4-4 永遠の枷
出発の二日前、父であり宗主の飛虎が突如、妹の璃琳も一緒に連れて行くようにと言い出した。
まだ先の話だが、前々から決まっていた婚約の件で、一度当人同士の顔合わせをさせようという事らしい。それには母、姜燈も賛成しており、虎宇は妹のお守り役にされてしまったのだった。
「こういうのは普通、両親が付き添うものなんじゃないのか?」
ぶつぶつと納得いかない様子の主に対して、公子付きの護衛であり従者でもある天は、後ろから虎宇が纏っている袖と裾に朱と金の糸で複雑な紋様が描かれた白い羽織を脱がせながら、くすくすと静かに音を立てて笑った。
色素の薄い紫苑色の瞳が穏やかな色を浮かべていた。天は薄茶色の長い髪の毛を上の部分を半分だけ結い、他は背中に垂らしている。白い髪紐には銀の糸で刺繍が美しく、彼が護衛に任命された日に虎宇から贈られたものだった。
中性的な青年で、虎宇よりもふたつ年上である。主と護衛ではあるが、ふたりは長い付き合いで、幼馴染でもあり良き理解者でもあった。
従者でもある公子付の護衛が纏う衣は特別で、黒を基調としているのは他の従者と同じだが、襟首に近い上の方に太陽のような白い模様が描かれた衣を纏っている。
「まあ、今回は形式的なものではないようですし、ついでにということなのでしょう。虎宇様は璃琳様が苦手ですか?」
「向こうも俺のことなど苦手だろう」
「それはそうかもしれませんが、璃琳様も竜虎様も虎宇様のことを誤解してるようですし、今回の仙術大会はいい機会なのではないですか?」
そ、と背中に触れながら天は目を細める。虎宇の姿を幼い頃からずっと見てきた天にとって、一部の従者たちからの心無い陰口や良くない噂話は心苦しく、しかしそれに対してなにか言うことを良しとしない主の言いつけを守るのは、いつまで経っても慣れないことだった。
その理由も、天が虎宇を擁護することによって周りから浮かないようにという優しさからであり、そういう部分を理解できる良い女性ができたら……と、思うがそれはそれでという葛藤もあり。
公子付きの護衛になるずっと前に、虎宇に促されて『一生この身を捧げる』と誓ったあの日から、自分だけはなにがあっても味方でいようと決めている。
「必要ない。俺は俺のことを他人にわかって欲しいと思ったこともないしな」
「おふたりは他人ではないでしょう?」
正面にまわり、慣れた手付きで帯を解きながら、頭ひとつ分背の高い虎宇を見上げて穏やかに微笑む。本当は竜虎や璃琳との溝が埋まらなくても、良かった。
「別にどうだっていい。璃琳のことはお前に任せる。相手をしてやってくれ」
「わかりました……しかし、璃琳様のお相手が雷火の第二公子様とは。宗主様も思い切ったことをされましたね」
「父上が、と言うよりは雷火の宗主の希望らしいが。詳しくは知らん」
そうなんですね、と衣から指先を離そうとしたその時、虎宇に右手首を掴まれる。強い力ではあったが、天も日頃から修練を怠っていないため特に表情を変えることもなかった。体格は男性と女性くらい違うのだが、天はかなりの手練れであり、公子付きの護衛は名ばかりではない。
「お前、俺になにか隠しているだろう?」
「そう見えますか?」
「見えたから訊いている」
その眼差しはどこまでも厳しく、宗主にとてもよく似ていた。ほんの少し油断しただけで、こんな風に問われてしまうのなら、いっそのことすべてを吐き出してしまえば楽になるのだろうか。
「ではきっと、気のせいでしょう。隠し事なんてなにもありません。あるとしても、あなたを裏切るようなことではないと誓えます」
「あるのかないのか、それだけ答えればいい……余計な言い訳をするな」
「ありません」
「お前……、」
「あっても言いたくありません」
にっこりと有無を言わせない笑みで天は虎宇を黙らせることに成功する。頑なな天の態度に対して、これ以上はなにも得られないと確信した虎宇は、握っていた手を放してくれた。
(言ったらきっと、あなたを困らせてしまうから)
この想いは一生、胸に秘めたまま。
傍にいられるだけで、幸せなのだと。
「お前は俺のものだ。誰にも渡す気はない」
「考えすぎです」
「離れることは赦さない」
「では離れたいと言ったら?」
「動けないようにしてから閉じ籠めて、どこへも行けなくしてやる」
それは名案ですね、と皮肉まじりに相槌を打って、天は「それもいいかもしれない」と心の中で肯定する。
「本気だからな」
「はいはい。その時を楽しみにしてます」
「……もういい」
虎宇がなにを言わんとしているのかを知っていて、その言葉を受け止める器量も覚悟もない。第一公子であり、次期宗主になるだろう道が用意されているのだ。自分がそれの邪魔をするわけにはいかない。あれは気の迷いで、一夜の過ち。なにもなかった、とお互いに忘れた方が良いのだ。
離れたはずの手に右腕を掴まれ、その強さに驚く。引き寄せられ、気付けば虎宇の腕の中にいた。抵抗する気はない。する必要もない。本当は望んでいた。こうやって、ふたりでいる時にだけ見せる弱さも。不器用な優しさも。
ぜんぶ、自分だけのものなのだと。
「俺は、なかったことになんてしない」
向けられる言葉も。執着も。
「ずっと、お前だけが俺を理解してくれていた」
いつかは崩れて消えてしまうのだろうか。
「永遠に、死ぬまで俺のものだと誓え」
命令などされなくても、いくらでも誓えるのに。
「誓いを立てたあの日から、私はずっとあなたの所有物です。今更誓う必要もない。この手も足も、心さえもあなたが自由にできる」
死ねと言うなら死んでもいい。どこへも行くなと言うならどこへも行かない。
「あなたが望むのなら、私のことなどいくらでも好きにできるでしょう、」
「言い方が気に食わない」
「他に言いようがないので。それとも私に睦言でも囁けと?」
「俺がお前にそんなことを求めるわけがないだろう。お前は馬鹿なのか? 俺は、」
「私は、あなたの友であり護衛でしかありません。あの日のことは忘れましょう」
か弱い女性でもなければ、可愛らしい性格でもない。こんな風にしか応えられない性格だということも、長年の付き合いでじゅうぶん知っているだろうに。これ以上の会話は不毛だし、虎宇も望んではいないだろう。
「俺は忘れない」
その腕で抱きしめられている罪悪感。触れ合えば触れ合っただけ深く理解できると知ってしまった。お互いの異なる体温が混ざり合う心地好さに目を閉じて。耳元で紡がれる言葉に揺らぐ。想いは同じなのに、誰よりも近くてどこまでも遠い存在。
なにを犠牲にしても、守りたいひと。
誰かに理解されなくてもいい。
あの時の誓いは、自分自身を永遠に縛り続ける枷なのだ。




