会社に報告した結果……?
「うえええ?! 広瀬と海野が結婚? うえええ?!」
広瀬さんが冷静に言う。
「大森部長。叫びすぎです」
私は大森部長が椅子にひっくり返って叫んでいる姿がレアすぎて、笑いが我慢できない。
私と広瀬さんを営業に入れたのは大森部長なので、大森部長に最初に報告することにした。
大森部長は早期退職されたけど、今日は本社含めた正月の食事会があり、出社されるのを知っていた。
大森部長は立ち上がったまま叫ぶ。
「いつから付き合ってたの? ねえちょっとまってくれよ、え、結婚式いつ? 俺大阪なんだけど」
「するとしても先になります。とりあえずご報告をしようと思いまして」
「広瀬ちょっと待て、お前それで終わらせる気か!」
「まずは一番お世話になった大森部長にご挨拶を……と思ってふたりで来ました。ふたりで来るのは大森部長のところだけ、そう決めてました」
「……そうか。そうだよな。嬉しいな、そうだ俺が繋いだ縁だ、ふたりとも選んだのは俺だ」
大森部長は満足げに微笑んだ。
「では」
と去ろうとする広瀬さんを大森部長は一瞬で止めて、
「なあちょっとまてよ、話聞かせてくれよ!」
「すいません、年始で俺も菜穂も忙しくて」
「菜穂……そうだ、海野菜穂さんだ。海野おめでとう。あれお子さんいたよな?」
「はい。一緒に幸せになることにしました」
「うおおおおお……! よし、飲みに行こう!!」
「すいません、仕事が詰まってますので、これで失礼します」
「みんなに叫びたいんだけど?!」
大森部長がそう言うと、広瀬さんはまっすぐに、
「俺と菜穂が真っ先に大森部長のところにふたりで来たように、俺たちも順番を考えて報告したい人たちがいます」
「……そうだな。そうだ。悪い、最近暗い話題ばかりだから嬉しかったんだ。ふたりともおめでとう。俺から広瀬に一つ言うよ。仕事ばっかするのやめて奥さんと子どもをマジで大事にしろ。うちなんて辞めなきゃいいんだ。年功序列最後の世代だと思ってしがみつけ。あ、俺はもう退職金貰えたからそれでいいんだ。アホみたいに仕事しても給料かわんねーよ。家庭のが大切だ。幸せにな」
家庭を顧みず接待と仕事を続けた過去を、大森部長は少し責めているように見えた。
私は首を振って、
「今からでも奥さま嬉しいと思います」
「……そうかな。そう言ってもらえると嬉しいけど。おめでとうな。結婚式、10分スピーチするから」
「ちょっと長いかもしれないですね」
私は苦笑で答えておいた。
そして会議室からふたりで出て、階段を下りてフロアに戻ることにした。
広瀬さんは階段を下りながら長く息を吐いて、
「……今日仕事できるだろうか」
「怪しい所ですね。大森部長だけでここまで時間を取られるとは……でも喜んでくださって嬉しいですね。結婚式……どうしましょうか。大森部長の反応を見るかぎり、やらないとダメだと思いつつ、正直どこまで声をかけるか難しすぎて、私個人の意見を言うなら、式は家族で。あと皆さん集めて飲み会を大きめな所で……が良い気がします」
「そうだな。俺もそう思っていた。披露宴も菜穂がしたいなら全然良いけど、好まないならそれでいい。どこまで呼ぶかの線引きが大変すぎる」
そう言って広瀬さんは私の方を見て、
「ただ俺は菜穂のウエディングドレスが見たいから、結婚式はちゃんとしたい」
会社なのにそんなことを言われるとドキリとしてしまう。
広瀬さんは続ける、
「それに式をあげたら、仁菜ちゃんも可愛くできる。今は子どももドレスを着て参加するってネットで読んだ」
調べてくれているのが嬉しくて近づき、
「はい。子ども用の可愛いドレスがたくさんあるみたいです。もう仁菜は大興奮だと思います」
「楽しみだ」
そう言って広瀬さんは甘く微笑んだ。
ヤバイ。冬休み中に「好き」だと思ったらキスするクセがついてしまっている気がする。
それに冬休み中みたいに透さんじゃなくて、スーツ姿の広瀬さんなのが……。
私は唇を噛み、
「……スーツで指輪してる広瀬さん、すごく良いです……」
「! 菜穂、いや海野やめろ、ダメだアホになってる。ちょっとまて落ち着け、会社では海野で通すのか?」
「あっ、はい、海野の名刺でそのまま仕事をしようと思ってます」
私は無理矢理切り替えた。
広瀬さんはネクタイを少し緩めて顔に風を送り、
「そうか、うん、そのままのが楽か。ああ、顔が熱い」
そう言って広瀬さんは私のフロアのドアノブを持ち前に立った。そして少し腰を屈めて振り向いて、
「家がいい。早く終わらせて帰ろう」
「! はい」
私は広瀬さんが開けてくれたドアから中に入った。
広瀬さんは一階下のフロアだから、ここは私だけ。
……顔が熱い。広瀬さんが異動してて良かったと思ったのははじめて。
居たら無理だったかも。仕事、仕事する!
