透さんのマンションで眠った結果……!
LINEで教えられたオートロックの番号を入力して、私は透さんのマンション内に入った。
ここは会社から二駅で、駅近。ずっと仕事をしてるなら、この距離感、最高だと思う。
私は実家が大好きすぎて、都内に引っ越すという選択肢は全くなかったけど、高校時代の友だちはみんな都内に引っ越している。
それくらいうちは都内からは遠い。
八王子からさらに自転車で20分程度かかる山の中だし。
でも子育てには適していて、私はもうずっとあそこから離れるつもりはない。
結婚後の家も、本当に広瀬造園の敷地に建てることになりそうで、今いろいろと話し合いが進んでいる。
家計の話もちゃんとしなきゃと思うけれど、透さんなら……ともう無条件に信用している所がある。
私は階段を上って透さんの部屋の鍵をあけた。
「……透さんの匂いがする」
私は思わず微笑んでしまう。
玄関に置いてある透さんの靴!
……ちょっと綺麗にならべちゃお。
透さんの傘!
……使ってるの見たことある!
透さんのハンカチ!
……可愛い柄のが結構ある!
前に来たのは電子レンジを取りに来たときで、緊張していてネックストラップを貰ったことしか覚えてない。
あれから色々あった。そして今……透さんと結婚して、幸せすぎる。
私は靴を脱いで、上着をかけて……透さんのベッドに転がった。
「透さんの匂いーーー!」
分かってる。
ここは旦那さまとはいえ他の部屋だから、本当はシャワーを浴びてからコロコロすべきだけど、あまりに楽しい。
こんなこと言っちゃダメかもしれないけど、透さんが居ないのも少し良い。
透さんのカケラがそこら中にあり、知ってる物も、知らない物もあって、それが楽しい。
それに明日仕事とはいえ、ここは会社まで30分……ううん、15分で行ける。
つまりいつもより2時間も余裕があるのだ。もう深夜2時だけど、朝2時間余裕があると思うと、まだ楽しみたいと思ってしまう。
そもそも私は一人暮らしをしたことがなく、外泊するのはホテルだ。
だからこの状況は正直特殊すぎる。
もっとベッドでコロコロしたいから、まずシャワーを浴びることにする。
「タオルはこれでいいのかな。下着は買ってきたから、何か部屋着を……すみません、透さん、ちょっと開けますね……失礼します……」
私は透さんの服が入っている引き出しから、パジャマらしきものを引っ張り出した。
広げて抱きしめると、
「透さんの匂い!」
結構な量のお酒が入っているのもあり、独り言のオンパレードになってしまう。
でもここはマンションなので、声は控えめに……。
私はお風呂に入ってシャワーを浴びて「透さんのシャンプー! リンスー!」とひとりで呟いた。
そして透さんのパジャマを着た。
「……でか」
透さんは身長がかなり大きい。だから私が着ると、もうだらしないを越えてズルズルだ。
中に何か着ないとさすがに寒い。棚をあけてTシャツを引っ張り出して中から出して着た。
一月なので寒いけれど、部屋が狭いので暖房を付けたらすぐに温かくなるのがワンルームの良い所だと思う。
うちは広いけど日本家屋なので、この時期は石油ストーブを付けても隙間から風が入ってくる。
でもマンションは温かい。これはこれで良いなあ。
髪の毛を乾かして、さすがに遅いのでベッドに転がると、枕元に本が積まれているのが分かった。
そこにあったのはミステリーが数冊……透さんミステリー好きなんだ。私も好き。
それに新刊で……あ、でも大森部長がミステリーお好きだったはず。だから読んでるのかも。
一緒にお話したいし、私も読もうかな……と他の本を見ていたら、ステップアップファミリーの本もあった。
透さん……私たちと暮らそうって考えてくれたんだな……と思うと嬉しくなって本を私も読んだけれどすぐに寝落ちした。
透さんの匂いがするお布団。それに温かくて落ち着いて……ものすごく気持ちがいい。
頭を撫でられている感覚がある。
ずっと優しく、甘く。
頭を撫でられているなんて、いつぶりだろう。
でも幸せで……温かくて……ん??
