勘違いの行方ーーー矢坂の場合
矢坂さん視点追加です。
何だか妙に長く……(笑)
「栄養が全部、胸にいったんじゃないの?」
ーーーそんなわけないじゃん!
新卒で採用された会社は大きかったけれど、仕事は教えてもらえないし、常識がないと怒られるし、嫌みを言われることも多かった。
それは私に限ったことではなく、同期もそういう目に遭っている子は何人かいて、同期飲みの度に愚痴を言い合った。
それはそれで、仲間意識を固くするのに役に立ったと思うけど、それだけ。そこから、成長なんてしない。
……結局、きっちり3年我慢して、辞めてしまった。
次に就職したのは、規模的には前の会社と比べられないくらい小さいところだったけど、中途採用ですんなり決まったのは幸運と思うことにして、内定をありがたくいただいた。
配属されたのは、物流管理部という、まぁ、前職の知識は何にも役に立たない部署だった。
「初めまして」
ーーーあ、美人。
ふわりと微笑んで、会釈程度に頭を下げたその人は、目を奪われる華やかさは少なかったけれど、柔らかい雰囲気の美人さんで、とても印象がよかった。後から社内で憧れと呼ばれる人だと教えられて、納得してしまう程。
片山先輩は物流管理部の中でもとても仕事の出来る人で、その物腰のよさで全てを解決してしまう。
スケジュールに見落としもなくて、資料の準備は完璧で、片山先輩が言えば、なかなか資料を出してくれない他部署の人だって、〆切を守る。
「どんな魔法使ってんだか」
物流管理部にはもうふたり女性がいて、三河さんと春日さんといい、年齢は私の十ほど上で、あまり仕事はしていないようだった。わざと聞こえるような声で言われる嫌みは、前の会社を思い起こさせて、すごく不快で、しかめっ面になってしまう。
でも片山先輩は、自分に言われてるのに気づいているのに、ものの見事に聞き流して、逆に私に「ちょっと休憩しようか」と声をかけてくれる、スーパー出来る人だった。
ーーーもう絶対、この人についてく!
……そう、思ってたのに。
「引き継ぎもだいぶ進んだね」
「はい!」
「矢坂ちゃんみたいな頑張り屋さんが入ってくれてよかったよ。私も安心して辞められるもの」
「……へ?」
ーーー今、何て言いました?
「退職のことは早めに申し出たのに、後任がなかなか決まらなくて。矢坂ちゃんへの引き継ぎも、だいぶ詰め込みになってしまってごめんなさい。営業は癖のある人も多いから、大変だと思うけど……」
「はぁ」
「……もしかして、私の退職、聞いてなかった?」
「……はい」
ーーーまさかの!
「あ、あの、転職されるんですか?」
ーーーこんなに出来る人だもの。引き抜き、とか?ステップアップのための転職とか?
「ううん。結婚するの」
「ーーーえ」
驚きのあまり目をぱちぱちさせると、ふふふと片山先輩は笑った。それが普段の柔らかな笑みーーー上品で優しげで男性ウケ抜群なーーーではなく、色っぽさを感じさせるものだったので、更に驚いた。
「ああああの」
「私、内勤の事務で、スキルもないもの。履歴書に書ける資格なんて、運転免許だけよ?しかもペーパードライバーだしね。事務経験があるっていっても、それだけ。目に見えるものなんて何にもない。それに、また一から就職活動っていうのも、ね」
ーーーそんな!
「年齢もね、若いってわけでもないし、未経験オッケーの枠に入るには、ちょっとね。ぎりぎり過ぎるかな」
「……」
「だから、『寿退社』になるの」
そうして今度は、少し悪戯っ子っぽく笑う。
ーーー片山先輩って、本当はどんな人なんだろう……?
