17 痛恨のミス
痛かった。
これが目覚めたときの最初の感覚。
その理由はすぐに分かった。
シエロが何かを叫んで俺の頬に肉球を当てて…爪を立て…引っかいた!
「痛ぇよ!」
手でシエロを払いのける。その手はあっさりかわされて、再び引っかかれた。
「何だよ!」
「何だよじゃねえよ!時間見ろ!」
俺は不本意ながらスマホの時間を見た。
自分の目を疑った。
「じゅ、十一時…五十分!?」
どうしてこうなった!?
いつもなら母や、母の使徒である間子が起こしに来る九時は、とっくに過ぎている。
「十一時からずっと起こしていたんだが、何やっても起きないから最後の手段に出た。戦う前に傷つけるのは不本意だが、寝たまま戦わせるわけにはいかないからな」
「だったらもっと早く起こせよ!」
「うるさい!早く用意しろ!」
慌てて着替える。
トイレを済ませ、腹ごしらえに台所にあったどら焼きを二つ急いで食べ、牛乳を飲む。
現在十一時五十七分。
持って行けるか分からないが、冷蔵庫にあったペットボトルの水を持つ。
前回の教訓として水分補給はできるようにと買っておいたのだ。
それにしても前回は学校にいて、焦馬が対戦相手だったから焦馬は歩いて俺の所に来たが、今回はどうなるのだろうか?
「こうなれば実践でセロに見せたスキルを身に付けるしかないな。サポートはするが…前回より厳しい戦いになるだろう。…死ぬなよ」
俺は頷く。
とりあえず外で戦うだろうからスニーカーを履き、玄関を出る。
「さて、腹くくれよ」
シエロの言葉が終わると同時に、俺とシエロは家から姿を消したのであった。
気が付くと俺たちは森の中の少し開けたところにいた。
木に詳しくない俺にとってはどこの森なのか推測すらできない。
多くの大きな木が生えており、まるで開拓されていない地に迷い込んだように思える。
雨上がりなのか湿度が高く、霧が少し立ち込めており、神秘的な世界にも思えた。
もしかしたら、俺の存在する世界には存在しない森なのかもしれない。
「待たせたな魂の騎士たちよ。これよりグラディオスの二回戦を開催する」
セロの声がどこからともなく聞こえてきた。
その声と共に転送されたのだろうか。突如として相手が現れた。
その姿は…水人間。
人間の形をしているが、動くたびに表面が揺れ、まるで人型の容器に水が入っているようである。
その姿から推測すると、相手は水をコントロールするのだろう。
その肩には蛙がいた。
アマガエル。決して珍しくない見た目だが、肩に乗っているところから察するに相手のサポーターなのだろう。
それにしても、この状況はかなりヤバイ。
雨上がりってことはどこにでも水はある。
つまり、相手の武器がそこら辺にある中、戦うわけだ。
もしかしてセロが俺に対して嫌がらせしてるのか?自分を殺さなかったからって…。
「では、始めるがよい」
セロの言葉と同時に目の前に波打つ水の壁が現れた!
俺は身構えたがその水の壁は何かをするわけではなく、その壁はしばらくして消えた。
「しまった!この状況で見失うのはヤバいぞ!」
シエロの声で我に返る。
確かにヤバイ。
相手が見えない以上、やみくもに攻撃しても、まぐれ当たり以外攻撃は当たらない。
一方、相手の武器はそこら辺にある。
葉の雫、地面の水たまり、もしかしたら霧すら操るかもしれない。
全方位狙撃可能な相手を敵にして俺は相手を見つけることすらできない。
「痛っ!」
手の甲に痛みが走った。
まるで小石が当たったかくらいの痛み。
慌てて手の甲を確認する。
「…水だ」
水滴ほどの水が手の甲に付いていた。
俺は恐怖した。
相手は俺を狙撃できる。俺は相手を見つけられない。
「まずは逃げろ!このままだと狙いたい放題だ!」
シエロの言葉で、俺は今の状況のヤバさをやっと理解した。慌てて俺はその場を走り去る。
とりあえず木の陰に身を隠す。
「痛っ!」
今度は頬に痛みが走る。
だが、これも飛んできた小石が当たる程度の痛みである。
頬に手を触れる。
汗ではない濡れた感触。
その触れた手を確認する。血は出てないようだ。
「どうした、空?」
シエロには俺が攻撃されたことは分かっていないようだ。
俺は頬の水の事を説明した。
「おかしいな」
シエロの疑問は俺に理解できなかった。何がおかしいのだろうか?
