1 運命の人に出会いました
一週間前、動画サイトで彼を見つけた。
パソコンを前にした無機質なテーブル。口の前にある黒いマイク。
シンプルな企業動画だがカウンターは100万再生を超えており、かなりの人気チャンネルらしい。
私も思わずイイネを押した。そして、今、就活生たちに混じって彼の生声を聞いている。
(ミーハーだよね。でも、久しぶりにときめいたんだもの。仕方ないよ)
来てよかった。
さっきから烏丸さんの言葉に痺れっぱなし。
声のコレクションなんて全然お金がかからないし、無職の自分に相応しい、いい趣味だと思う。
「俺がもっとも大切にしているのは直感と時間だ。というわけで、プログラムでは今から業績説明と記載されているわけだが」
烏丸さんはチラリと舞台袖を見て肩をすくめた。
「やめとこう。後で公式サイトを見ておいてくれ」
バチン、とスクリーンの電源を落とし、リモコンを机に置く。
「ここには弊社に興味を持つ人間が集まっている。それをただ一方的に話を聞かせて帰すのはあまりにも惜しい。ダイヤモンドの原石が落ちているかもしれないのに。というわけで予定変更だ。今から採用面接を始めよう」
採用面接?
一瞬意味がわからなかった。
会場のあちこちでどよめきが広がっていく。
いくら時間が大切とはいえ、展開が早すぎる。
「言葉より実践。これは俺から君たちに贈る最大級のレアカードだよ」
無駄な美声で言い切るけれど、採用を時短していいのだろうか。
最前列の男性が手をあげた。
「ファーストペンギンだな。素晴らしい」
烏丸さんが、にこりと笑った。男性は立ち上がる。
「採用基準を教えてください」
不満そうな声。そうだよね、と内心思う。
「直感だよ」
烏丸さんはあっさり答えた。
「勘? 私たちは人生をかけて就活しています。アピール力だけでジャッジされるのは心外です。もっと多角的に見てください」
烏丸さんはふっと鼻で笑った。
「君は随分短絡的だな。見るのはアピール力だけじゃない」
「では、何を」
「色々だよ」
「そんな」
烏丸さんはきっぱりと言った。
「運命の相手は、一目でわかる。俺は自分の審美眼に自信があるんでね。それに、レアカードは吟味しているうちになくなるぞ。取るか、捨てるか、選択肢は君が思っているより少ない」
「私とは価値観が合わないので……失礼します」
男性は一礼すると立ち上がりそのまま退出してしまった。
「彼は優秀だな。自分の時間を守った。実に合理的だ。君たちも帰りたかったらいつでもどうぞ」
私は体を小さく丸め俯いた。
(どうしよう。なんだかややこしい事になってしまった……)
真面目な就活生たちが集う場所に、イケボをコレクションしようと、ミーハー気分で乗り込んだ私。
(私、ここにいていいのかな)
うっすら抱いていた罪悪感が、シリアスな展開に強まっていく。
しかし出ていく勇気もなくて。
だって、今そうしたら、烏丸さんに物申しているみたいだもの。さっきの彼みたいに。
(そんなの無理。声だけとは言え、好きな相手に嫌われたくない)
性格は、全然知らないというか、ちょっぴり変わった人なのかなと思い始めているけれど。
でも、でもでも、声の魅力には抗えません。
(大人しくしておこう。知らなかったんだもの。こんなことになるなんて)
「じゃあ、今から始めるぞ」
腕まくりしている烏丸さん。
隣の女性が小さくうなりながら胃に手を当てているのが目に入った。
顔が真っ青だ。
「あの、ご気分が悪いんですか?」
おせっかいかなと思いつつも声をかけた。
「あ、違うんです。緊張で。第一志望なんです、私」
彼女は体を両手で抱えた。
「あ」
チャンスですね、と言おうとして口を噤む。
ラッキー、なんて雰囲気じゃないのは、顔色一つで推測できる。
(ここで手を上げるのは勇気がいるよね。目立つと嫌なことを言う人だっているし)
きっちりまとめられた髪の毛に紺色のスーツ、何より、ヒールにたくさんの傷がついていて、学生時代、友人たちが会社訪問で靴を何足も履き潰していたことを思い出す。
胸がギュッと締め付けられた。
「……応援してますね」
それだけ言って前を向く。
自分が本気の人たちに混じった偽物の気がして、少し情けなくなった。
それから30分後。
ホールの空気はどんよりと落ち込んでいた。
「君はうちが第一志望?」
「え、は、はい」
「少し間があいたな。嘘はだめだ」
「あ、す、すいません……」
「謝罪も遅い。瞬発力0だな」
「ううううっ」
突然の面接は就活生たちにとって負担が激しかったらしく、次々に残念な結果が積み上がっていく。
死屍累々を踏み越えながら、近づいてくる彼の、容赦ないジャッジメントタイムに場の空気はピリピリとしている。誰かの囁き声が聞こえてきた。
「……どうしよう。怖いんだけど」
「見るな。食われるっ」
そんな言葉が聞こえる度に胸の奥が痛くなる。
(知らなかった。ここってサバンナだったんだ……!)
