理不尽以外のなにものでもない
安久津 千善は病院に居た。女性がベッドに横になっていて、傍らで女性の両親が泣き崩れていた。
千善は女性の両親の後ろで棒立ちで放心していた。涙は既に枯れ果てていたのか、現実を受け止められないのか、只呆然と変わり果てた女性を見ていた。
どれ程の時間が経過したのだろう。女性の父親が母親の身体を支えながら立ち上がる。
「……千善君、本当に有難う……娘にお別れを言ってあげてくれ……」
辛そうな声色をしていた。二人が病室を後にすると、二人きりの空間になった。
千善は不安定な足取りでゆっくりと女性に近付いた。
綺麗な黒髪……。とても整った顔立ち……。穏やかな表情……。とても……死んでるだなんて……。
彼女は病気だった。生まれつき心臓が弱かったが、これまでは普通に暮らせていた。急変したのは高校に進学して直ぐだった。
教室で突如苦しみ出した彼女。幼馴染だった千善は心臓の事を知っていた為、特別に担任と共に救急車へ乗り病院へ同行した。
彼女の両親が到着し、担任は学校へと戻っていく。
「千善君……」
「おじさん……」
彼女の父親は落ち着かない様子でウロウロと歩いていた。母親は対象的にベンチに座って両の手を握り祈っているようだった。
暫くすると検査が一通り終わり医師が出てきた。両親が呼ばれ、個室へと入っていく。
彼女の両親が出て来た。
「……取り敢えず命に別状はないそうだ。あの子について来てくれて有難う」
「いえ……」
「この後も色々と検査をしないと分からないみたいだから、今日は帰ろう……送っていくよ」
外は暗くなっていた。
送ってもらっている車内、助手席に座っていた彼女の母親の肩が揺れているのに気が付いてしまった。
家に着くと自室のベッドに寝転んだ。直ぐに帰れなかった、会うことすら出来なかった彼女……。でも、大丈夫。何とかなる。治る。大した病気じゃない。そんな事を考えていないと頭がおかしくなりそうだった。
帰宅してから何をしたのか、何を食べたのか、全く覚えていなかったが気が付いたら朝になっていた。
学校に着き、教室に入ると何時もと変わらない日常が待っていた。誰も彼女の事に触れようとはしなかった。千善に対して聞こうと思えるような空気を纏っていなかったのだ。
千善が心此処にあらずで過ごした数日後。
彼女に余命が宣告された。
『高校を卒業する事は出来ないでしょう』というものだった。
彼女の両親は号泣した。本人には未だ言っていないらしいが千善の家族にもそれは共有された。
千善は自室で泣き喚いた。涙と声が枯れるまで延々と、まるで小さな子供のように。
千善は幼馴染以上の感情を彼女に持っていた。
彼女の両親はそれを知っていて千善の家族にも共有してくれていた。
急に突き付けられた三年というあまりにも短い期限。しかし千善には落ち込んでいる時間すら惜しかった……。
余命宣告をされたものの、悪化するまでは自由に外出が可能らしい。学校を如何するか、余命宣告について彼女に対し如何するか、目を覚ましたらじっくり考えて答えを出すとの事だった。
(先ずは告白をしよう……。
振られたとしても……後悔はしたくない……)
彼女が目を覚ましたと連絡があった千善は急いで病院へ向かった。病室へ向かう途中、彼女の両親に出会すと慌てて頭を下げた。
父親と少し会話をしていたが、何を話していたのかはあまり覚えていなかった。動揺・葛藤・無事に目を覚ましてくれた事への嬉しさ・この後の辛さ・そして告白……色々な事が脳を駆け巡る……。
でも、千善は覚悟を決めていた。
俺が絶対に――
「きゃあぁああああああ!!!!!」
院内が一瞬静まり返る。女性の……悲鳴……。
幼馴染の……では無い……。
嫌な予感がした。教えて貰った病室の方向……。千善は駆け出していた。病院内で走ったのは人生で初めてだった。息が切れる感覚も無い程必死に走った。
看護師の女性が廊下で尻餅をついて失禁していた。白い仕事着が黄色に染まっていく。目には涙を溜め、歯がガチガチ音を立て、必死に後退っていた。
千善は怖さを圧し殺し病室の中を見る。
「……は?」
ザシュッ……グチュ……ガッッ……ゴリッ……グキッ……グリグリッ……ザッ……ゴギッ……ブチュッ……ビチャビチャ……
気持ちの悪い音……。
幼馴染がベッドの上で跳ねていた。
見知らぬ男が彼女に馬乗りになり、両手を頭の上に振りかぶり、彼女の腹を何度も何度も何度も何度もナイフで突き刺していた。
ブシュッ……
ポタ……ポタ……
白いシーツを鮮血が染めていた。
彼女の口から血が泡のように吹き出していて、耳に垂れ落ちている。
彼女の瞳に光は無かった……。
「な……んだよ……これ………………ッ!!
