0-25:限界点
火の封印編本編一話目。
【0-25:限界点】
赤い夢を見た。見渡す限り広がる、赤黒い雲に覆われた空と、血塗られた大地、そして火の海に沈む村。その中を、前だけ見据えて歩き続ける。声が聞こえても、振り向いてはいけない。助けを求めていようが、怨嗟をぶつけていようが、嘆き悲しんでいようが、耳を傾けてはいけない。前から向かって来た敵には、手にした剣を一閃。そのまま歩いて、後方に追いやる。
――お前は何のために戦っている
歩くうちに足が疲れてきた。武器を持つ手も鉛のように重い。身を染める赤の中に、自身のものが混ざり始める。それでも、ただ進むことだけを考える。この痛みは幻覚だ。背後に横たわるものの中に、大切なものがあったことなど、思い出してはいけないのだ。
――お前のせいで、死んだんだ!
なぜなら、守りきれなかったのは、この弱さのせいなのだから。掴めるものの少ない、この手が悪いのだから。次こそは奪われないように、次こそは失わないように、戦い続けなければ。
〈紅の義士〉は英雄だ。人々が望んだ救いの手だ。だからこそ、全てを守らなければならない。そのためには、自分の事になど構っている余裕は無い。感情を捨て、前だけを向いて、守るべきもののことだけを考える。
いつしか赤い世界に残ったものは、うず高く積み上げられた屍の山と、その前で英雄役を演じる人形だけになった。
「――――っ!」
勢いよく身を起こし、ライオネルは混乱を振り払うように辺りを見回した。クロスヴェルトで自身に宛がわれた部屋。眠りにつく直前と変わらない様子に、ようやく先ほどの光景は夢だったのだと気づく。窓の外には明ける気配の無い宵闇が広がるだけで、赤など一切見受けられない。そのことに安堵した途端、身体の不調に意識が向く。動揺のせいで激しい心臓の鼓動と手の震えを抑えるために、シャツの胸元をきつく握り締めた。じっとりと汗ばみ張り付く布が不快で、荒い呼吸音が更に苛立ちを煽る。
(騒ぐな、落ち着け。誰かに気づかれたらどうする。……このぐらいで迷惑を掛けるわけにはいかないんだ)
耳を澄ませても、他の部屋から物音は聞こえない。不用意に大きな音を立てて他の者を起こさないよう、ライオネルはそっとベッドを抜け出した。
右の手首に嵌っている〈変幻の神器〉を一瞥し、剣を出現させる。次に弓、盾、槍、斧、刀、大鎌、大剣、双剣、杖、メイス……と、代わる代わる思いつくままに形を変える。この武器を手にして以来、彼は事ある毎にこの動作を繰り返していた。多種多様な形を次々に想像できる程度まで、精神を落ち着かせるためでもあるが、単純に彼にとっての戦闘訓練でもある。
(足手まといにだけは、なるわけにはいかない。実力も無ければ心も弱いなんて、完全に戦力外だ。守られるだけの側になったら駄目なんだ)
ライオネルは戦争に巻き込まれるまで、狩りで使う弓以外はまともに扱ったことが無かった。ましてや戦闘経験など論外だ。手数こそ多くなったが、今でも一つ一つの技量はお世辞にも高いとは言えない。それを補って来たのが、人目に付かない所での努力と〈紅の義士〉の演技だった。
(夢見が悪かったぐらいで、動揺するな。ただでさえ弱いのだから、せめて心配させないようにしないと)
一通り武器を出した後、再び腕輪へ戻す。まだ朝は遠いので、また悪夢を見ないようにと祈りつつ、ベッドへ入った。閉じた瞼の裏に赤が広がるが、気にするなと心の中で言い聞かせる。
冷酷非情な〈紅の義士〉。それを本物にするために彼が犠牲にしてきたものなど、元から知る者以外には、誰も気に留めない。そして彼はまた一つ傷を隠して、戦いへ向かうのだった。
その噂が戦士たちの耳に入ったのは、五日前のことだった。
「頻繁に火事が起こる森、か。アインの町からそう遠くないようだ」
「なら今度そこに行こうか。地図を見る限り結構広いみたいだから、全員出た方が良さそうだな」
夕食の際に報告されたそれを、クレスとジャンが調査すべきと判断し、皆も同意する。前日に準備を兼ねて全員で休息を取り、朝から町を出てその森へ向かうことになった。
前回起動させた結界装置の事例から、封印魔法の属性が周囲に影響を及ぼし、結界装置の傍では不自然な事象が発生しているのではないか、という推測を戦士たちは立てていた。前回の場合は風属性だったから、閉ざされた洞窟の中から絶えず風が吹き出していた。今回の場合であれば、火属性の封印魔法が原因だと考えられる。あとは楔石が共鳴反応を起こしたら、結界装置の存在は確定だ。
