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魔王復活。
晩餐の最中その報告をうけた国王は、グラスを取り落として立ち上がり、のこのこと報告に来た俺を睨み付けた。
「場所はどこだ!」
聖女は定期的に召喚されていたが、かつての聖女が相対したという魔王の存在は伝説でしかなく、長きにわたり封印の地は謎だった。
「それが……」
「なんだというのだ」
それは、俺自身、告げながらも、とても信じられない内容で。室内にいる誰もが言葉を失っていた。
聖女、失踪。
否……自分の世界へ帰還した、と。
彼女は意識を失う前、何かを視ていた。おそらくそれは魔王が復活する瞬間だったのだろうと思っている。
だが、彼女は魔王の居場所を告げる事なく、いつの間にか姿を消したのだ。
元の世界に帰ります、と書き置きを残して。
「何故……」
国王はそれだけを口にし、そして、泣きそうな顔になりながらその場を後にする。
俺はその後を追った。
護衛騎士の貴様は何をしていたのだ等の罵声が俺の背に飛んできていたが、そんなものは俺がとうに俺自身に浴びせている。
今後の展開は分かりきっている。神殿は混乱し、情報の漏れにより市民にも混乱が広まる。怒り心頭の貴族たちが連日、城と神殿に押しかけてくるのだ。
「陛下、どちらへ?」
「神殿だ」
「今、外へ出るのは危険です」
「うるさい!」
振り返った陛下の目は、絶望など一つも浮かんでいなかった。
彼は、俺と同じく確信している。
聖女は故郷に帰ってなどいない。彼女は、一人で向かったのだ、魔王のもとへ。
「お前もどうせ同じなのだろう。黙ってついてくるが良い」
「……御意」
そうしてついていくと、陛下は、俺が前王を護衛していた時でも教えられなかった秘密の通路の先をどんどん進み始める。
聞くまでもなく、この地下迷宮と言える複雑な通路は、王都のあちこちに繋がっている。俺も一部は知っていたが、一体何ヵ所に通じるのか。
そしてこの似たような曲がり角をこうも迷わず進める陛下の記憶力だ……侮れん。ああいや、侮った事などそもそも無いぞ。幼少より大変聡明なお方だったからな。
「陛下、彼女が最後に目撃されたのは奥神殿でした。そこは、普段隠されていますが転移魔方陣があるのです」
「それを教えたことは?」
「ありません。ですが、気づいていたと思います。彼女を召喚したのも奥神殿でしたし、似たような部屋があるのかと言ってあちこち覗いていましたから」
むしろ、あれは何だと尋ねられなかった事が逆に彼女がその場所の役割を知っていた証拠になる。
「ならば、話は早いな……奥神殿なら、この辺りか……」
つい、と杖で天井をつつく陛下。すると、そこにあった土壁が音もなく消える。
土魔法だ。杖があるとは言え無詠唱。王族の魔力が他の貴族や一般市民より遥かにずば抜けているからこその荒業だ。しかし、全属性使いこなせるのは、王族の中では陛下だけだ。普通は多くて2属性だからな。
そうして出てきた空間から繋がっていたのは、奥神殿のすぐ近くにある物置小屋だった。
な、なるほど……ここにでるのか……!
