偽者の想い
僕は痛かった。苦しかった。
昔は確かに違っていた。生まれたばかりの時は僕だって親に大切に育てて貰って幸せに生きていたと思う。
その時は笑顔の絶えない純粋な何処にでもいる女の子だったと思う。
だがある日突然僕を忌み子として捨てられた。
僕は訳が分からなかった。何故?ただその言葉が頭の中で渦巻く。まだ幼い僕には只分からなかった。
一人川辺で踞って寒さをしのいでいた。
それでも僕は両親が必ず迎えに来てくれると信じた。まだ今は来れないだけで、いつかきっと来てくれるものだと信じた。
だがもう2度と彼らと会うことは無かった。
僕に残ったものは苦しみだった。これが生まれて始めての裏切りだった。
その後奴隷として奴隷商人に引き取られる訳だが、どういう事なのか商人のおじさんはとても優しかった。
冷えきっていた体と心を温かいスープと優しい笑顔で温めてくれた。
僕は捨てられた事よりも、おじさんの優しさが何より嬉しくてスープの味が少し塩っけが強かったのを覚えている。
しかしこの優しさも偽りのものだった。
しばらくしてから、おじさんは変わったかのように僕を接するようになった。
殴られ蹴られの暴力される日が続いた。言うことを聞かなければ鞭で感覚が無くなるまで叩かれたし、無理矢理叩き込まれた魔法も上手くいかなければ首を絞められた。
それで失神した事もあったっけ?
でもバカな僕はおじさんをずっと信じた。
あの頃のような優しいおじさんが、いつかまたきっと戻ってきてくれる。今はただ時期が悪いだけだと信じた。
勿論奴隷商人のおじさんが元の優しいおじさんに戻ることは無かった。
後々思えばあれはアメと鞭のようなものらしく。始めにそういう思い出を埋め込ませる事で反抗心を抑制する狙いだったのだろう。
こうして僕はまた裏切られた。
その後も散々な裏切りにあった。
心を許していた同じ奴隷身分の人や、思い上がりかもしれないが小さな動物にさえ裏切られた。
それは仕方の無い裏切りであったかもしれないが、僕にとっては大きかろうが小さかろうが裏切りは裏切りだ。
死んだ方がマシだ。ずっとそう思っていた。
毎日自殺を図っていた。だが奴隷の証である烙印がそれを許さなかった。
奴隷は死ぬことすら許されなかった。死ぬ自由さえ無かった。
そんな絶望という名の暗闇にいた僕に一筋の光が差し込む。
その光はあまりにも眩しくて初めは僕にはキツかった。
だが次第にその目が慣れてくると、そこには主様がいた。
先程も言ったように僕と主様とではすむ世界が違っていて眩しすぎた。
だから初めはずっと疑っていた。今まで裏切られてきたのだから誰かを信じるなんて今さら出来なかった。
信じていた者から裏切られる。
僕にとってこれほど痛くて苦しい事はなかったから。
それでも長い月日を共に過ごしていく内に僕は何故か心を許すようになっていた。
本当に分からなかった。何故主様を僕は信じるようになっていたのか?
きっと前ならその理由も分かっていた筈だ。
けど今はもう分からない。何も分からなくなっている。
イタイ...クルシイ.....。
リスフィスの魔法人形の脳裏に賀露島の笑顔が浮かぶ。
その笑顔がハッキリとは見えない。目元が影に隠れているように見えなくなっている。
胸の烙印が段々と痛み、苦しくなっていく。もうこんな思いをしたくない。
彼女は涙をボロボロと溢しながら過去のあの頃の記憶がフラッシュバックしている。
リスフィスの魔法人形を見下すように笑う表情を見せている賀露島が近づいてくる。
そんな状況にある彼女がとった次の行動...それは。
自身の舌をで強く噛んだ。彼女は自ら自殺を図っていた。
耐えられなかったのだろう。このままでは痛みと苦しみで壊れてしまう。それだけは避けたかった。
壊れてしまう前に自分を殺せば壊れる事は無い。
だが舌を噛み切ろうとしても烙印がそれを許さなかった。
今だ、なお彼女は自由に死ぬことが出来なかった。奴隷だからである。
それでも涙目になりながら必死に舌を噛み続けた。何故そんな事をしているのか?