当日の朝、屋敷を出る段階になって、フィリオンは他の者に聞こえないよう、ライオネルへ声を掛けた。
「ライ、顔色が悪い気がするぞ。大丈夫か?」
深夜に魘されていたことなど知らないが、フィリオンには普段と異なる様子に見えた。しかし当然ながら、ライオネルがそれを肯定するはずがない。
「……問題無い」
ぼそりと、ライオネルは抑揚無く答える。事実、体調不良は無く、たまに夢の内容を思い出して嫌な気分になるだけで、探索に支障は無いと考えていた。フィリオンが囁くように告げたのも、仲間たちに伝えるほどではないからだ。ライオネルは心配無用とばかりに、努めて普段通り振る舞った。
一行が歩き出す中、今にも泣きだしそうな曇天へ、フィリオンは険しい視線を向ける。彼は最初から、ライオネルの本来の性格を知っていた。そしてそのことをライオネルも気づいていて、敢えて他と同じように接している。その意味は「何もするな」。
(あれは何か隠してる。ライも限界が近いだろうし、そろそろ皆に話すべきか? でも変に気遣ったら、逆効果になる。……今日の探索も、無事に終わってくれるといいけど)
知っているからこそ支えようとするフィリオンと、分かっていて拒絶するライオネル。水面下で牽制し合っている二人の遣り取りを、他の者たちは誰一人気づいていなかった。
――――――――――
到着した森は、木々が生い茂っているが、特に問題にならない程度には明るい、一見するとごく普通の森だった。しかし少しの間歩き進めるだけで、あちこちに焼け焦げて炭化している樹の残骸を見つけた。不思議なのは、ほとんどが一本か二本ほどが燃えただけで、それ以上広がった形跡が無いことだ。そして更には、その発火の仕方からして、不自然極まりないものだった。
「……物騒な森だなぁ、これは。迂闊に木に近寄るなよ。火傷するぞ」
「近寄るなって言っても、どうしようもねーじゃん。木しかねーんだから」
目の前で突然、枝葉に火が付いたかと思うと、あっという間に一本の木が燃え上がる。あまりに唐突すぎて、黙って見守っていた戦士たちだったが、火は他の木に移る様子も無く落ち着いてしまった。完全に鎮火するまで待ってからジャンが放った言葉に、ゴウが正論を返す。木立の間は二、三人が並べる程度に広いが、それでもここは「森」なのだ。次にどの木が燃えるか分からないと、避けようがない。
「この森中で、妙に火属性の力が高まっています。やはり、魔法の影響でしょう」
手元に小さな火を出現させたセドナは、普段以上の火力が出ていることを確かめて告げる。楔石の反応は今のところ無いが、これほど怪しい場所に結界装置が無いとは考えにくい。期待が高まる中、戦士たちは開けた場所に出た。
「そろそろ散るか。……普段より人数も少なければ、互いの距離も離れる。危なくなったら、躊躇せず魔晶石を使うこと」
前回とは違って範囲が広すぎるため、森を回り結界装置を探すという地道な手段を今回は取らざるを得ない。極限まで手を広げようと考えた結果、二人一組で方々を探索するという形になった。戦闘になった際少々心もとないが、一人一つ転移魔法を宿した魔晶石を持っているため、緊急の場合は基準点を設置して来た森の入口まで戻ることができる。そこらの魔物に後れを取る彼らではないが、敵の妨害が入る可能性は十分にあった。クレスの解散指示に、各々真剣な表情で森に分け入って行く。
「ねぇ、クレス。セドナたち本当に大丈夫かな。喧嘩したりしない……よね」
「信じよう。こればかりは避けられなかったのだ」
クレスと共に進むアイリスは、不安そうに背後を振り返る。セドナとライオネルという組合せに、彼女だけでなくクレスも最初聞いた時は苦い顔をしていた。しかし戦闘になった時のことを考えれば、魔法が不得意なライオネルには魔法一辺倒なセドナを一緒にするしか無かったのだ。アイリスはほぼ非戦闘要員なので、相方は実質二人分戦える者でなければならず、そうするとクレスぐらいしか組めない。フィリオンと組ませれば魔法面はぎりぎり補えるが、多数を一気に相手取ることになれば火力が不足する。他の者にしても同様だ。安全策か性格の相性か、と考えた時、前者に軍配が上がったのは当然のことだった。
「この機会に、好転してくれると良いのだがな……」
荒療治ではあるが、二人の不仲はいずれどうにかしなければならない問題だ。協同作業で少しは互いに歩み寄ってくれるだろうと、仲間たちは祈るばかりであった。
