継ぐ心
「え、事業継続……ですか」
「そう」
正月の結婚騒ぎが落ち着いて一ヶ月。
毎日忙しく仕事をしていたら、商品開発課の緑川課長に呼び出された。
醸屋さんは娘さんが海外事業をメインにするため、国内の販売を縮小すると決めて動いていた。
だからうちにももう味噌を卸せないかもしれない……そうなっていたが、私は醸屋さんの六代目……紀代子さんがまだまだ情熱を持っているように見えた。
作ってくださるお菓子も本当に美味しくて、ずっとこれを食べたい……そう思ったのでうちが新宿で持っているカフェで出張販売をお願いした。
それから二ヶ月ほど……私の結婚や仕事が忙しく顔を出せていなかったが、国内での事業を継続する動きになっているという。
緑川さんは、
「紀代子さん、あのあともう一度新宿店に出たのよ。その時出したのがエクレア」
「エクレア!」
「これが甘味噌で包まれたナッツが入ってるエクレアで、ダークチョコと相性が抜群なの」
「! 食べたいです」
「すごく人気で三日持たなかったの」
「なるほど、仕事してる場合じゃなかったです……」
私は甘味噌ナッツが入ったエクレアに思いを馳せてため息をついた。
緑川さんは私に向かって、
「でも甘味噌ナッツが他に使えるんじゃないかって提案したの、海野さんだって聞いたけど」
「はい。クッキーを頂いた時に提案しました」
「紀代子さん大喜びされてたわよ。海野さん……結婚したんだよね?」
「はい」
「女同士だからフラットに聞かせてもらうけど、妊娠考えてる?」
「はい、一応は」
「だったら来年うちに異動してこない? 商品開発課は外周りないから妊婦でもキツくないよ。事実妊娠期間中だけうちにきてる人も多いし」
「……なるほど。たしかにいらっしゃいますね」
「2ターンの4年いれば子ども産んで落ち着ける。私もそれで商品開発課来て課長上がって今子ども小学生。キツいけどなんとかやっていけるよ。考えてみて。経営者にご高齢の方も多いし、海野さんなら大歓迎、即戦力」
「ありがとうございます。考えておきます」
私は頭を下げて商品開発課を出た。
たしかにこれから先のことを考えたら外周りが多く身体も使う営業より、商品開発課のほうが良いかもしれない。
なにより仁菜が小学校に入りお迎えが無くなるので、都内から遠い店舗を中心的に回り、お迎えを気にする必要がなくなる。
営業の仕事が気に入っていて、異動する気なかったけれど、醸屋さんとお付き合いして商品開発の面白さを知った。
……ありかも。私は国分寺店と醸屋さんのところに向かうことにした。
「会社をね、作って、それを渡すことにしたの」
「なるほど……すいません、そっち方面のことはよく分からないんですけど、それで紀代子さんのお店が守れるんですか?」
「そう。今まではね、醸屋の株を渡そうと思ってたの、全部娘にね。でも最近お店出てみたら楽しくて……なにより味噌蔵のみんなが、海外メインの仕事はイヤだって言っていてね……弁護士に相談したら、会社を新しく作ってお互いに株を持ち合えば、海外の商売とここのお店を切り分けられるって言われてね」
「なるほど」
話が聞きたくて来た醸屋さんで、紀代子さんはしっかりと説明をしてくれた。
「醸屋の株を丸々娘に渡すと、この建物もすべて権利を取られちゃうから、お店もね、海外向けのレストランにしたいなら従うしかなかったの。でも新しい会社を作ってやると、ここのお店と味噌蔵は私の物として守れるんですって」
「それは良かったですね」
「別の会社を作って分けることで、お店と味噌蔵は守れそうなのよ」
紀代子さんはそう言って笑顔を見せた。
会社や株式のこと、私は全然分からないけれど、
「じゃあ……お店のパッケージとか変わらず、販売も継続できるってことですか?」
「そう。だからね、あのお店もインバウンド向けじゃなくて昔のお店に戻そうと思ってるの。売り上げは落ちるけど、落ちるのは私の店。娘は東京駅に出店計画をもう練ってるみたい。うちは東京駅からも遠いし、正直そっちのが良いと思うわ。分けようって決めたの」
「紀代子さんが納得されてるなら、それでいいと思います」
「スッキリしたわ。ずっとね、私が死んだあとも味噌蔵残してほしいけど、このままじゃ難しいんじゃないかって心配してたから。お店でお菓子と小さなカフェもしようと思って!」
「お味噌が続いてお菓子が食べられるなんて、私は嬉しいです!」
「勇気を出せたのは、海野さんのおかげ。新宿のお店、本当に楽しかったのよ。私、お味噌の話してないと、すぐにボケちゃいそう」
「良かったです」
そして紀代子さんは、エクレアを出してくれた。
甘さ控えめの生クリームの中に入っている甘味噌をまとったナッツ、そこの上にかけられたダークチョコレートが……、
「本当に美味しいです……すっごい味噌の可能性を感じます」
「ダークチョコレートがポイントなのよ。このチョコレート、新宿店で売ってるの。もうすっごく美味しくてね、代々木にあるお店で、世界中のカカオを仕入れてるんですって」
