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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
9/50

レテとの口づけをすっぽかした罰なのか


 新しい演算珠を受け取り、エルグニヴァルから補助演算珠を贈られたその日から、ハノーニアの容体は日に日に良くなっていった。魔力値計測でも異常は見られず、安定しているとお墨付きをもらったことも、精神的に良かったのかもしれない。

 包帯の面積も半分ほどに減った。薬で鈍化させていた痛みも徐々に感じるようになっていったが、動けないほどではない。

 あれから早いもので、数日経った。

 今日も今日とて、ハノーニアはあてがわれた広い部屋で過ごしていた。

 専属医から軽い運動なら構わないと許可が出たのを良いことに、時折柔軟体操をして体をほぐしながら、一人前世の記憶を整理している。

 急な来客はない。訪問者はすべてエルグニヴァルか、彼からこの屋敷を任された者が管理している。優しく丁寧に扱ってくれる侍女も、今は退室を願ったため部屋にはいない。


「………」


 主と補助、両方の演算珠に魔力を流して慣らしながら、ハノーニアは目を開く。『バイカラー』の目が、きれいな調度品で満たされた広い部屋を、何の感情もなく眺めた。


「……閣下は、……登場しなかった」


 任意の記憶をつかみ取ることが出来る訳ではない。睡眠中に見る夢はより一層はっきりしたものになって来ているが、いかんせんどうしたって断片的で、なおかつ起きてしまえば長くは持たない。

 書き残そうかとも思ったが、見咎められないとも限らない。『混線』や『雑音』とも称されるこの現象は、存在自体は古くから知られているからごまかしはきくのだろう。しかし、余計なリスクを負っている余裕など、身体的にも精神的にも、魔力的にも、一魔導歩兵であるハノーニアにはない。

 そんなハノーニアが、憶えていられる限りの欠片をかき集めた結果の一つとして、ゲーム本編にエルグニヴァルの姿はなかった。名前は、あった。やはり、この帝国軍の最高官職として。


(『薄明の輪廻 トワイライトリインカーネーション』…)


 部屋に置かれている柔らかいアイボリーホワイトで統一されたドレッサー、その鏡を覗き込みながら、ハノーニアは自身の目元を指先でなぞった。『バイカラー』の目で見つめ返されて、溜息と共に一度目をつむる。


(内容は、学園が舞台の恋愛もの)


 主人公は確か、この帝国含めた列強に囲まれた小国ミノーレアの生まれだ。生後間もなく、上がオレンジ、下が紫のグラデーションの『バイカラー』に覚醒したため、生みの親からは恐れられ、国に言われるがまま軍の施設へと手放される。その後、軍の施設で栄養失調もなく育ち、健康体そのものである彼女は幼年学校へ入学。当然魔力適性もあるので、そのまま軍へエスカレーター方式で直送だ。

 そうして無事学校を優秀な成績でもって卒業した彼女の初任務は、なんと外国の魔導学園への留学である。


(そう、その学園が厄介なんだよ…)


 まずは設立されている国だ。

 帝国の南西部と国境を接している中立国家クレヅヒェルト王国。またの名を――。


(魔女の国)


 その異名から想像できる通り、魔導師の保有数が世界でも一二を争う恐るべき魔導国家だ。

 無暗に突けば根絶やしにされかねない報復を受けること。戦争の相手国にことごとく不幸が訪れること。他にもおとぎ話だと言いたくなるような出来事が積み重なって、触らぬ神に祟りなしと、周辺から推される形で中立国家になって久しい、なんて書かれている歴史書もある。

 そんな魔女の国クレヅヒェルトは、世界一おっかない国家であると同時に、最も安全な場所の一つでもある。国際機関やそれに準じる機構が置かれるのも、頷くことは出来る。


(世界中の魔導師――高魔力保有者が集う学園)


 各国が競って生徒を選出して送り出している部分もあり、ある意味世界の縮図と言ってもいいだろう。プレイヤーとして画面の向こうという絶対的安全圏から眺めている時は、良かった。実際に生きていて、色々と見てきた今ならば、伏魔殿と言うのも相応しいかもしれない。


(…あぁ、やだ。やだよぉ…。…きらきらしたものだけ見ていたかったよーう…)


 軍人となって早数年。戦場を駆け、地べたを這いずり回って、大きな戦闘を二度経験し、両方ともなんとか命を拾った。本当によく生きているなとしょっぱい顔になりながら、ハノーニアは鏡を見つめる。