新年初日はとにかく仕事が多い。私たちが冬休みの間も、多くの店は営業しているからだ。
売り上げと在庫、そして年末年始の報告を一気に読んですべきことをする。
広瀬さんが持っていた店の割り振りに、四月から入ってくる新人。
正直一月から五月は結婚式とか言ってる場合ではない。
でも書類を鬼のような速度で打ちながら、左手薬指の指輪を見て微笑んでしまうし、やっぱりすごく嬉しい。
今日は新年会があるけど、課長クラスのみ参加必須で、私たちは現場に回る。
とにかく今日は、私が新しく担当になった池袋店にいかないと……書類を打ちつつ私は隣席の美香子に声をかけた。
「ねえ、お昼食べた? 忙しいのは分かるけど、今日ちょっとだけ話あって。池袋行く前に話せないかな?」
「おっけー。食べよう。私も練馬行く」
私たちはお互いに持っている店の報告書を書き上げて遅いお昼に向かった。
誰かの所から流れ出して耳に入る前に、美香子にだけは、先に自分の口から話そうと決めていた。
適当な……それでもいつもより静かめな店に入り、私たちは注文を済ませた。
そしてすぐに話に入る。左手薬指の指輪を見せて、
「あのね、結婚したんだ。広瀬透さんと」
「そう、朝から指輪気になってた……うえええ?!」
「美香子、声が大きい」
「広瀬さんと?! ちょっとくううううう……」
美香子は大声に気がついて口をパクパクとさせて声をオフにした状態で叫ぶのにシフトした。
そしてブンブンと首を振って小声で、
「(ううう羨ましい、いいなあああ)」
「朝いちばんで大森部長に話してきて。そのあと仕事して、まっ先に美香子に話してる。誰かから耳に入れてほしくなかったんだ。同期だし友だちだし、なにより広瀬さんを気にしてたの知ってたから。言えなかったから、ごめんね」
「うううううう……そりゃそうだよ……私が逆の立場なら言わないよ。え、ちょっとまって何時から? まじ全然わからない」
「今年の四月に実家が近いというか、お隣さんだったことに気がついて」
「運命じゃん。えーー、私には分かるんだ、広瀬さん、プライベートでめっちゃくちゃ優しいでしょう」
私は無言でコクコクと頷く。
正直「愛してください」と伝えてからの広瀬さんは、ちょっと甘さの限度を超えている。
もう私を見る目が違うのだ。愛しいと、大切だと、とても優しい瞳で伝えてくる。
それに気がつくたびに嬉しくなってしがみ付く……そんな冬休みを過ごしてしまった。
美香子は頭を抱えて、
「……うらやましい。人生でこんなに羨ましいと思ったことない。ないよ!!」
「……うん、幸せ」
「ぐううう……おめでとう……」
そう言って美香子は私の方を見て笑顔を見せて崩れ落ちた。
正直美香子だけには絶対私から話そうと思っていた。
でも逆の立場だったら笑顔で祝福できるか分からない。
少し好きだった人が会社の同僚と結婚したら、それは単純に「くうう……」とは思うだろう。
でも私も美香子も、なんとなく社内恋愛をしても言わなかったと思う。
それは潮くんのことから学んでいるし、やはり私たち営業に損のほうが多いからだ。
美香子は届いたご飯を食べながら、
「もうこんな衝撃無理。ねえちょっと仕事終わってから飲ませて、さすがに無理」
「うん……早く帰りたいけど……」
「広瀬さんとイチャイチャするのは明日からでもできるでしょ、今日は私だよ!」
「う、うん……」
あまりの勢いにさすがに何も言えない。
美香子は「そう決まったらご飯悠長に食べてる場合じゃない」とシャカシャカと食べてすぐに電車に飛び乗った。
そして最上くんに電話して「ブラックカード持って黙ってこい!!」と叫んだ。
ええ……? 私が静かに首を振ると美香子は「これはさすがに……やっていいよね?」と目を光らせた。
何も言えない……。
「はい、死にます」
「簡単に死ぬとか言うんじゃないよバカが!!」