「攻撃が弱すぎだ。二回お前に攻撃を当てたのに、ダメージというダメージを当ててこない。何でなんだ?」
言われてみればそうだ。
逆の立場なら大きなダメージを与えるチャンスを逃しているどころか、自分の攻撃方法をばらしてしまっているではないか。
「それにもう一つ問題があるな。どうしてお前の場所が正確に分かるんだ?」
「そりゃあ相手が俺の走っているのを見てたんじゃあ」
「隠れた後、立っているかしゃがんでいるか分からないだろ?それなのに当ててきたわけだ。木の陰にいるお前の状態が分かるってことになる」
その通りだ。
何発も撃っているなら分かる。だが、一発ずつ確実に当ててきた。
これが焦馬のように炎とかなら火傷しているだろう。
「痛っ!」
今度は首筋に痛みが走る。
痛みのある所を触り手を見るが血はついていない。
「さっきからどういうつもりなんだ?さすがの俺でもこんな攻撃じゃあやられないんだけどな!」
何とか反撃したいが相手がどこにいるか俺には分からない。
「もしかして、相手と距離があるんじゃないのか?だから弱い攻撃しかできないとか?焦馬の時もそうだったしさ」
素晴らしい閃きだと思ったのだが、シエロは訝し気な顔をしている。
「だったら近付いて来るだろ?それまで攻撃をせずにこっそりとな。少なくとも人一人がこっそり移動したとしても俺の耳には聞こえる。それすら無いから相手の意図が分からない」
そうか。この場合、猫…でいいのか?まあ猫でいいか。
シエロの耳は人間より優秀だもんな。
「この攻撃は…知らないぞ…」
さりげない言葉だった。いつもの感情が高ぶっている時ならスルーしていたかもしれない。
だが、俺はその言葉を聞き逃さなかった。
「おい、お前何で『この攻撃は知らないぞ』って言ったんだ?何で『知らないぞ』なんだよ。普通なら『理解できない』とか『予測できない』じゃないのか?お前はあらかじめ敵や攻撃方法を知っているってことなのか?」
俺の問いにシエロは何も答えなかった。
答えられないのか、もしくは答えることをセロに禁じられたのか?
どちらにせよ、最初からシエロは色々おかしいところだらけだった。
自分の名前すら考えていたし、光のコントロールを隠していた。
何より俺のスピリットスキルについてかなり詳しい。
何者なんだ、シエロは?
もしかしてオーチェの兄弟?
もしかしてセロに対抗できる者がセロに姿を変えられた?
手掛かりがないゆえに色々想像できるが、推測しにくい。
「痛っ!」
今度は右手首。確認したが赤くなっているだけで血は出てない。
「とりあえずここから離れるぞ!少なくともここにいる以上、お前は狙い撃ちされる!」
未だ疑念は払拭できないが、シエロの言う通りである。
俺は身を屈め、その場から離れる。
何度移動しただろうか。
木の影、茂み、岩陰…どこに隠れても敵の攻撃は確実に俺に当たっていた。
戦いを始めた場所からかなり離れたはずなのに敵の攻撃の威力は変わらない。
痛い程度の攻撃。
しかも目を狙って来ることはなかった。
いや、狙えないのか?そこまで精度は高くないとか?
さすがに疲れた。俺は持ってきたペットボトルの蓋を開け、のどの渇きを潤す。
「もう三十分くらい逃げてるけど…何がしたいんだ?こちらから距離詰めていくべきなのか?」
「どこに向かって行くんだ?相手の場所が分からない以上、見当違いの方向に行けば無駄に体力を消費するだけだぞ」
「じゃあ何かアドバイスしてくれよ!このままだと空腹で俺、死んじゃうぞ!」
今日はまともな飯を食ってきてない。長期戦はそういう点からも避けたい。
「そうだな…。セロと戦った時に見せた移動、できるか?」
「俺が消えた移動か?できるかな?」
「できるかな?じゃない。やれなきゃやられるだけだ」
厳しいシエロのお言葉ではあるが、確かにこのまま同じことを続けても意味が無い。
むしろ攻撃できない俺の方が不利である。
「とりあえずやってみるか」
移動する。
あの時と同じように、そう強く思った。
あの木の陰に移動する…あの木の陰に移動する…あの木の陰に移動する!
