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デキる上司と秘密の子育て ~気づいたらめためた甘々家族になってました~  作者: コイル@オタク同僚発売中


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21/52

この人なら、

「えっと……」


 その広瀬さんが私の手を握っている。

 病院の時のようにカードを拾う時に偶然……ではなく、動揺している私を慰めるためでもなく。

 スリッパが脱げた私を助けて、そのまま、私の手を握っている。

 私が新しく知ったのは、広瀬さんの手はものすごく大きいってこと。

 大きくて指先が少し冷たい。その少しだけ冷たい指先で、私の手を握って離さない。

 広瀬さんの顔を見ると、広瀬さんはまっすぐに私を見ていた視線を外して、


「……また転ぶと……じいさんがつくったマントが汚れるから」


 え……っと。

 さすがに慣れた家だし、もうスリッパ履いたし、転ばない気がするんだけど。

 それでも手を握られて嫌な気持ちはない。むしろ落ち着く。

 病院でも広瀬さんに手をトントンと優しく触れられて落ち着いたのだ。


「そ、そうですね。そうですね。でも……転ばないとは……思いますが……そうですね」


 そう言って広瀬さんの手を握った。

 広瀬さんはほっと安心した表情に戻った。

 その表情が、もう子どもみたいに明らかにほっとしていて、心の奥のほうがぎゅうっと締め付けられてしまった。

 どうしてそんな手を振り払わなかっただけで……と思うけど、自分の口元が緩んできてしまうのを自覚して唇を噛む。

 でも手を繋ぎたい理由が、また転ぶとマントが汚れるって……。

 広瀬さんって……朝の出勤とかでも思うんだけど、私のことを混雑から守ってくれてるのに「木だと思え」とかよく分からないことを言う。

 なんだろう……と思っていたけど、広瀬さん、恥ずかしがり屋…… いや違う照れ隠し?


 ……となると……広瀬さんは私のことを……好き……?


