2 耳が痺れるようなイケメンボイス
格式高いホテルの迎賓館ホールは、人生の岐路に立つ学生たちの熱気と緊張感で張り詰めていた。リクルートスーツがひしめく中で、白いワンピースの私だけ、明らかに場違いだったと思う。
彼らは「就職」という未来を掴むためにここにいる。推しの生声を聞きに来ている私は数メートル先の生烏丸にときめいていた。邪道である。
烏丸さんは美しい声でこう語った。
「弊社を右肩上がりの成功へと導いた、シンプルな技を今から皆さんにお伝えいたします」
烏丸さんはピッと人差し指を天に立てた。私の顔は指とともに上向く。まるで猫じゃらしを前にした猫だと自分でも思うが、止められない。
「それはゴミ時間をなくし目の前のタスクに集中することです」
烏丸さんが指をさっと下ろし、私も倣う。ああ、マジで猫なんだけど、彼の指には何かの魔法が仕掛けられているのだろうか。
「どんなに長生きしたところで人の寿命はたった100年。人生には限りがある。それなのにほとんどの人は、毎日を無駄なことに費やして時間をドブに捨てている。それではいくら足掻いても理想の未来は掴めない」
(無駄時間の排除! 確かに……!)
首振り人形と化した私は心のメモ帳に推しの金言を刻みつける。
「無駄を捨てて今に集中しましょう。そうすれば誰にだって豊かな未来が掴めるはずです」
(なるほど! 今日からそうします!)
私はギュッと拳を握りしめた。心がますます軽くなる。
肩書きを持たないお荷物と言われ(ほぼ)首になった無職女の気分を一気に上げるのだから、この人はすごい。
ハローワークの意地悪職員とは月とスッポン、いや、推しと比べるのが間違いだった。同じ言葉を彼女から聞いても、ここまでワクワクしそうにない。烏丸怜だけの起こすマジカルショー。
(エネルギー満タン。満足だわ……)
私は多幸感に包まれていた。
「さて。今ここには様々な人が集まっている。この機会をただの説明会で終わらせてしまうのは……時間という命よりも大切な宝をドブに捨てるようなもの。というわけで」
烏丸さんは演台に両手を置いて、にっこりと、美しい笑みを浮かべた。
「今から採用面接を始めます」
採用面接?
一瞬意味がわからなかった。
会場のあちこちでどよめきが広がっていく。皆困惑しているらしい。
「ここには3000人もの就活生がいます。しかも弊社に興味を持っている方々ばかりだ。建前上はね。きっとダイヤの原石がゴロゴロしている事だろう。そうだな。これは面接じゃない。宝探しと呼ばせてもらおう」
宝探し! 言葉が変わるだけでテンションが上がる。
とはいえワクワクしているのは私だけのようだった。
しーんとその場が静まり返る。
舞台袖から茶系のスーツを着た男性が両手でバツ印を作っているのが見えた。しかし烏丸さんは完全に無視。
つまりこれはとっさの思いつきらしい。
最前列の男性が手をあげた。
「ファーストペンギンだな。素晴らしい。どうぞ」
烏丸さんが、満足気に発言を促す。
「恐れ入ります。採用はどのような基準で判断されるんでしょう? 短時間でその人の価値を見抜けるとは思えないのですが」
男性は強張った表情で言った。
「基準? それは俺のカンで決めます」
「カン? 私たちは人生をかけてここに来てるんですよ。エントリーシートも出してます。アピール力だけでジャッジされるのは心外です。もっと多角的に見ていただけないと」
烏丸さんはふっと鼻で笑った。
「自分に必要な者かどうかは、すぐにわかる。俺は己の審美眼を信じているんでね」
ぐ、っと男性が言葉に詰まる。
しゃきーん、と言葉の刃が男性のプライドを折るのがわかった。
「多分、私はそのお眼鏡に叶わないと思いますから……失礼します」
男性は一礼すると立ち上がりそのまま退出してしまう。
「彼は有能だな。これ以上ここにいても無駄だと判断し自分の時間を守った。正しい選択だ」
烏丸さんはまるで何事もなかったかのように、軽快な足取りで客席へと降りてきた。
(ピリピリしてるなあ。これが会社説明会……!)
私は能天気にそう思う。数分後にその浅はかさを死ぬほど後悔することになるのだが、その時の私が知るよしもない。
烏丸さんは、ネクタイの結び目に指を入れシュッと緩め、第一ボタンを外し、にやりと笑った。色っぽい仕草。たちまち、男っぽい空気が漂う。
「ここからは俺も素顔で行く。このノリが合わないなら、どうぞ、今すぐ出ていってほしい」
ラフな口調になった烏丸さんに、会場にかすかなざわめきが走るも、出ていく人はいなかった。
(……もしかしたら採用されるかもしれないんだもの。そうなったらラッキーだよね)
烏丸商事は渋谷に本社を構える、日本を代表する総合商社だ。
都心でのOL生活はきっと、ドラマみたいに素敵なんだろうなあ。
もし生まれ変われるなら、タイトスカートにハイヒールで颯爽と渋谷のオフィス街を闊歩するのもアリかもしれない。そして、社長講話に胸をときめかせるのだ。うん。ドラマどころか天国ですね。
「高望みはやめてくださいね」
ショートボブ職員の苦言が蘇り、私は妄想の扉をそっと閉じる。
(わかってますよ。私はただの傍観者。推しのパワーをわけてもらいに来ただけですから)
動画のセリフは暗記してしまったから、新しい烏丸語録を摂取したい。
スマホでこっそり録音もしていた。ライブじゃないしモラル的には大丈夫だろう。はい。ふざけてますよね。すみません。
後ろめたさに私は心の中で手を合わせた。