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明日、智也の所へ行こうと決めて、並行世界のことをネットで検索していたら気になる見出しを見つけた。
『過去の清算に気づいた友へ』というタイトルのブログだった。週一程度で更新しているらしく、閲覧数もそれなりにあった。しかしそれが、まるで私に宛てた記事のような気がして引き込まれるかにクリックしていた。
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僕は引きこもりになって、今夜でちょうど三年になる。いや正確にいうなら、この世に飛ばされて三年経ったというのが正解なのかもしれない。そんな与太話なんて面白がるだけで、ほとんど誰も信じていないだろうけど、これから話すことは実際事実なのだから信じようと信じまいが書かせてもらうことにする。
この世には気がつかないだけで、いくつもの世界が混在していることを分かってほしいかな。時軸のずれもそのうちの一つなんだ。旧約聖書の外典にも『天上の一日は、地上の千年にあたる』と明記されているし、今いる世界がすべてな訳じゃない。マニュアル的に教え込まれた概念によって視野を狭くしないでほしい、と僕は願ってやまない。
もうそれは、稀代の預言者の例を見ても分かるよう、彼らもまた未来を見て預言書を著したのがまぎれもない事実なのだから。要するにそれが、未来と過去を行き来できるということに繋がるんだ。複雑に交錯する並行世界にもね。
話を元に戻らせてもらうよ。たぶん君は、引きこもりになってしまった僕を訪ねてくるだろう。別の世界から、ともに過去を清算するためにさ。
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その記事を読んで、私の思考は美佳と会うまで思いだすことのなかった親友へ到達した。智也がブログの主ではないのかと。
中原智也、見た目さわやかな印象なのだが、中身はだいぶ風変わりな人間だった。ずば抜けて頭がよく顔立ちも整っていながら、私以外いっさい友達を作ろうとしなかったのだ。といって社交性がないわけではなく、常に彼の周りには二、三人の女子学生が取り囲んでいた。
そんな恵まれた環境を確立していた智也が、なぜ私だけを親友に選んだのか今もって分からない。ただ、二人で酒を酌み交わしているときに、ぽつりと真顔で言ったことがある。このブログと同じことを――。
「太一と僕は、ともに過去を清算する必要性があるんだ。それも考えられない空間でね」
そのときは智也が何を言いたいのかちんぷんかんぷんで、意味も探ることができなかったけど、いま私はその言葉にシンクロニシティを感じている。そしてそのときの智也が、ここの世界から飛ばされた、もう一人の智也だということも美佳の話によって気づかされた。
と同時に、単なる偶然でブログを見つけ智也に繋がったのではないと感じた。美佳の言った言葉からもわかるように、おそらく必然。私が最も必要とする手掛かりを智也が知っているからと思っている。また智也が引きこもりになってまで、何の悔いを残しているのか想像もつかないが、おそらくそれぞれ目的があって、それを成就させるのが二人の清算になるのだろう。根拠は皆無だけど、そんな気がしてならなかった。
私は知らぬまに玄関へ足を踏み出していた。突発的に智也の住む場所へタクシーを拾って行こうと決めた。いま時間は深夜零時、尋ねたとしても会えるとは限らないが、それでも衝動を抑えることはできそうもない。
通りに出た。距離的に、歩いても一時間ていどで行けるとは思う。けれど。少しでも早いほうがいいと判断した。悲惨な轢死というタイムリミットまで、すでに四十八時間を切っているのだ。
お年寄りの銀座と呼ばれる駅前から、線路沿いの坂を下った所でタクシーを降りた。その時点で智也の家まで二百メートルぐらい。行動に強い理念と実行力を持つ人間なら平気でタクシーを横付けするだろうが、私は先天的にそういう大胆さに欠けていた。荒々しくシンクロニシティを感じたのにこの期に及んで手前二百メートルから歩き、さらに家の前へ着いても表札を確認しただけで、街灯にぐったり凭れかかりしばらく躊躇していた。
何せ衝動による、突然の深夜の訪問。それも七、八年会っていないことを踏まえれば、よっぽど腰が据わっていない限り戸を叩けない。人の命がかかっているというのに、こんな意味のない照れくささで迷うなんてよっぽど人格が破綻しているのだろう。それとともに直感がぐらつきだしている。これだけ証明する材料がそろっているというのに失態を杞憂していた。
昔からそうだった。どんなに自信や確信を持っていても、いざその場に立つと何も言えなくなってしまうのだ。そうして最後には、自分の考えが間違っているのではないかと自信を喪失してしまう。考えれば悔いだらけの人生でしかない。夜気が、そんな私を責めるかに冷たく肌を刺してきた。
結局ブザーを押せず、やむなく隣接するおでん屋の暖簾に手をかけた。もしかしたら智也の情報を聞けるかもしれない、という考えがよぎったのも確かだけど、多少のアルコールを引っかければ踏ん切りがつくだろうという甘い算段だった。つまり何かの力を借りなければ行動に移せない人間なのだ。
あの事故の対処だってそうだったかもしれない。居合わせた乗客の中に勇気のある人がいて、その人がきっと友里を助けてくれるんじゃないかと望む気持ちも少なからずあった。そんなの無理なのに――自分が行動しなければ何も変わらないと分かっていたはずだったのに。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐると、古びた店の造りに反して華やかな声が響いた。二十代半ばの髪を栗色に染めた、おでん屋に不釣合いな女性が笑顔を向けている。その横で、六十代後半の女性が器を洗いながら会釈した。どこか似ている気もするので、たぶん親子なのだろう。
閉店間際のせいなのか客は一組二人しかいない。もっとも四人掛けのテーブル席と、七、八人ぐらいしか座れないカウンターがあるだけ。それに繁華街から外れた線路沿いの住宅地に構える店、客で溢れること事態無理があるのかもしれなかった。
私は、常連と思える客から好奇な視線を浴びながら、若い女性の待つカウンターへ向かった。しかしそこで思いもかけない言葉をかけられた。