何なんだよお前はァァァァァッッ!!!」
千善は自分でも不思議だった。片想いの幼馴染を今まさに殺した凶器を持った殺人鬼相手に丸腰で突っ込んで行ったのだ。
「ア……?アヒャヒャヒャヒャ!!」
男は向かってきた。
――刺される!!
そう思ったが男は千善を突き飛ばすと看護師の尿を気にも止めずビチャッ!と踏み付けながら逃げ出した。
悲鳴が院内から轟いていたが、千善の耳には届かない。
ゆっくりと彼女に近付く。
ビチャッ……ビチャッ……
歩く度に聞きたくもない音が鳴り、鮮血に波紋が広がっていく……。
幼馴染の顔は刺されていなかった。とても綺麗な顔……。
やっちゃダメな事だと、千善には分かっていたが……。
彼女の目をそっと手で閉じさせる。人差し指で彼女の口の血の泡を拭ってやると、未だ温もりのある彼女の唇に口付けを落とした。
彼の、彼女の、最初で最後の口付けだった。
そして数日後、彼女に最後のお別れをした後。千善は眠れず、コンビニへ行く事にした。
幼馴染を殺した犯人はあの後、警察官に射殺された。結局院内で幼馴染を含む3名を殺害、警察官1名を殺害、重軽傷者は9名という無差別殺人鬼としてニュースを賑わせた。
千善は殺人鬼の事は考えないようにしていた。怒りをぶつけるべき相手が居ないというのは辛いものだった。
ザッ……ザッ……。
彼女が生きていたら……そう考える度に胸を締め付ける……。
――ドッ!!
「痛……何ですか?」
ぼーっとしていて気が付かなかった。後ろから誰かにぶつかられた。
「……安久津君……何で……何で君が守ってやらなかったんだよッ!!僕だったら守れた!!守れたんだッ!!」
小中高と同じ学校だった……もう一人の幼馴染……何で……というか……背中が……熱――
ゴプッ。
ビチャビチャッ。
アスファルトに何かが落ちた。街灯の灯りが薄く見えづらい……。『ソレ』が自身の口から出た血だと気付くのには時間は掛からなかった。
グフッ!ゴポッ……
血の泡を吹き出し、呼吸がままならなくなる。
「苦しいのかい!?たった一回背中を刺されただけで苦しいのかい!?安久津君ッ!?彼女は!何回も!何ッッッ回もッッッ!!お腹を執拗に刺されて!!抉られて!!掻き出されて!!君がッッッ!!お前が守らねぇといけねェだろーがよォォォオオオオオオオオオオオオオ!!!???」
彼は千善の背中に刺されたままの出刃包丁を思い切り90度回した。
「ガハッ!!ッッッ!!ゴプッ!!ゴボッ!!おッッッ……!!俺だッで……アイヅを守りたがッッッだに……ッ!!ギマッでンだろォォォオオオ!!」
千善は振り返りながら思い切り彼の顔面を殴り飛ばした。彼の眼鏡が割れ、思い切り吹っ飛ばされた。殺人鬼への怒り、彼女を守れなかった自分への怒り、その全てが乗っかった強烈な一撃……。
「……」
ドサッ。
千善はうつ伏せに倒れ込む。
血溜まりが広がっていく……。
「ひ……ヒヒヒ……俺は……僕は……『僕達』は……『俺達』は……ワルクナイ……ヒヒヒ……ヒヒヒヒヒヒ……」
彼はポケットに忍ばせていた折りたたみナイフを取り出すと自身の頸動脈を切り付け自害した。
(俺は……死ぬのか……ごめん……もし……生まれ変わったら……今度こそ……ちゃんと告白して……俺は君を幸せに……――)
この事件は病院での無差別殺人の後の関連事件として更に世間を賑わせるニュースになった。
千善が背中を刺されていた点。包丁とナイフの指紋。状況証拠から真相は明白だった。
彼の両親が首を吊るという後味の悪い結果で幕引きとなった。
千善の両親と幼馴染の両親はかけがえのない子供を失った者同士、支え合いながら残りの寿命を全うした。
設定
安久津 千善
高校生。黒髪、目にかかる程度の長さ。爽やか系のイケメンだが幼馴染と両片想いなのは周りからは明らかで言い寄る女性は居なかった。心臓が弱い幼馴染と一緒に帰宅するために中高と帰宅部。
幼馴染
元々心臓が弱かったが不治の病により余命宣告をされてしまう。黒髪のロング。やや垂れ目でおっとりしてる。
幼馴染の両親
千善とは親しい。両片想いなのを知っていて見守っている。娘の事を任せているのを申し訳ないと思っている。見た目はイケオジと美魔女。
もう一人の幼馴染
七三眼鏡。フツメン。勉強は常にトップ。幼馴染に好意を寄せていたものの誰にも言わず、千善に譲るつもりでいた。彼女が元から心臓が弱い事すら知らず、担任からクラス全員に教えられた事で彼の歯車が狂い始めた。
無差別殺人鬼
常に瞳孔が開き眼は充血。不精髭。爪はガタガタ。全身黒にフードを被っている。千善はニュースを見ないようにしていた為彼の素顔を知らない。