俺は走った。
それがあの時と同じようにできているかは俺には分からない。
だが、走った。
無事目標の木の陰に移動することはできた。
「それは普通に走っただけだ」
一緒に付いてきたシエロからため息と共に残念なお知らせを告げられた。
「痛っ!」
再びあの痛み…ではない!今回の攻撃は今までの比ではない!
「これ…威力が増してるんじゃないか!?」
痛みを感じた手の甲から…血が流れていた。貫通はしてないし、深くはないが血が流れていた。
「近づいたってことか?んじゃ全く無駄じゃなかったってことか」
しかし、逆に言えば俺のダメージは上がる。
しかもどの方向に敵がいるか分からないまま、もっと近付くのはさすがに厳しい。
「いや、その可能性は低いはずだ。お前の移動した方向は俺たちが来た方向の逆だ。戻って行くなら近付くこともあるかもしれないが、離れようとして威力が増すのは変だ。お前の理屈だと、敵はお前の先回りができる移動方法があることになるぞ」
冷静に分析するシエロだが、現状敵の攻撃は威力が上がったわけだ。
これは…この秘密を解明しないと…やられる!
「やることを絞ろう。敵の意図を見抜くか、敵の位置を探すか。どちらか一つを選べ」
「い、いきなり選べって言われても…」
どちらを先にしたらいいんだ?
どちらも大事じゃないか!
「迷うのは構わない。だがな、それで解決するかどうかくらい分かるだろ?」
「分かってるさ!だからこそ」
痛みが背中に走る!しかも二か所だ!
「おい!背中から血が出てるぞ!」
シエロの声に俺はビビってしまい、震え出した。
どこからか俺を狙って、少しずつ、確実に俺にダメージを与えてくる。
こちらは攻撃手段は無い。
ランデルーズのようなロングレンジだが範囲の狭い攻撃ではダメだ。せめて…焦馬の炎のような広範囲攻撃ができれば…。
レーザーを三百六十度撃つか?相手がしゃがんでいたら当たらないかもしれないし、木が倒れてきて俺が下敷きになる可能性もある。
だが、それくらいしかないか?
クソ!本当にシエロの言うように思い通りに光のコントロールができないことが響いてるじゃないか!
敵は確実に俺に攻撃を当ててきているというのに…。
「ビビっても敵は許してくれないぞ!早く選べ!」
二つに一つ。
定期テストの二択なら適当に選ぶだろう。
ただ、今回、どちらかが正解とは限らない。
両方ハズレかもしれない。
待てよ、両方ハズレ…か。
敵の位置が判明しても、俺の攻撃は近距離まで行かなくては当たらない。
それまでにやられる…か。
仮に敵の意図が分かったとしても、それが俺の能力ではどうしようもない場合、時間の無駄になる。
じゃあ…どうする?
いや、待てよ。
まだ解明すべきことがある。
どうやって相手が俺の位置を把握しているか、だ。
これが分かれば攻撃を凌げるし、相手の動揺も誘える可能性もある。
「シエロ、焦馬にやったフラージュオプティをやってみる。これで俺の姿を見て攻撃してるのか、そうじゃないのかが分かるはずだ。まずは敵の攻撃方法を解明していく」
「悪くない選択だが…そんなことで攻撃方法が分かるとは思えないが…」
「まずは、俺の姿を見て攻撃しているのか、それとも別の何かを頼りに攻撃しているかを見極めるだけでも対策ができるはずだ」
じっと俺を見つめるシエロ。これは怒られるパターンか?
「何もしないよりマシか。試してみろ」
シエロのOKも出た。作戦開始である。
俺はフラージュオプティで姿を消し、隣の木の影へと移動する。今までのパターンだと攻撃が来るはずだ。
じっと待つ。
「痛っ!」
今度は腕に二か所、痛みが走る!
今ので血が出てるだろう。だが…そんなことより重要なことがある。
相手は俺の姿を見て攻撃してるんじゃない。
何かを感じて攻撃している可能性が高い。
じゃあ何を感じているんだ?
こういう時、マンガやアニメなら生命エネルギーや気、気配、熱などで感じたり…。
待てよ。相手は水をコントロールするってことだよな。
もしかして…。
俺は辺りを見渡す。
だが、俺の探しているものは無い。
「こういう時、マンガとかならすぐに見つかるんだけどなぁ」
俺は再び走り出す。
後ろで何かが木に当たった音がした。きっと敵の攻撃が外れたのだろう。
動いている標的は狙いにくいのか?