「……そう言えば。おんなじ色、なんだよねぇ。色の混じり方というか、現れ方は違うけど」


 ヒロインさん、と心の中で続ける。ゲームではデフォルト名が幾つか用意されていた。それから選んでもいいし、勿論プレイヤーが名付けたってかまわない。自分はどうだったかと記憶を何度も漁ったが、未だ出てこないのだ。厄介事その二である。

 厄介事その二と言わず、場合によっては諸悪の根源とさえ叫んでしまいそうだ。ハノーニアは溜息を吐く。


(ともかく。復帰したら、それらしいのがいないか調べてみよう)


 たかが魔導師、されど魔導師。これでも死線をくぐり抜けてきたので、それなりに伝手も出来た。


(……調べて…探して…何をする訳でも、ない。……筈だ)


 おかしいな、生前はこんな手が早い性格ではなかったはず。大人しいというか臆病に分類される性質だった気がするのだが、と苦く笑ったハノーニアは、そして「仕方ないさ」と肩を竦めて自嘲した。


「国家を守るのが軍人の務めだもの」


 ならば国家の敵は、ことごとく潰して当然だ。芽の状態なら、とっとと摘み取るに限るというもの。

 ヒロインが選ぶ恋愛相手によっては、帝国にだって火の粉が飛んできたはず。そんなもの呼び寄せて堪るものかと、ハノーニアは口をへの字に曲げた。


(…だけど、上手くいけば…こっちに利がない訳ではない…)


 学園に留学出来る資格を持つということは、すなわち高魔力保有者の証でもある。同盟国や表立って敵対していない国の恋愛相手――攻略対象を選んでくれれば、諸手を挙げて応援しよう。出来ることはほぼないだろうが、手助けだって喜んでしよう。高魔力保有者の確保が急務であるのは、帝国だって同じなのだ。

 運と恵まれた周囲のお陰で生き延びている自分とは比べるまでもなく、ゲーム上でのヒロインの魔力や軍人としての能力は高かった。そうならざるを得なかったと思えば、多少の同情もなくはない。だがしかし、国は違えども、軍服を着たのならば途中で脱ぐことは許されない。


(……まぁ、どれもこれも、自分にだって返ってくるんだけれど…)


 自分がエルグニヴァルに惹かれているのは、幸か不幸か。考えて、右手首に装着した補助演算珠に触れる。


「…好きになること自体は、悪い事じゃないのにね…。…きっと…」


 自分が幸せでなければ、誰かに手を差し伸べることは難しい。

 ならば、ある種の不幸不自由をヒロインに願う自分は、不幸せの中にいるのだろうか。上辺だけだったとしても好きな人に必要とされ、衣食住が整えられている今この時は、地獄の最中なのか。


