私の婚約者が婚約破棄を言わない【後編】
――あの日。
私が初めてユリウス皇太子殿下と出逢った日。
それは篠突く雨が降りしきる、寒空の夕暮れ。
ガルディア皇帝陛下とフェリス皇后陛下がユリウス皇太子殿下とひとりの少女を連れて、世界最大規模の湖があるとされる魔の森と呼ばれる場所に訪れていた。
だが、魔の森にて迷ってしまった殿下たちは、数名の護衛騎士たちと共に、いつまでも森から脱出出来ず延々と彷徨ってしまっていた。
魔の森には危険な魔物も多く、次々に護衛たちは倒れていってしまう。
次第に夜もふけ、帰る道もわからないまま、ついには大型の魔獣数匹に囲まれてしまった陛下たちは死すら覚悟をしたその時。
それは突然訪れた。
魔獣たちはたったの一瞬で全て倒されていたのである。
それを驚くような表情で見ていたのは、両陛下とかろうじて生き残ったわずかな騎士たち。
魔獣たちを屠ったのは、ユリウス皇太子殿下であった。
当時、まだ8歳になったばかりのユリウス皇太子殿下は、全身からみなぎるオーラと溢れんばかりの魔力で、全ての魔獣を討ち滅ぼしたのである。
そしてその直後に、制御不能な彼の力は周囲にいた者たち全てをも殺戮してしまっていた。
しばらくして我に返ったユリウス皇太子殿下はそれを自分がやったとはわからずに泣き叫んだ。
その一部始終を見ていた者がいる。
そう。それが私、魔界の王の令嬢、フリディア。ゆうに256年は生きた魔女。人間界では『執心の魔女』などと呼ばれている。
私はこの日、初めて魔界の門から人間界に遊びに来て、初めて人間を見たのだ。
ユリウス皇太子殿下の言うイリーナとは本来、私ではない。
ユリウス皇太子が殺してしまったその少女こそが本来のイリーナであった。
全てを見ていた私は、ユリウス皇太子殿下の前へと現れ、こう問いかけた。
「愛する者たちを蘇らせたいんですの?」
するとユリウス皇太子殿下は、こくんと頷いた。
「それならひとつだけ条件がありますわ。貴方の未来を全て私にくださいませ。それで可能な限り蘇らせましょう」
ユリウス皇太子殿下は悩む事なく頷いた。
私は彼との契約に従い、彼の未来という魔力と引き換えに両陛下だけはなんとか蘇生する事ができた。しかしひとりの少女、イリーナだけは損傷が酷く、蘇生する事は叶わなかった。
するとユリウス皇太子殿下は、自分の命と引き換えでも良いからイリーナを蘇らせてくれと必死に懇願した。彼女はユリウス皇太子殿下にとって大切な許嫁であり、婚約者なのだそうだ。
皇太子殿下とはいえ、まだ齢8歳の男の子にここまで言わせるなんて、このイリーナという少女はどのような娘だったのか、私は非常に興味が湧いた。
「イリーナにどうしても、また会いたい?」
私が問うとユリウス皇太子殿下は号泣しながら何度も激しく頷いた。
そして私はこのイリーナという少女になろうと思った。
彼女を蘇らせるのは私でも、もう無理だった。
けれど、彼女を蘇らせたように装うだけなら、膨大な魔力を使えば可能だった。
ほんの気まぐれだ。
私は自分の残った魔力で蘇生した陛下やユリウス皇太子殿下の記憶を書き換えた。
そして魔法と追加契約の力で、私という魔女になど出会っていないと信じ込ませ、更に私の事をイリーナだと思い込ませるように記憶改ざんをしたのち、彼らを一時的に気絶させた。
その後、私の転移魔法で彼らと共に私は彼らの人里まで降りた。
私はこれでも魔界の王、ロマイア・ノクトホルンの令嬢で実際は256年生きた魔女。だが、魔族の貴族は長生きだ。256年程度ではその容姿は人間界で言う少女そのもの。
ゆえに私がイリーナという8歳の少女だと言ってもさほど違和感などない。
ただし魔族の肉体成長は非常に遅い。人間の成人にあたいする見た目となるには少なくとも後200年は生きなければならない。
なので、ユリウス皇太子殿下の成長に合わせて自身の見た目もそれなりに人間に合わせて成長しているように見せなければならないので、そっちも日々魔法で調整する事にした。
私はイリーナとしてユリウス皇太子殿下の傍にいて、彼の成長を見守る『遊び』をする為、しばらく人間界に滞在する事を、魔界の執政官兼私の侍女でもあるエリナに伝えた。
すると私の父上は、心配だからと言ってエリナをお目付役でこちらに残したというわけだ。
私は日々、イリーナとして、そしてユリウス皇太子殿下の婚約者として過ごした。
「……これは一体どうした事だ」
数日後。
すぐにガルディア陛下が異変に気づく。
「ユリウス!? 貴方、昨日私と一緒に王都の召し物屋さんに行ったこと、覚えていないの!?」
フェリス皇后陛下もユリウス皇太子殿下の異変に狼狽した。
それもそのはず、日を跨ぐとユリウス皇太子殿下に昨日の記憶が無くなっているのだから。
