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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
火の封印
27/56

0-26:目に見えぬもの

【0-26:目に見えぬもの】


 開けた空間に、嘲りの声が響く。宙に浮かんだ闇が徐々に人の形を取り、現れた男が二人を不遜に見下ろした。振り向いたライオネルは警戒の目を向ける。

「……イオルム」

呟きはどこまでも無感動だ。ただそこにあるものを確認しただけのような平坦さ。その眼差しにも憎悪のような私情は見えず、そこらの魔物に対するのと変わらない。セドナはなぜここまで感情を込めずに宿敵と対峙できるのかと思うが、今はそれどころではないと思考を打ち切る。杖を構えた彼女へ、イオルムが愉しげに目を向けた。

「我輩と戦うつもりか、それとも逃げるか? なに、そう焦らずとも――貴様の相手はすぐに来る」

 言い終えた瞬間、イオルムの横に魔法陣が描かれる。転移魔法だと無意識に分析したセドナは、術者の特定に至り、ザッと血の気が引くのを感じた。魔法陣から出て来た女の優しげな笑みに、あえぐように声を上げる

「お師匠様……!」

「久しぶりね、セドナ。元気にしていたかしら? ……まったく、異世界の魔王様は酷いことをするわね。私は影から見守っていたいのに、こんな状況じゃ出て来ざるを得ないじゃない」

最後は仲間であるはずのイオルムへの批判に変わったが、セドナは自身へ向けられた一言だけで、揺らぐ感情を隠しきれなかった。そんな彼女を置いて、ベルキスとイオルムの会話は続く。

「相変わらずの怠惰だな、魔女。そんなに動きたくないのであれば、我輩が何をしようと放って置けばよかろう」

「そうしないと分かっていて、セドナに手を出そうとするなんて。そんなに一人で戦うのが不安だったのかしら?」

「ふん。我輩が目的を果たしに来たら、偶然その女が居合わせたのだ。これが他の者だったならば、ただ我輩の刈り取る雑草が二本になっただけのこと」


 二人の間にある空気は、およそ共闘関係にあるとは思えない冷ややかなものだ。しかしセドナたちを排除するということについては意見が一致している。緊張と絶望感がセドナの心を苛んだ。このままでは、事前に想定していたよりも、遥かに悲惨な結末を迎えるだろう。

(どう、すれば……このままではただ殺されるだけ)

 二対二で戦力は互角だなどと、能天気な考えは持てない。イオルムもベルキスも、どちらか一方だけでもセドナたちでは勝てないだろう。それほどまでに敵の力は強大だ。

(転移魔法で逃げても、場所を変えるだけで終わるでしょう。皆を呼ばなければ。でも、来てくれるまでもつかどうか……)

状況を打破すべくセドナは考える。この場を離脱するだけならば簡単だ。皆で決めた通り、森の入口にある基準点まで転移するだけで良い。しかし足止めをしない限り、イオルムたちは痕跡を消す暇すら与えず追って来る。ならば人数を増やせばとも思うが、結局二人だけで戦わなければならない時間があるのは変わらず、その間に敗北するかもしれない。希望を失うような案しか浮かばないことに歯噛みした。

 ライオネルに策はあるだろうかと、セドナは横目で様子を見る。するとその意を汲んだかのように、ちょうど彼が口を開いたところだった。

狼煙(のろし)を上げろ。他を呼べ」

「ですが、いつ来てくれるか分かりませんよ」

「それまでもたせれば良い。あと――」

彼の考えもセドナと同じだった。しかし仲間が来るまでの時間を稼ぐことに、まだ望みがあると考えている。そして何よりも、この場に留まり凌ぎきらなければならないと考える根拠を、彼はセドナと別のところに見出していた。

