5−1
沖田広海がいなくなった。
その事を友人の嵐山京子に聞いてから五時間後の夜十時過ぎ。僕は沖田広海の部屋にいた。合鍵は嵐山京子が持っていた。彼女が僕を呼び出した。
沖田広海のアパート。二人で丁度よいくらいの大きさのテーブルがあるキッチン。かつて僕の部屋だった場所だ。
沖田広海が、嵐山京子や他の友人たちの前から姿を消して、三日が経っていたらしい。正確な事は誰にも分からなかった。三日前、嵐山京子が沖田広海のアパートに入った時に、異変を感じたそうだ。
出しっぱなしの描きかけの絵、流しの中の食器、人だけが消えた感じだったという。書き置きはなかった。
嵐山京子が変だと思ったことは、書き置きがない事だった。
本当に「重大な何かある」人間は「書き置き」なんか書く余裕はない、というのが嵐山京子の思ったことだった。
嵐山京子はあわてて沖田広海の実家に電話をした。二週間程前に一回来たっきり、顔を見ていないという答えが帰ってきた。学校には顔も出していない。退学届も出していない。旅行に出たような形跡もなかった。
沖田広海の実家の方は捜索願いとか、大げさな話にはなっていなかった。のんきに構えているというのか、それとも毎度のことだから大して心配していないのか。どっちにしても沖田広海の行方はわからない。
近藤春人は二週間前、沖田広海の姿を見ている。
それは沖田広海が謎の外国人アオヤマ・スミレから留学の話を聞いた時だった。その時に、どんな会話が二人の間で交わされていたかは近藤は知らない。その時以来、沖田広海の姿を見ていない。部屋の明かりも消えたままだった。
近藤春人は嵐山京子に二週間前に何があったのかを話して聞かせた。嵐山京子はそのことを知らなかった。近藤春人には意外だった。当然、親友の嵐山京子は沖田広海の「留学」の話を知っていると思ったからだ。
「ねえ、私が知らない話はそれだけなの?」嵐山京子は聞いてきた。
絵を見つけてからの話、アオヤマ・スミレという外国人に僕ら三人は監視されていた話を喋った。その話のどれも嵐山京子は知らなかった。
「ねえ、大屋さん」
「なに?」
「広海こと、好き?」
「嫌いじゃないよ」
「そんなことわかってるわよ」嵐山京子は言った。「そうじゃなくてさ、ホンネのところよ」
「ホンネか」正直、僕もわからない。ただ、気にはなる。
「そこまでは俺も良くわからない。好きとか、嫌いとか。そこまで知らないし、わからん。もうちょっとしたらわかるんじゃないの。そういう事って、スグわかる時とわからない時ってあるじゃん」
「そうねえ」納得したようだった。
「ねえ、広海とした?」
僕は首を、何回も何回も横に振った。そんなことがあるわけがない。
「そうなんだ。てっきりあたしは大屋さんと寝ちゃったから、あたしに隠し事しているんだと思ったけど。違うんだね」大きく伸びをして、嵐山京子は言った。
「今のは、冗談にしちゃキツかったけど、私は、大屋さんが広海の彼氏になってくれるたりすると、密かに嬉しいと思っていたのよ。冗談じゃなくてね」
「彼氏!」声が裏返った。
「広海は、どうもあの子はダメ男にひっかかっちゃうのよね。絵のことなんかまるで興味がない男。それも結構なろくでなしに」
ろくでなし、かとうか自分じゃわからないけど、絵に理解がない所は、僕は沖田広海の過去の男と同じだ。
「広海に必要なのは理解者なの理解者」
「理解者ねえ」それがオレなのか。それとも。
「だって、素敵だと思わない。街角で出逢った男と女が、それもまったくの他人が、また出逢える、しかも同じ屋根の下で暮らしていただなんて。とっても素敵!映画みたいよ」そりゃ、あんまりないケースだろうな。まあ街角で出逢った男と女が、違う場所で再会するって所までは確かに映画みたいだ。そんなようなマンガもあった気がする。
しかし・・。
「一つ屋根って言うけどさあ。俺は大家の息子で、彼女はアパートを借りてるだけだぜ。そんなの当たり前じゃん」
「だから、そこに見えない力を感じるのよ。奇跡って言うのかな」
「奇跡じゃないだろ、偶然だろ」確かに、僕たちの関係のすべては、偶然だった。偶然がいくつも重なって僕たちは知り合った。
「そう言っちゃえばそうだけど」嵐山京子は呟いた。「でも、大屋さん、絵、もらったでしょ」
「それなんだよ」それだ。それが僕が沖田広海のことが気になる一つの原因だ。それなんだ。
読了ありがとうございました。
まだ続きます。