俺は一定の動きにならないように止まったり動いたり、遅くしたり早くしたりと変化を付ける。
すると、先ほどのように敵の攻撃が当たらなくなってきた。
少し分かってきたかもしれない。
しばらく走り続けて俺は見つけた。
「あった!」
俺はそれを見つけた!
川である。
そんなに川幅は広くない。せいぜい二メートル。
だが、深さはあった。
膝下までの水位だ。
「こうしたら…どうだ?」
俺は体をできるだけ川に沈める。そして、川の流れに合わせて下って行く。
「これで誤魔化せたら…予想は当たりってことだ」
敵からの攻撃は…来ない!
川の流れの音で攻撃が来たかどうかははっきりと分からないが、俺にはダメージが無い。
相手は多分、俺の形を感じられるのだと思う。
人間の体には水分がある。
もしそれを感じられるのなら、距離は関係ない。
障害物も植物に含まれる水分で形が感じられるとしたら…俺の体に攻撃を当てるのは難しくないはずだ。
ただ、少しずつ攻撃力を上げてきた理由までは分からないが、川に入れば俺と川の水で見分けにくくなるのでは?と推測したのが当たったようだ。
攻撃を当ててくる仕組みは分かったが…今度はこちらが相手をどうやって見つけるか、だ。
「…か!…やく…ろ!」
誰かの声がする。
並走していたシエロの声だ。川に顔を半分沈めているので声が聞き取りにくい。
少し顔を上げ、シエロに親指を立てて作戦の成功を伝える。
しかし、シエロは何かを焦ったかのように叫んでいる。
「お前はバカか!水をコントロールする相手なのに水の中に入るバカがどこにいるんだ!」
…あ。
「早く出ろ!そのまま水で口を塞がれたりしたらお前死ぬぞ!」
俺は慌てて川から出る。
…バカの考え自滅に繋がる。
実に素晴らしいことわざだ。
この戦いで生き残ったら、俺が新しいことわざとして辞典に記載しよう。
「服も濡らしやがって!どうやって水のコントロールをする相手から身を守るんだ!」
最悪の展開である。
どうしようか迷っていると最悪の展開は更に発展した!
「な、何だ!?体に付いている水が…帯みたいになって…締め付けてくる…ぞ!」
「だから!そうなるのは分かりきった事だろ!」
まるでロープで締め上げられているかのような苦しさだ。
まあ、そんな経験無いけど…いや、美人のお姉様にならされたい…とか余裕ぶっこいてる場合じゃない!
これ…マジでヤバい!
肺の辺りを締め付けられて…呼吸が…苦しくなってきた…。
「クソ!空の光のコントロールではこの水を消せない…どうすればいいんだ!」
険しい顔のシエロだが、そんなこと気にしている余裕は無い。
焦馬のように炎が使えたらこんなの簡単に脱出できるだろうに…。
やっぱり俺は…この程度なのか?
常盤さんとも約束したのに…俺は…。
意識が薄くなってきた…。
何がスピリットスキルだ…肝心な時に役に立たない…ポンコツスキルじゃないか。
俺の魂って…。
焦馬…すまない。けど…俺はやれるだけやったよな…。
アイツの信念は凄かった…。
最後の最後まで立ち上がって…諦めなかったもんな。
俺にもその気概が少しでもあれば…。
焦馬、お前のその気概、少しくらい分けてもらいたかったよ…。
最後に焦馬の手を握った右手。今でもその感覚が残っている気がする。
気が…する?
いや、何だ?
これって…どういうことだ!?
「しっかりしろ!空!諦めるな!」
シエロの悲痛な叫び声で急に現実に引き戻された。
締め付けられた俺の体だが、不思議と先ほどの締め付けより強くはなっていない。
それが幸いしてどうやら何とか意識は取り戻せたようだ。
さっきの夢のような体験で感じた右手の方を見てみる。
別に変化はない。
だが、不思議とイメージが湧いてくる。この水を消し飛ばすイメージが。
「…おい、何やってるんだ!?」
猫って驚くと口をあんぐり開けるのだろうか?それ、人のリアクションだろ?
俺の右手から突如として現れた炎が瞬く間に俺を包み、水を蒸発させていく!
「この力って…まさか…!」
理由は分からないが、俺の中の魂が熱くなったような感覚が生まれる。
それと同時に、思わず涙が流れた。
だが。
それがとても嬉しく感じられた。
セロ、お前が消した焦馬は…ここに生きているぞ!!