帰りたいとしか言えない夜23時。
私は仕事を終えてきた最上くんに結婚報告をした。
美香子は昼の時点で居酒屋の個室を予約していたようで、そこで延々と最上くん相手にのんでいる。
最上くんも最上くんで「死にたいです」しか言わない。
私はもう飲み疲れてお茶を飲みながら、
「簡単にそういう言葉、言わないほうがいいよ」
「会社で一番すきなふたりが結婚しました。もう死にたいです」
私は静かに首を振り、
「あまり外でそういうこと言いながら飲まないほうがいいよ。言葉にメンタルって引っ張られるから。おばちゃんみたいで悪いんだけど」
最上くんは私を見て、
「僕が、僕が広瀬さんと結婚したかったです!!」
「??」私が頭に疑問符を浮かばせていると、美香子が酒を一気飲みして、
「てめー酔っ払いか?!」
最上くんは続けて、
「僕が、海野さんと結婚したかったです!!」
「黙れガキが、ブラックカードで交通費払っといて、お前本社の経理泣いてたぞ」
「知らなかったことは罪じゃないんです」
「最初にバチクソ説明してーんだよ!!」
最高にガラが悪い。
結婚のお祝いのはずだった飲み会は、美香子と最上くんの罵り合いの会となった。
そこに新年会の二次会に召喚されていた石津さん(広瀬さんに結婚を聞いた)まで合流してしまった。
広瀬さんはもう帰ったと聞いて私は鞄を持って、
「あの私も帰りたくて……」
「諦めなさい!!」
ガン決まりの石津さんと、美香子、それに酒をジャブジャブ飲んでいる(最初の挨拶では「僕はお酒が飲めない体質です」と言っていた)最上くんの三人に言われてしまった。
石津さんは日本酒を飲んで、
「帰る時にサラッと広瀬が『あ、海野と結婚しました』って。そんで『帰ります』って速攻で消えたんだけど!!」
それを聞いた美香子は自分のコップに酒をなみなみとついで、
「はははっ、石津さん。広瀬さんは帰って菜穂が家で待ってると思ってますけどねえ、菜穂はここにいるんだよ、残念だったな!!」
最上くんはイカをしゃぶりながら、
「俺が結婚したかった……広瀬さんなら俺の実家と戦ってくれるのに……誰が俺を守ってくれるんですか……」
「お前がはじめた戦いなんだよ!」
石津さんが叫んで、もう無理、カオス。
石津さんが来た時点で私は帰るのを諦めて家に電話。今日は帰れないこと、それを仁菜に伝えてほしいとお願いした。
そして騒ぐだけ騒いで、みんなタクシーで帰って行ってしまった。
私の家が八王子の山の中だと、みんな忘れている……。
私用のスマホをやっと立ち上げると、広瀬さんからLINEが入っていた。
私はすぐに電話する。
「透さん。終電が出てしまいました」
『すまない、ふたりが新年会にいない時点で気がつけば良かった。捕まってたのか』
「はい。美香子に仕事終わりから捕まってしまって、久しぶりに終わりました」
『俺のマンションの鍵、まだ持ってるよな。そこまで行けるか』
「! 私、適当にカプセルホテルでも行こうと思ってました」
『良かった。普通に寝泊まりできるから、使ってくれ。住所分かるか? LINEで送る。そこまでタクシーで行くんだぞ、遅いから。今どこなんだ?』
「青山です」
『危ないから、絶対にそこでタクシーを呼んで。今会話を繋いだままアプリで呼んで』
「……はい」
過保護な透さんが嬉しくて会話を繋いだままタクシーを呼び、乗り込んだ。
車のなかで透さんは、
『好きになんでも使っていいから。あ……でもそんなに綺麗じゃないかもしれない。掃除も要らない、いや汚くないか……? 大丈夫か?』
一生懸命伝えてくれるのが嬉しくて私は静かに頷いた。
酔ってるし明日も仕事だし、なんなら早くから飲んで今日の仕事も終わってないし……と思って電話を落とした。
でも透さんのマンションにひとりで泊まるの……少しだけ楽しいかも。