偽物どころの話じゃない。
獣たちが命をかけたバトルを繰り広げるこの世界で、私はバスという特等席にいるツアー客。不真面目かつ、他人事感この上ない。ごめんなさい。みんな。
(……録音なんてしてる場合じゃないわ)
スイッチを切ろうとペンダントに手を伸ばした時、
「……君」
「……」
「ほら、君だ」
えっ?
顔を上げると彼がすぐそこにいた。
視線がぶつかり、息が止まるかと思った。
肉食獣がまじまじと私を見ている。
鋭い視線に硬直した。
「あの」
か細い声。意外にも隣の女性が手をあげていた。
驚きと感動に胸が震える。
(配られたカードに手を伸ばしたんだ)
みんな烏丸さんに怯えているのに、凄い勇気である。
ところが……。
ピロリロリロリ~
突然、鳴り響いた大音量が、ほっこり気分に水をさす。
(うわっ! スマホ! こんな時に誰よ)
全くマナー違反なんだから、と心の中で突っ込んでいたら、前の人たちが一斉に振り返る。
咎めるような、同情するような複雑な視線を一気に浴びた。
(えっ? 私!?)
慌ててバッグに片手を突っ込む。申し訳なさと恥ずかしさで心臓が早鐘を打ちはじめた。どうしよう、どうしよう。
その時、パタ、と電子音が止まった。
隣の女性がさっとスマホをバッグに戻しているのが見える。
(え? 彼女なの?)
胸のところまで上げていた片手を下げ、また小刻みに震えている。
瞬間、危険信号が頭の中を駆け巡った。
(スマホの切り忘れなんてマイナスに決まってる……!)
そうでなくても、ショックでパフォーマンスが落ちるはずだ。
そんなの、駄目だ。
この人は、靴を擦り減らすほど頑張っている。
震えるほど、烏丸商事に入りたいのだ。
そして今、手を挙げた。
チャンスのカードは勇気を振り絞った人が掴むべき。
数秒の思考の後、私は立ち上がった。
「す、す、す、すみませんでしたっ!! サバンナでは通知を切るべきなのにっ。狩りを邪魔してしまいっ」
四方にペコペコと頭を下げる。
庇う、なんて高尚な事をしたつもりはない。
自然と体が動いていた。
「サバンナ?」
烏丸さんが首をかしげる。
(私ったら、何言ってんの!?)
後悔したがもう遅い。
一瞬の静寂の後、ぷっ、と誰かが吹き出す音が聞こえた。
笑いはさざなみのように客席全体へと広がっていく。
「サバンナって……」
「言いえて妙だね」
「うん。肉食獣は……」
「しっ」
クスクス笑いに混じってそんな声が聞こえてきた。
「どうやら、皆知りたがってる。サバンナとは、一体何だ?」
烏丸さんは意地悪な笑みで私に迫る。
「身も蓋もない……ただのたとえ話です」
「たとえ話か。いいね。ぜひ聞かせて欲しい」
これがマナー違反の罰なのか。
私には烏丸さんのその笑みがとても怪しく見えたのだった。




