私の婚約者が婚約破棄を言わない【前編】
前後編完結物語の恋愛物です。
ちょっと不思議な世界で不思議な愛の行方をお楽しみください。
「もうやだ! イリーナ、キミとはりこんする!!」
と、叫んでるのはこの国の皇太子であらせられるユリウス殿下。
「ユリウス皇太子殿下、私たちはまだ婚姻を結ばれておりませんわ!」
私が強めの口調でツッコむと、
「え? そうなの?」
と彼は返し、すぐに、
「……ばかーーーッ! そうじゃない! 僕が言ってるのは……アレ? なんだっけ? アレだよ! キミと、結婚しなくちゃダメだよ的な奴をやめてやるって事ッ!!」
「ああ、もしかして婚約破棄ですか?」
「そうそれ! それを離婚する!!」
「いえ、ユリウス殿下! 婚約は離婚する、と言うのではなくて破棄するものです!」
「え? そうなの?」
「はい! あはは、相変わらずおバカですね!」
「あーーー! バカって言った! 人にバカって言ったらいけないんだぞ! お母様に言い付けてやるからな! ブースブース!」
「しかし先程ユリウス殿下も私に対してバカと仰ったではないですか」
「言ってないよ! 言ったのはイリーナだよ! このばかー!」
「申し訳ございません、ユリウス馬鹿殿下!」
「すなおにあやまったな! うん、ゆるしてやろう! ……ん? バカってまた言ってる?」
「言ってませんわ」
「そっか、言ってないならいいよ。なんか怒鳴ってたら喉乾いちゃったから僕、ジュースもらってくる。じゃあイリーナ、また夕ご飯の時にねー」
「はーい。バイバイですわー」
そう言って私はユリウス皇太子殿下と手を振ってサヨナラをした。
すっごい馬鹿そうな会話だったが、ユリウス殿下は実際もの凄く子供だ。
その口調と言動はとてももうすぐ16歳になろうという成人間近の男性のものとは思えない。
見た目は年相応で、更には整った顔立ち、サラサラのエメラルドグリーンの髪、スラッとした体格に細長い足で容姿端麗という奴なのだが、いかんせん中身は子供のままだ。
対して私はユリウス殿下と同じ15歳だが、まあ年相応の見た目だとは自身で思っている。
そしてかくいう私も実は中身と実年齢が伴っていない。
「イリーナ様。午後のティータイムの準備が整いました」
そう言って、庭園で草花を眺めていた私にカチャカチャっとティーポットやティーカップを乗せた白い台車を運びながら、メイドのエリナが私に声をかける。
「ありがとう、エリナ。そこのテーブルに置いといてちょうだい」
「……イリーナ様。またユリウス皇太子殿下と何かありましたね? 先程王宮でユリウス皇太子殿下がこんやくはきってなんだ? ってあちこちで聞いておりましたよ」
「あら、そうでしたか」
イリーナはティーカップへと、ティーポットからダージリン系の紅茶を注ぐ。
「……で、イリーナ様は実際どうされるのですか?」
「どうって?」
「ユリウス皇太子殿下とのご婚約ですよ。このまま本当にご結婚なされるのですか?」
「そうですわね。こんやくはき、されなければですわね」
「……今日も言われたのですか?」
「ええ。婚約破棄とは言えておりませんでしたけれど」
「だから今日、婚約破棄という言葉を教えた、と」
「ええ。でも……」
私はそれ以上言わずに紅茶の入ったティーカップを片手に、青空を見上げる。
「イリーナ様はもう魔界へは帰られる気はないのですか?」
「ええ。ユリウス殿下から正式に婚約破棄されなければ、ですわね」
「ちなみに今日は何故婚約破棄されかけたのですか?」
「ユリウス殿下が近くにいた野良猫に、火炎系魔法を投げつけて遊んでいたからお説教をしたんですの」
「猫を……」
「猫は幸い無事でしたけれど、近くの草花が燃えてしまったので、更にお説教を重ねたら婚約破棄されかけましたわ」
「それは災難でしたね」
「ええ。まあでも……」
「はい。それでも……」
私とエリナは同時にティーカップの紅茶をすすり、
「「明日にはもう何も覚えていないんでしょうけれどね」」
●○●○●
「ちちうえー! アレはなんでございますか!?」
「うむ、ユリウスよ。アレは甲冑と言ってな、この国を守る者たちが身につけている身体を守るための鎧だ」
「かっちゅうですか! わかりました! それではちちうえ、アレはなんでございますか!?」
「うむ、アレは食べ物だ。オレンジという名の果物だぞ。今朝の食卓にも並んでいたフルーツのひとつだ」
「おれんじ。はじめてしりました!」
「うむ」
「ではアレはなんでございましょう?」
