0-22:答えの形
【0-22:答えの形】
翌日。ゴウは普段よりも静かであったが、沈んでいる様子は無く、他の戦士たちは安堵に胸を撫で下ろした。問題の遺跡へ向かうに当たって、ゴウは頼みがあると切り出す。
「ベルゼルビュートが出てきたら、オレに戦わせてくれ。一発ぶん殴ってやんねーと気がすまねーから」
「それは構わないが、無理はしないように。全員で赴くのだから、全て一人で片づけようなどとは考えないことだ。敵が一人とは限らないのだからな」
「あったりめーじゃん! むしろ皆が居なきゃ困るもんな」
快活な笑顔は普段のそれだ。まだ彼を案じていたクレスも、つられて表情を微かに緩める。この分なら問題は無いだろう。遺跡があると聞いた方角を見つめ、厳かに仲間たちへ告げた。
「行こう。この町を、脅威から救うために」
北の街道の脇にある林に、その遺跡は在った。何かの土台やおそらく柱だっただろう石が、好き放題伸びた雑草の中に埋もれている。往時の姿は皆目見当がつかないほど、遺跡は原形を留めていない。建物らしきものは無かったが、岩山とほとんど変わらない塚に、地下へと続く穴が空いていた。
「あれが例の入口のようですね。……風属性の魔法が、あの中から流れ出ています」
ベルゼルビュートが開いたという入口の奥からは、緩やかだが風が吹いていた。穴の向こう側が地上に繋がっている、というわけではないのは、セドナがこの風を魔法だと断定したことで分かる。ベルゼルビュートたちが遺跡を隠したかった理由に、関係があるはずだ。
「……この穴自体は元からあったみたいだな。しかも、ちゃんと舗装してる」
中を覗き込んだジャンが、天井や地面を固めている石を指して言う。地下へ続く坂は等間隔で石が埋め込まれ、人が歩きやすいようになっていた。土壁を支える柱もあり、明らかに人工的に整えた跡があった。シルバが嗅ぎ取った匂いに顔を顰め、暗い穴の奥を睨む。
「埋まってた入口を掘り出したヤツは、どうやら中に居るみてぇだぜ。匂いが風に乗って来やがる」
「ベルゼルビュートが待ち構えているってことか。……奥の広さが分からない以上、俺は外に居た方が良いかもな。挟み撃ちされる可能性も考えて、何人かは外で待機するのはどうだ?」
奥に敵が居ると確信し、フィリオンが分散を提案した。入口や現在見えている部分は大人四人が横に並べるだけの余裕があるが、戦闘をするには厳しい上に、奥の方が狭くなっているかもしれない。槍を扱うフィリオンだけでなく、混戦になれば他の者も戦いづらくなるだろう。
話し合いの結果、奥にはクレス、セドナ、ゴウ、エドウィン、アイリスの五人で進むことになった。セドナが魔法で作り出した光源を頼りに、慎重に歩を進める。道は途中から傾斜が無くなり、地中深くまでは潜らないようだった。懸念していた道幅は一定を保っており、直進ではないが脇道も無いおかげで、迷わず先へ向かう。吹き抜ける風の音と、彼らの足音が反響し混ざり合った。
「……怪しいな。ここまでベルゼルビュートどころか、目撃証言にあった〈影〉すら出て来ていない。最深部で待ち伏せているのか……」
先頭を歩いていたクレスは、静か過ぎる内部の様子に警戒を強める。先日遺跡へトールたちが迷い込んだ際は、近付く前にベルゼルビュートが出て来たという話だった。とすれば、戦士たちがここに来たことも、敵は気づいている可能性が高い。今まで敵襲が無かったのは、何らかの罠ではないか。彼の言葉に、殿を務めていたエドウィンも同意し、前方へ目を凝らす。魔法の光に照らされていない部分は、完全なる闇だ。例え全体が明るかったとしても、進路は曲線を描き、先を見通すことはできない。
「風が強くなっているけれど、それだけだね。奥の様子が全く見当付かないから、どこまで進んでいるのかも分からない」
エドウィンの声は緊張を含んでいる。不気味な漆黒へ溶け込む道に、いつ現れるか分からない脅威。それらに神経が磨り減らされる思いだ。
いつになく張り詰めた空気の中で、ゴウはあることを思いついた。
(そういえば、ここって地面の中なんだよな。山神の力を使ったら、周りの土が何か教えてくれるかも)