王宮内は大パニックになりかけたが、両陛下はすぐに緘口令を敷き、この事は王宮内だけの最高機密とされた。
そしてユリウス皇太子殿下は王宮に軟禁されたのである。
私はこの事を『魔女のしわざ』だと言う事にした。実際にそうであったし。
そして体面をとても気にする皇族たちは、ユリウス皇太子殿下を絶対外に出さないようにする為に、王都へと続く正門入り口を『魔界の門』などと嘯き、彼を近づけさせないように脅かしているというわけだ。
●○●○●
「私はあの時、ひとつだけ制約という名の契約を交わしましたわ。それは、私の事をイリーナだと思わせる為にどうしても必要な制約」
私はエリナの質問に淡々と答える。
「まさかイリーナ様。貴女は……」
「ええ、そう。ユリウス皇太子殿下が私に『婚約破棄』というワードをぶつける事がない限り、私はイリーナでいられるという強い強い制約。そういう強い制約のもとに契約を結ばなければ、おそらくこの記憶改ざんは全て霧散し、陛下や騎士たちは全ての記憶を取り戻すでしょう。……とは言っても、ユリウス皇太子殿下だけは私が未来の記憶を奪い取り続けているので今のまま、変わらないでしょうけどね」
「イリーナ様の『禁忌言質』の約定は、その言葉だったんですね」
「ええ」
「それならば何故、毎日わざとそんな事を言わせるような危険な真似を?」
「彼がそれを言うかどうかのスリルを楽しんでおりましたわ」
「……はあ。全く、イリーナ様。貴女はやはり、魔女です」
「それ、褒め言葉ですわよ」
「でもそんなお遊びでしたら、もうさっさと彼に婚約破棄と言わせて、魔界に帰りましょう」
「エリナ。私も結構前からそれをやっていたんですのよ。でも、ユリウス皇太子殿下はどうあってもその口から『婚約破棄』というワードを言わないのです」
「……何故なんでしょう?」
「わかりませんわ。言わせようとしても、言わないのです。だから私は契約に縛られたままなんですわ」
「……でもその契約、イリーナ様自ら行なっていますから、自業自得では」
「ええ、そうですわね。エリナは巻き込まれちゃってますけれど」
「ほんとですよ。勘弁してください。私だって魔界に帰ってたまには彼とイチャイチャしたいんですから」
「エリナ。貴女、私に隠れてちょこちょこ魔界に帰っているでしょう? 魔界の瘴気を時折り感じますもの」
「……バレてましたか」
「当然ですわ。貴女はいいですわよね、相思相愛の彼が魔界にいらっしゃるんですもの。私にはそういうの、長年いなかったんですのよ?」
「だからと言って、あんな馬鹿皇太子が婚約相手のままで良いとは思いません」
「彼はそんな馬鹿ではありませんわ。実際、8歳とは思えないほどに卓越した魔力だけでなく、あの時みたいな覚醒魔力には世界を変えてしまえるほどの力を感じましたもの」
「もしかしてその力を狙っているのですか?」
「さあ、どうでしょうね」
と、はぐらかしたが実際半分はそのつもりだった。
ユリウス皇太子殿下の類まれなる魔力は、他の女に手渡すのは惜しい。
ただ、それだけでもなかった。
私は彼とこの王宮で数年共に過ごしてきて分かった事がたくさんある。
私がわざと彼を怒らせるような事をしない日、彼は常に私に優しい。
何を置いても私を守ろうとする。
私は次第に彼に、不思議な感情を抱いていた。
この感情が私にはまだいまいちよくわからない。
だから、私は自分の感情がハッキリするまで、彼の傍に居たかった。
例え望まぬ結末が待ち受けていようとも。
「実際、どうなさるのですか?」
エリナが尋ねる。
「彼が無事成人の日を迎えたなら、私は彼と結婚しますわ。きっとそうなった日が……」
そうなった日が全て終わる日。
婚約ではなく、妻として正式に彼と結ばれたなら、きっと私と彼の契約は切れて、私がイリーナではない事がバレてしまうだろう。
この契約は私をイリーナだと思い込ませる事が主なる目的だったのだから。
その時がお別れ。
だから、彼が婚約破棄を言おうと言うまいと、これは終わる遊びなのだ。
エリナは知らない。
これは婚約状態が条件の契約だと言う事を。
つまり、婚約破棄をされても、されなくても、エリナはどちらにせよ魔界に帰れるのだ。
そしてどちらにせよ、私はユリウス殿下とは別れるのだ。
「え!? イリーナ様!? ど、どうされましたか!?」
私は知らず知らずに涙を流していた。
なんだろうこれ。
なんで私は泣いているんだろう。
私は後ろを向いて、
「……目にゴミが入っただけですわ」
そう強がった。
●○●○●
――と、私はずっと、長年思い込んでいた。
「……そうか。キミがあの時の魔女さんだったんだね」
ユリウス皇太子殿下の成人の日。
戴冠式は延期されたが、結局彼は私に『婚約破棄』を言える事なくこの日を迎え、そしてつい今しがた、彼と正式に結ばれた。