終始無言で森を進む。時折襲い掛かってくる魔物も大抵は一体か二体で、そうなるとセドナが気づくより早くライオネルが弓で仕留めてしまう。草むらや木の陰に隠れているものを見つけ、近付かれる前に始末する腕は素晴らしいが、逆にセドナは自身が足手まといな気がして、異常なほど鋭い危機察知能力に複雑な気分だった。
(本格的な戦闘になったら、私では頼りないということでしょうか。だから早めに数を減らそうという意図があるように思えてなりませんね……。それとも、これぐらい気づけという当てつけでしょうか)
どちらにせよ、自分の力を信用されていないように思えて、セドナは釈然としない面持ちで前を行くライオネルを見る。一方の彼は、その様子に神経をますます張り詰めてさせていた。
(セドナは機嫌が悪そうだな。真正面から敵と戦うことになっても、誰にも頼れないから不安なのか? ……なら、そうなる前に敵を片づけるしかない)
潜む気配に注意しながら進む。少しの物音にも反応できるよう、全力で意識を外に向けていた。後ろを振り向かずとも、セドナの雰囲気の変化が読めるほどだ。突き刺さる視線が頼りないと責めているようで、居心地の悪さを感じながらも沈黙を返すしかない。
思考ですれ違ったまま探索を続けること数時間。ぽつりと頬に落ちて来た雫で、セドナはとうとう雨が降り出したことに気づいた。まだ小雨と言える程度で、頭上の木の葉が多少屋根代わりになってくれているが、濡れっぱなしになっていることには変わりない。
「ライ、あの樹の下で雨宿りしましょう。止むかは分かりませんが、少し収まるまで待った方が良いです」
「……分かった」
セドナは進行方向に立派な大樹を見つけ、そこへ向かうようライオネルに提案する。彼も雨に打たれ続けるのは避けたかったので、素直に頷いて他の木々より一回り大きなその樹を目指した。
いつ発火するか分からない森の中で、よく今まで無事だったと思えるほどに年月を重ねた大樹だった。周囲の木々も心なしか幹が太く、まるでこの一帯が森の原点であるかのようだ。大樹の広く張り出した枝と生い茂る葉の下に入り、歩き通していた二人は休憩も兼ねて雨の様子を見る。セドナは大樹に背を向け、根を挟んで隣にライオネルが立っている形だ。大樹の方を向く彼は、じっと雑草の生えていない茶色の地面に目を落としている。
セドナは探索を始めてからまだ一度もまともに会話していない――最初に魔物を倒した時と先ほどの返事以外で、ライオネルが口を開いていないからだ――ことに気づき、二人きりで面と向かって話せる貴重な機会を逃してはならないと、一念発起して話しかける。仲間たちが居る前では聞けなかったことを、はっきりさせるのは今しかない。
「貴方に聞いておきたいことがあります。……皆がいない時にしか言えないことですから、黙りこまないで答えてください」
緊張で固くなった声色に、ライオネルは顔を上げて聞く姿勢を見せる。口の中が乾くのを感じながら、慎重に言葉を選び問いかけた。
「貴方にとって、私たちは『仲間』ですか? 背を預け、助け合い、共に生きるに足る存在ですか? ――それとも、仕方なく共闘しているだけで、邪魔になれば捨てるような、敵と同じ価値しかない存在ですか?」
言い切った後には、雨音だけが空間に残った。とうとう言ってしまったと後悔しそうになるも、ここで決着をつけるべきなのだと気を奮い立たせる。それでもライオネルの顔を直視することができず、代わりに雨の森を睨みつけた。視線が自身に向いているのは分かるが、果たして本当に答えてくれるだろうかと、何倍にも感じられる一秒を過ごす。
そうして彼が与えた答えは、セドナを更に悩ませることになった。
「……どちらも違う。後で捨てるぐらいなら、最初から持たない。それと、お前の言う『仲間』など、俺は要らない」
ライオネルは言葉の一部だけを否定する。意味を掴みかねたセドナは、考えの纏まらぬままに話し出した。
「それは、どういう……貴方にとっての仲間は違うと? 私たちのことを、どう思って一緒に――」
もう少しで何かが分かる。ここで間違わなければ、見えない壁を突破できる。そう直感的に悟りながら、逸る気に急かされるように出した疑問は、突如として発せられた第三者の声に遮られた。
「こんな所に、ネズミが二匹。……相変わらず貴様の周りには人が居るのだな。仲間など必要無いのではなかったか、〈紅の義士〉?」
【Die fantastische Geschichte 0-25 Ende】