「ミニマル(Minimal)さんですね。美味しいんですよね」
「そうそう! そこのダークチョコレートを使ってるの」
私と紀代子さんは「あれも美味しそう」と色々と味噌を使ったスイーツの話をして盛り上がった。
緑川さんが言う通り……妊娠できたら商品開発課に異動……考えてみても良いかもしれない。
「これで荷物入りますかね?」
「とりあえず詰め込むしかないだろう。不要品も全部運ぶから、新居に不必要なものは捨てるしかないな」
「はい」
明日引越業者が、透さんのマンションから荷物を持ってくる。
とりあえず離れに全部入れるために、置けるか確認をしている。
掃除をしているとおじいさんが離れに顔を出した。
「よう。ちょっとこっち来てくれや。工事が終わったんだ」
おじいさんに呼ばれて本家の入り口に向かう。
おじいさんの本家は、道路から御影石の階段を20段ほど上り、その先にある。
白くて美しい御影石は玄関を美しく彩っていて、季節に合わせた木々が美しくて、私は大好き。
でもその御影石は、水に濡れるとツヤツヤして、恐ろしいほど滑った。
おじいさんは怪我をしてからそこを歩けないから離れにいたんだけど、
「……わあ、すごい。滑らないですね」
私は工事が終わった石の上に立った。
御影石は業者さんが作業した結果、左側に手すりと、足元にスリット加工がされて、滑らないようになっていた。
立ってみると傷が見えないのに、足を乗せてみると間違いなく滑らない。
私は膝を抱えて座ってスリットに触れる。
ものすごく細かい傷がついている。
「すごいですね!」
「源さんが手すり作って、滝さんがスリット全部入れてくれたんだよ。これでもう行ける。ほら」
そう言っておじいさんは手すりを持って階段を器用に上り、本家にたどり着いた。
足運びもしっかりしていて、安定感があり、歩いている姿を見て不安もない。
透さんはおじいさんの横に立ち、
「リハビリ頑張ったんだな」
「ああ。本家と離れを歩くリハビリが本当によかった。あれを二ヶ月続けたら、筋力も戻ってきたわ。筋肉量は事故前より多いってさ」
「すごいな」
「だろ? まだまだ大丈夫だ。ほら寒いから入ろう、話がある」
そう言っておじいさんは私と透さんを本家の中に入れた。
そして温かいお茶を出して、
「うちの弁護士に、透に家を建てたいから土地を分けるっつったら、税金がすげーことになるから、借地権が一番良いって言うんだよ。でもそれだとさ、老い先短い俺だと難しくなる。だからさ、俺と大工の源さん、あと石の滝さん三人で共同の会社を作ることにした。でも今もなんも変わんねーんだよ。でも俺が死んでも、税金がバカみたいにかかって、透や菜穂ちゃん、それに彩音やリュウに迷惑をかけない最適な方法だって言うんだ」
透さんはお茶を飲み、
「なるほど。贈与税の問題か」
「そう、会社の持ち物にして借地権にすれば、このバカみたいに広いのに安くて税金だけ高い土地、なんとか残せそうだからさ。俺がボケる前に迷惑かけない形にする」
透さんは横で、
「すまないな、会社が継げなくて」
「庭いじりは俺の趣味だ。それにサラリーマンに疲れて造園業したい若いもんも、まだまだ多い。やりたいやつが出来るようにしとくのが、俺たちじじいの仕事だから。透は菜穂ちゃんと仁菜ちゃんと幸せになる姿を俺に見せてくれ。それが最高のご褒美だ」
「じいさん……」
「うちの弁護士が、どーのこーののやり取りをしたいみたいだけど、明日の引越後大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
透さんとおじいさんは書類を広げてこれからの事を話した。
そして私と透さんはスリットが入った階段を下りて離れに戻った。
「すごいですね、石の加工。滑らないのに、普通の石に見えます」
「滝さんも、源さんも、じいさんと古くから仕事してる人たちだから大丈夫だろう。跡を継げないことを悪いと思っていたが……良かった」
「……私、みんながすごく楽しみにしてる手前、大きな声では言えなかったんですけど……敷地内に透さんと仁菜と住む家立つの、すっごく楽しみです」
「今のうちにプランを立てておいたほうがいい。菜穂はどんな家がいい? 上物だけ俺のローンだから、金銭的にもそれほど重くない」
「私もずっと働きたいので、お金の話もしないと……ですね。そういえば商品開発課に異動を誘われました」
「……確かにありだな」
私は仁菜を離れに連れてきて、家を建てることを話した。
すると仁菜は目を輝かせて、
「仁菜のお部屋の壁は紫! それで床は白いの! それでお部屋を出たら大きなベランダがあるの、そこからリュウくんが入ってこれるの!」
「……リュウくん以外の不審者も入ってこれちゃうよ?」
「そういう素敵な部屋がほしいの! あと屋根がついてる大きなベッド!」
「……家の中で屋根いらないよね?」
「いるのーーー!!」
仁菜はああしろこうしろと自分の願望……主にお城にするプランを語った。
正直聞いた私がバカだった。
でも未来を考えるの、すごく楽しい。




