↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二匹の鼠  作者: 春夏かなた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/9

第8話 意地の一撃


妖の腕が、横薙ぎに唸った。


ドゴッ!


鈍い衝撃とともに、阿茶屋と御子柴の身体がまとめて宙へ浮く。


二人はそのまま泥の上へ叩きつけられた。


二転、三転。


阿茶屋は泥を掻くようにして勢いを殺し、どうにか片膝を立てる。


すぐ隣では、御子柴も刀を杖にして身を起こしていた。


「……しぶてぇ野郎だ」


御子柴は血の混じった唾を吐き捨て、横目で阿茶屋を睨む。


「テメェこそな」


阿茶屋は手の甲で口元をぬぐった。


その手を下ろしきらないうちに――。


ひゅっ。


白い腕が、再び伸びてきた。


阿茶屋と御子柴は同時に地を蹴った。


「ついてくるんじゃねぇ」


「テメェもだ」


二人は肩を並べて、生い茂る木々の陰へ飛び込んだ。


                 ♢


けたたましい嘶きが、山道に響き渡った。


三頭の駄馬が、狂ったように前脚を振り上げている。


背の千両箱がぎしぎしと軋み、荷を括った縄が今にも千切れそうに張りつめていた。


その蹄のあいだを、後ろ手に縛られた男が駆けずり回っている。


矢作だ。


「落ち着け! 頼むから落ち着いてくれ!」


一頭の前へ回り込めば、別の一頭が後ろで跳ねる。


慌てて振り向いたところへ、振り下ろされた蹄が鼻先をかすめた。


「うおっ……!」


のけぞった拍子に足がもつれ、矢作は尻から泥の中へ倒れ込んだ。


両手が使えない。


肩と膝で地面を押し、どうにか起き上がる。


その目の前で、木に括りつけられた手綱が限界まで張り詰め、一頭が首を振り立てて土を蹴散らした。


先ほどの轟音に怯えきった馬たちは、白目を剥いて竦み上がり、いっそう高く嘶いた。


「頼む……頼むよ……!」


矢作は縛られた身体ごと馬の首へ寄りかかろうとした。


だが、馬は大きく首を振ってそれを撥ねのける。


矢作はまたたたらを踏み、蹄の届かない間合いへ転がり出た。


「あんちゃんっ!」


木立の向こうから涼音が駆け寄ってくる。


矢作は振り返って、目を見開いた。


「お前、なんで戻ってきた……!」


「それより、馬を逃がすんだ」


「お、おお」


矢作はくるりと体の向きを変え、縛られている後ろ手を見せた。


涼音の指が結び目にかかる。


(これなら、すぐ解けるか)


涼音は手早く縄をさばきはじめた。


「あんちゃんだけかい」


「ああ……ほかの奴らは、みんな逃げちまった」


ほどなくして、縄が足元へ落ちた。


矢作は痺れた腕を、確かめるように強くさすった。


「さあ、早く」


涼音の鋭い声に、矢作ははっと顔を上げ、力強く頷いた。


その時だった。


「――そうはさせんぞ!」


怒号が木立を震わせた。


茂みを掻き分けて、眞田が姿を現す。


肩で荒く息をつき、額の傷から流れた血が、片頬を赤黒く汚していた。


「さ、眞田様……!」


矢作の顔が凍りついた。


陽の光を受け、眞田の白刃がぎらりと禍々しく光る。


だが、涼音は怯まず、馬を繋いだ木へ向かって駆け出した。


矢作は一瞬迷いを見せたが、その背をちらりと見ただけで、眞田へ向き直り地を蹴った。


「うおおおおおっ!」


丸腰のまま、真正面から突っ込んでいく。


眞田の刀が一瞬遅れた。


ドスッ!


岩のような肩が、眞田の胴へめり込んだ。


矢作はそのまま両腕で眞田を抱え込み、もつれ合って泥の中へ倒れ込む。


「ぐはっ……!」


仰向けに転がった眞田が、矢作を押しのけ、刀を振り上げようとする。


だが、その時にはもう――。


涼音の手が、木に繋がれた手綱の結び目を引き抜いていた。


「ほら、行きな」


涼音は自由にした一頭に向かって両腕を振りながら叫ぶ。


駄馬は甲高く嘶き、千両箱を背に揺らしながら、山の奥へ飛ぶように駆け去っていった。


                 ♢


木々の合間を、妖がゆっくりと歩いていた。


何かを探すように、狐面を左右へ巡らせている。


時折、馬の嘶きのする方へ面を向けては、また木立へと視線を戻す。


その足が、ふいに止まった。


耳をそばだてるように、じっと動かない。


やがて、その面が一本の巨木へ向けられた。


(やべぇ……気づかれたか)


巨木の陰で身を縮め、息を潜めていた阿茶屋は、奥歯を噛んだ。


妖の気配が、じりじりと近づいてくる。


阿茶屋は幹に背を沿わせ、足音を殺して回り込みはじめた。


妖もまた鼻を蠢かせ、幹を迂回するように足を進める。


ひとつ、ふたつ。


巨木を挟んで、互いに円を描くように巡っていく。


その時――。


カサッ。


すぐ近くで、乾いた小枝が折れた。


妖がぴたりと足を止める。


そして、ゆっくりと音のほうへ向き直った。


その先に、顔をしかめて立ち尽くす御子柴の姿があった。


ザッ!