ーーーわからなくなった。
片山先輩の退職が迫り、朝礼でもその旨が報告された後。
営業部の倉本さんと七瀬さんがお花を持って物流管理部に来た。
いつも通りのふんわりした笑顔で、片山先輩はふたりと話してる。
ーーーあれも作り笑顔かな……。
「いい顔し過ぎだよねー」
「ほーんと。私らが仕事してないみたいじゃん。ねー」
ーーーいや、あなた方は仕事してないから。
三河さんと春日さんはおしゃべりしている時間の方が多くて、やり残しが回ってくることもしばしば。
勤続年数は上で先輩なのはわかるけど、もうちょっとこう、どうにかならないだろうか。物流管理部は人の良さそうな年配の嘱託さんとか、気の弱い係長とか、男性陣は頼りにならない印象。かろうじて部長が強面のしっかりした方だけど、他の部の部長も兼任しているので、あまり顔を出してくれない。
ーーー私、ここでやっていけるのかな。
席に座っているのもいたたまれず、私は片山先輩のところへ行くことにした。お話ししているふたりは、営業部の人だ。なら、今後付き合いが多くなる。営業部の部長には挨拶をしたけど、各々にはまだだし、年の近そうな人とは話したことがある状態にしておきたい。
「あの……」
「え?」
「営業部の、伊月さんですよね?片山先輩の後任の、矢坂です。これからよろしくお願いします」
前もって片山先輩から言われていた通り、倉本さんの下の名前で呼ぶ。それで仕事が円滑に回るのなら、呼び方なんてさほど気にすることじゃない。
少し不機嫌そうだったけれど、声をかけると倉本さんは私を上から下まで見て、だらしなさそうに笑みを浮かべた。
ーーーあ、関わるの最小限にしよう。
これといって特徴のない私だけど、遺伝のせいか、胸はそこそこあって、その点で絡まれることも多かった。
「あ、ごめん。ぼーっとして。こちらこそよろしく」
ーーーよろしくしたくないなー。
他部署といっても先輩は先輩だ。顔には出さず、笑っておいた。
ーーーどちらかというと、七瀬さんと仲良くなりたい。
営業部の女性は、事務を除いて七瀬さんだけだ。ちらりちらりと視線をやるものの、七瀬さんは片山先輩と話し中で気づいてくれそうにない。
「今度飲もうよ。営業部の担当になったってことで。親睦会」
「あははー。そうですねぇ」
ーーー面倒くさいよー。嫌だよー。
「七瀬ちゃん、ありがとう。伊月くんも、忙しいところありがとね。もう少しだけど、よろしくね」
「あ、ああ」
「はい。もちろんっす」
ーーー本当に、どうしてこうもタイミングがいいんだろう。
倉本さんの誘いをどう断ろうか悩み始めたとき。
七瀬さんと話していたはずの片山先輩がいつの間にか傍にいて、おしゃべりの終わりを告げる。
「あの……ありがとうございました」
「ううん。倉本くんも、扱いはしやすい人だけど、面倒なところあるから。慣れるまで大変だと思うけど……」
申し訳なさそうに言うのは、同期だからだ。
それ以上でも、以下でもない。
以前から噂はあったそうだが、否定するのも面倒だったのか、特に害がないから放っておいたのかはわからないけれど、片山先輩は倉本さんに勘違いをさせておいたように思う。
処世術?それとも少しは気があった?
ーーーわからないし……答えを聞くのが怖いかもしれない。
「この処理が終わったら、資料はファイリングして、1年毎でまとめて、最終的には書庫に保管ね。過去のものもあるから、参照したかったら、こっちの棚ね」
「は、はい」
「質問はある?」
「えーっと……」
「……うん。やってくうちに出てきたら、そのときで大丈夫よ」
「……はい」
見習うところはたくさんある。出来るだけ吸収して、お見送りしよう。
ーーー私にとって片山先輩が、私史上、最も素敵な先輩であることには変わりないのだから。
ちょっと矢坂さんは指示待ち人間ぽいです。
彼女は素直に表情に気持ちが出そう。