俺たちはすぐさま、転移魔方陣のある場所へ向かう。
「よし、始めるか」
陛下がご自身の魔力にものをいわせて調べてみると、やはり、魔方陣が起動した跡があるという。
「……追うぞ」
「お待ちを、せめて他にも護衛を!」
行き先は魔王の元。さすがに、このまま向かうのは無謀と思われた。
「あやつを信じられぬ者を連れていくことは出来ん。お前が来い。それで十分であろう」
「……っ」
頷かなければ、陛下は一人でも行ってしまわれそうだ。
覚悟を決めるか。
そもそも俺が聖女の世話役になったのは、一人で護衛と教育ができるからだ。そしてなぜ神官などしているかと言えば、実家がそうだったから跡を継いだとしか説明できない。
そんな俺が……よりによって俺の生きている間に聖女が召喚され、そして魔王まで復活するとは。
「分かりました。お供致します」
魔法で隠し持っていた剣を取り出し、ひらひらした神官服を脱ぐ。その下は、王宮の騎士らと変わらない、防護衣だ。ちゃんと、剣を提げる為のベルトも装着してある。あいつは強いが、それでも俺は神殿騎士であいつの護衛だからな。いつでも用意はしてある。
「え、あの、脱いでいくのか」
「ご安心を。この防護衣は騎士団仕様でして物理攻撃にも魔法にも強い素材ですので」
「あぁ……そう、か……」
俺の姿を見て一瞬、何故か落ち込んでいたが、すぐに気を取り直した陛下は聖女殿の魔力の残滓を辿り始めた。彼女の行き先を特定するのだ。それはとても繊細で綿密な魔力操作が必要な術で、俺にはとても出来そうにない。
集中を極める陛下の額にじわりと汗が浮かぶ。出来ることのない俺はじっと、陛下の動きを見守るだけだ。
「……っ……捉えた……行くぞっ!」
「はい!」
起動した転移魔方陣が光りを放ち始める。剣を握り締め、俺は最大限警戒して陣の中に足を踏み入れる。
何度経験しても慣れることのない、強烈な浮遊感。ぐっと歯を噛み締め、腹の奥に力をこめる。
もわっとした熱気が体を包み込む。火の中にいるような暑さだ。
体が自由を取り戻すよりも、ぐにゃりと歪んでいた視界がクリアになる。耳はつんざくような轟音を捉えていた。
「……?」
人影を見つけ、剣を構えつつ地面を踏み締める。だが、俺は一歩前に出ることが出来なかった。
目の前で広がっていたのが、泣きわめく幼子を撫で撫でしている聖女という、よくわからない光景だったからだ。
「……あ」
こちらの気配に気付いた彼女が顔を上げ、困ったように下がっていた眉が更に情けなく下がる。非常に珍しい表情だ。
「……どういう状況か、聞いても良いか」
陛下が声を振り絞るようにして、なんとかその質問を口にした。この状況で呆然としないのは流石ですな、陛下。
「ええと……一応ね、この場所は分かったから飛んできて見たの……それで」
幼子をあやしながらしてくれた彼女の説明は、こうだ。
なんでも、転移でここに辿り着いた時、まだ魔王は復活しきっていなかった。今のうちにやってしまえと究極の聖魔法とやらをガンガン打ち込んだところとても弱体化して、姿も幼子になってしまった。
おねえちゃん恐いと泣き出してしまったので撫でていたところへ、ちょうど我々が追い付いてきた。
いや、なんというか……ここまで規格外だと思わなかったな……
「なんか、すまん……」
「なんで謝られたの私?」
「本当に期待を裏切らないな我らが聖女殿は……それで、どうするつもりなのだ?」
「どうしましょうね……」
陛下に問われて、彼女は腕の中の幼子を見やる。
幼子もとい魔王は、泣きつかれて眠ってしまったようだ。そうしていると、人間の子どもとなんら変わらない、なんとも愛らしい寝顔である。
「記憶覗いてみたんですが、長い封印で情報が削られちゃったみたいで、自分の事すらよく覚えてないみたいです。たぶん、過去の諸々も、なんか怖い夢見たなーくらいの感じですよこれ」
説明は雑だが、彼女が言うならそうなのだろう。
しかし、魔王は魔王である。
「……育てるしかあるまい」
「陛下!? 正気ですか!?」
「では殺すのか? 魔族というだけで。それは……正しく人のする事か?」
「それは……」
「魔族の国はもうない。魔王の封印とともに衰退し、滅亡してしまったからだ。そして、弱体化した魔族たちは人と交わり、今は共に生きている。そこにこの子が加わることに何の問題があるだろう」
陛下は穏やかに眠る幼子を優しく見下ろし、そう続けた。
いえね、陛下。良い事言ったみたいな顔してますが、魔王ですよ、問題ありますから。
そう言ってやりたかった俺だが、彼女に先を越されてしまった。
「他国にやるならともかく、あなたの民にするのでしょう? それなら何の問題もないんじゃないですか?」
お前までそんな事を言うのか!?