「……っ」


 ぐるりと渦巻きだした思考を切り替えたのは、廊下を歩いてくる人の気配だった。

 『バイカラー』を解いたハノーニアは出迎えるために、扉の方へ歩き出す。


「元気そうだな、ノイゼンヴェール」

「大佐!」


 侍女に通され扉をくぐってきたのはルシフェステルだった。確かに今日は来訪予定だったが、時間が早い。

 ハノーニアの疑問に気が付いたのだろう。微苦笑を浮かべたルシフェステルが答えてくれた。


「会議が予定よりも早く終わってな。…いや、あれは終わらさせられたと言うべきか、怪物に」

「わ、あ…流石閣下…」

「復帰すれば奴に四六時中引き連れ回されるのはお前だぞ、ノイゼンヴェール」

「はい、承知しております…。護衛官の末席として、誠心誠意努める所存です」

「気合十分なのはいいが…。…優秀な部下を奪われた哀れな佐官に、慰めの言葉を一つくらいくれても、罰は当たらないぞ」

「えっ」


 きょとんとしたハノーニアに、ルシフェステルは肩を竦めて笑った。

 既視感が重なる、柔らかい笑みだ。ハノーニアは瞬く。


「ノイゼンヴェール? どうした?」

「あ、いえ。失礼いたしました。どうぞ大佐、おかけになってください」

「あぁ、ありがとう」


 ここ数日ですっかりこんなやり取りが日常になってしまった。軍の階級も血筋も、何もかもが麻痺していく。


「浮かない顔だな…」

「いえ…。…あんまりにも世界が変わってしまったと、今更ながらに感じております」

「昇進だけだったのなら、俺も気兼ねなく祝えた。

 しかし、あの怪物のつがいだなんだとなってくるとな……」


 侍女が用意してくれたお茶と受け菓子を受け取って、近状報告と言う名のささやかなお茶会が始まる。侍女が退室し、扉が僅かな隙間を開けて閉められたのが合図だ。


「…まったく、ついていない。俺もお前も…」

「小官も、ですか?」

「あぁ。はじめに口走っただろう。怪物に嫁ぐ娘が、無事でいたためしはない…と」

「はい、そういえば…」


 紅茶を一口飲んだルシフェステルの青い目と視線が合った。

 エルグニヴァルに似ていて、けれどそれよりも幾らか深い空の色。この帝国で最も多い色合いであり、皇帝一家やその近縁者では特に『天上の青』とも称される。


「……大佐。お聞きしても?」

「あぁ。だが、答えられるとは限らんぞ?」

「勿論です」


 ハノーニアは紅茶で喉を潤して、一呼吸間を置いた。


「大佐と、閣下のご関係についてお聞きしたく思います。一体、どんなご関係なのです?」

「ひいては、俺がやつを怪物呼ばわりする原因理由、か?」

「…はい。その通りです」


 確かに、エルグニヴァルの多方面にわたる才能は、恐ろしさを感じるほどのものだ。味方であってどんなに良かったことか。敵であったならば、なんて。考えたくもない。脅威を擬人化したら、彼の姿になるんじゃないだろうかとさえ思える。

 だが、ルシフェステルの言葉にはそう言った畏怖が感じられない。


「………恐れながら、申し上げます。大佐は、閣下を……」

「…いい。言ってくれ。勿論、他言無用にすると誓おう」

「……はい。

 …大佐は、…閣下を……嫌悪、…していらっしゃるのですか?」


 ハノーニアはついに言ってしまって、唇をきゅっと結んだ。

 それを見たルシフェステルが、ゆっくりと腕を伸ばし、指先でハノーニアの口元を撫でる。


「た…大佐!」

「すまん。だが、噛んでいるように見えたのでな。

 ……奴にもやられたか」

「ッ」

「く、はははッ! そうか、そうか。あぁ怪物め…手が早い。そして…所詮は俺も、薄められたとはいえ怪物の血統、か…」

「え」


 目を見開くハノーニアに、ルシフェステルは微苦笑を浮かべて見せた。柔らかいが、諦めが濃く滲むそれに、ハノーニアはすぐさま言葉が見付からない。


「念のために聞くが…。お前の質問に答えることは出来る。だが、答えを聞いて逃げ出したくなってももう遅いぞ。

 …あぁいや。お前の場合はすでに奴に目を付けられているからな…。どのみち逃げられんか…」

「………」


 改めて自分の状況が恐ろしくなってきたが、ハノーニアは出かかった声を呑み込む。もしかしたら、それは悲鳴だったのかもしれない。平穏な世界を生きていた頃の心だったかもしれない。


「それでも、聞いてくれるか?

 俺としても、怪物から片手間にしゃべられるよりは、自分の口で話しておきたいという気持ちもある。ただ…」

「…ただ?」


 ルシフェステルは諦念の微笑みのまま言う。


「知ってほしくない。知られたくない。知らないままで済むのなら、そうしたい。

 そんな気持ちもある」

「…大佐がそういうお気持ちでしたら、お答えいただかなくても」

「言ったろう、ノイゼンヴェール。奴に片手間にしゃべられるぐらいなら、自分の口から話しておきたい。特に…お前には。なんて付け加えるのは、ずるいか?」

「………ずるいです、大佐」

「ふ、はは」


 そこでやっと破顔したルシフェステルは、しかしすぐさま微苦笑に戻る。そして、彼は一つ、大きく息を吐いた。


「俺は、奴から造られた。奴の模造品。劣化種とも亜種とも言われている」

「ッ――」


 ハノーニアは今度こそ悲鳴を上げかけて、すんでのところで口を両手で押さえることに成功した。

 ルシフェステルの口にした事実に恐れ戦いたのもある。それだけなら良かった。それだけが良かった。追撃とばかりに、既視感が前世の記憶と結びついたのだ。

 それは――主人公と攻略対象たち、それとラスボスが対峙するワンシーン。

 物語における諸悪の根源。惨事の黒幕。それが、その画が――目の前に腰かける男と重なった。



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