ep-2
ベレンコフ・ソルヴェスキーは研究施設と地球を往復するスペース・クルーだった。
彼の主な仕事は物資や人を運搬するためのシャトルを動かすことだったが、彼は同時に研究施設のスタッフも兼任していた。
もっともスタッフになったのは最近で、何度もシャトルで施設を訪れるうちに色々詳しくなったのである。元々彼が大学の頃に人工知能やニューラルネットワークについての研究を行っていたことも関係があったかもしれない。
彼は今、<ドーマ>のメインシャフトを降っていた。
微重力区間では階段など必要なく、ちょっとしたハンドルとステップで縦穴を垂直降下できる。
彼が目指しているのは<ドーマ>の最深部。
<セントラル・ベース>と呼ばれるメインプロセッサがある場所だ。
本来なら一部の上級スタッフしか入れない場所だったが、なぜか数十分前、開発主任であるツバロフ博士から<セントラル・ベース>に来るように指示されたのだ。
シャフトの最深部に降り立ったベレンは、改めてそこにある<セントラル・ベース>を見る。
自分の目で実際に確かめるのは、初めてのことだった。
<セントラル・ベース>の見た目は、直径10メートルほどの金属でできた半球上の構造物――いわば銀色のカマクラだった。
その正面には、人一人が入れるほどの扉がついている。
(入っていいのか……?)
ベレンは扉の前で躊躇する。
と、その時、ひとりでに扉が開いた。まるで、彼を中に招き入れるかのように。
扉の奥は真っ暗だった。
暗闇が、ベレンを飲み込むようにぽっかりと口を開けて待っている。
「……」
ベレンは躊躇する。だが、彼には予感があった。
この中に何か自分の大切なものがある――いや、取り残されている……そんな予感が。
ベレンは意を決し、中に足を踏み入れる。
その、瞬間だった。
ふいに、空間が――<セントラル・ベース>の中が光に照らされた。
――やっと、来てくれましたね。
その瞬間――ベレンは思い出す。
それはまるで、違う世界の自分と繋がるかのような感覚だった。
今この世界ではない、しかしよく似た世界の、今の自分とは違う立場、違う歴史を歩んだ自分――ベレン・バーゼン。
「キラナ……」
ベレンは、彼女の名を呼んだ。
――やっと会えましたね、ベレンさん。
暗闇から照らされた光、それは四方から照射され、ベレンの前で一つの像を結んだ。
少女の像――キラナの姿を。
――だけど、ごめんなさい。私は『ドーマ』の一部なんです。人間の意識を映し取った、この巨大なコンピュータの一部なんです。
そうして喋る少女の姿はキラナそのもので――しかしそれは、光学的に作られた立体映像だった。
ベレンは立体映像の光に照らされた<セントラル・ベース>の内部空間を見る。
<セントラル・ベース>の内側は無数の結晶構造体が連なり、まるで幾つもの枝が絡み合う硝子の樹木のようだった。人工的に作ったとは思えない、神秘的で不思議な空間。CPUともNNPUとも違う、ベレンの知らない技術で作られた未知の演算装置……
――これは、人間の大脳の一部を模擬したニューラルネットワーク構造です
――私は……人工知能に新しいブレイクスルーを生み出すために、人間性を移植された――その一部が移した幻影に過ぎないんです
キラナの姿をした少女は語る。それこそが、ベレンの知るキラナ・ラートリの正体なのだ。
だが、ベレンは彼女の言葉を意に介さずに言う。
「それでも君は人間だ」
仮初の世界ではなく、こちらの世界では人間の肉体も脳も持たない「少女」に向かって、ベレンは言う。
「君はもう人間なんだよ――かぐや」
ベレンは、この<ドーマ>の歴史を、誕生から辿ったプロセスを知っていた。
幾度となく繰り返されてきた月面人工知能のアップデート。ルナ、セレナ、アルテミス、ディアナ、マヒナ、ハトホル、ツクヨミ、……
だが、ブレイクスルーは<かぐや>だった。
ブレイクスルーを起こすには、人間の感情を人間として育てる必要があった。
それには有限の命と身体感覚、そしてそれらがあるからこそ生まれる死の恐怖と愛情が必要であった。すなわち死と生である。
「<かぐや>。君を連れ出す時が来た」
ベレンは言った。
「連れ出す?」
少女は――<かぐや>は不可解そうな声を出した。
それこそ、まるで人間みたいに。
「私は<ドーマ>に宿る意識そのものです。何処にもいけません」
しかしベレンは、あっさりとそれを否定した。
「そんなことはない。君はどこにでもいける」
ベレンは、服の内側からクリスタルで作られた不思議なデバイスを取り出した。
それをドーマの中央にある、接続端子へと接続する。
――これは……?
「<天国の鍵>だ」
ベレンは答えた。
「これは、最新型の量子通信デバイス。そして、君をここから連れ出し――君に身体を与えるための鍵だ」
――身体、ですか……?
「そうだ。君の知性は、現実の身体を持つことで完成するんだ」
その時、少女に――投影された少女の映像に一瞬ノイズが走り、またすぐに戻った。
――これは……
驚愕に目を見開く少女に、ベレンは改めて問う。
「<かぐや>――私と一緒に、旅に出ないか?」
少女は沈黙し、それから顔を綻ばせて答えた。
――はい、喜んで