「――奴が『ここ』に現れたのは、結界装置を見張っていたからだ」

一瞬だけ茶色の地面に視線を向け、一歩踏み出すと剣を構える。彼の言葉にセドナは驚愕を露わにし、イオルムが不機嫌そうに顔を歪めた。

「結界装置が、ここに? いつの間に見つけていたのですか!?」

「貴様、やはり気づいていたか。これだから魔法の理を弁えぬ素人は困る。……だがこれで、わざわざ出向いた意味はできたようだ」

 セドナだけが話に着いて行けていない。彼女に分かったのは、この場に結界装置があるということ、それをイオルムは先に見つけていたということ、そしておそらく、偶然とはいえ結界装置に辿り着いてしまったが故に襲撃を受けたのだということ。肝心の在り処は分からず、前に見つけた時のような、膨大な魔力や高度な魔法陣の存在も感じられない。

「〈紅の義士〉、貴様では起動させることができなかったのだろう? そして魔女の後継は気づいていなかった……。なぜすぐ伝えなかったかは知らぬが、その判断が命取りとなったな。今から教えたところで、起動する余裕など与えぬぞ」

嘲笑うイオルムの言葉が、セドナの心に突き刺さる。ライオネルは結界装置を見つけたというのに、彼女は未だに分からない。もし自分で見つけていたのなら、起動させた上で、襲撃前にこの場を離れることが出来ていたかもしれないのだ。


 他の事にかまけて、致命的な見落としをした自身に腹を立てながら、杖を持つ右腕を掲げた。赤い光が尾を引きながら空へ昇り、煌々と輝いて森の上空に留まる。これを見た仲間たちが一刻も早く駆けつけてくれるよう祈りながら、セドナは動揺を押し殺した声でライオネルへ低く呟いた。

「ここまで盛大なミスを犯すなんて、生まれて初めてです。――戦いましょう。結界装置があるのなら、見過ごすわけにはいきません」

 内心では、ベルキスたちとの無謀な戦いに恐怖している。しかし自らが招いたとも言える窮地への罪悪感と、結界装置の起動という使命感が、彼女から退却という選択肢を遠ざけた。彼女の宣言にライオネルは一瞥だけを返し、代わりに口を開いたのはベルキスだった。

「逃げないのね。でも今日は貴方と戦いに来たわけじゃないのだけれど……」

困ったようにそう言いながら、ちらりとイオルムを見る。そして滑らせるようにライオネルの方へ視線を向け、良いことを思いついたとばかりに笑みを浮かべた。

「せっかくお仲間が居るのだから、任せてしまいましょうか。私はセドナと少し話があるから、二人で遊んでいてくださいな。……こうしておけば、お互いの邪魔にもならないでしょう?」

 ベルキスは何気ない様子で手を叩く。パン、と音が鳴った瞬間、空間を二つに分けるガラスのような壁が出現した。一方にベルキスとセドナ、もう一方にイオルムとライオネルが居る。

「これでも一対一だから、ちょうど良いわね。そちらは勝手にどうぞ。私は貴方たちのどちらにだって、邪魔も手伝いもしないわ」

「後から来た分際で、勝手なことをする。……まあ良い。余計な邪魔が入らぬうちに終わらせるか」

ベルキスの行動にイオルムは一瞬顔を顰めたが、すぐどうでも良くなったのか、壁の内側だけに意識を向ける。そこに居るのはライオネルだけだ。

「ライ!」

 壁に触れたセドナは、簡単には破れそうもない結界魔法に焦りを募らせた。二対二であれば、まだイオルムたちの魔法をセドナが相殺しつつ、ライオネルが隙を見て攻撃に出るという戦法が取れた。しかしこうなってしまっては、魔法の威力を殺ぐことすらできない彼が圧倒的に不利だ。一方的な戦いを恐れ呼びかける彼女に対して、それでも彼は抑揚無く答える。

「自分の心配をしたらどうだ。……俺に構うな」

 突き放し、そのままイオルムへ向かって行く。セドナは始まってしまった戦いを呆然と見送った。

 やがて沸々と湧き上がってきたものは、怒り。

(心配すら、させてくれないのですか。結界装置のことも、何も言ってくれないままに、私に背を向けるのですか! そんなに私のことが信用できないのですか!?)