 そんな風に思うと、顔が熱くなって反対の手で口元を隠す。

 チラリと広瀬さんのほうを見ると、私を見ていた広瀬さんが目が合った。

 慌てて目を逸らしてゆっくりと歩き始める。きっと私たち、家の玄関前で5分くらい動いてない。

 広瀬さんは手を離さないように一歩前に出て、私の手を引いて歩く。

 ペタン、と間抜けな音が響いて、ちゃんと靴を履いてくれば良かったと思う。

 でもそしたら、こうして広瀬さんと手を繋げなかったとも思う。


 好き、なのかな。広瀬さんが私を。


 仕事ではただの上司だったけど、こうして過ごす時間を大切に感じ始めている。

 なにより手を繋いで歩いていて、もうすぐ離れに着くの、ちょっと近いなって思ってる。

 もう少し離れが遠くて、一緒に歩けたら……ってちょっと思ってる。

 離れに到着して、どちらからともなく手を離して、おじいさんが作ったマントを褒めた。

 そう、マント、本当にすごい。

 それより何より、顔が熱くてドキドキして、久しぶりの高揚感に……とりあえずとっておきのシャンプーを使って頭を洗った。 

 でも横で眠る仁菜を見ると……なんとも言えない気持ちになって抱き寄せた。




「店員に人気が出るとか……時代すぎない?」

「これで売り上げ伸びてるんだから正解……なのかな?」


 私と美香子は池袋店で驚いていた。

 池袋店は池袋の駅前から少し行った所のビルにある店舗だ。

 駅前の繁華街から少し離れた所にあるその店は、近くにグッズショップが多いこともあり、いわゆるアニメが好きなお客さんが多い。

 コスプレのイベントが開かれる場所の近くということもあり、アニメグッズに関連した商品を置くことも多い特殊な店だ。

 その池袋店に最近有名なコスプレイヤーさんがバイトとして入ってきた。

 うちの店は基本的にエプロンさえ付けていれば髪型も服装もネイルも自由だ。

 それゆえ若い子たちがバイトしてくれてるんだけど、このレイヤーさんはとにかく有名人のようで、彼女がバイトに入ると売り上げがかなり伸びる。

 今日はアニメで出てくる紅茶の発売日ということもあり、バイトさんはそのキャラクターの服装……チェックのメイド服で仕事をしている。

 チェックのメイド服なのにエプロンはうちの会社のもの……という特殊性が好まれているのか、店にきて撮影をするお客さんが非常に多い。

 この店は美香子が担当しているんだけど、今日はほぼイベント状態でヘルプが欲しいということで来ている。

 美香子は写真撮影会になっている店を見ながら、


「でもまあ……可愛いよね」

 私は在庫を出しながら、

「うん。すごい。女だから分かる……あの努力……苦労。だってあの服手作りだよね」

 美香子はレイヤーさんを見ながら、

「そうだと思う。しかも胸とかお尻とか、見えないようにしっかりしてる。中に同じ色のショートパンツ履いて、その中に肌色のタイツも穿いてる。なんなら暑いと思う」


 私と美香子は「逆に大変すぎる……」と言いながらスーツの上着を脱ぎ、半袖シャツで延々と在庫を奥から運んだ。

 それにお客さんも、写真を撮ったら必ず紅茶を購入してくれていて、これはかなり売れそうだ。

 でも当然だけど、お客さんが多いということはトラブルも多くて……。

 作業していたら、店内のほうから大きな声が聞こえてきた。


「俺の順番だろ!」

「私も並んでたんだけど!」

「お前さっきから動かなくて邪魔なんだよ! 一回撮ったら退けよ!!」


 写真を撮っていた子たちが小競り合いを始めていた。

 慌てて行こうとしたら、私の横を店長の坂田さんが歩いて行き、騒ぎの真ん中に入った。


「すいません、順番にお願いします」

「それを抜かしたから怒ってるんだろ」

「ではじゃんけんで」

「え? じゃんけん……?」

「はい。じゃんけんで。最初はぐー……」

「あっ、はい、ぐー……」


 ケンカを始めていたふたりは店長の坂田さんに言われて静かにじゃんけんを始めた。

 そして男性が先に撮影して握手をして商品を購入して行った。

 池袋店の店長、坂田さんは女性にしては身長がかなり高く、体も大きい。

 だからトラブルの間に入ると、みんなが一瞬で静かになる。

 自然と列形成が始まっていて、写真を撮影して商品を受け取り、握手をしてレジへ……という流れができはじめた。

 私は少し離れた場所で見守っている坂田さんの横に立ち、


「大丈夫ですか?」

「お客さんが多いのは良いことだけど、店の前に行列作るのもね……」


 そう言って坂田さんは苦笑した。

 奥から在庫を持ってきた美香子が、


「坂田さん、これ大変すぎませんか? 普通の店員なのにこんなことになるなんて」

「でもエレンちゃんが立つと売り上げが四倍になるのよね。それに見て。SNSでフォロワーが5万人とかいるから、動画アップするだけで買いに来る人がいるの。だって商品はどこでも売ってるけど、コスプレして売ってるのは彼女だけだし。それにエプロンはうちの店のだし宣伝にもなる。なにしろ私がコスプレしても売れないし」


 そう言って坂田さんは笑った。 

 坂田さんはいつも明るくて元気だから、私も美香子も頼まれたらすぐにヘルプに来てしまう。

 坂田さんは在庫を出しつつ、他のバイトに指示を出しながら、


「正直前例がない状態だから、本社から文句言われるかと思ったら、事情を知った広瀬さんが、私のほうの給料を上げてくれたんだよね」

 美香子は目を丸くして、

「え、要望書には書きましたけど、通ったんですね、良かったですね!」

「そう。現場手当が増えたの。しかもかなり。それにこういうお客さんが増える日にはエレンちゃん以外の子の時給200円アップするように話を通してくれたみたいで」

 美香子は拍手しながら、

「わー……、個別対応、全然通らないんですけど、良かったですね。売り上げのびて、それで時給も上がるならやる気出ますね」

「広瀬さん、この前閉店後に店にきてくれて段ボール片付けながら話聞いてくれてさ、嬉しかった。そりゃ私たちもこの撮影会みたいな販売方法、続けたくないよ、私もスタッフも。私は店長だから良いけど、他のバイトちゃんは何人か辞めちゃったからね」

「まあ面白くないのも分かりますよ」

「でもエレンちゃん、まだ新人の時給なのに衣装を自費で作ってるみたいだし『コスプレでバイト許可されたのはじめてです』ってすごく喜んでた。それに毎回こうなる前に『よろしくお願いします』から始めるし。私はもう受け入れてるよ。なにより給料アップ!」

「良いですねえ」


 そう笑顔を見せて坂田さんはレジ応援に向かった。

 正直私たち営業が店の個別対応をお願いしても、叶えられないことが多い。

 通すとしたら、かなり面倒だ。それを通せる広瀬さんは、かなりすごいと思う。

 なによりエレナちゃんだけじゃなくて、影の立役者坂田さんと、周りの子の給料を真っ先に上げてくれるの、良いなあ。

 そういう広瀬さん、すごく良いと思う。

 私と美香子は「営業をコスプレする時代か?」なんて笑いながら池袋で仕事を終えて別れた。

 電車に乗って帰ろうとしたら、私用のスマホにLINEが入り、見ると広瀬さんからだった。


広瀬『今日はお迎え間に合いそうだ』

私『では、こども園で会いましょう』


 今日は一緒に帰れるんだ、と私はスマホをカバンに入れた。

 この前吉祥寺の動物園に小さな遊園地があり、そこにみんなで行こうと提案してくれた。

 仁菜とリュウくんは「全部乗りたい!」と目を輝かせていた。

 そして私に向かって「海野が好きそうな韓国の調味料がたくさん置いてある店もみつけた」と提案してくれた。

 

 この前、手を握られてイヤだったか……と問われたら。

 広瀬さんが私を好きかもしれないと思ったら……嬉しかった。



 でもどこか……母親が恋なんて……と思ってしまう。



 私は仁菜を見始めてから恋愛をしていない。

 お姉ちゃんの代わりになること……それだけを考えて生きてきたからだ。

 仁菜が大好き。

 仕事をして、仁菜を迎えにいき、共に暮らす。この生活が一番好き。

 それでもきっと……私は広瀬さんに惹かれ始めている。

 なんだかそれが悪い母親のように感じてしまい、昨日も横で眠る仁菜を見て、心がチクリと痛んだんだ。


 でもひとつ、ひとつ、広瀬さんを知るたびに。


 何か提案する時、まず仁菜に。でもそれだけじゃない……私にも提案してくれる姿を見ていると、この人なら大丈夫なんじゃないかと思える。

 広瀬さんとなら、みんなで幸せになれる関係を作っていけるんじゃないかって思う。

 私は「同じ電車にいないかな……」と乗り込んだ中央特快内を見渡してしまった。

 早く会いたい。


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― 新着の感想 ―
母か女か、の葛藤ですか。 でも、彼女に母を押し付けてしまうのはちょっとかわいそうな気もしますし、姉も喜ばないでしょうね。 それらを両立させることができる相手なのだから、最適解には間違いないんですけれど…
 おおお、さすが、鈍くない♡  そして、惹かれてるのを自覚してる!
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