尾を丸める代わりに体に巻き付ける。指に毛を絡ませている仕草がいじける子供のようだ。
「あんたにとっての誕生日が何なのかなんて、聞きはしないよ。誰にでも何かあるもんだし、あんたは子供らしくないもの背負い込んでるってことも知ってる」
親の仇討ち、天涯孤独の身の上、傭兵まがいの賞金稼ぎ。それだけ知っていれば、エルヴィラでなくともシルバの抱えているものは察しがつく。一人で抱え込んでも潰れない程度には、悲しいほどに強いことも。今は色々あって神経質になっているから、感情的になりやすいだけなのだ。そんな彼に同情したり、憐れんだりするのは最悪の接し方だ。何せ彼は背伸びしてでも「大人」であろうとしているのだから。
エルヴィラは見上げるのを止め、シルバだから聞こえるような大きさで続けた。
「でもね、たまにはそういうのを降ろしても良いんじゃないかい。そこまで器用じゃないのも知ってるけど、仲間の誕生日祝う間ぐらいなら出来るだろう?」
「お前、分かってて言ってんだろ」
「そうさ。アタシはいつまでもウジウジしてるような男は嫌いなんだ。だけどあんたは良くも悪くも肝心な時は割り切れる奴だって思ったから期待するのも止めない。そういう所はもう大人だよ、フィリオンたち以上にね」
「…………」
むすっとした雰囲気が頭上から伝わって来て、エルヴィラは笑みを深めた。シルバは子供扱いされるのを嫌うが、その後に大人と認めると機嫌が前よりも若干上向きになるのだ。落ち込みから不機嫌に変わったのを果たして上がったと言って良いのかは疑問だが、少なくとも大人ならこれぐらい出来るだろうと暗に言われて、それを意識しているのだから成功だ。
「アタシはあんたのこと結構買ってるんだから、期待には応えてほしいね。アタシの目にケチを付けないでおくれよ」
「別に、俺は落ち込んじゃいねぇよ。……誕生日祝いだろ、他人にまで変な感傷押し付けるつもりはねぇ」
「それなら頼むよ。じゃあ、アタシは先に戻るからね」
樹から離れたエルヴィラは、そうだと言ってすぐ立ち止まった。
「誕生日のご馳走って言ったらケーキだろ? あんたは何がいいと思う?」
本来なら祝われる当事者であるフィリオンに聞くべきなのだが、おそらくフィリオンはどれでも喜ぶ。だから敢えてシルバの好きな物にしようというのを思い付いたのだった。シルバの誕生日も同じ頃というのは知らないので、彼の誕生日祝いにもなるのはただの偶然だ。
誕生日のケーキ、と聞いて、シルバは一つ思い出す。10歳の誕生日を迎える、その直前の出来事だ。無邪気にその日を楽しみにしていた彼に、ゴルドは笑って言ってみせたのだ。
――今年はすんげぇモンを用意してるから期待しとけよ。それにお前の好きな――
「――雪リンゴのパイだ。この町、どこに行っても雪リンゴの匂いがしやがるからすぐに用意できんだろ」
昨日のことのように思い出せる。大好物が食べられると聞いて、大喜びしたことも覚えている。結局、ゴルドが用意していた「すんげぇモン」が何なのかは分からず仕舞いだが。
「ああ、あれか。アタシの世界じゃ極寒の島じゃないと育たないんだけど、クロスヴェルトでも同じなのかもね。じゃあ雪リンゴのパイでアイリスに頼んでおくよ」
普通のリンゴよりも甘味の強い、真っ赤な果物。凍てつくような寒さでなければ育たないために、シルバの世界では流通している量もそれほど多くはなかった。なかなか食べられないが、彼は一番と言って良いほどに好きだというのを、知っている者はもう居ない。その事実から今だけは目を逸らすことが必要そうだった。
エルヴィラの足音が聞こえなくなるまで、シルバはじっと座っていた。そして空腹を感じる頃にようやく町へ足を向けた。ある所に寄って行ってから集会所に戻る。扉を開けると、ちょうどアイリスがそこに居た。
「あ……シルバ、お帰りなさい。その、えっと……」
わたわたと手と視線を彷徨わせる彼女に、シルバは無言で持っていた紙袋を押し付けた。中身の赤色を見て、アイリスが更に焦っている。
「えっ、これ何? リンゴ?」
「……雪リンゴだ。エルヴィラに聞いてんだろ」
「うん。でも、材料はお祝いの前日に買おうかって話してたんだけど……」
少し早すぎる、とシルバと雪リンゴを見比べる。それに皮肉を込めて答えたシルバは、既にいつも通りだった。
「練習用に決まってんだろ。一回はドジ踏むお前の分だ。いきなり本番で作り方分かんのか?」
「……うう、言い返せない。ならどんどん作るから、シルバもちゃんと食べてね」
アイリスは身に覚えがありすぎて悔しいと言うしかない。だがシルバが先のやり取りをもう気にしていなさそうなので、内心は悔しさより安堵が勝っている。
「美味かったらな」
「そこはちゃんとやるよ! パイなら作ったことあるもの! たぶん大丈夫!」
自信があるのかないのか、少し不安になる返答。アイリスは練習すると言ったらするので、本当に翌日からパイを焼き始めるだろう。町中よりもよほど甘い匂いが漂う集会所で、準備は着実に進んで行くのだった。
【Die fantastische Geschichte 0-50 Ende】