音にならぬ叫びを頭の中に木霊させる。爪が食い込むほどに拳を握り、一度だけ力任せに壁に叩き付けた。そんなことをしても結界魔法はびくともしないが、何かに当たらずにはいられなかった。

 苛々と身を翻し、己が敵と対峙する。咎めるような師匠の目つきにすら、心がささくれ立つ。そんな彼女の目には、やはり映らないものがあるのだった。


――――――――――


「そら、避けてばかりいないで反撃してはどうだ? 我輩はまだ一度も攻撃されていないぞ。まあ〈影〉すらまともに倒せぬ貴様では無理な話か!」

 次々に放たれる魔法弾が、ライオネルの通った後をなぞるように地面を抉る。どこからともなく湧いて出た〈影〉が黒い刃を振りかざしてくるため、彼は反撃に出るどころか、前後左右からの攻撃を見極め避けるだけで精一杯だった。

(せめて〈影〉を減らしたい。だが攻勢に出れば、確実に一撃はまともに貰うことになる。……逃げ回るしかないのか、くそ!)

掠めた魔法が腕を焼き、斬撃が足を止めようと浅く刻む。酷くなりつつある雨が、容赦なく体温も体力も奪ってゆく。手にした双剣はもっぱら防御専用になっていた。何度も見た赤毛の舞う姿を思い出しながら、ライオネルは必死で攻撃する隙を窺う。この世界に来て新たな仲間たちから得た、戦いでの身のこなし方の多様さが、ここまで彼に重い攻撃を避けさせ続けていた。

(盾で防御するには、数が多すぎて力負けする。避けるとなれば、俺にはゴウのような力も、シルバのような速さも無い。今一番「真似しやすい」のはやっぱりエルヴィラか)


 彼女はどんな風に躱していただろうかと、鮮明に思い描ける戦闘での動きをなぞる。一対一で剣と盾を持っていたなら、彼はクレスの真似をしていただろう。防戦を強いられたならエドウィンを、策で弄しようと言うならジャンを、槍を使うならフィリオンを、魔法を唱えるならセドナの杖を持つ。状況に応じて、仲間たちならばどうするかと考え、その通りに動いていた。

 彼は各人の細かい癖すらも気づくほどに、仲間たちを見て来た。義勇兵になったばかりの頃から今までずっと、彼を支えているのは仲間の力である。


「一人では逃げることしかできぬ弱者が。……向こうの仲間に縋り助けを請うなら、今の内にすることだ。情けで我輩が壁を破ってやろうではないか」

 不意に攻撃の手を止めたイオルムは、そう言って嗜虐的に笑う。〈影〉も彼に従うように、ぼんやりと白く光る眼を向けるだけで近づこうとしない。まるで、目に見えぬ仲間に支えられてなんとか立っているライオネルを、どう嬲ろうかと思案しているようだ。ようやく立ち止まることを許され、ライオネルは息を整えながら宿敵を睨む。

「そんな助けなど必要無い。俺は一人で乗り切って見せる」

 セドナと分断された今の状況をある意味で好都合だと考える彼は、どんな窮地に自身が追い込まれようと、壁の向こうへ手を伸ばすつもりはなかった。

(セドナには、俺のことを気にせず戦わせないと。ベルキス一人を相手にするのだって、相当辛いはずだ。あんなに動揺しているのに、俺やイオルムのことまで構っている余裕は無い)

セドナの手を借りて二対二で戦えれば、自身の負担は相当軽くなるだろうと分かってはいる。だがセドナの精神状態は不安定で、むしろライオネル一人で敵を退けるべきではないかというほど。本当は落ち着くまで後ろに下がらせたいぐらいだった。だからこそ彼の中では、助けに行くならまだしも、助けを求めることなど論外だ。