彼女は知っているからだ。きっと壊れてしまえば目の前にいる主である賀露島に牙を向けてしまうから。
それだけは避けたい。
舌を噛む力が強くなるほどに胸の烙印は彼女に死よりも辛い痛みと苦しみを与える。
それでも自殺を止めようとしないのは、きっと彼女がそれだけ賀露島を信じているからなのだろう。
確かにリスフィスは今、彼に裏切られた。
それでも彼女は賀露島を信じた。いや信じたかったのだ。
今、彼を信じられなくなったらもう二度と誰も信じられなくなると分かっていたからだ。
恐らくそれが彼女自身が誰かを信じていられる為の行為であり、彼に対しての好意でもあった。
『...あ~ぁぁ..聞こえるでありーすか?』
リスフィスの魔法人形は舌を噛むのを止める。何かが聞こえてきた。
話しかけられたのか?いや誰も彼女に話しかけた者はいない。
どこから?何処でもない。
頭の中からだ。
『..僕に干渉しているのかい?どうやったかは分からないけど、ただじゃすまないよ?』
『..あっ!?聞こえたでありーすか!?やっと繋がったでありーす。』
燗に触る声が聞こえる。
この状況でこの声は余計だ。
『全く困ったでありーすよ?貴女の魔力が強すぎて中々会話が出来なかったでありーすよ?』
さっきから何なんだこの声は?
ネフィタリカの記憶操作の攻撃か?それは違う、ネフィタリカの魔法は大体把握している彼女なら分かる。
ネフィタリカの記憶に関する魔法は全て当てる事が前提である事を見破っていた。
ネフィタリカからは確実に何の攻撃も受けていない。あるとすれば眉間に食らったあの一発だけだ。
『....凄いでありーすよ?アッチの神聖でやっと入り込めたでありーすからね。これは本物は難しそうでありーす。』
『...本物?..君は一体誰で、何を知っているんだい?』
本物でない。それはリスフィスの魔法人形が本物でない事を知っている。
つまりリスフィスの本体を知っているようだ。
『それを貴女が知る必要は無いでありーす。本物でない貴女がね?』
話にならなかった。頭の中に話しかけてくるからどんな事かと思えば下らなかったので頭の中で聞こえる知らない声を無視することにした。
それよりも今は賀露島だ。今にも壊れそうな心を今ここで殺す必要がある。話をしている暇なんてない。
『聞く耳を持たないでありーすか...。こんな男に何を耐える必要がありーすか?』
『こんな男って言うのは聞き捨てならないよ。それに君には分からないさ。僕の気持ちも痛みも...』
リスフィスの魔法人形は緩めていた歯の力をグッと強める。
だがそれでも知らない声はまだ話しかけてくる。
『貴女の言う通りでありーす。アッチは何にも知らないでありーす...ですが。』
いい加減しつこい奴だ。
先にコイツを殺そう。そう思った時だった。
『何故この男に貴女は殺されそうとしているのか...アッチは何となく分かるでありーすが...』
『...どういう事だい?』
舌を噛む力が緩む。その言葉に反応してしまった。
何やら弄ばれているようで癪ではあったが、その言葉はリスフィスの魔法人形が自殺を止めてまで聞きたかった事だ。
『...え?あぁ..聞きたいでありーすか?やめた方が良いでありーすけど....』
『ふざけてるみたいだね?本当に殺すよ?』
『ウフフ...怖いでありーす。仕方ないから教えてあげるでありーす。』
嘲笑うかのような声が実に不快だ。声を作っているのが分かるし、語尾も何かわざとらしい。
だがそんな声にも耳を傾けたくなる心境にリスフィスの魔法人形はあった。
大切な人から裏切られたんだ。それに理由があるのだとしたら聞きたくなる。
しかし何故か知らないが不思議な間が出来ていた。よく分からないが渋っているようだ。
訳の分からない所で間を開ける知らない声に苛つきが積る。そしてやっと重々しく話始めた。
『それはね?貴女が〈偽者〉だからでありーす。』
はぁ?
リスフィスの魔法人形の脳内はハテナで埋め尽くされる。
偽者だから?どういう事だ?
