安全
それは、静かに始まった。
「巡回の申告を」
「儀礼の正規化を」
牟岐の名を冠した書状が、
各地の社へ、村へ、淡々と届けられる。
文面は丁寧だった。
脅しはない。
命令の言葉もない。
ただ――
「安全のため」という名目だけが、繰り返された。
志木原にある社。
春花は、広げられた文を見つめていた。
墨の匂いが、まだ新しい。
「……巡回路の事前申告、宿泊地の指定。」
冬彦が、静かに読み上げる。
「拒んだら、どうなる?」
千秋の問いに、答えはすぐ出なかった。
拒めば恐らく
神子ではなく、受け入れた土地が、困る。
「……通すしか、ありませんね。」
春花の声は低かった。
「ですが――」
視線を上げる。
「私たちは、きっと遅くなります。」
その遅れを、民は、すぐに感じた。
「今年は、まだいらっしゃらないな。」
「巡行の話は聞いてるが……。」
神子が来ない。
正確には――来られない。
申告、調整、指定。
一日、二日。
わずかなズレが、積み重なる。
それでも、村は回っていた。
春の御札は、戸口に。
夏の水路は、皆で掃除し。
秋の分け前は、孤児へ。
冬は、薪を融通し合う。
神子はいない。だが、季節は止まらない。
最初に処罰されたのは、小さな山間の村だった。
名は、柏木村。
神子が最後に訪れたのは、一昨年の夏。
それきり、来ていなかった。
ある日村は、稲穂祭を行った。
収穫物へ感謝し、祝詞を唱え小さな社に稲穂を納めた。
正規とされた文言ではないが、ずっと、そうしてきたものだった。
その三日後に牟岐の役人が来た。
「この祭礼は、正規の形ではない」
「誰の許しを得た」
長老は、首を振った。
「許し……?神子様は、何も禁じてはおられません」
それが、決定打だった。
「正規に反し、混乱を招く。」
村は、逸脱とされた。
祭具は没収され、社は閉じられ、
収穫した稲穂も半分ほど没収された。
誰も殺されはしなかった。
それでも――
冬を前にした村にとって、それは、十分な罰だった。
役人が去ったあと、村の者が、ぽつりと言った。
「……神子様は、何も言ってない」
「止めたのは、誰だ?」
答えは、皆、知っていた。
その話は、
別の村へ、社へ、巡礼者の口から伝わる。
牟岐の政は、さらに厳しくなった。
「逸脱の再発防止」
「秩序の維持」
「英雄の名を汚す者の排除」
言葉は正しく、紙の上では、善政だった。
だが現地では、祭具の没収は恒常化、巡回路は閉ざされ、
水路の修復は許可制になり、倉の開封には印が必要になった。
季節は、止まらないが、人の手が止められた。
最初に声をあげたのは、
柏木村から流れてきた女だった。
幼子を背負い、泥だらけの足で、
志木原の社の前に立った。
「……神子様」
声は、震えていた。
「季節が、返ってきません」
それは、祈りだった。訴えでも、嘆願でもない。
助けてくれ、という事実の報告。
その声は、広がった。
「四季の神子よ、季節を知る方よ。どうか、見てください」