大地は時折、具体的な言葉やイメージにはならない曖昧さでだが、彼に何か伝えて来ることがある。確実性のある直感とも言えるそれは、一方的に与えられるのが常だった。元の世界で、不思議な少女と濃紺の兵士を見つけた時のように。
(オレの方から教えてほしいって言ったこと無いや。やり方が分かんないからって、いつも待ってるだけだったからなー。……よし)
仲間たちに少し待ってくれと言って、しゃがんだ足元に両手を着く。何事かと怪訝な顔をする彼らへ説明もそこそこに、ゴウは意識を掌へ集中させた。山神は属する土地を離れるほど、大地への干渉力に制限がかかる。昨日の地震が公園内だけに収まったのも、それが一番の要因だ。そう易々と反応が返って来ることはない。
「頼むから、オレの声を聞いてくれよ。オマエからしたら、ヨソ者かもしれないけど。力を貸してほしいんだ。この先に何があるのか、教えてくれ」
昨日の今日で、力の使い方など知りはしない。これまでと異なることと言えば、意識して「使おうと」しているだけだ。内側にあるものを、流れ込ませる感覚で。聞こえたら良いなどと適当なものではなく、ただ一心に、願いを届けようとする。
そしてそれに、大地が応えた。掌と大地の間から、淡い緑色の光が発する。一瞬の間に、求めたものが返された。
少し離れて、開けた場所。複数の蠢くものと、風の源。嫌な気配が、這い寄るように、すぐそこへ。
「――なんか来る!」
ゴウが叫んだ直後、前方から闇の一部が戦士たちへ迫った。クレスが咄嗟に構えた盾と、黒い塊が激突し、耳障りな金属音が響き渡る。
「クレス!」
「問題無い! ……〈影〉のようだな」
アイリスの呼び声に鋭く応え、クレスは地面に弾き飛ばした〈影〉を睥睨する。最初の一体が仄白い目で戦士たちを見ると同時に、更に二体が光の下へ躍り出た。そのまま向かって来た一体へ、クレスが一閃を放つ。怯んだ敵へ、一歩遅れたゴウが大剣を叩きつけた。後方へと進んだ二体はアイリスの防御魔法に弾かれ、セドナが風の刃で一体を捕らえると、エドウィンの剣がもう一体を斬り伏せる。断末魔の悲鳴を上げることもなく、〈影〉たちは跡形も無く消え去った。
「……もういない、みたいだね」
敵の気配が無いことを確認し、アイリスが呟く。誰にも怪我は無く、襲撃が嘘のように全て先ほどまでと同じだった。エドウィンは警戒を緩めぬまま剣を収め、ゴウへと向き直る。
「ゴウ、何で今の敵襲が分かったんだい? クレスより早く気配を捉えるなんて、君がしていたことの結果なのかい?」
クレスの殺気や敵意への反応は、戦士たちの中で最も速い。敵襲を最初に察知するのはたいてい彼で、並ぶことができるのは気配に敏いライオネルか、匂いで先に気づくことのあるシルバぐらいだ。ゴウが先んじたことなど、今までに無いことだった。
「うん、教えてくれたんだ。……この先に広い場所があって、敵もまだいるみてーだった。風も、そこから吹いてるっぽい」
すっと奥を指差し、大地の返答から感じた事を伝えた。敵の接近を「視た」ことで、少年は確信する。仲間たちへ、得意げに微笑んだ。
「大丈夫。……頑張れば、オレのお願いも、ちゃんと聞いてくれるみたいだ。だからこの先でだって、ミカタしてくれる」
――――――――――
襲撃された地点から幾らも歩かないうちに、五人はその場所へと辿り着いた。通路とは打って変わって、広々としたドーム状の空間。奥には祭壇のようなものが見え、風の発生源となっているようだ。そしてその前に立ち塞がるは、異形のものたち。
「ベルゼルビュート……!」
背の大剣を抜いたゴウは、己が宿敵を見据える。やはり最深部で待ち受けていたようだ。周囲には〈影〉も数十体見受けられる。ベルゼルビュートがその場から動く気配はなく、代わりに聞き取りづらい低音が発せられた。
「センシ ハイジョ クラウ ジャマスル」
「やれるもんならやってみろ! オマエはオレがぶっ飛ばす!」
空いた左手の人差し指を突き付け、真剣な顔で宣言した彼の隣に、クレスが並んで構える。杖を構えたセドナは化物の背後にある祭壇を注視し、その正体に気づいて驚嘆の声を上げた。