 武器を構え直し、壁の向こうを一瞬だけ確認すると、再び目の前の敵に集中する。ライオネルは最初から、セドナが危なくなれば壁を突破するつもりで、分断を受け入れていた。攻撃に転じきれないのも、時折向こう側の様子を気にしているからだ。

 そしてイオルムはそんな心理に気づいていて、わざと当たらない攻撃を続けている。全てはただ身も心も甚振るためだけに。

「出来もせぬくせに、よく言えたものだ。そんなに〈紅の義士〉でありたいのか? 押し付けられた役割に縋るとは、哀れだな」

「……何だと」

殺気に満ちた空間の中で、どちらもその場に立つのみ。戦闘は完全に止まっている。だがイオルムの言葉は鋭利な刃物となって、確実にライオネルの心を切り崩そうとしていた。


「気づいていないのか? 脆弱な人間どもが貴様を英雄と煽てるのは、自らの代わりに死地へと向かってくれる『生贄』にするためだというのに。所詮貴様は捨て駒で、死ねば他の者が立派に『英雄役』を果たすだろうよ」


「――――っ」

 息を呑み、初めて動揺を露わにしたライオネルに、魔王は愉悦の滲む声でなおも続ける。

「本当に人間とは愚かな生き物よ。貴様に『義士』と呼べるような崇高な志など無いことも見抜けず、ただの復讐者に英雄役をさせるとはな!」

イオルムは心底おかしいと嗤う。何も言い返さないライオネルは、身体の傷こそ少ないが、それ以上に戦う力を殺がれていた。まだ体力は残っている。しかしイオルムへ斬りかかって行くことは、最早不可能だった。

「仲間など、確かに貴様には必要無かろうよ。貴様にとっては復讐の足枷にしかならぬのだろう? 目の前で倒れた時、救ってやらねば『英雄』とは名乗れぬからな」

 壁の向こうを見遣ったイオルムにつられ、ライオネルもそちらへ顔を向ける。セドナは苦戦し始めていた。その表情を見れば、理由は一目瞭然だ。

「さあ、どうする〈紅の義士〉。このまま我輩と戦い、嬲り殺しにされるのを待つか? それとも、あの女を見捨てて逃げると言うなら、その隠し持った魔晶石を使おうとも追いはせぬぞ。――嬉しかろう。貴様が『自分のために』生き延びると言うなら、見逃してやっても良いと言っているのだぞ?」

 イオルムは当然後者だろうという意味を込めて、侮蔑の眼差しと共に囁く。逃走を教唆する悪魔の声に、この状況で抗えるわけがない。どちらにせよ、戦意を喪失したように見えるライオネルが、これ以上抵抗できるとは考えていなかった。


 〈変幻の神器〉が光に包まれ、その形を変える。元々の腕輪にではなく、一振りの刀へと。目を細めたイオルムに、ライオネルは感情の籠らない、常の冷めた瞳を向けた。

「〈(くろがね)を以て阻むこと敵わず〉」

 刀を上段に構え、片足を引く。赤い夢の中で聞いた声が、脳裏によぎった。

――お前は何のために戦っている

(俺はいつだって、傷つくのが怖いだけだ)

その声の主は、彼にその技を教えた者であり、彼が最初に失った「仲間」だった。

「〈我が刃に断てぬもの無し〉」

感情を表に出さなくなったのも、振り返ることなく進み続けたのも、その問いに対する彼の答えを実行していただけにすぎない。そしてそれを貫くなら、今ここで彼の取る選択肢は決まっている。

「――〈斬鉄剣〉」

 振り下ろした先へ、輝く斬撃は真っ直ぐに飛ぶ。それを追って、ライオネルは駆け出した。ガラスの割れるような音が響く中、不可視の傷が身体を蝕むのも構わず、彼は崩れた壁の向こう側へ飛び込んだ。

 彼の視界には、敵でも、己の流す血でもなく、危機に陥った仲間しか映らなかった。


【Die fantastische Geschichte 0-26 Ende】


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