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起-5-

〝神座の森〟の向こう側から来たという、娘。

 あの森の残酷さを、恐怖を、不合理を知っているからこそ、悠絃は問う。

「聡耶。お前は、どうするのだ」

 厳かに問われ、更にその眼光を厳しくするかと思われた高見家当主は、意外な事にその瞳を細めた。つまり、笑ったのだ。

「予定通り、執り行う」

「…………――?」

 事の重大さに比べてあまりにもあっさりと判断を下した聡耶を、悠絃はしばし、目を瞬かせて凝視した。

 そんな彼の反応を、再び手にした湯呑みに口をつける聡耶は、些か楽しんでいる様子さえあった。

「……何を隠している、聡耶」

 階位習得の試練だ。多少の危険は付き物である。幸いな事に長い歴史の中でも死者はまだ出ていないが、程度はどうであれ、負傷者なら数えきれない。今年も何名かは必ず医務室の世話になる事だろう。

 だが、明らかに危険だと判っていて、敢えて送り出すのか。

「何も」

 正師範が熟練の退魔師のそれで真意を問うたところで、高見家を束ねる長には通用しない。

「仁が警告をしてきた。それだけで充分なのだよ、悠絃」

「……意味が解らん」

「理解しようとするその過程が大事なのだ。……あの子とは、この点に関してのみ、解り合えないが」

 そう呟く聡耶の顔は、高見家当主としてではなく、悠絃が揶揄したようにお転婆娘を見守る父親のそれに近かった。

 悠絃は、陽族特有の紫色をした宝石を埋め込んだ双眸で目の前に端座する長を見据える。真意を推し量るような、刺す様な視線にも、聡耶が再び口を開く事はなく。

 求めた答えが得られない事を悟り、悠絃は軽く肩を竦める。一見、物腰柔らかく警戒心を抱かせない穏やかな雰囲気を纏う彼は、その実、代々続く高見家当主の中でも頑固な部類に入る。その彼が語る必要なしと判断したのなら、それは、たとえ誰が何と言おうと口を開く事はないのだ。

「承知した」

 だから、悠絃はただ一言、応じる。

「――……まぁ、尤も」

 立ち上がるその動作は重ねてきた年月を欠片も感じさせない。畳に落とした笑み。

「冠誕の儀を取り止めるなど、誰も納得しないだろうし、な」

 それどころか、四方八方、下は見習いから上は正師範まで、抗議の嵐が吹き荒れる事だろう。厳格な規則と階位制度で統制を図ってきたからこそ、条理に合わぬ物事に対する反応は、それはそれは激しいのだ。

 微苦笑を交わし、悠絃は部屋を出て行く。その背を見送り、足音が聞こえなくなり、気配も途絶えた頃、聡耶は緩慢な動作で立ち上がった。

 長雨が上がり、季節が一歩進んだ朝は肌寒い。数日前に出したままだった羽織に袖を通し、部屋を出る。師範以上の階位を持つ者の部屋が集まる母屋は普段から静かであるが、丁度朝食の時間ということもあり、人の気配は更に薄い。

 それは寂寥感にも似ていて、木造の空間に緩やかな足音を響かせて聡耶が向かった先は、母屋の地下だ。陽の入らぬ北廊下の角に設けられた階段を下りていく。常に薄い闇が積もるそこは、一段一段下っていく度にその色を深くしていく。地下は闇の住処、光源である灯篭は一つのみで、木の壁に淡い影を作る。木の廊下が上げる甲高い悲鳴が言い知れぬ不安を掻き立てるが、聡耶は慣れた足取りで先へ進んだ。行き止まりは重厚な扉、その前で歩みを止める。

「――仁」

 特に気配を消して来た訳ではない。呼びかければ、扉の向こう側から短い返答があるものと思っていた。

「…………」

 応えの声はない。予想に反した事態に小首を傾げた聡耶は、戸惑いを隠しきれない声音で再度扉の向こうにいる相手を呼んだ。

 それでも尚、返された沈黙。

 懐から鍵の束を取り出す。似た物が連なる中で一際無骨なそれを選び、蝶番に差し込んだ。重い音を響かせて外れたそれを床に置き、押し開いた扉の隙間から篝火の光が差し込む。不安定に揺れる橙色が暗闇から浮かび上がらせた光景に、今度こそ聡耶は言葉を失った。


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