「あの祭壇、結界装置です! 間違いありません。風の封印魔法に、内側の膨大な魔力。――あんな、あんな複雑な構成の魔法陣、見たことがありません……!」
魔術師としての慧眼には、祭壇が魔法技術の集合体に見えていた。一番外側は風属性の封印魔法。祭壇を憑代に濃密な魔力を蓄えており、幾重にも描かれた魔法陣はそれを使って発動するのだと分かる。魔法陣の一つ一つが異なる効果を持つようで、結界魔法だけでも何十種類とあり、全てを明らかにするのは無理だった。一生を掛けても解析しきれないだろうそれらは、いっそ芸術的なまでの緻密さで配置されている。
「私もそう思う! クレスたちは視えてないかもしれないけど、あんな小さな祭壇に収まってるのが不思議なぐらい、色々な魔法が詰まってる!」
不可視の魔法陣は、魔法使いとして修練を積まなければ、全く捉えることができない。石造りの祭壇にしか見えないクレスたちのために、アイリスは同意で以てセドナの言葉を裏付けた。魔法使い二人の断言に、残りの三人も結界装置だと確信する。
「ということは、ベルゼルビュートがここに居る理由も分かったね。……僕たちからそれを隠すために、何の罪も無い人々を巻き込むなんて」
「ソウチ オマエ ヒツヨウ ワタサナイ ワレ スベテ クラウノミ!」
エドウィンの非難に反応するように、ベルゼルビュートが吠える。その声を合図に〈影〉たちが一斉に動き出し、五人へと襲い掛かって来た。駆け出したゴウの背に、クレスの指示が飛ぶ。
「ゴウ、雑魚には構うな。奴を頼む!」
「おう! やったろーじゃん!」
出発前の約束通りベルゼルビュートと対峙すべく、ゴウは〈影〉の攻撃を掻い潜る。仲間たちの援護を受け、祭壇の前を陣取る宿敵へ猛然と突っ込んだ。
「――――勝負だ!」
跳び退った次の瞬間、先ほどまで立っていた地面が抉れる。顔を狙って伸ばされたベルゼルビュートの腕を、ゴウは左側へ転がって避けた。もう一方の腕による追撃を、左手を着いた反動だけで跳ね起きて躱す。そのままの勢いで振るった大剣は、続く一撃を僅かに逸らすだけで終わった。触手のように伸びる腕が顔の真横を通り過ぎ、背後の壁へと突き刺さったのを確かめ、慌てて距離を取り直す。攻撃が掠めたようで、頬に一筋の紅が滲んだ。先ほどから同じような状況が続いており、小柄な体躯のあちこちから血が流れていた。
(うおおお、今のちょっと危なかった! つーか、コイツ何で出来てんだ!? 柔らかそうなのに、すんげー切れるんだけど!)
ベルゼルビュート本体は動きが鈍く、ほとんど初期位置から離れていない。しかし伸縮自在の腕が高速で猛攻撃してくるため、なかなか本体に近づくことが出来ない。下手に突進すれば、大きく開いた口の中へ飲み込まれるだろう。魔法で離れた所から攻撃したくとも、風の封印魔法に相殺されてしまうため、有効的な一撃を与えられずにいた。
「クラウ コロス センシ カテナイ ワレ スベテ クラウモノ」
「人間の強さをナメんなよ! オマエを倒すって言ったら、絶対倒すんだからな!」
心を折ろうとするベルゼルビュートに、ゴウは負けじと言い返す。不利な状況ではあるが、まだ闘志は衰えていない。貪欲に全てを喰らう化物は、嘲笑うかのように口を歪めた。
「オマエ オナジ ゾクサヌモノ ――ヤマガミ ニンゲン マモノ チガウ コワスノミ アタエヌモノ ワレラ オナジ ウバウモノ!」
同じだと、化物だと、罵る声が重なる。ぴたりと動きを止めたゴウへ、ベルゼルビュートの腕が鞭のようにしなり―――競り上がった土壁に激突した。突如として現れたそれに、ベルゼルビュートが困惑の唸り声を上げる。悶える怪物は崩れた壁の向こう側、大地の瞳を持つ少年の姿を捉えた。
「違う。オマエなんかと一緒にすんな。……オレは山神の代わりに、人間を助けるために力を使うんだ。オマエみたいに、自分勝手に暴れたりしない!」
ベルゼルビュートは、本能のままに喰い尽くそうとする化物だ。自然発生した魔物ではなく、知能を持ち言葉も喋るが、全ての行動理念は「食べること」に行き着く。戦士たちを敵視し立ち塞がるのも、いずれ食事の邪魔になるということが根底にある。暴食の化物。欲のままに喰らい、奪い、壊すだけの存在。
