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6 さよなら神様

 これ以上、引っ張れない。


「何も起こせません!」


 私はキッパリと言い切った。


「ん? なんて?」


 烏丸さんが不思議そうな顔で、耳に手のひらを当てた。

 前職では、ピアノ講師という間違った道を選び失敗した。今度こそ、身の丈にあった正しい就職を決めるのだ。私は両手を強く握りしめ、足を踏ん張る。


「私が御社に就職することは100%ありませんから、何の変革も起こせません!」


 しーん、と。

 再び、その場が静まり返る。先ほどのどよめきとも違う、凍り付いたような静寂。


「へえ」


 烏丸さんの顔から笑顔が消えた。


(えっと、私、また何かやっちゃった?)

 

 多分、またしても無自覚なノンデリカシーを発動してしまったのだろう。

 他人の感情を読み間違えるのは、私の大きな欠点だ。


「100%就職しないとは。ずいぶんうちも見くびられたもんだな」


 目の前にある形のいい唇から氷のように冷たい声が漏れた。


「あ、確かに!」


 そう言った後で私は青ざめる。

 烏丸さんの目が、氷のように冷たくなっていくのがわかったからだ。

 

(ち、違うんです。今のは、やらかしの理由がわかったから肯定してしまっただけで、確かにそれは失礼ですね、と言いたかっただけなんです……!)


 しかしアワアワするだけの私。

 言葉足らずで説明下手なのだ。プレゼンのまぐれを返してほしい。


「なるほど、君は馬鹿なんだな」


 馬鹿?


 耳を疑った。大人になって、面と向かってその単語を耳にしたのは、本当に久しぶりだ。いや、もしかして、聞き間違いかもしれない。だって、今の世の中、ある意味その言葉、死語でしょう? そんな露骨な悪口を、企業のトップが言うだろうか。

 空耳だと言い聞かせている間に、烏丸さんの目は、先ほどの興味津々なものから、冷ややかな、感情の読めないものへと変わっていく。

 

「ま、ピアノのような無駄の塊に投資できたのは馬鹿だからだろうな」


 また、馬鹿という言葉を使われて、頭の中がクラクラする。


(ど、ど、どうしよう。完璧に怒ってる。烏丸さんの逆鱗に触れたみたい。タイムマシン……ないよね。うううう)


 烏丸さんは私を睨みつけている。まるで蛇に魅入られた蛙の気分だ。体があっけなく硬直する。


「俺がもっとも大切にしているものは何か知ってるか? 時間だよ。君は今俺の時間を3分以上無駄にした。まあ当然だろうな。君は無駄のプロフェッショナルだから」

 

 烏丸さんは体を起こして、両手を広げ周囲を見回した。俺はこの空間の支配者だ、と言わんばかりのジェスチャーだった。

 

「ピアノなんて、この世で最も無駄な物だ。毎日地味な修練をこなして、プロになれるのはほんのひと握り。大半が趣味前提でマネタイズの余地なし。あんなものに時間を投資するのは、無駄の極みだ」

 

 声に含まれた鋭い刺が、真っ直ぐに私の胸を貫いた。

 頭の中がクラクラし、体から力が抜けていく。

 おそらくは、ここにいる全員が唖然としている中、彼は朗々とした声でこう続けた。

 

「君は幼い頃からピアノの練習を続けてきたんだろう。だが、今路頭に迷っている。俺に言わせれば当たり前だ。楽器に費やす時間は無駄でしかないと、俺はわずか4歳の時に気がついたぞ」

(そ、そ、そ、そうなんですね……)


 私は岸に打ち上げられた魚のようにパクパクと口を開くばかり。


「なんだ、反論もしないのか?」


 そんな私を見て、烏丸さんは呆れ顔になる。

 多分、さっき流暢に自己紹介をしてしまったから、そこそこ喋れる人間だと勘違いさせてしまったのだろう。つまり私は、拗ねて口をきかないわがまま娘に思われている可能性があるのだ。


「わかった。どうぞお帰りください。君の時間を奪うのは俺も忍びないのでね」


 そう言うと、烏丸さんはくるりと私に背中を向け、大股で階段をおりていく。

 と、誰かが私の肩を叩いた。


「あの、申し訳ないのですが、ご退場ください」


 首からネームプレートを下げた、おそらくは烏丸商事の社員である。

 

(えっ。私、追い出されるの!?)


 がーんと言う音が頭の中で鳴り響く。

 音楽教室を追い出されたニートの私、なんと会社説明会で、なんと推しに再び追い出される羽目になりました。

 

 いたたまれずに、うつむきながら席をたち、出口のドアまでの数メートルを、まるで逃げるように小走りに走った。3000人の視線が背中に突き刺さるのを感じながら。


「待て」


 鋭く、そして有無を言わさぬ声が、私を呼び止めた。震えながら振り向く。

 烏丸さんが、鋭い視線を私に向けていた。


「さようなら。無駄のテンプレートさん」


(む、無断のテンプレート!)

「うまい! 流石です。烏丸さん!」


 思わずそう口走って秒で死ぬほど後悔した。

 私は顔を赤くしながら一礼すると再び出口ドアに向かう。

 ドアを開けた瞬間、5月の風が羞恥心と後悔と自己嫌悪で溶けそうになっていた私にねっとりとまとわりついた。

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