御子柴が地を蹴った。


それを見て、阿茶屋も御子柴を追う。


「どこ行くつもりだ」


「あぁ?言う訳ねぇだろ」


言い合う二人の背後を、妖がゆっくりと追っていく。


              ♢


一頭目を放った涼音は、間髪入れずに二頭目の手綱へ手を伸ばしていた。


「おのれ……!」


眞田が顔を真っ赤にして跳ね起きる。


同じく身を起こした矢作へ、その切っ先が向け直された。


矢作は足を踏み出せず、切っ先を見据えたまま立ち尽くす。


その時だった。


「眞田ぁ!」


叫び声が、木立にこだました。


眞田の目が、声のほうへ逸れる。


その一瞬を、矢作は見逃さなかった。


泥を蹴立て、三頭目が繋がれた木へ向かって駆け出す。


「待てぇ!」


眞田が後を追う。


木立の向こうから駆けてきた上月が、それを見るや、走る向きを変えた。


矢作の手が、木へ伸びる。


その背に、眞田の刃が迫った。


同じ時、涼音の指が二頭目の結び目を引き抜いた。


ヒヒーーンッ!


甲高い嘶きが、辺りを裂いた。


二頭目の駄馬が山奥に消えていく。


涼音はゆっくりと振り返った。


その目が、大きく見開かれていく。


泥の中に、矢作が転がっていた。


その場所に立っていたのは、上月だった。


振り下ろされた眞田の刃を、その身で受け止めるようにして。


泥を払って顔を上げた矢作が、目の前の背中を見上げる。


「こうづき……様……」


その声が震えていた。


「上月……!」


眞田が目を見開き、よろめくように後退った。


「……掠り傷だ」


上月が、掠れた声を絞り出す。


だが、着物の胸元には、みるみるうちに赤黒い染みが広がっていった。


「……貴様を斬るつもりはなかったのだ」


眞田は顔を歪め、刃を下ろした。


「なら、なぜ裏切った……!」


上月は片手で胸を押さえながら、それでも刀を構え直した。


切っ先が、わずかに震えている。


誰も動かない。


その静寂を――。


「馬が一頭しかいねぇじゃねぇか!」


だみ声が破った。


馬を挟んだ向こう側の木立から、御子柴が飛び出してくる。


そのすぐ後ろには、阿茶屋の姿もあった。


「やっぱりテメェ、一人で逃げる気だったか」


毒づいた阿茶屋の目が、ふと馬の向こうで止まった。


「上月様……!」


胸を赤く染めた上月と、刀を下げた眞田。


阿茶屋の目が二人に奪われた、その一瞬に、御子柴が最後の一頭へ向かって踏み出した。


「行かせるかよ!」


阿茶屋の一撃を、御子柴が刀で強引に弾き返す。


(今だ)


二人が打ち合う隙に、涼音は三頭目の木へ向かおうとした。


だが、その足が止まる。


最後の一頭のかたわらに、いつの間にか白い影が立っていた。


妖が、馬の首を撫でている。


「来おったか、化け物め」


上月が、ゆっくりと妖へ顔を向けた。


次の瞬間、妖が地を蹴った。


一足飛びに間合いが詰まる。


振りかざされた爪と上月とのあいだへ、割り込む影があった。


眞田だ。


「眞田!」


「ぐはっ……!」


上月の叫びに、呻き声が重なった。


妖の爪が、眞田の脇腹を引き裂いている。


だが、眞田は退かなかった。


その腕を、自らの脇でがっちりと抱え込む。


「上月! 短筒を――!」


叫びは、半ばで途切れた。


妖が腕を振り払う。


眞田の身体が宙を舞い、泥の上へ叩きつけられた。


その一瞬に、上月は懐の短筒を引き抜いていた。


阿茶屋から託された、あの短筒だ。


迫りくる妖の額へ、筒先をじかに突きつける。


迷わず、引き金を引いた。


カチリ。仕込まれた火打ちが火花を散らす。


――ズドンッ!


轟音が、辺りの空気を震わせた。


至近距離から放たれた一撃は、狐面もろとも、妖の頭の半分を粉々に吹き飛ばしていた。


「ぐっ」


刀にもたれながら、眞田が泥の中から立ち上がる。


「……やったか」


御子柴と刀をあわせたまま、阿茶屋が呆然と呟いた。


(……火がいらなかったんだ、あれ)


涼音は心の中で舌を出した。


頭を半分失ったまま、妖はふらりと身を揺らした。


だが、倒れない。


その姿がゆっくりと霧にほどけ、山の奥へ溶けていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。