新しい志木原
牟岐の兵が退いてから、半刻ほどが過ぎた。
志木原の社には、まだ緊張の名残が漂っていたが、
境内の外には、少しずつ人の姿が戻り始めていた。
その昼下がり。
社の前に、二つの軍列が並び立つ。
一方は薫。
もう一方は朧。
先頭に立つ二人が、同時に境内へと足を踏み入れ、
本殿の前で待つ四人の前へ並び出た。
薫黄雀は、いつもの穏やかな表情のまま、
四季の神子たちへと一礼する。
「無事で何よりです。……少し、遅くなりましたが。」
続いて、朧為隆が一歩前に出る。
武人らしい体躯。
だが、目は鋭さよりも、深い静けさを帯びていた。
その目が春花を捉えると、ふっと大きく開く。
「……為春?」
その言葉に、春花は小さく目を見開く。
為隆は、少し照れたように口元を緩めた。
「いやなに、昔の友人に目が……似ている気がしたのだ。そちらの男子も、別の友人に。」
そういって夏輝の方を顎で指す。
その場の空気が、静かに揺れた。
「……父や母と、お知り合いなのですか……?」
春花の問いは、慎重だった。
確かめるというより、そっと触れるような声。
「父……?……ということは、そなたは……」
為隆の唇が震え、威厳のある声が少し掠れる。
春花は目を少し伏せ、そして為隆の目を見て、頭を下げる。
「志木原家当主、志木原為春が娘、春花と申します。」
為隆は、しばらく言葉を失ったまま春花を見つめていた。
戦場で幾度も血を見てきた男の顔から、
武人の仮面が、ゆっくりと剥がれていく。
「……そうか。」
低く、噛みしめるような声。
「生きて、いたか……。」
それは喜びとも、悔恨ともつかない響きだった。
「牟岐の流した噂、出来すぎていると、思った。
だが……為春が死んだと聞いた時、
私はそれ以上踏み込めなかった。……踏み込む気も、起きなかったんだ。姫の噂を聞いた時も……」
為隆は一歩下がり、深く、深く頭を下げた。
「調べるべきだった。友として……いや、隣国の当主として。
……すまなかった。」
春花は、静かに首を振った。
「……そのように思ってくださるだけで、十分です。」
小さな声だったが、逃げてはいなかった。
「私は、父や母や兄姉の名を借りて、
何かを取り戻そうとは、思っておりません。助けは少し……借りましたが。」
黄雀の方をちらりと見る。
彼は優しげな目で微笑んでいた。
その言葉に、為隆の目がわずかに見開かれる。
「今の私は――」
そのとき。
境内の外が、ざわめいた。
蹄の音。
馬を降りた使者が駆け込んできて、膝をつく。
封を差し出した先は――春花、ではなく、黄雀だった。
「牟岐より、書状です!」
黄雀がそれを受け取り、目を走らせる。
一読。
二読。
そして、小さく笑った。
「……なるほど。」
視線を上げる。
「内容を、共有します。」
黄雀の声は、淡々としていた。
「牟岐は――
志木原の自治権を、完全に放棄するとのこと。」
その場に、どよめきが走る。
「将軍家にも書状を送り、志木原一帯を“神領”として認めるよう
正式に上申したそうです。」
為隆が、眉を上げる。
「神領、か……。ずいぶん、思い切ったな。」
「加えて。」
黄雀は続ける。
「四季の神子による巡礼、祭礼、教導。それら一切に干渉しない。
既に出した法令も、すべて撤回する、と。」
最後に、少しだけ皮肉を滲ませて。
「……要するに。『もう関わらない』そうです。」
為隆は、腕を組んだまま、春花を見る。
「神領で、いいのか。」
問いは、まっすぐだった。
「城主として戻る道も、あったはずだ。朧ならそれを後押しできる。」
春花は、少しだけ考え――
そして、はっきりと答えた。
「はい。今の私は、志木原の姫ではありません。」
横に並ぶ、共に歩いてきた三人を見渡し、胸に手を当てる。
「四季の神子の一人です。それで、十分です。」
為隆は、じっと春花を見つめ、
やがて、ふっと息を吐いた。
「……そうか。」
「為春が聞いたら、
笑うか、怒るか……いや、たぶん、笑うな。」
春花は、一礼すると――
「……少し、失礼します。」
そう言って、その場を離れた。
社の裏、人のいない木立の中。
かつて城のあった場所が木々の隙間からよく見えた。
春花は、そこで、ようやく膝をついた。
声を殺して、肩を震わせる。
「父様、母様、道兄様、千姉様、政兄様……」
思い出せば、何度拭おうとも涙は溢れてくる。
父の背中、母の腕、兄達の優しさ、姉の誇らしさ-
「……帰ってきたよ。」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
しばらくしてから、顔を拭い、立ち上がる。
社へ戻る。
春花の目が赤いのは、一目で分かったはずだった。
だが誰も、何も言わないでいた。
春花は、深く息を吸い――
境内の外が一望できる場所へと歩み出る。
外には、たくさんの人々が集まっていた。
村人。巡礼者。
志木原の名を聞き、駆けつけた者たち。
春花はそこから、声を張る。
「皆さま――」
風が、鈴を鳴らす。
「志木原は、神領として認められる見込みとなりました。」
人々のざわめきが響く。
春花は、続ける。
「ここは、誰かが支配する土地ではありません。
季節が巡り、人が生きる場所です。」
大きく息を吸い込む。
「我々は、取り戻しました。
奪われた春を。塞がれた水を。
抱え込まれた実りを。削がれた冬を。」
春花は、まっすぐ前を見る。
「――四季を、取り戻したのです。」
その言葉に、人々の中から大きな歓声が上がる。
後ろから三人の神子も姿を表すと、その声はより一層大きくなる。
志木原の空には、
はっきりとした光が差し込んでいた。
この話は、一度ここでおしまいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
カクヨムというサイトに、推敲し直した物を連載しています。こことは違う話もありますが、良ければそちらも応援よろしくお願いします。
また新しい話も出したいです。
ありがとうございました。