その瞬間、彼の身体は眩いほどの光を放ち、そして幼さを残していたその表情をガラリと変化させた。
どうやら私と結ばれた事により、契約が破棄され、彼の私に奪われていた未来が何故か戻ってしまったのである。
彼と結ばれて、私がイリーナではない事がバレるのは契約上分かりきっていた事だから頷けた。だが、彼から奪った未来まで返還された理由はよくわからない。
私にもどうしてこうなるのか理解不能だ。魔族の契約というものは往々にして謎が深い。
更にそれだけではなく。
「魔女さんがこんな可愛らしい少女だとは思わなかったな」
私が彼に合わせて成長させていたはずの肉体も、もとの魔族の年齢に合わせた肉体に強制返還されていた。
どうやら彼に関する契約や魔法関連は全て消え去ってしまったようなのである。
「……ごめんなさい。幻滅したでしょう。そう、貴方をずっと騙していたんですわ」
私はぶかぶかになってしまった純白のウェディングドレスの中で、顔を伏せた。
「顔を上げてくれ、イリーナ」
ユリウス皇太子殿下が今までのような子供らしい口調ではなく、私へとそう言った。
「私は……イリーナではありません……」
こんな情けない小さな魔女なんてボロクソに罵倒されるに決まっている。
ああ、もうここに居たくない。
私は転移魔法で消え去ってしまおうかと思ったその時。
「すまない、フリディア。今までキミをイリーナと呼び続けていた事もどうか許してほしい」
「謝る必要はないですわ。騙していたのは私なんですから」
「キミは僕のためにやってくれていたのだろう?」
「……違いますわ。私は遊んでいただけ。貴方たちをオモチャにしていただけの、ただの醜悪な魔女ですわッ」
私は止まらない涙をこぼしながら、声を荒げた。
そんな私の顔の前に、ユリウス皇太子殿下は腰を下げて目線を合わせてきた。
そして私の小さな手を掴み、
「それは嘘だ。こんな綺麗な瞳をする女性が醜悪だなんて思わない」
優しい声でそう囁く。
「そんなッ! そんな風に私の事を言わないでッ! 私はもうここにはいられませんの! だから、もう離して!」
「離さないよ。僕の中ではキミはイリーナであり、フリディアでもある。つまりは、キミは、僕の妻に他ならない。僕は無意識下であっても、きっとずっと、そう思っていた。だからキミとの婚約を破棄する、なんて言葉だけは嘘でも言わなかったんだと、今ならわかる」
「……ッ!!」
息が詰まりそうだった。
どうしようもなく、私は彼の事が好きだったんだとこの瞬間に初めて理解してしまった。
「でも……貴方が愛していたイリーナはもう死んでしまっているの!」
「確かにイリーナは死んでしまったかもしれない。僕のせいで。だからこそ、僕はもう二度と失いたくないんだ。大切な人を」
「わ、私は魔女なんですのよ!?」
「そうだ。イタズラ好きで、お節介で、一見冷酷そうに見えて、実は心優しい僕だけの世界最愛の魔女だ」
これまで彼と過ごした記憶が一気にフラッシュバックする。
「フリディア。僕はキミが好きだ。愛している。すでに婚姻の儀は終えているかもしれないがあえてやり直したい。どうか僕と結婚してほしい」
「……〜〜ッッ!」
彼の瞳に映る私の顔が見えた。
涙と鼻水でぐしゅぐしゅになった情けない顔。
恥ずかしすぎて死んでしまいたいくらいに。
でも。
「……い、いい……の?」
嬉しかった。
「もちろんだ。キミの全てを愛しているフリディア。魔族であるキミを」
死ぬほど嬉しかった。
これが恋なんだと理解した。256年で初めて理解した。
理解したと同時に恋が実った。実ってしまった。
「……わ、私も……あなたが……すき……です」
そう言って、彼は私にそっとくちづけを交わし、そして二人で笑った。
私の気まぐれが生んだ奇跡は、私にとっても奇跡になった。
エリナは呆れたように私を見ていたが、私はもう魔界には帰らない。
私の愛しい人が、目の前にいるのだから。
私はここで彼と幸せに生きる決意をしたのだから。
「……これで魔界も安泰です。ロマイア様」
人間界が魔界に攻め込もうとしていた情勢を知っていたエリナがそんな風に影で呟いていた事を私が知ったのは、すごく、すごく後になってからである。
ここまでご拝読ありがとうございました!
【『婚約破棄? 私が能無しのブスだから? ありがとうございます。これでサービスは終了致しますね』という作品が2022年6/7、ジャンル別日間ランキング5位、総合日間ランキング6位になりました! 皆様ご声援、ご拝読ありがとうございます! 本作は筆者もとてもお気に入りの作品でもありますので、更なる物語の展開として加筆し、連載版を鋭意製作しております。どうか連載が始まりましたらそちらもよろしくお願い致します!】