「アレは魔界の門だ。あそこを開けると世にも恐ろしい者たちが押し寄せる。決して開くでないぞユリウス」
「まかいのもん! おそろしいです! わかりました!!」
そんなユリウス皇太子殿下と皇帝であられるお父上のガルディア陛下の会話を、私は廊下の隅で聞いていた。
今日もユリウス殿下の興味は尽きない。
実に好奇心旺盛だ。
「イリーナさん、また見守っていたのね」
「あ、お義母様。ごきげんようですわ」
いつの間にか私の背後に立っていたユリウス皇太子殿下のお母上であられるフェリス皇后陛下が、そう声を掛けてきた。
「ええ、ごきげんよう。イリーナさん、ユリウスの事が気になる?」
「それは……まあ」
「あの子も今年でもう16。成人の日までもう間もなく。けれど改善は見られないまま。あんな馬鹿そうな皇太子など、例に見た事はありません。はあ……このままでは我が国はどうなってしまうのでしょうね……」
ユリウス皇太子殿下にはある呪いが掛けられている。
そのせいで彼は、新しい記憶が翌日に持ち越せないのである。
「あんな場所に連れて行くんじゃなかった。そうすれば魔女に会う事もなかったのに……悔やんでも悔やみきれないわ……」
お義母様はまた当時を思い出してその瞳に涙を浮かべた。
「未来を奪い取る呪い。そんな呪いを掛けられる魔女はおそらく最古の魔女と呼ばれるフリディアだけ」
私はユリウス皇太子殿下を遠目で見つめて呟く。
「ええ。執心の魔女は出逢った男の輝かしい未来を奪い去ってしまう恐ろしい呪いを持つと言います。だからあの子はいつまで経っても8歳の記憶のまま、成長する事が出来ない」
執心の魔女、ね。
「肉体の成長は進めど、記憶は必ず魔女に出逢った前日に戻されてしまう。なんとも嘆かわしい限りですわ」
「それでもイリーナさん。貴女は幼き頃からの約束を……ユリウスとの婚約を見限らず、ずっと傍にいてくださってる事だけが私たちの救いだわ。どうか、あの子をよろしくお願いね……?」
「ええ、お義母様」
ただし、ユリウス皇太子殿下が制約を打ち破りさえしなければ、ですけれど。
「さあイリーナさん、もう行きましょう。じきに夕食ですわ」
●○●○●
――翌日。
「イリーナ! もう僕はがまんできない! キミとはりこんするッ!」
「ユリウス皇太子殿下! 離婚は結婚した男女が行なうものです! 私たちはまだ結婚しておりません!」
「え……そうなの? いや、そうじゃない! なんかそのやくそく的なやつをやめるって言ってるの!」
「もしかして婚約の事ですか? それなら破棄するものですよ。相変わらずユリウス殿下はお馬鹿ですね!」
「あーーーッ! ばかって言ったな! ばかって言ったやつがばかなんだぞ!!」
「申し訳ありません、ユリウス馬鹿殿下。頭を下げますのでどうかお許しください」
「うん、頭を下げたならゆるしてやろう。……ん? またばかって言った?」
「言っておりません」
「そっか、そんならいいよ。それじゃあ僕は騎士団長のところに剣を習いに行くから、またね、イリーナ!」
「はーい、バイバイですわー」
昨日と同じく、庭園で、同じようなやりとりをして、そしてユリウス皇太子殿下はまた走り去っていった。
毎日、毎日これの繰り返し。
それを楽しんでいる私がいるのもまた事実。
「イリーナ様、ティータイムの準備が出来ました」
昨日と同じように、だいたいこのタイミングでメイドのエリナがティーセットをここに運んでくる。
「ありがとうエリナ」
「さて、今日はどうなされました?」
「彼が新しい魔法を覚えたいと言ったので、私が簡単な爆発魔法を教えたら、それを町中に向かって放とうとしたので、頭を殴って止めましたの。そうしたらまた『りこん』されてしまいましたわ」
「そうでしたか。それは災難でしたね」
「全く、ユリウス皇太子殿下の魔力だけは侮れませんから。町中にあんな魔法放たれたら、王都は半壊してしまいますわ」
「何故そんな危険な魔法を教えたのですか?」
「弱い魔法もいくつか教えていましたの。でもそれじゃ威力が低すぎてつまらない、ダサいと言われて少々カチンと来てしまって。思わずちょっと強めなのを教えてしまいました」
「それは……イリーナ様が悪い気がします」
「反省致しますわ」
「でもさすがはユリウス皇太子殿下ですね。こんな短い時間でイリーナ様の魔法を覚えてしまうなんて」
「ええ、驚異的な才能ですわ。けれど」
「はい、それでも」
私とエリナが同時に紅茶をすすり、
「「明日にはもう何も覚えていないんでしょうけれどね」」
●○●○●
とある日。