『ウフフフ...何故だ?って顔をしてるでありーすね?まあ仕方の無い事ではありーす。なんたって体は魔力で作られたようですが意識は本物と何一つ変わらないみたいでありーすから。』
リスフィスの作り出す魔法人形は、彼女が自身の情報を魔法で探ろうとした対象者を殺そうとする、魔力で精巧に作られた殺戮人形だ。
命令は極単純な者で対象者を殺せという指示があるだけ。
しかしこの最強にも思える魔法にも唯一欠点があるとして上げるなら、あまりにも精巧過ぎた事だ。
魔法人形には感情がある。
肉体は偽者ではあるが、その感情の部分は今現在自身の意識が魔法人形に複製される為、意識は本物なのだ。
現に彼女は殺害対象者である賀露島を殺せないでいるのは感情が抑えているからだ。
『狙いはなんだい?』
『..狙いなんて無いでありーす。アッチは貴女を見ていると可哀想で仕方なかったでありーす。』
『可哀想?僕がかい?』
確かに信じていた者から裏切られた彼女は他から見たら可哀想なのだろう。
だから同情しているのか?
『別に僕の事を知らない君に同情してもらったところで僕は嬉しく無いんだけど?』
もう終わりだ。
こんな話は早く終わらせよう。
そう思い痛みを堪えながら舌を噛む力を更に強める。
だがまだ向こうは話が終わっていなかったようだ。
『そうでありーすか....本当に可哀想でありーす。〈偽者〉って理由でなんて....』
リスフィスの魔法人形はピクッと反応を見せる。
偽者?何の事だ?
偽者だからってどういう事だ?
話に食いついてきたリスフィスの魔法人形を確認した謎の声はクスクスを笑いだす。
『本当に可哀想でありーす。貴女の感情は〈本物〉の本体と何も変わらないのに、体が〈偽者〉と言うだけでこんな事をされるでありーすから...。』
リスフィスの魔法人形は舌を噛んでいた歯を離し、完全に自殺を止めた。
『どういう事だい?僕が〈偽者〉で何故主様は僕を殺そうとする事になるんだい?』
『それは貴女...あの男は〈本物〉しか興味がないからね...〈偽者〉が死んだって何とも思わないんでしょうね?』
取って付けたようなしゃべり方ではなく真面目な声に変わっていた。
それを聞いたリスフィスの魔法人形は舌ではなく唇を噛む。
確かに彼女は〈偽者〉であるが感情は〈本物〉と何も変わらないリスフィス自身の意識だ。今だって暗殺指示が出されている賀露島が死んでいないのは彼女の感情がそれに抵抗しているからだ。
しかし賀露島はそんな彼女を〈偽者〉として扱う為、リスフィスをリスフィスとしての存在を否定している。
実際に賀露島も彼女をリスフィスとしては考えていない。いや、正しくは考えないようにしていると言った方がいい。
『.....あはは...なんだいそれ?.....笑えないなぁ...』
『どう考えるかは貴女次第だけど、どうせなら...好きにすればいいじゃない?少からず貴女は貴女であるのだから。』
この声は何を言っている?
僕は僕だ。確かにこの声の言う通りだ。
〈偽者〉ではあるが〈本物〉と何一つ変わらない僕自身だ。同じものが嫌いだし、同じものが好きだ。
嫌な記憶もあるし、嬉しい記憶も同じだ。何一つ変わらないじゃないか?
でも差別されている。同じ僕である筈なのに肉体が〈本物〉じゃないだけで、これほどまで割り切られてしまうのか?
やっぱり〈偽者〉だからなのかい?
『貴女は作られた際に命令されてるんでしょう?彼を殺せって...。でもそれを堪えているのは貴女の意思が〈本物〉より強かったからよ。貴女も本当は彼に愛されたいのでしょう?』
『だけど僕は本当に主様を殺したくは....』
『だから言ってるじゃない!どうするかは貴女次第だって...選択肢は二つだけじゃないでしょう?』
僕は僕である。賀露島が好きだ。主様が好きだ。好きだ。
スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。スキダ。
だからもう....。
『壊れちゃいなさい...っでありーす。』
別に殺す必要はない。殺さなくても自殺する必要もない。
だってその二択しかない命令にもう従う必要は無いのだから。
リスフィスの魔法人形はボロボロの体を不気味に起こす。
ヌルッと立ち上がる彼女はまるで幽霊でも見ているかのように気味が悪い。
賀露島はゆっくりと近づくその足を止める。笑顔で歪んでいた顔は何かを感じ取ったのか真顔に戻る。
「さあ主様...愛し合おうよ..僕は〈偽者〉だけど....主様なら....」
ア・イ・シ・テ・ク・レ・ル・ヨ・ネ?