そんなものとは違うと、ゴウは答えを突き付ける。
「山神は凄い力を持ってるけど、トクベツな誰かのためには動けない。人間は頑張って生きてるけど、力が足りなくて悔しい思いをする時もある。だったら、どっちでもないオレは、一生懸命願いを叶えようとしてる人間に、叶えるための力を届けてやるんだ。努力するヤツを助けるために、オレの力はあるんだ!」
助けてほしいと言うのなら、行ってその人のために力を振るおう。なぜなら少年は万能の神ではない。全てのためになどと、考えずとも責められはしない。そして少年は脆弱な人間でもない。己が正義を貫ける、強大な力を持って生まれた。何にも属さぬ自由な存在は、あらゆる道の中から、ただ一つを選び出す。
「世界を救いたいって言う皆の努力も、辛くても生きようとするテオたちの努力も、ムダだなんて言わせない! オレが――絶対に実現させてやる!」
何かに命を懸けられる者こそが、少年にとっての正義だった。もがきながら、苦しみながら、血を吐き、汗を流し、泥に塗れても、立ち上がり進み続ける者。力など無くとも、歩みを止めぬ者。強者だからこそ、弱者を尊敬した。憧れる存在の想いが報われないなど、許せるものではなかった。
力を使う目的は、皆を助けること。力を以て成す目標は、障害を取り除くこと。努力する者達が望む場所へと至れるように、阻もうとする敵を排除し、道を拓く。それこそが己の進むべき道だと信じて。
ベルゼルビュートの発する、おぞましい音が空間に満ちた。言葉に表せない化物の咆哮は、聴く者の恐怖を煽る。しかしゴウは意にも介さず大剣を地面に突き立て、凛と響く声で詠唱する。魔力の低い彼では、呪文の全てを唱えなければ、属性の反発に競り負けてしまう。山神の力はあくまで補助だ。攻撃するよりも、守り助けてほしいと心の中で頼む。
「〈汝は万物の母、創造を司るもの。変幻を以て奪い、不変を以て恵む。正より負へ、負より正へ。中庸なるものは、制する者を厭い、拝する者を拒み、ただ全てに等しく寄り添う〉――」
地属性の詠唱と、風属性の魔法とがせめぎ合う。悪条件だとしても、地属性の魔法しか使えないゴウに、止めるという選択肢は無かった。そんな彼を応援するかのように、周囲の地面が淡く輝く。ベルゼルビュートの攻撃から、先ほどのように壁を作り出して守っていた。望んだ通りに大地は応えている。
(ちゃんと詠唱にも答えはあったんだ。どっちでもない力を、どうやって使うのか。……気づいたから、助けてくれてるのかな)
詠唱を続けながら、頭の片隅でぼんやりと思考する。長い文言を普段は省略していたので、その意味する所をようやく理解した。すぐそこに示されていたのを、今の今まで見逃していたことに苦笑し、最後の仕上げに入る。全ての魔力を使い果たしてでも、この魔法を成功させ敵を倒す。決意の光が灯る眼差しは、求める力と同じ色。
「〈我が声を聞け、属さぬ者よ。汝、ただ与え給え。我、ただ信を成す。我が求む答えこそ、真なるものと願うのみ。大地よ、万物の前に横たわるものよ、我が敵を排し給え。汝が力を礎に、我が望む処へと、絶えざる道を拓き給え〉!」
聖にも魔にもなる力を、己が正しいと信じることのために。その使い道が正しいかどうかは己で決める。だから、ただ与えてくれと希求する。
大地が津波のように押し寄せ、ベルゼルビュートの腕を呑み本体へと迫る。轟音の中に化物の絶叫が混じり、少年が地に伏した音は掻き消された。消耗しきったゴウは、霞む視界でなんとか結果を見ようとする。岩山の陰に宿敵の姿は見えず、代わりに神々しく輝く祭壇が目に映った。あれほど吹き荒れていた風が止んでいる。ゴウの魔法で封印が解かれ、結界装置が起動したのだろう。
遠くに仲間たちが駆け寄る足音を聞きながら、少年は安堵して意識を手放す。大地に抱かれた神の子の寝顔は、人の子と同じあどけないものだった。
【Die fantastische Geschichte 0-22 Ende】