私はまたいつものようにユリウス皇太子殿下と『遊ぼう』と思って、彼を裏庭に呼び出し、落とし穴を作ってからかってやろうとした。
そんな風に私が彼を揶揄うと、決まって彼はぷんぷんして『婚約破棄』もどきのセリフを吐く。
それが聞きたくて、私はよくイタズラをする。
しかしこの日、私は自分の罠にハマろうとしていた猫を見てしまい、思わず飛び出してしまった。
そして自ら落とし穴に落ちかけてしまうというおマヌケな失態を犯す。
「だ、だいじょうぶイリーナ!?」
それをすんでのところで助けてくれたのはユリウス皇太子殿下だった。
彼は清潔な召し物をドロドロに汚してしまう事などお構いなしに、私に躊躇する事なく手を差し伸べてくれたのである。
「あ、ありがとうございます、ユリウス皇太子殿下……」
彼はへへっと言って、満面の笑顔を私に見せた。
それ以外の日でも、私が彼を怒らせるような事をしない日で、私が何かに困ると彼はすぐに私の近くで何かをしようとした。
しかし頭の中身は8歳児なので、中々うまくはいかないのだが。
その度に、
「なんでも遠慮なく僕を頼ってよ! 僕はキミのこんやくしゃなんだから!」
と、胸を張った。
いつも私に馬鹿にされると、お前なんか『りこん』してやるー! などと騒ぐ癖に。
「……変な人ですわ」
私は毎回不思議な気持ちでそんな彼を見続けていたのだった。
●○●○●
――更に数日後。
「ちちうえー! アレはなんでございますか!?」
「うむ、ユリウス。アレは騎士の剣だ。騎士たちはアレを持って、邪なる者たちを屠るのだ」
「きしのけん、ですか。わかりました! それではちちうえ、あちらの方はなんでございますか!? 変わった格好をしております!」
「うむ。アレは宮廷魔術師だ。魔法を扱う事に長けていて、いざという時、この王宮を魔法で守ってくれるのだぞ」
「きゅーてーまじゅつし、ですか。魔法なら僕もとくいです!! 僕もきゅーてーまじゅつしになれますか?」
「はっはっは。ユリウス、お前は宮廷魔術師などよりも、もっとくらいの高い、皇帝となる使命があるのだよ」
「僕がこうていに? 今のちちうえみたいな?」
「うむ、そうだ。その日まで、日々の鍛錬を怠るでないぞ」
「はい! かしこまりました、ちちうえ! あ、最後に、おしえてください! あの扉はなんでございますか!?」
「うむ、アレは魔界の門だ。アレを開けばこの世は終わる。間違っても開いてはならぬぞ」
「このよのおわり! それはおそろしい。わかりました、ぜったいにあけません!」
今日も同じような会話をユリウス皇太子殿下とガルディア陛下が交わしている。
「……イリーナさん。ちょっといいかしら」
私がいつものように、ユリウス皇太子殿下たちを王宮一階にある柱の影から見守っていると、不意に背後からフェリス皇后陛下が声を掛けてきた。
「ごきげんようですわ、お義母様。どうされましたか?」
「あの子の……ユリウスの呪いを解く方法はやはりないのかしら……」
「魔女フリディアの呪い。おそらくこの世における最古の魔女とされ、その呪いを解く方法は彼女本人しかわからない、とされている呪いをですか」
「……無理なお願いなのはわかっているわ。今まで何年もこの国の精鋭総出で模索してきたけれど見つからなかった呪いを解く方法を、あと一週間以内に見つけるだなんてどうやっても不可能だという事も。でも、それでも私は母としてユリウスには皇帝の座についてもらいたいのです!」
そう、お義母様の言う通り、あと一週間でユリウス皇太子殿下は成人となる16になる日を迎える。
本来ならその日は戴冠式。ガルディア皇帝陛下から、皇帝の座を即位するめでたい日だ。
だが、このままでは当然ユリウス皇太子殿下に皇帝の座を即位させるなどもってのほかである。
ガルディア皇帝陛下とフェリス皇后陛下の間には、ユリウス皇太子殿下しか子はいない。
「……今のまま、国民の前に出るわけにはいきませんね」
「ええ。あんな子供のまま、皇帝になるなんて不可能。だからもちろん、あの子が16になるまでに呪いが解けなければ戴冠式は先延ばしにするしかないわ。でも、そんな事は……」
この国では代々両陛下の子が16になったら即位させるのが習わし。その栄光ある歴史をこの代で変えてしまうのは、この国の歴史として初の出来事となってしまう。
そんな事になれば民衆は間違いなく騒ぎ立てるだろう。そして魔女の呪いの事が広まってしまえば、大きな混乱を招くのは想像に難しくない。
「ねえ、イリーナさん。貴女は貴族の中でもとても優れた占星術師の家系だと聞いているわ。そんな貴女でも……」