「しかし……いつしか、魔王としての記憶や思想が目覚めてしまったら……」
「私がいるじゃないですか」
「……は?」
「こうなったの私のせいだし、私が育てますよ、そんなに心配なら」
さらりと告げられた宣言はあまりに衝撃的で、俺も陛下も一瞬動きを止めた。
「そそそれなら、俺はその子の父親で良いか!?」
「いや、この子魔王ですよ陛下。陛下の子にしたら次期国王ですよ? さすがにダメでしょ」
「そうですよ陛下! 陛下にはもっとするべきことがあるでしょう! 協力する! 育てるぞ一緒に!」
「こら! ここにきて邪魔するか!」
「邪魔ではありません! 正しい対処です!」
「ねえ、なんの話?」
よくわかっていない彼女を差し置いて、俺と陛下は睨み合う。
その横で、魔王を抱き直した聖女殿がぽつりと言うのが聞こえた。
「……とりあえず、神殿帰らせてくれない? ここ暑いし」
それもそうだ、といつの間にか汗だくになっている事に気付いた俺だった。
衝撃的な事実が多過ぎて忘れていたが、火山の真横ではないか。道理で息をするのも辛い訳だ。
「よし、では帰りの魔法陣を組んでやろう。聖女殿らは楽にしていて良いぞ」
「はいはーい」
そんな会話を聞きながら、俺は思った。
俺の来た意味、無かったんじゃないか……?
魔王は、魔力が異常に強い子どもとして神殿で育てられる事になった。
魔王復活そのものは、聖女の勘違いであったという話になり、勘違いが恥ずかしくて元の世界に帰ろうとしたがやっぱり止めて戻ってきた、という、なんとも適当な言い訳を連ね、この件をうやむやのまま終わりにしてしまった。
俺は、そんな適当で終われるものかと思ったのだが、陛下と聖女殿は終わらせた。やるといったらやる。こういう時の二人の恐ろしさを間近で見ていたのは俺だけだ。
とても、恐ろしかった。
あの時の二人を前にしたら、白も黒、黒も白と名を改めなければならなくなる。そんなやり口だった。
「おねえちゃん、おねえちゃん!」
可愛い声が、神殿内に響く。
聖女殿を見つけ、魔王がキラキラと純粋な目を彼女に向けている。
「どうしたの、マオ」
マオというのは魔王の呼び名である。安直だとか言ってはいけない。間違いなく、死にたくなるような報復が来る。
「あのね、まほうは、つかうのにじゅもんがいるんだって。いわなくてもできるのになんで?」
人間の、特に子どもはまだ魔力が安定しない。大人でも、高度な魔法は呪文が必要になる。詠唱を全く必要としないのは魔族だけである。
純粋な魔族であることを隠すために、とはまだ言えない。さて、どう回避すべきか。
ふむ、と考えた俺の前で、聖女殿は迷いのない笑みを浮かべている。
「そりゃあ、呪文があるとカッコいいから!」
「そっか~!」
「そんな事より、今度陛下が遊びに来たいって。何か欲しいものがあったらおねだりしちゃいなさい。なーんでも買ってくれるからね!」
「わ~い!」
そんなやり取りが響き渡り、神殿内に配置されている騎士たちが生温い目をして中空を見上げている。
今日もこの国は平和である。
完
お読み頂き、ありがとうございました。
唯一出た名前がマオ。
お察しいただけますでしょうか……私は名付けのセンスがありません……
また時間が出来たら色々書きたいと思っております。
その際は宜しくお願い致します。