うっすらと目を開くと、目の前に透さんが見えた。
幸せな夢の続き……。
透さんだ……、抱っこ。
私はそのまま布団から手を伸ばして透さんを布団に引き寄せたら……、
「冷たい……?」
「ごめん、来たばかりなんだ」
「……え??」
夢の中だと思ったら引き寄せた透さんはスーツ姿で冷たくて現実で、一瞬で目が覚めた。
「?!?!?!?! ……っ……えっ……おはよう……ございます……えっ、しまった、私遅刻ですか?」
「いや、まだ7時だ」
「えっ……ええっ……透さん、どうして?」
「マンションに長く帰ってなくて、食べ物も何もないだろうと思って朝食買ってきた……というのは言い訳で、菜穂が俺のマンションにひとりでいると思ったら会いたくて、かなり早い電車に乗って家から出て来た。ごめん、ゆっくり寝てたのに起こしたな」
私が目覚めると、ベッドサイドにスーツ姿の透さんが座っていた。
夢と現実と……その前に、そうだ……昨日は透さんのマンションに泊まって嬉しくてそのまま気絶するように眠っていた。
とりあえずまだぼんやりしている頭で透さんに挨拶する。
「……おはようございます」
「……おはよう。っ……菜穂。俺のパジャマが……でかすぎる……」
「あっ……すみません、いろいろ借りたんですけど、もう全部ちょっとアレなレベルで大きいです」
「可愛い。ちょっと……すごく可愛いな」
そう言って透さんは私を抱き寄せた。
ひんやりと冷たかった透さんの身体が、私が抱きしめることでふわりと温かくなる。
透さんはそとの香りがするスーツの上着を脱ぎ、私をそのまま布団に押し倒す。
透さんの香りがする布団に包まれて、透さんが私の目の前にいる。
そしてゆっくりと顔を近づけて、甘く深くキスをした。
背中に腕を回して、
「……めちゃくちゃ可愛い。俺のパジャマを着てる菜穂……可愛い。可愛い……可愛いのに……くっそ……なんで今日が仕事なんだ……」
透さんは私にしがみ付いたまま吐き出した。
その状況が面白くて私は抱きしめられたまま声を出して笑ってしまう。
「今日は絶対に休めないです。私10店舗回らないと」
「俺も無理だ。くそ……菜穂……可愛い」
そう言って透さんは私を布団の中で抱き寄せて何度もキスを落とす。
そして「仕事行きたくねーー」と布団の上に大の字になってしまった。
私が横で大の字になっている透さんの頬をツンツンすると、下から思いっきり抱きしめられて笑ってしまう。
透さんは近所のパン屋さんで朝ごはんを買ってきてくれていた。
私がパジャマから着替えようと服を持って脱衣所に向かったら一瞬で制して、
「いや、菜穂。そのままでいい。その姿のまま、そこに座って食べてくれ」
「……でも……ちょっと行儀的に……大丈夫ですか?」
「可愛い。全く問題がない。ここは俺の部屋だから俺がルールだ。行儀など関係無い、縁起がいい、最高だ」
今まで見たことがないほど、透さんが真剣な表情で妙なことを言っている気がするけど……真顔すぎるから受け入れる。
なによりせっせと私のために朝ごはんを準備してくれる透さんが可愛い。
パンをお皿に出して、
「ここのパンは朝7時から営業してて、焼きたてのクロワッサンがすごく美味しいから」
「……! サクサクしてて、バターが最高です」
「コーヒーも買ってきた。サラダも」
「……ありがとうございます」
「俺も一緒に食べようと思って。よく考えたら菜穂とここで朝ごはん食べられる最後のチャンスだと気がついたんだ」
「そうですね、夜ごはんをふたりで食べることは出来ても、朝はちょっと難しいですね、本来」
「そうなんだ。それに昨日の夜気がついて、早起きして出てきた。だから嬉しい」
そう言って透さんはあれもこれも私に食べさせた。
そして買ってきた歯ブラシを出してくれて、髪の毛も櫛で整えてくれた。
もう至れり尽くせり。
透さんは部屋を片付けながら、準備する私を見て、
「あっちの家のローンを組むから、来月にはここを解約する電話をした所だった。だから最後に使えて良かった」
「あ、そうなんですね。少し淋しいけれど……それでも最後に透さんとここで朝ごはん食べられて良かったです」
「ああ。また片付けに来よう。今度は完全に引っ越しだ。荷物を全部離れに入れるしかない」
「これくらいなら入りますね」
私と透さんはマンションを見て回り、引っ越しの日付に目星をつけた。
準備を終えてふたりで玄関に立つと、透さんは私を甘く抱き寄せて、
「……菜穂が俺のパジャマ着てるのが……マジでヤバかった。これほど仕事に行きたくない日は人生でないが……仕方ない。本当に本当にこのまま部屋で菜穂と過ごしたい」
「あははは! 今日は一緒に帰りたいですけど……今日は店側に報告するので……遅くなります」
「俺も本社だ。長くなりそうで怖い。でも今日こそ家で」
「はい」
私と透さんは玄関で優しくキスをして、ふたりでマンションから出た。
もう結婚しているから、会社までふたりで行っても良いのが嬉しい。
なにより15分で会社に到着するの……これは楽すぎる!
部署に着くと二日酔いの美香子と石津さんと、朝からまだ酔ってるのか……ハイテンションの最上くんがいた。
終電に乗れなかったことを怒ったら美香子は「すまんすまん」と雑な謝り方。
もう絶対イヤだけど……少しだけ感謝してるなんて絶対に言わない。
透さんのマンションでふたりで朝ごはん。もう最後だけど、とても楽しかった。