またそれか。
「お義母様」
私の鋭い声色にフェリス皇后陛下はビクっと身体をこわばらせる。
「以前にも何度も仰ったではありませんか。どんな魔法でも星占術でも、魔女の呪いや魔女を探し出す事は不可能だと。魔女の力は私たち人間の魔力とは比べ物にならないんですのよ?」
「ええ……それはわかっているのだけれど……」
私は、はぁっとため息を吐き、
「もう諦めましょう。ユリウス皇太子殿下はあのまま変わらず身体だけ成長し続ける。それを私たちは見守って、フォローしてあげればよろしいではありませんか」
「そ、それでは一体次の皇帝はどうすれば良いの? 私たちにはあの子しかいないのよ!」
「最悪、公爵家の者から養子を迎えればよろしいでしょう。ランドフォルト家の12歳になる御子息など、利発そうなお方らしいではありませんか。ご両親も皇帝陛下の養子とあらば、喜んでお受けするのではありませんか?」
「イ、イリーナさん……貴女、本気で言っているの? そんな事をすれば貴女だって、この王宮で肩身の狭い思いをしないとも限らないのよ!?」
「はあ……。私は別に皇后の座が欲しいわけではありませんから」
「そ、それはユリウスの事を想ってくれてるのよね? だからあの子の為にそう言ってくれているのよね? イリーナさんとユリウスは昔から凄く仲が良かったから、あの子が仮に皇帝の座に着かなくとも見捨てない、という意味なのよね?」
「……はい、もちろんです。お義母様」
それは間違いない。
私は別に皇后の肩書きなどいらないし、この国が欲しいわけでもない。
「ありがとう、イリーナさん。貴女はやはり輝かしい偉大な侯爵ノクトホルン様のご令嬢だわ。とても心優しいのね」
「我がノクトホルン家がどれほどのものなのかは関係がありませんわ。私はただ、ユリウス皇太子殿下をお慕い申し上げているだけなのですから」
「ええ。本当にありがとう、イリーナさん。とりあえずは貴女の言う通り、戴冠式までの残り一週間、それまでにランドフォルト家にはある程度の打診はしておくわ」
やはりそうなるか。
私はニィっと笑い、
「ええ、それが一番ですわ、お義母様」
●○●○●
「イリーナ様、あと一週間ですが」
その日の夜。
珍しくメイドのエリナが私の寝室にやってきて、私へと尋ねてきた。
「ええ、そうですわね」
「本当によろしいのですか?」
「貴女も相当にしつこいですわね。何年同じセリフを言い続けるのかしら」
「私はイリーナ様の身を案じて仰っているのです。私はイリーナ様のお父様であられるノクトホルン家の大黒柱、ロマイア・ノクトホルン様の思いを汲み取っております」
「ロマイアお父様は心配性ですものね。でも、もうきっと諦めていますわ」
「……そうかもしれませんが」
「でもこれでほぼ間違いなくユリウス皇太子殿下は、一週間後に即位する事はありませんわ」
「それはそうであっても、ユリウス皇太子殿下とのご婚約が破棄されるわけではないでしょう」
「……あら? エリナは私がユリウス皇太子殿下と結婚するのが嫌なのかしら?」
「当然です。何故、あのような者とイリーナ様が。身分違いにもほどがございます」
「身分違い、ね……」
「まさかとは思いますが、イリーナ様……」
「エリナ。私は約束を違える事だけはしません。出来ません。わかりますわよね?」
「もちろんでございます。貴女様は偉大なるノクトホルン家のご令嬢。約束を違えるなど、もってのほか」
「だから、私は約束のままに従うまでです」
「……では、その約定に従うのであれば条件さえ満たした場合、婚約解消もありえる、と?」
エリナの言葉に私は彼女をギロリ、と睨め付ける。
「いくら貴女でも、余計な手出しをすれば容赦致しませんわよ」
「失礼致しました。そのような真似はするつもりはございません」
エリナは私の殺気を読んで、すぐにこうべを垂れた。
「しかしイリーナ様。もしこのままですと、私は私で帰れないのですが」
「そうですわね。でもそれはエリナ自身もわかっていてここに来ていたのではなくて?」
「ええ……まあそうですが……」
彼女は魔界に帰りたいのだろう。
だが、生憎今の私にそのつもりはない。
「もし帰りたければ、貴女ひとりで帰りなさい」
「そんなわけには参りません。私がここにいるのはロマイア様直々のご命令なのですから」
それもそうか。
もし私と一緒でないのなら、きっとエリナは父上に殺されてしまうだろうし。
「イリーナ様。最後にひとつお教えください」
「何かしら」
「貴女は……あの日、ユリウス皇太子殿下になんと仰ったのですか?」




